人を採用する立場で佐藤氏の就活生を軽んじた文章へのバッシングはネット炎上を起こす世の中に強い印象を残し、今後社内で仕事をするだけでも悪い噂が消えることはないでしょう。佐藤氏当人とトンボ鉛筆どちらの立場から見ても解雇処分は妥当でな判断でした。問題発生の翌日に処分が決定していることで人の扱いがひどいということもわかります。
トンボ鉛筆の佐藤騒動の会社への影響
2013年に創立100周年を迎えた株式会社トンボ鉛筆はコーポレートマークの変更を行うなどイメージ回復に取り組んでいます。佐藤氏が若手社員だったことで全ての文章を佐藤氏が考えたとは考えられないことからトンボ鉛筆の企業イメージは下がりました。
佐藤騒動によって会社の信頼が下がった
この騒動の後から文房具屋で商品を購入する時にトンボ鉛筆の商品か確認するという人が出てきてしまったようです。将来を託す企業を選ぶ就活生からも佐藤氏の事件が語られ、消費者と就職希望者の両方が減るという結果になりました。
佐藤はネット上で今でも語り継がれている
2011年以降たびたび襲う大きな地震のたびに「トンボ鉛筆の佐藤」を思い出すという人がいます。東日本大震災の起きた3月11日が近づくとネット上での検索ワードに「トンボ鉛筆 佐藤」がランキングに現れ始めるという事実があり、当時からもうすぐ10年が過ぎる頃の現在でも語り継がれる事件となっています。
株式会社トンボ鉛筆の概要
令和元年に創立100年を迎えたトンボ鉛筆はロゴマークを変更しトンボが飛ぶイラストで上を向いてます。大人が楽しみながら使える文具は海外旅行のお土産候補にあがるほどです。それだけ長い歴史を持つトンボ鉛筆の悪いニュースは人事部の佐藤だけではありませんでした。良い面悪い話合わせて紹介します。
大正から続く老舗文具
1913年「小川春之助商店」が創業し文房具製造業から販売卸も手がけました。その後時代に合わせ「トンボ印」鉛筆になりました。お客様に頭を下げる姿勢を表した頭を下にしたトンボマークで定番の黄色い鉛筆です。もうひとつの定番鉛筆、三菱鉛筆と合わせて9割のシェアで現在も残る日本中で使われている鉛筆です。
消しゴムから始まったクリエィテブ
トンボ鉛筆の作る文具クオリティは高く、高級鉛筆MONOにおまけでついていた消しゴムが人気が出るきっかけとなりました。鉛筆MONOは落としても鉛筆内で芯がポキポキ折れることなく確実に短くなるまで使える優れものですがお値段は高額で販売しています。
高級鉛筆MONOのおまけ消しゴムが大ヒット
1967年から発売した高級鉛筆「MONO100」はヒットを期待された商品でおまけで高性能消しゴム「MONO消しゴム」がついていました。鉛筆よりも「MONO消しゴム」が大評判となり1969年に定番商品の仲間入りをして現在でも使われるロングヒット商品です。2019年MONOシリーズ発売50年間
その後いくつかのバリエーションが販売されたMONO消しゴムは発売50年間を迎えました。それを記念して東京都心部を記念ラッピングバスが走行しました。復刻版の黄色い鉛筆とのセットが販売される予定もありノスタルジーを感じさせるデザインが文具が好きな大人へ向けた商品です。
スティック糊 PIT テープのりPit tape
トンボ鉛筆が手がけた新しい発想のスティック糊は固形糊をスティック型にして狙った場所にちょうど良い量で使えて手が汚れにくい上、塗った場所に青い色がついて乾くと消える便利さで定番商品となっています。その後発売したテープのりは修正テープに似た使用法で線のように糊付けしカートリッジ交換で補充ができ事務の必需品となりました。
文房具マスキングテープの使い方が気になる方はこちら
トンボ鉛筆の不祥事
佐藤氏の騒動以来会社イメージを損なわない努力が行われ、現在はとても気をつけているようで佐藤氏とゼネラルマネジャー長尾氏の名前で個人情報が漏れることなく人が守られていることが救いです。佐藤氏の騒動以外に起きた過去の事件を紹介します。
夏のボーナス未払い
昭和50年夏のボーナスが支給されずにトンボ鉛筆の社員組合から訴えられたことがありました。副社長室へ従業員が大勢で押しかけ激しく怒りをやりとりする事態にまで進展したようです。話し合いに応じなかった上層部の対応に問題があると判断され団交拒否と見なされました。
トンボ鉛筆会長が覚せい剤で二度逮捕
2007年当時の会長小川洋平が覚せい剤と大麻所持で逮捕され会長を辞任します。最初の判決では執行猶予がつきましたが執行猶予期間中に2度目の逮捕があり懲役1年4ヶ月の判決が下されました。「社長から会長に退いたことで寂しさがあった。社会に申し訳ない。」と発言しました。小川容疑者は2代目の父はトンボ鉛筆創業者の小川春之助です。
佐藤騒動から学ぶ会社の危機管理体制で大切な事とは?
問題のあったメールが炎上し、翌日には長尾氏から就活生へのお詫びと今後の予定が明確にされた事で書き込みが治りました。また佐藤氏の厳罰が報告されたこともあり、長尾氏の仕事は素晴らしい手際だったと今でも語られています。