市橋達也の生い立ちや現在は?リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の判決も

大学在学中に就職活動を続けるものの失敗してしまい、卒業後は無職となった市橋達也は勉強のために海外に一時的に留学をしていたものの特に勉強をするわけでもなくその後帰国をして再び無職となります。その後は事件の起きた家に住み、そこで大学院に行くという名目で暮らしていました。

この頃には両親から仕送りをもらい、それで生活をしていたのですがその金額が15万円という点も市橋達也がこの生活に甘んじていた理由のようにも推察できます。しかし事件が起きる数日前に父親から仕送りを止めるといった連絡が入っており、親もこの金額には何か思うところがあったのだと推察できます。

市橋達也の性格は繊細で頑固で怒りっぽい

WenPhotos / Pixabay

市橋達也の性格についてですが、母親からの話によると繊細な性格でまじめな性格だというのは他の人たちと同じ意見だったのですが、自分の意思を絶対に曲げない頑固な性格だとも話しており、間違った事や嘘をつかれるなどすると感情が抑えられなくなるといった怒りっぽい一面もあったようです。

また、市橋達也のここまでの性格を作り上げた要因は両親のあまりにも甘すぎる環境にもあると推察されます。仕送りといってもあまりにも高すぎる金額や自分の思い通りにいく環境だったことから、市橋達也の自分の意見がまかり通る頑固な性格ができあがったようにも推察できるのです。

その他の殺人犯の生い立ちについて知りたい方はこちらの記事もチェックしてみてください。

市橋達也の2年7カ月に及ぶ逃亡生活と繰り返された整形

geralt / Pixabay

この人物を元も有名にしたものとして、約3年近くもの間日本中を逃げ続けていたという点があります。どうやら自宅から逃げ始めた際、身に付けていた衣服を脱ぎ捨て、近くのごみ置き場から新しい服を手に入れた格好で逃げ始めたそうです。

その後放置されている自転車や時には徒歩で逃走を続け、最初は秋葉原の方面へ逃げるルートを取っていました。ではここからは市橋達也が逃げた道筋について、どのような経路をたどったのか詳しく見ていきたいと思います。

市橋達也の逃亡生活①北関東から静岡へ南下の後に青森へ

vinsky2002 / Pixabay

市橋達也はまず関東の北部を転々とした後、熱海を経由して静岡の方面へ向かいました。静岡まで逃げ延びることに成功した彼は、次に逆に北上を開始し、青森まで逃げることを決めたのです。理由としては九州にいる友人に対して連絡を取っており、南下することを予想される恐れがあったことを危惧してのことだったと推察されます。

その後青森に行くためにまずは新潟県まで進み、その後目的地にしていた青森まで捕まることなくたどりつくことに成功しています。そしてしばらくは付近の公園で寝泊まりをしており、その後は当面の生活費を稼ぐために大阪の西成へ男性は向かいます。

MasashiWakui / Pixabay

大阪へも何事もなくたどりつくことに成功した市橋達也は職業を見つけるために施設を何か所か回るものの、ここでの勤務で足がつくことを恐れたからか仕事をする事はせずにそのまま四国へとルートを変更し、向かいました。

市橋達也の逃亡生活②青森から四国へと移動しお遍路を歩く

jplenio / Pixabay

大阪から四国まで流れ着いた市橋達也は今回自分が犯してしまった犯罪に向き合うという意味を込めて高知県からお遍路を歩きはじめます。しかしこの試みに関しては途中であきらめてしまっていたようで、付近で自分の情報が書かれた紙を見つけ、ここも危険だと感じた彼は再び別の場所へ逃走を開始します。

また、この時になぜ罪の意識を感じて生産の意味を込めた行為を行ったにもかかわらず出頭をしなかったのかについては、もしそれを行っても刑は軽くならないからだということから行わなかったそうです。この点から罪の意識は根本的にはあまり感じていないようにも推察できます。

市橋達也の逃亡生活③オーハ島生活と大阪の日雇い労働を繰り返す

uccisea1970 / Pixabay

次に市橋達也が向かった先は、なんと沖縄の島でした。彼は逃げ続ける生活の中で島で一人で暮らすという方法を思いつき、実行に移そうとしたのです。その為に逃げている最中生き残るための技術を学ぶために本を読んで勉強をしており、実際に数か月間もの間島で暮らせていたことからもそういった能力は高かった事が伺えます。

しかし島での生活は準備が足らなかったことも含めて失敗に終わり、お金も無くなったために今度は大阪で住み込みの仕事を行うとともに島での生活も並行して始めました。ここでは沖縄で一度名前などを適当に書いても就職できたことを活かし、すんなりと勤務することが出来たそうです。

MichaelGaida / Pixabay

勤務先では淡々と目立たないように努め、解体業などをしていたそうですが、車が通りがかると捕まえに来たのではないかとすぐに隠れたり、荷物も持たずにすんでいた部屋から逃げ出すなどしており決して楽なものではありませんでした。

市橋達也の逃亡生活④実はディズニーランドにも足を運んでいた

marliese / Pixabay

市橋達也はこうして逃げ続けていく中で、この遊園地にも足を運んでいたことが判明しています。とても逃げている人物が行うとは思えない行為ですが、大学にいた頃に書いた論文の中のテーマがこの遊園地だったことがここへ向かった理由の一つなのではないかと推察されています。

さらに驚きなのはここに足を運んでいた頃には事件が起きた自宅付近に住んでおり、あまりにも近すぎたためか市橋達也がいたことは誰も知ることはできなかったと言われています。そしてこれから数か月後、彼はさらに世間を欺くために顔の整形を行うことを決めるのです。

市橋達也の逃亡生活⑤逃走期間中に何度も整形を重ねていた

Comfreak / Pixabay

そして市橋達也は整形の為住み込みで稼いだ金を持って名古屋にある整形外科を訪れ、そこでこれまでの自分で行っていたでたらめな整形ではなく、しっかりとした整形を受けます。1回目の手術では眉間の形成手術を行い、2回目からは目を二重にし、鼻筋をさらに高くして唇を薄くするなどしてより判断のしづらい顔に変えたのです。

市橋達也の逮捕に至った背景

WikimediaImages / Pixabay

ここまで市橋達也が逃げていく中でどのような道をたどっていったのかについて見ていきました。そして逃げていく中で何度も整形を行うなどして未だ見つかることのない男性に対し、多額の懸賞金を設定したり写真を日本中に配るなどといった対策をしていました。

ではこうした中で、市橋達也がどのような経緯で逮捕されるに至ったのか、それは以外にも整形をしたことがきっかけでした。ここからは市橋達也が逮捕されるきっかけやその背景について、勤務していた場所からの連絡も併せてみていきます。

市橋達也の逮捕まで①名古屋の形成外科による通報

WikimediaImages / Pixabay

まず最初に市橋達也を通報したのは、整形を行った医者でした。というのも手術をきっかけに怪しいと思った病院の職員が写真で見た顔とテレビで放送されていた男性の顔とを確認し、同じ部分を見つけたことで警察に連絡をしたのです。また、ホクロを消すという手術も行っていたようで、この点でも市橋達也があまり行わないことから怪しいと思っていたようです。

市橋達也の逮捕まで②大阪の建設会社の雇用主が通報

3844328 / Pixabay

整形の医者以外にもこれまで住み込みで勤務していた会社も通報をしていました。どうやら会社の寮に住んでいた際に男性が何も言わずに唐突にいなくなったという事を怪しいと感じた会社の男性を雇用していた市橋達也が犯人ではないかと連絡を入れたのです。

市橋達也は通報を受けた時にはすでに別の場所へ逃げており、これについて気付いたのは福岡県にあるホテルに潜伏していた時でした。この時男性は沖縄にある島に再び戻る予定であり、鹿児島県から船に乗って向かうつもりでした。しかしこれを受けて男性は神戸から向かうことを決定します。

susannp4 / Pixabay

また、この時に市橋達也は沖縄の島へ向かう船の乗り場で職務質問を受けていましたが、ここでもまた捕まらずに逃げ延びることに成功しています。こうして数々の通報が重なっていき、男性はついに次の通報によって逮捕される事になります。

NEXT 市橋達也の逮捕まで③神戸市のフェリー乗り場からの通報により逮捕