植草一秀とはどんな人物?2度も事件を起こした経済学者
植草一秀という人物をご存知でしょうか?10年以上前に活躍していた方なので、知らない人や顔をみて思い出したという方が多いと思います。彼は経済学者や教授として活動しており優秀な方でした。しかしある事件をきっかけに順風満帆だった人生が大きく変わってしまいます。この記事では経歴や事件の内容についてご紹介します。
1960年生まれ東京出身!東京経済学部卒の植草一秀
植草一秀は1960年に東京都江戸川区で生まれました。東京都立両国高等学校を東京大学経済学部経済科を卒業し、2003年4月に早稲田大学で教授となりました。1998年に経済新聞社でエコノミスト部門で1位獲得し、2002年には石橋湛山賞を受賞をするなど輝かしい経歴の持ち主です。
植草一秀は経済学者として活躍していたが事件を起こしてしまう
テレビやニュースにも出演するほど経済学者として活躍しており、当時は多くの国民が植草一秀を知っていました。しかしその後の2005年以降に、2回も事件を起こし有罪判決を受けてしまうのです。その事件はメディアでも大きく取り上げれ話題となりました。
植草一秀が起こした事件!【手鏡を使ったのぞき】
ここまで生い立ちと経歴について紹介しました。有名大学の教授になり賞を取るほどの秀才で努力家な人物でしたがどうしてこのような事件を起こしてしまったのでしょうか?では事件を起こす前に取った不審な行動やどのようにして犯行に至ったのか経緯を見ていきましょう。
品川駅で植草一秀は不審な動きを繰り返していた
2004年4月8日に1回目の事件が起こります。午後2時頃、JR横浜駅の駅ビルでミニスカートを履いた女性の後をつけ不審な行動をしているところを目撃されています。その後、JR品川駅へ移動しすれ違った女子高生の後をつけはじめました。
手鏡を使ってスカートの中をのぞいていた植草一秀
事件が起こったのは同日の午後3時頃。品川駅の上りエスカレーターに乗った女子高生のうしろにつき、名刺大の手鏡を取り出し女子高生のスカートをのぞこうとした時、後をつけていた警察によって逮捕されました。
はじめは容疑を否認するも後に「ストレスでやった」と認める
逮捕後、「身なりを整えるため手鏡をもっていた、覗きはしてない」と容疑を否定していました。しかし後日の取り調べの時には「ストレスでやった、申し訳ないことをした」と一転して容疑を認めました。
植草一秀がミラーマンと呼ばれているわけ
事件後、ネットやマスメディアから多くの批判や中傷が寄せられました。有名人になると少し問題を起こしてしまうだけで、Twitterや週刊誌などで悪口を書かれたりあだ名が付けられているのを見たことがある人も多いと思います。植草一秀もその中の一人でした。ではなぜミラーマンという名がついたのか、あだ名の由来を見ていきましょう。
手鏡でスカートをのぞいていたことからついた?ミラーマン
テレビでも活躍していた植草一秀は、ニュースに取り上げられそれを知った人々はネット上で「ミラーマン」と名付けたのです。ミラーマンとは有名なウルトラマンシリーズにでてくるヒーローの1人です。名前の通り鏡を使って敵を倒すため、手鏡を使った犯行からそう呼ばれるようになりました。
ミラーマンとしてネット上では面白おかしく書かれてしまうことに
ネット上では、本人の顔画像とミラーマンを合成した画像を作られたり、植草一秀が言った「天に誓ってそのような行為はしておりません」という言葉に対し「手鏡に誓え」など声があげられました。有名人なので炎上して批判が来るのは仕方のないことですが、いわれた本人は傷ついているでしょう。
手鏡でスカートの中をのぞいていた植草一秀の判決とは
エスカレーターで手鏡を使って覗こうとしたのは、用意周到のようにも思えます。偶然鏡を持っていた手が女子高生のスカートのすぐ近くにあったというには不自然です。手鏡痴漢事件にはどのような判決が下ったのでしょうか?ここからは裁判の内容と主張を見ていきましょう。
罪を認めたはずの植草一秀!裁判では無罪を主張
事件後に初公判が行われました。裁判では「起訴事実は真実ではありません。正義に誓って無罪、潔白です」と無罪を訴えました。しかし逮捕後ストレスでやったと認めていたのになぜ公判では意見が変わったのでしょうか。二転三転と変わる発言に疑問が残ります。
植草一秀の車から制服姿の女性の写真が数多く見つかる
しかし検察側から証拠があり内容は、自家用車と携帯電話の写真フォルダの中から、高校の制服を着ている女性の写真が大量に発見されたというものでした。事件と証拠から植草は以前から女子高生に興味があったようです。今まで隠していた性癖がでてしまったのかもしれません。
植草一秀に有罪判決が言い渡される!手鏡も没収される
後日東京地裁は「証拠は充分あり犯行も手馴れてるようで、偶然の犯行とは言い難い」として有罪判決を下しました。そして罰金50万円と犯行当時に使っていた手鏡を没収されることになりました。
再び事件を起こした植草一秀!今度は女子高生を痴漢
信じられないことに、前回の事件から数年で再び事件を起こしてしまいます。反省していたと思われていたのですが、2度目ともなると彼の主張を信用していた人も減り、さらに批判がひどくなったのではないでしょうか。ここからは、どのようにして犯行に至ったのか事件の内容について詳しく見ていきましょう。
手鏡によるのぞき事件後に再び逮捕された植草一秀
世間も手鏡事件を忘れかけていた2年後の2006年9月13日、再び女子高生への痴漢行為で逮捕されてしまいます。今回は再犯ということで前回よりもさらに話題になりました。これを機に掲示板サイトではいわゆる「祭り」が起きたくさんのスレッドが立ち、支援ブログにも数多くの批判コメントが寄せられました。
酔っぱらっていた植草一秀は電車内で女子高生へ痴漢行為
午後10時頃、京兵急行の電車内で事件は起こりました。植草一秀は電車内で女子高生のスカートの中に手を入れ下着越しにお尻を触り、被害女性が「やめてください」と声をあげ電車内にいた男性2人によって取り押さえられました。その後駅員と男性に京急蒲田駅の事務室に連れていかれ、警察よって逮捕されました。
興味のある方は1998年に起きた痴漢事件の記事をご覧ください。
痴漢行為で捕まった植草一秀はその後どうなったのか
彼を応援する人の中には前回の事件で無罪を信じている人もいました。しかし2度目となると信用する人も減り、周りからの批判はさらにひどくなり、ネット上では「ミラーマン」に続き「サワリーマン」というあだ名を付けられるようになりました。
今回の痴漢事件は男性2人の目撃者がおり被害者の女性も彼が犯人だといっているため証拠が十分あります。しかし現在でも問題視されている痴漢の冤罪の可能性も考えられます。今回は犯行を認めるのでしょうか?事件後の内容を見ていきましょう。
逮捕される前に自殺未遂!ネクタイで首を絞めた植草一秀
当時飲酒をしており酔っぱらった状態だったため、痴漢の疑いをかけられネクタイで自分の首を絞め自殺未遂を図りましたが、駅員によって止められました。前科があったため家族にふりかかるマスコミやネットからの被害を恐れていたのでしょう。後に「犯人とされ、家族が報道被害に遭うと考え自殺を図った」と述べています。
植草一秀は一度罪を認めるも一転して無罪を主張
事務室では警察官に「私がやった」と痴漢行為を認めましたが、初公判では「やっていません」と容疑を否定しています。弁護士側も「泥酔状態だったので、痴漢をできる状態ではなかった」と主張しました。前回もそうでしたが植草は何度も主張を変えていました。
保釈を拒否されながらも保釈金600万を払って釈放
拘留期間は90日の間、植草一秀は10月5日に保釈申請をし許可されましたが前科があったためか東京地検は、申請を却下しました。その後も何度か保釈申請を却下されたのですが、3か月後に申請が許可され罰金600万円を払いその日に保釈されました。
女子高生を痴漢した植草一秀が受けた判決とは
ここまで事件の一連についてご紹介しました。自殺を考えてしまうほど前回の事件で家族が受けた被害は相当だったようです。酔っぱらっていたためにやったのか、今回は前科があるため無実だといっても信じてもらえないという諦めもあったため最初に犯行を認めたのでしょうか。では裁判所の下した判決について見ていきましょう。
植草一秀が受けたのは”懲役4ヶ月”の実刑判決
保釈はされましたがまだ終わりません。その後の2007年10月16日の裁判で裁判長は「反省がみられず、再犯の可能性がある」として懲役4ヶ月の実刑判決を言い渡しました。しかし裁判の結果に納得がいかず、控訴の申し立てをしました。
植草一秀は控訴し無罪を主張!しかし判決は変わらず
翌年3月18日控訴審が開かれました。そして弁護人は「被害者は犯人を間違えている。犯人は別にいる」と無罪を主張したのですがその主張は通らず、東京高裁は「被害者の証拠は迫真性がある」として再度、懲役4ヶ月の実刑を言い渡しました。
無罪を主張し続ける植草一秀が取った行動とは
2度目の痴漢事件の裁判でも必死に無罪を訴えましたが主張は通らず、マスコミやテレビではさらに批判されていました。それでもあきらめずに無罪だと信じてもらいたかった彼は、自分と家族を守るため事件や裁判で起きたことの真相を本に書きました。では本の内容について見ていきましょう。
植草一秀は『知られざる真実』を出版し冤罪だと主張
2007年植草一秀は事件について書いた「知られざる真実」という本を出版しました。この本は、事件後の東京拘置所にいるときに書いたもので、事件の概要や脅迫まがいの取り調べがあったこと、前小泉政権への批判内容などが書かれています。
この本が、無罪ではないかといわれ始めるきっかけとなりました。当時の取り調べや裁判の内容が詳しく書かれているので、興味のある方やもっと事件について知りたいという方はぜひ読んでみてください。事件の真相が見えてくるかもしれません。
過剰な報道をした週刊誌やテレビ番組を非難!裁判も
痴漢事件後、過剰な記事を書いていた週刊誌やテレビ局など計5社に名誉毀損で民事裁判を起こし合計5500万円の損害賠償を請求しました。訴えてしまうほど家族や知人などに迷惑が掛かっていたのでしょう。