澁谷恭正はPTA会長の仮面をかぶった殺人者!千葉小3殺人事件に潜む裏の顔とは

ここまでこの事件の裁判で宣告された点について見ていきましたが、最期まで犯人とされる男性は現在でも無罪だと言い続けていることが分かりました。そして世間の声にも冤罪を主張する考えは尊座しています。ここではその点について、肯定の意見と否定の意見から見ていきます。

澁谷恭正の冤罪主張派

このように、冤罪の主張をする声のほとんどは男性のこれまでの立場からこのような犯罪を犯すようには見えないといった意見や、現在のPTAの会長といった重要な立場からその責任を捨ててまで今回の事件を行うのかといった意見が多く聞こえました。

また、これ以外にも男性はDNAが一致したという証拠を捏造であるとも主張しており、この意見に同調する声も少なからず存在します。そして被害者の遺族に対して謝罪の言葉を述べるといった場面もあったことからこの点を考慮して冤罪ではないかと考えている声もあるようです。

澁谷恭正の有罪主張派

また、冤罪を主張する意見のほかに、有罪である事を主張している意見も多数存在します。上記の意見では調査の結果多数の物的証拠や性的な暴行があったと考えられる痕跡などが自動車の中から多数発見されていることから、言い逃れができないのではないかといった声が多く聞こえました。

事件に関して黙秘をしているという事も真相が分からずに意見が別れている原因とも考えられます。しかしもし無実の罪ですと、どうして犯罪者になったのか、疑問に残る部分も多くやはり男性が真実を語るまでは真相は分からないと言えます。

冤罪に関する記事についてもっと深く知りたい方は、こちらの記事もチェックしてみてください

澁谷恭正の裁判で分かった2面性

Three-shots / Pixabay

今回の事件の中で犯人の男性が冤罪なのではないかという意見と有罪で間違いないのではなどの二つの意見を見ていきました。ではここからは裁判の中で分かっていった、男性の異常ともいえる隠された一面についてここで詳しく見ていきます。

澁谷恭正はPTA会長として毎朝見守りをしていた温厚な保護者

Takmeomeo / Pixabay

まずこの男性の表に出ている性格についてですが、こちらは前述したようにとても温厚な性格で、おとなしい性格だったと近所では言われていました。子供の見守りの活動にも積極的に参加するなどしています。

しかし、男性の友人からの話では少し怒りっぽい一面もあり、自分自身が思い描く通りに物事が動かないとすぐに口調を荒げるような場面もあったようで、この点では男性の本来の性格ではない、もしかすれば本性とも推察できる二面性の片鱗が友人の前では見せていたことが分かります。

法廷で被害者家族に謝罪をしながらも「親の責任」と言い放つ行動

12019 / Pixabay

もう一つこの男性の二面性を象徴するかのような行動に、裁判の中で男性は謝罪をしたものの、親が子供を見ていないのは親の責務であるなどと発言をし、さらには親が今回の女の子をしっかりと守ってあげて欲しかったといった事も話していました。

この発言は謝罪の後の発言という点でも違和感を覚えるとともに、ちぐはぐな言動であるともとらえることができ、この男性の二面性が出てきたようにも感じられます。いずれにせよ、この発言は自分は間違っていないといった風な事を暗に言っているようにも推察でき、本性を少しのぞかせた瞬間のようにも伺えることは確かです。

澁谷恭正は小児性愛者で特にアジア系を好む嗜好の持ち主

Capri23auto / Pixabay

さらに男性の裏の顔とも言うべき部分として、彼が幼い子供に対して性的な興味を持つ性癖の持つ主だったという点も挙げられます。その証拠として、押収された物品の中にはまだ小学生の子供を映した映像作品等もあり、この点もこの男性の2面性を象徴するものとして考えることができます。

また、この押収された作品の中には日本人も多かったようですが、特に多かったのはアジア系の女の子だったようです。今回の事件の女の子がアジア系だったという事からもそういったタイプを好んでいる嗜好があったことが伺えます。こういった欲望が表に出てきてしまった事が、今回の事件の引き金になったとも推察できます。

澁谷恭正の生い立ち

Hermann / Pixabay

ここまで今回の事件の犯人だとされる男性の隠された一面について詳しく掘り下げていきました。ではここからはこの男性のこれまでの経歴について、一体どのような人生を歩んできたのかを見ていき、この事件の関係性を探っていこうと思います。

澁谷恭正の生い立ち①1971年松戸市に生まれる

jelly / Pixabay

男性は今回の事件があった地域で生まれます。父親は郵便配達の仕事をしており母親は地主の家という裕福な家庭だったようですが男性が幼少期の頃には離婚をしていたようです。子供の頃は大きな体格と優しい性格で大人によく可愛がられるような子供であり、このころはまだ異常性の片鱗は見せていませんでした。

その後今回の事件の被害者と同じ小学校に入学するものの、その体格に目を付けられた同級生たちからいじめを受けてしまうこととなります。この頃はおとなしい雰囲気ではあるものの怒りっぽい性格で親しいといえる友人もいない、少しばかり厳しい小学校での生活を過ごしていました。

NEXT 澁谷恭正の生い立ち②中学では教師に対して暴力事件を起こす