大津いじめ事件とは?
中学2年男子生徒が亡くなった悲惨な事件。過去にはないほどの衝撃的な事件で有名ですが、事件内容はもちろんのことその周囲の対応にも非常に心に残るものがありました。過去に起きた事件のあらましについて紹介していきましょう。
異例の実名報道!加害者は同級生3人のいじめ自殺事件
近年まれに見る衝撃的ないじめ事件として知れ渡ることとなるこの事件。中学生という若さで自殺という最終手段を取らざるを得ず、非常に悲しい出来事でしたが、衝撃的なのはいじめの内容だけではありませんでした。
というのも、実名が取り上げられ公表されたのです。一般的な事件発生時は、未成年の犯罪の場合加害者の名前が伏せられるケースが多いようですが、今回は加害者実名がはっきりと公開されました。
ましてやいじめの内容も非常にひどいもので、当時被害者男子生徒には蜂の死骸を口に入れさせようとしたり、口に粘着テープを張って背中をけるなど壮絶ないじめを受けていたと言います。この事件でどれほどのことに少年が苦しんでいたのか当時大きな波紋を呼びました。
また、事件の大きさもですが、その後この事件がきっかけでいじめ防止対策推進法が制定されたことも大きな出来事となりました。一連のいじめは決してあっていいものではなかったですが、大きな出来事として話題となっていったのです。
学校・教育委員会の隠蔽体質に非難殺到!
同級生から苦しめられたこの少年の背景には、学校側の体制にも問題があったことで話題を呼ぶこととなりました。というのも学校側は男子生徒が同級生から暴行を受けていたとう事実を把握していたのです。
しかし、把握しながらも学校側は「喧嘩として認識」という非常に粗末な認識であり、その後全校生徒向けアンケートでは、その結果が自分たちに都合の悪い結果だったという理由で隠蔽しようとし、後にこのことが発覚して大きな批判を浴びることとなりました。
いじめの内容はもちろん加害者が悪いものですが、学校側がこの事件をもみ消そうという動きが感じられ、その隠ぺい体質に避難が殺到したことも、この事件が話題を呼んだ一因となっています。
大津いじめ事件の全貌
同級生からのひどい扱いを受けた男子生徒は自ら命を絶つまで非常につらい日々を送っていたといわれます。その生徒のようなつらい思いをする人間が二度と生まれないようにするためにも、詳しく事件の全貌を把握するところから始めましょう。
男子生徒が受けていたいじめ
事件を時系列順に見ていきましょう。まず、同級生からの暴行問題が起きていたのは滋賀県大津市にある市立皇子山中学校に通う13歳の男子生徒でした。
その男子生徒は2011年9月29日の体育祭の日にいじめ目撃に合います。昼食時に鉢巻きや粘着テープで口を閉じられ手足を縛られているところ担任以外の教員に目撃されていました。
もちろん、この時教員は止めに入っていますが、翌月10月8日には被害者男子生徒の家におしかけ、貴金属や財布を盗んだという事実があるようです。
これらのいじめは何もここから始まったものではなく、日常化しており男子生徒はかなり前からいじめに悩んでいたようです。
自殺前日に「もう俺死ぬわ」
同級生から暴力を振るわれた被害者の男子は、毎日がつらく生活をしていたといわれています。そんな中、被害者の男子は思いつめ、最終的に自殺という最後の手段を選ぶことになったようです。。
自殺の前日には、それをほのめかすようなメッセージを加害者側に送っており、「もう俺死ぬわ」とメールを送っていたのだそうです。しかし、これに対しても加害者らは面白がって遺体を探す始末で、メールに対しても「死ねばいいや」と返していたと言います。
いじめを苦に飛び降り自殺した
唯一助けを求めるメッセージもむなしく加害者は相手にしないものでしたが、追い込まれた被害者はとうとう、2011年10月11日に自宅からの飛び降りました。最後まで、彼の思いは誰にも通じることなく、自殺という形で人生を終わらせてしまったのです。
しかし、これにも加害者らは反省の態度を見せることはなかったと言います。なおも掲示板に張ってある被害者の写真を使って画鋲で刺すなどの行為をしていたといわれています。他の自殺に関する記事はこちらをどうぞ。
生徒達にいじめは認識されていた
自ら命を絶つ結果になってしまった今回の事件ですが、周囲の認識はどうだったのかも調べてみると、実は生徒間ではいじめは認識されていたといわれています。というのも、被害者が息を引き取った後に取られたアンケートには、その事実がほぼ明るみに出ていたのです。
全校生徒対象アンケートは、今回の自殺原因を究明するために実施されたものでした。そのアンケート結果では、かつて暴力行為が行われていたことや、万引きをさせられていたことまで書かれており、明らかにいじめがあったことを示していました。
また、そのアンケート結果の中には、先生がいじめを見ても笑っていただけといった教師陣の存在についても示しており、いじめだけでなくそれを黙認していた学校側の体制についても露呈している内容だったといわれています。
自殺一週間目には、被害者が担任の先生に電話でいじめのことについて相談を持ち掛けていたといいます。しかし、担任の先生は涙ながらの相談も相手にせず、自殺に追いやってしまったことも明らかになりました。
学校側はいじめを認識していないと主張
生徒間では事実を認識しており、先生たちの対応の悪さもアンケート結果によって明るみになったわけですが、では学校側の認識はどうだったのかというと、驚愕の事実でした。これがあったために、教師の対応は被害者を助けることにならなかったのです。
学校側の認識は、いじめが起きているという認識ではなかったと言います。過去にはトイレで暴行を受ける被害者を見つけた女子生徒が担任に助けを求めたことがあったそうです。しかし、それにもしかるべき対応は取らなかったことが明るみになっています。
どうやら、それらの暴力行為は、あくまでも生徒間同士の喧嘩程度の物でありいじめではないという認識。放っておけばいいと考えていたようなのです。これは学校側が主張しています。
そして、その主張に合わせて自殺の原因は、いじめではなく家庭環境が原因だとも発言をしたのです。彼らの認識の甘さ、そして被害を出してしまった後の対応のずさんさと思慮の浅さが垣間見えた瞬間です。
教育委員会も事実を調査せず隠蔽した
認識の甘さには多くの人が驚きひどいと感じる物でしたが、その認識の甘さは教育委員会にも存在しました。先述でふれたアンケート結果をもとに、さらに事実を知りたいと遺族の希望があり、2回目のアンケートが行われることになります。
そして、そこで学校側と教育委員会側で驚愕の対応が行われるのです。そもそも2回目のアンケートの結果には、「葬式ごっこ」や「自殺の練習」といったいじめを示唆するより具体的な内容が明るみになったのですが、学校側は事実調査を行わなかったのです。
さらに、教育委員会への報告内容は新たな情報は確認できなかったということで報告を完了させていたのです。それに加え、後日アンケート結果を拾い上げていない学校側にも非難が殺到し、言及された学校側は見落としていたためと発言をしています。
正しい情報が教育委員会に伝わらなかったこともあり、事実確認が行われることなく、どちらにも隠ぺい体質があるという事実だけが発覚するのでした。
加害者生徒に聞き取り調査をしていなかった
教育委員会が係る事実には聞き取り調査を行わなかった事実も明るみに出ています。なんと、加害者側にも人権があると主張して、事実調査を3週間ほどで打ち切り、正しく事実確認を行わなかったのです。つまり隠蔽しようとしたのです。
被害者が無くなっている状況がありながら、正しく事実を調べようともせず、加害者の人権というお門違いな主張を交え隠蔽しようとする姿勢に、批判が殺到したといわれています。
担任の森山進は事件後に長期休職
自殺に追い込んだのは、加害者はもちろんですが担任の先生にも責任があることは明白です。しかし、担任である森山進氏は、事件後長期休暇を取り、その後の保護者説明科にも出席することなく逃げ続けたといわれています。
当然、市教育委員会や第三者委員会などの聞き取り調査もあったのですが、これにも満足に応じることはありませんでした。また、2013年3月には職場復帰を果たしています。
何の責任も取らず、のうのうと復帰するその態度にもちろん批判もありましたが、その時点で遺族に謝罪や追悼の言葉もなく、事件をまるでなかったことの様に扱う態度だったそうです。
加害者生徒・関係者の処分
加害者の処分については当然行われました。しかし、その内容には全てに納得のできる物ではないとの声も多数上がっています。
処分内容に関しては、校長には「学校の体制づくり」における指導や監督を怠ったこと、隠蔽を図ったことなどで減給10分の1の懲戒処分が科せられました。また、教頭2名は文書訓告、学年主任は厳重注意という処分になりました。
さらに、教育長・教育部長に関しては減給処分対象でしたが、この二人は直前に退職。そのため、この減給処分は課せられなかったといわれます。もちろんこれには、遺族は不満を表明しました。
また、加害者側の生徒にももちろん処分が下されます。生徒二人は保護観察処分、もう一人は関与の度合いがすくないとして、不処分となったのです。遺族が浮かばれる処分になったとは言い難いですが、このような結末で事件は終わりを迎えます。
大津いじめ事件の裁判と判決
被害者が亡くなった以降、事実の調査が満足とは言えないながらも行われ、その結果裁判が起き、判決も下りました。その裁判の様子と判決内容について調べていきましょう。
法廷で加害者は「ゲーム、遊びだった」と発言
開かれた法廷では、いじめと自殺の因果関係を調べる質問が行われたようで、その口頭弁論の数は20回以上にも及んだといわれています。沢山の傍聴人が訪れこれまでにないほどの関心の高さがうかがえたといわれています。
そんな中、加害者は実に信じられない言葉を発します。それはいじめの認識がないことだけからくる発言とは思えないものでした。加害者らはいじめの認識を否定し、「ゲーム、遊びだった」と主張したのです
加害者が主張するには、被害者の様子はいじられ役であり嫌がった様子ではなかったという意見だったのです。その発言から、周りも彼らの言う意見と今回のいじめの認識に大きくずれがあることに気づき始めます。
「元々は仲の良い友達だった」状況が少しずつ明らかに
なぜここまでのいじめと自殺に発展したのか、そもそも彼らの中はもともと悪くこのような結果になってしまったのかと色々な疑問が浮かんだ今回の事件ですが、そのことについても尋問で明らかになっていきました。
元々は彼らは仲が良く遊んでいたようです。よくゲームで遊んでいたり、琵琶湖やUSJなどにも言っていた中であり中の良い友達だったということが分かりました。しかし、次第にエスカレートしていきます。
というのも、遊びの中には次第にプロレスやボクシングごっこなどが入ってくるようになり、徐々にエスカレートして暴力気味に増長していったのです。もちろん、今回の被害者は加害者側にそのような暴力は行っていませんでしたが、一方的にしていたと言います。
しかし、加害者側にとっては以前よりも過剰なコミュニケーションの様にはなったが嫌がっているとは思わず、単なる遊びだという認識のまま遊んでいたというのです。
そして、粘着テープでの拘束や蜂の滋賀死骸を食べさせるという行為も、エンタテイメントの一種だと考えていたと主張しました。
しかし、今回の自殺との関係性をより詳しく聞き出すために詳しい尋問が行われると、「覚えていない」という答えも頻繁に行い、どこか反省の念が薄いようにも感じられたといわれています。
被害者男子生徒を「6年間忘れたことはなかった」
初公判から6年後平成29年12月14日に行われた訴訟では、残された家族から加害者側・学校側合計12人への尋問が行われました。その尋問内で、被害者男子生徒の父親は加害者側にとある質問をします。
「息子に謝罪の気持ちを持ったことはあるか」と問いかけたのです。そこに加害者側の生徒の1人は生きていたらもう一度話し謝罪を行いたい旨を主張し、「6年間忘れたことはなかった」と返答しています。
また、一人は話し合って何に悩んでいたのかについて聞きたいととも述べていますが、もう一人は「ない」と答えており反省をしているのか不明な態度を取っています。
加害者2人に3570万の賠償命令
尋問を繰り返し裁判で苦だった判決についても調べていきましょう。判決が下ったのは2019年20月19日のことです。いじめと自殺の因果関係を調、そこに関係性があることが認定されました。
それにより、加害者男子に2名に対して3570万円もの賠償金を命じました。残る一人については、事件の関係の度合いが少ないとみられ賠償責任はなかったのですが、その後その中の内一名が大阪高裁で控訴を行っています。
大津いじめ事件の加害者のその後と現在
同級生の暴力が発端となった今回の事件は、異例の学校側の隠ぺいなど異例の事態を起こしながらも判決が下り、正式に処罰が課せられました。当然加害者たちもその後すぐに平穏な生活に戻れたとは思えませんが、彼らはその後どうなったのでしょうか。