市橋達也の生い立ちや現在は?リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の判決も

市橋達也の事件後の裁判での様子と判決は?

 

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こうして逮捕された市橋達也は裁判にかけられるのですが、どうやらこれまでの逃走についての記述を手記にして発表していました。これによって出た利益は全て女性の家族に支払うと話しており、償いの気持ちからの行為なのだそうです。

また、裁判に関しては市橋達也が大学に在学していた頃にお世話になった恩師ともいえる教師が支持をする活動を行っていた事でも知られています。ではここからはこの事件によって開かれた裁判について、順を追って説明していきます。

市橋達也の初公判での供述により殺害までの経緯が判明

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2011年の7月に行われた最初の裁判内では男性自身の口から今回の殺人となぜその行為を行ったのかについての経緯が説明されることとなり、今回の殺人について殺意の有無を確認するといった事を話しました。殺意に関してはその当時はないと話すものの、性的な暴行をしたことについては認め、行為が終わった後に罪悪感が生まれたと話しました。

殺すまでの経緯について、当初は性的暴行についてなんとか許してもらおうと監禁後に話しかけたりなどして関係を築こうとしたと話します。その後前述したように縛っている手と足を開放して欲しいという要求をされるもののだめだと答え、次第に要求をのめない状況に苛立ちを覚え始めます。

苛立ちを紛らわせるかのように何度か彼女の顔を殴るなどした市橋達也はその後早朝まで眠り、起きた時に這って外に出ようとする彼女を発見し覆いかぶさったそうです。それでも大声を出して逃げ出そうとする女性を止めようと体を締めたのですが、この時はどの部分を占めていたのかわからなかったと話しています。

その後暴れていた女性が動かなくなったことに気づいた市橋達也は慌てて救命の為の活動を行ったのですが間に合わず、彼女は死んでしまったのだそうです。このような経緯で殺人を犯してしまったのですが、内容を裁判中に話しているときは時折涙を浮かべる場面もありました。

市橋達也の第3回公判でリンゼイさんとの出会いが判明

2回目の裁判内では殺された女性の死体の状況を解剖に携わった女性の医師が出席し、説明をしました。その中ではどの部分に男性から暴力を受けたのか、詳しく説明を行い、そこから弁護士側と検察の両方面が核心に迫る言葉を引き出そうとしていました。

3回目の裁判内では女性と犯人がどのようにしてであったのか、その経緯を話しています。最初に出会ったのは男性が住んでいる地域の近所の駅付近だったようで、市橋達也から些細な事をきっかけに自転車に乗っていた女性に話しかけ、前述したように英語の勉強を個人的に頼むという話をしたようです。

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その後女性の家に向かった男性ですが、家には一緒に住んでる同じく外国人の女性が2人おり、どちらも市橋達也に対してあまり良い印象は持っていませんでした。彼は少しでも場の雰囲気を柔らかくしようとするために前述した女性の似顔絵を描いたのだそうです。

市橋達也の第4回公判で事件後の心境を供述

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4回目の裁判では犯人の今回の事件を起こした後について詳しく語られました。女性が死んでしまった事がわかった際、市橋達也は気が動転してそのまま気絶をし、目が覚めたのはそれから半日が過ぎた午後14時頃だったそうです。市橋達也はこの時現実で会ってほしくないと思い、まだ気が動転し続けている状況でした。

そして事件の中で警察からなぜ逃げたのか尋ねられた際には腕をつかまれた時に女性の顔が浮かび、恐怖を感じそのまま裸足で逃げ出したと話していました。これを話しているときに男性は自分自身を卑怯だと言い、涙を目に浮かばせながら答えていました。

市橋達也の第5回公判でリンゼイさんへ謝罪した

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5回目の裁判では市橋容疑者が遺族や女性に向けて書かれた手紙が読まれる事になり、その文面には市橋達也の謝罪の言葉が述べられていました。手紙が読まれた後になにか他に伝えておくことはあるかと聞かれ、彼女が恐怖していたという事について改めて謝罪し、罪に一生かけて向き合っていくといった事を話しました。

また、刑が確定した後どのように罪を償っていくのかといった事に関しては殺されてしまった女性やその両親の気持ちを考えていくことで責任を果たしていきたいと話し、この中で市橋達也は自身の親とは会っておらず、会う資格はないとも話していました。

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そして市橋達也の刑が決定した後に男性は女性の両親に再び謝罪の意味を込めた手紙を送っていたそうなのですが、受け取りに関してはこれまでと同様に拒否されていました。彼のこれまで行ってきたことを考えれば、当然のようにも推察できます。

市橋達也に無期懲役の判決が確定

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こうして行われてきた裁判の結果、市橋達也には無期懲役の宣告が下されました。事件が起こってから5年もの時間が経ってのことでした。この判決に至った理由としては、市橋達也が彼女を殺意を込めて首を絞めたことは明らかで、救命行為についてもその証拠がどこにもなく、嘘だと判断されたためこの判決に決定されました。

また、女性の両親は男性のこれまでの言動は刑をできる限り軽くするためのもので信用ができないとしてより重い刑にするよう裁判所に要求するものの、市橋達也にはこれ以外の罪状がなく、殺された人数も1人の為この刑が最も重いと説明しました。このような経緯もあって、彼にはこの刑が宣告される事になったのです。

市橋達也の生い立ちや性格は?

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ここまで今回の事件の犯人の裁判の内容について見ていきましたが、市橋達也は一体この事件を起こすまでどのような人生を送っていたのでしょう。見てみると、医者の一家という家に生まれ、不自由のない生活だったことが分かっています。ここからは市橋達也の経歴について見ていきます。

市橋達也の生い立ち①絵をかくのが好きだった幼少期

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市橋達也は岐阜県で生を受け、家族には前述した両親以外にも姉が一人いました。一人息子ということもあり、非常に大切に育てられたことが分かっています。子供の頃のこの人物は絵を描く頃が大好きで、成績も他の子供達よりも抜きんでていた優秀な子供だったようです。

小学校の頃には夢が首相になることと話すなど子供としてはかなりすごい夢も語っており、他の子供達とは少し違うような側面も見せています。また卒業の際に書かれた将来の夢にはオリンピックで活躍する事や別の人生があるなら優秀な人になりたいといった事を書いていました。

市橋達也の生い立ち②優秀だった中学・高校時代

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中学校に進学した男市橋達也はバスケ部に所属し、そこでも優秀な人物として知られていました。また、このほかにも学校の生徒会にも責任のある立場であり、部活動以外にも有主な一面を見せていました。勉強の成績も秀でており、文武両道な性格だったと言われています。

その後高校では進学校に進み、成績の良いものしか在籍できない組に選ばれるなどここでも優秀な存在として知られていました。この頃の市橋達也の夢は医者であり、親と同じ道へ進む気持ちだったようです。また、陸上部に所属しており、足の速さではかなり有名だったと言われています。

市橋達也の生い立ち③4浪して入った大学での挫折

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高校を無事卒業した後市橋達也は将来の夢の為に医学部のある大学の受験を行うのですが、思うようにいかず浪人生としての人生が続くことになり、その後ようやく入学した大学も1年ほどで自主的に退学してしまいます。彼はここで恐らくは人生で初めての挫折を経験します。

そして退学をした後園芸関係の大学に再入学をしています。市橋達也はここで建築などのデザインについて勉強をしており、両親には将来的にはこの道に進むという事を話していました。この大学に関しては卒業をしており、裁判の際に支援をしていた教師ともここで出会っています。

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