山地悠紀夫の生い立ちや異常性に迫る!【山口母親殺害事件・大阪姉妹殺害事件】

唯一、力を発揮した場所がありました。母の借金の支払いに追われ家計は火の車状態であったたため、自分が勤めに出て生活費を賄おうと決断します。

真面目な働きぶりで約9万ほどの給料は、ほとんどを母親に渡して生活費としていたのです。その一方で早く家から出たいと強く願っていました。自分は邪魔な存在で一人で暮らしたいと考えていたのです。

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そのため給料を上げてもらえないかと交渉したこともあったようです。そして新聞を配るエリアを拡大するために古いバイクを購入し移動手段としていました。

当時は家のため未来のために必死に働く真面目な少年の姿がありました。父親がいなくなった分、自分がしっかりしなくてはいけないと心の片隅にあったことでしょう。

山地悠紀夫死刑囚が起こした2つの事件【山口母親殺害事件】

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生きていくために奮闘する姿が見受けられましたが、どこで踏み間違えてしまったのでしょうか?以前は不満があるものの母親との関係は、悪いと言えるほどの仲ではなかったようです。

唯一、母の給料日にかつ丼を食べるのが楽しみであった、ささやかな幸せも感じれた瞬間もあったようです。それがなぜ、二度と目を覚ませなくしてしまったのでしょう?経緯に至ってしまった背景をご紹介します。

母親の借金で募る悲壮感

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薄暗く太陽がまだ顔を出さない早い時間帯から起きて、新聞を届け必死に働きました。それでも母の作った借金は減ることなく逆に増えていくのです。

収まらない買いグセに膨れ上がっていくマイナスのお金には、働く気も失せていくことでしょう。生を受けたときから貧しい生活を虐げられています。何にお金を使っているのかを訪ねても、全く教えてくれなかったようです。

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電気が止められて真っ暗闇で過ごさなければいけなかった虚しい夜、水道が止まってしまい喉も潤せなかった悔しさ、そんな貧困から脱出したいがために勤めを決断したのです。

それでも一向に光が当たらない生活を過ごさねばならない現実は、心を蝕んでいきます。次第に親子の関係にもヒビが入るようになっていくのです。

母親から山地の恋人への嫌がらせ

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離れていく息子を何とかしたいと思ったのでしょうか。当時恋焦がれる女性に対し、無言の電話をかけたのです。隠れて行った行為でしたが、発覚してしまい彼から問い詰められます。

素直に認めて謝罪の言葉があったら、先行く道なりは変わっていたことでしょう。断固として認めず口論となったようです。

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今までの我慢していたストレスが一気に吐き出たかのように、怒りが込み上げてきたといいます。必死になって家計を助けようとしていたにも関わらず、改心しない母親に対して、思いをぶつけたのでしょう。

「出ていけ」の言葉にカッとなった金属バットで母親を撲殺

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今までの不満が一気に飛び出してきたかのような壮絶な現場だったといいます。彼を止める理性はどこかへ吹き飛んでしまったのでしょう。

出ていきたいのは自分のほうなのに、誰のせいで苦しい生活をしていると思っているのか、そんな思いが彼を怒りに変えたのでしょう。自分なんかいないほうがいいと思っているのだという思い込みがいつしか殺意へと変わっていきました。

頭や顔を中心に硬い金属バットで容赦なく乱暴したのです。たくさんの血が流れ出て息絶えたのです。まさか自分が生んだ息子に殴られて死んでしまうとは思ってもいなかったことでしょう。

自ら110番へ通報

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受話器を取り、ダイヤルし通報しています。駆け付けた現場は、騒然としていました。そして意外にも冷静な彼の態度に恐ろしさを覚えるとともに、現代の少年犯罪の問題も浮き彫りとなったのでした。

当時16歳という若さであった少年が引きおこした残虐事件として、多くのメディアが取り上げ連日にぎわいました。同時に子供のスポーツのために使うバットが凶器となり、親たちは恐怖に包まれたことでしょう。

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母の作った借金が原因で殺めたとしっかりとした口調で告げたようです。ただ一つの問題が彼を悪に動かしたのではなく、さまざまな複雑な生い立ちが絡み、ぶつける場所のない思いからではないでしょうか。

事件後は少年院へ

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未成年だった彼は、罪を償うと同時に道徳心や社会への適正にむけて教育を受け過ごします。入所した当初は荒れており、弁護士はいらないと断り抜け殻のようだったといいます。

ふさぎ込んでしまった彼ではありますが、年季が訪れれば表社会に出られます。約3年の歳月を塀の中で過ごしました。更生しないまま路頭に路頭に迷うことになり、新しく罪人となっていくのです。

山地悠紀夫死刑囚が起こした2つの事件【大阪姉妹殺害事件】

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表に出てすぐの騒動だったことで、少年院の教育法が生かされていないと世間や政府から批判が出ます。青春時代を塀の中で過ごした彼は、何を思い時が過ぎるのを待ったのでしょうか?

塀の中では反省の言葉をすることなく、何か悪いことでもしたのかと逆に尋ねることもあったといい精神科医は不安がっていました。その心配は見事的中するのです。

新たな罪のない尊い命が奪われてしまった背景についてご説明していきます。

出所後も犯罪の道へ

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もう自分には身内がいません。社会に出てもあてもなく職もない空虚感は、いつしか悪へ導かれていくのです。彼自身も改心し全うに生きようと思っておらず、母を絶命させたことに対して反省の言葉は一度もなかったといいます。

ただ鍵の付いた部屋に閉じ込められ自由を奪われた生活を過ごしただけとしか考えていないようでした。

逮捕されたことも

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落ち着いた生活を送ることはできませんでした。不良仲間とつるんでは不正なお金を得ていきます。真面目に新聞配達をしていた彼は、もうすでに面影ない状態でした。

給料が高く住む寮があるパチンコ店で働き出します。店内は、裏組織と繋がった人物も多く出入りしておりました。

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次第に悪い仲間と仲良くなりスロット機を不正に操作をして当たりを連発し、コインを大量に出す仕事を受けるようになります。換金し生計を立てるゴト師をして過ごすようになりました。

おいしい思いは長く続かず、2005年に執行猶予付きではありましたが、警察のお世話になっています。

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