山地悠紀夫死刑囚とは何者なのか
自分を生んでくれた母親と未来ある若い姉妹を次々と殺めていった冷酷な男です。人の命をテレビゲームで遊んでいるかのように奪ってしまうことは、通常の精神で行える行為ではないものです。
家族ですから、ときに意見の食い違いなどから口論となってしまうこともあったでしょう。殺してやろうとは思わないものです。それを実行に移してしまった彼に、一体何があったのでしょうか?
抹消したいと思ってしまう何かが起こったのでしょうか?彼の犯した許されない行為に至るまでの経緯について迫っていきます。
山地悠紀夫死刑囚はなぜ殺人を犯したのか
男は、母親の借金のことで些細な口げんかが発端で2000年の蒸し暑い夏の盛りである7月30日に、近くに置いてあった金属バットを使い、撲殺したのです。
お腹を痛めて自分を生んでくれた母親に対して、感謝の念を示す記念日として母の日が設けられています。自分がこの世に出生し育つためには必要な存在であります。
彼には、感謝の気持ちはなく殺意しか心の中にはなかったようです。異常な世界観を持ってしまった男は、どうやって形成されたのでしょうか?
凶悪犯・山地悠紀夫
まるで血の通っていない心臓を持ち合わせているような冷酷さが世間を賑わせましたが、2回の殺害事件を起こしている残虐な人間なのです。
これには家族関係が関係していると言われています。両親が複雑な事情を抱えていたとされます。アルコール依存症のような父親は酒に溺れ、定職にはつけず転々としていたため、家計は安定しなかったようです。
母親はといいますと、買い物依存症でした。家計は不安定な事情にも関係なく物を買い求めるため、非常に貧しかったのです。暮らしは相当酷いもので電気や水道料金が払えないことは日常的でした。
仕事がうまくいかないストレスなのか、現実から逃れるように酒を頼る父と、誰にも頼ることのできなかっら寂しさを物欲で満たそうとした母との間に生まれている子供は、果たして心が健康に育つと言えるでしょうか?
山地悠紀夫の生い立ちが事件に関係している?
落ち着かない家庭環境でしたので、明るい少年とは言い難く、目立たない暗い印象を受ける存在でした。次第に、からかわれる対象となっていき悪魔とあだ名をつけられては、辛い学校生活を送ったようです。
家でも学校でも居場所が見つからなかった彼は、不満を少しづつ溜め込んで大人へと成長していきます。後に大事件となってしまうことは、このとき誰もが想像もつかないことだったでしょう。
山地悠紀夫死刑囚の生い立ち
複雑で恵まれた家庭環境ではなかった彼は、後に尊い命を奪い日本で一番重い刑罰を受けることになります。さまざまな家庭がある世の中で彼だけが複雑ではなかったはずです。
劣悪な家族があったから殺人犯になってしまったと結論づけてしまうには、あまりにも簡素すぎるのでないかと問題視されています。
もっと奥深くに問題があり、生まれ持った精神の構図を解明し対処をしていかなければ、また同じような出来事が起こるでしょう。そんな注目を集める彼の人物像や経歴などのプロフィールをまとめました。