アカマタクロマタは撮影禁止の訪問神!豊年祭・人魚伝説との関係は?

アカマタクロマタは新城島の神として知られていますが、じつはこの神はこの離島以外の島にも訪問しているのです。それらの島で行われる祭は新城島で行われるものとは少しずつ違い、中には外部の者が祭を見る機会が存在するものもあります。この神が訪れている他の島は以下のとおりです。

アカマタクロマタ・西表島の古見

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西表島は石垣島の西側にあるやや大きな島で、島の東側に古見があります。この地で行われる祭はとある民俗学者により不鮮明で判別のしにくいモノクロ写真ではあるが撮影されている写真が存在している。だが以下に述べる事件があったこともあってか、現在は祭期間中の外部の人間の立ち入りは禁止されています。

とある映画監督が襲われる

昔、この地で行われる祭を題材としたドキュメンタリー映画を撮影しようとしたとある映画監督がいました。ですが、彼は借りていた学校で寝ているところを島民とその関係者であるだろう凶器をもった人達に囲まれ供物として神にささげた酒を返され、脅され、結局映画撮影を断念することになりました。

襲った島民の主張

彼らはこの映画監督を襲い、脅した際に私たちの神はお前らに絶対撮らせない。勝手な真似をしたら殺すことになるぞ、この祭は自分たちがたとえ何をしても罪になることはないという意味合いの言葉を述べていたそうです。それだけこの祭の神秘性が大切だったのでしょうが映画監督たちは恐ろしい経験をすることとなりました。

アカマタクロマタ・石垣島の宮良

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石垣島は西表島の東側にあるやや大きな島で、島の南東部に宮良があります。この地で行われる祭は写真のような媒体には残っていませんが、祭の部分だけではありますが、現在でも外部の人間もみることのできるものとなっています。興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。

島民以外が唯一アカマタクロマタを見れる場所

祭の後の島民の家をこの神が訪問する様子は変わらず島民とその関係者以外立ち入り禁止となっていますが、祭でも神様を見ることは可能なのでどうしても見たい方は幸運を祈りながらこの島を訪れてみるといいでしょう。その際は何があっても写真や動画撮影を行わないよう注意してください。

アカマタクロマタ・小浜島

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小浜島は西表島と石垣島の間に存在する小さな離島で、石垣島からの高速船に乗ることで上陸することができます。この地で行われる祭は写真も存在しておらず、新城島と同様に現在も外部の人間が祭期間中に島を訪れることを禁止しているために謎に包まれた祭となっています。

アカマタクロマタの他に「シロマタ」もいる?

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上記に述べたうちの西表島の古見では、祭の際にアカマタクロマタという神以外にシロマタという神様も来訪します。このシロマタはアカマタとともに現れ、クロマタとは現世で会うことなく山中に消えていくとされています。古見独特の神様として祭に来訪する神様です。

アカマタクロマタをまつる新城島はどんな島か

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とある謎に満ちた神が来訪する島として最も有名で聖域も存在しているこの島。ある神秘的な秘祭が催されているだけでなく、美しい海と景色を持つことから、観光客からの人気も高いこの島はいったいどんな島なのでしょうか。この島について詳細を説明していきます。

住人が20人以下・沖縄の西表島の南東にあり

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新城島とは石垣島の南西かつ西表島の南東に位置する小さな離島であり、この島に住んでいる島民の数も合わせて20人にも満たないようなのどかな島です。きれいな海と景色をもち、観光地として人気をもちホテルも完備していることからシュノーケリングなどで訪れる人たちが多く存在します。

新城島の別名はパナリ島

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この島は別名としてパナリ島という名を持ち、これは沖縄のある方言で離れ、という意味を持っています。位置的なことからこの名前が付けられたのか、それとも神様が訪れる離れという意味からつけられたのかは定かではありませんが意味深な別名を持っています。

人気の観光地だが撮影禁止の看板が多い

この島は先ほども述べた通り、観光地として人気がありますがその地を訪れた人が不審に感じるのが島のいたるところに存在している撮影禁止、と書かれた看板でしょう。この看板はアカマタクロマタの撮影を禁止する看板なのですが、通年しまわれることなく島中に存在し、異様な雰囲気を放つことになっています。

新城島へのアクセス

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新城島へ訪れるには観光ツアーに申し込むか石垣島や西表島から出ている高速船にのることで上陸することができます。ほかにも体力に自信がある人はシーカヤックを使って新城島に向かうこともできますが、近くの西表島から出発したとしても約2時間ほどシーカヤックを漕ぐことになるので万全の準備をして向かいましょう。

アカマタクロマタを祀る新城島の歴史は?

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この不思議に満ちた神が祀られている新城島には古くからの歴史が存在します。この歴史に触れることでこの神との関連性もより見えてくるように感じられます。いったいこの島はいつから始まりどのような歴史を歩んできたのでしょうか。

アカマタクロマタを祀る新城島①古代

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日本がいわゆる縄文時代というころから平安時代にかけて、この島では農耕などは行われておらず、魚貝をとることで生活していたために、いわゆる貝塚時代とよばれていました。その後、時代が進むにつれこの島の有力者によってグスクと呼ばれる城が築かれ始めるようになります。

アカマタクロマタを祀る新城島②琉球王朝時代

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琉球王朝時代に突入するとこの島は乱戦ののちに琉球王国の支配下にはいり、農耕を行おうと試みたがこの島の土地は石灰質で農耕には不向きでした。そのために島民はこの島とは別の島に田畑を持ち、船で島を行き来しながら生活していたと考えられています。

島に残る遺跡群

島には今も琉球王国時代の遺跡が残っており、当時の栄華を感じさせますが実際に暮らしていた島民たちの暮らしはそのような華やかなものではありませんでした。島民たちは重い税や強制的な移住によって決して楽ではない暮らしを余儀なくされました。その名残がこの琉球王国の遺跡なのです。

アカマタクロマタを祀る新城島③戦後~現代

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戦後にはこの島の人口は最大700人ほどに膨れ上がり、カツオ漁によって賑わっている島でしたが、農耕に向いておらず水の出てこない不便な土地であり、学校も十分に整備されていなかったこともあいまって他の島へ移住する島民が増え人口は激減。今では観光の島として人気を集める島となっています。

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