【地下鉄サリン事件】事件から24年、概要とオウム真理教の恐ろしさを解説

体調不良や容態悪化を訴えている患者や被害者たちを素早く救護して、迅速な医療処置を施し速やかに病院などの医療機関に搬送する『救急隊』も救援活動を行いました。やはり彼らもマスメディアの情報である『地下鉄で負傷者多数』などの少ない情報や誤った情報しか入っていませんでした。

そのため救急隊の隊員の多くも同じように、人を簡単に死に追いやるほど危険な化学薬品の物質を吸引してしまい、被害に遭ってしまいました。救援活動を行った人たちや隊員たちにも、次々と卑劣な犯行やオウムの魔の手が及んでしまったのです。

地下鉄サリン事件での様子③警察・検察

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警察や検察は、警察官の時はオウムの捜査だけではなくワールドカップが開催された際に警備強化などで活躍し、退職後は政治家に転身した『井上』を事件解決のための指揮官やリーダーに置き、第2、第3の事件やテロが発生しない様に事を急ぎ捜査に当たりました。

この際既に実行犯や犯人、容疑者としてオウムの名前が挙がっていたましたが、決定的な物的証拠が無かったので逮捕に踏み込めず、捜査も色々な法律に則ったギリギリのラインで抑えなくてはならなかったのです。大型連休も差し迫っていたので日本政府は警察に犯罪の抑止と早急な事件解明を求めました。

化学薬品の正体が解明

検察や鑑識は事件当時から、体調不良や容態悪化を訴える被害者たちの救援活動を行いながらも、原因を探るために一つの電車を丸ごと調べ上げられました。その際取り残された乗客たちの所有物を持ち帰り鑑識に回し検査をすると、化学薬品の正体がナチスドイツが開発した有害な毒ガスの一つである『サリン』である事が判明したのです。

地下鉄サリン事件での様子④自衛隊

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日本の安全や平和を守り保つ為の機関及び部隊の地上や陸の部門である『陸上自衛隊』は、ガスマスクや有害物質や化学薬品から身を守る特殊な衣類が警察に配備されていた事実を知ると、事件発生から直ぐに例の宗教団体により化学薬品が用いられた犯行だという事を察知しました。

これにより化学薬品や毒ガス、化学兵器の知識やその処置、対策を心得ている化学部門の隊員が動員され配備されました。彼らにより電車内や駅のホームに充満した有害な毒ガス、化学薬品が除去され、また患者が搬送された各医療機関にも配備され、処置や治療の仕方について助言して医師やスタッフを指導しました。

地下鉄サリン事件での様子⑤東京消防庁・病院

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東京都内の23区やほか地域の医療機関のほぼ全ての救急車が出動されましたが、各医療機関の規定患者数を優にオーバーしていたため受け入れ態勢が混雑してしまい、また各救急車にどこの医療機関、病院へ搬送してください。と指令を出す機関もパニックになってしまいました。これにより悲惨な現場と化した駅や電車では、いつまでたっても救急車が到着しない等の事態に見舞われました。

この状況に対して、被害者や負傷者が多数出てしまった駅の近くにある病院では院長の判断により、受け入れ患者数オーバーしても診察や治療を請け負うとして、通常外来をストップして限度なく体調不良や容態悪化を訴える患者を受け入れて、救援活動のベース的な医療機関となりました。更にほかの病院もイレギュラー事態に応じて臨機応変に対応しました。

地下鉄サリン事件のサリンとは

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救援活動や救護、治療に当った各隊員や機関の対応や動きについて解説していきました。どのように対処してどういった処置を施したか、また彼らの多くも化学薬品の有害な毒ガスを吸引してしまい、被害に遭ってしまった事をよく理解して頂いたはずです。乗客として電車に乗った民間人や一般人だけではなく、救援救護に当った隊員たちも危害が及び、大惨事となってしまったわけです。

ではその化学薬品つまりは『サリン』とは一体どういった物質で、どれほど恐ろしいものなのでしょうか?これについては明確に分かっていない方も多いはずです。こちらではその物質がいかに危険で恐ろしいモノなのか、また詳細などを解説して、実際の事件ではどのような作用が起きてしまったかをお話ししていきます。

地下鉄サリン事件のサリンとは

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『リン』という原子はその物質だけでは無毒なのですが、何かの物質がくっついて化合物となると一気に有害になるのですが、その有害になった化合物の一つが『サリン』なのです。それは固体ではなく空気中に溶け込む『有毒ガス』であり目には見えませんが、匂いを持っています。

現在から81年前の昭和13年、第二次世界大戦が起きてしまうちょうど一年前に、あの恐怖の独裁者ヒトラー率いる『ナチスドイツ』によって開発された化学兵器だったのです。ちなみにこの名称は開発した人物の名前の一部を組み合わせて定められました。

しかしヒトラーは

当初はこの化学薬品を兵器として軍事的に使用すると公言していたそうですが、自身もかつて化学薬品、化学兵器に苦しめられ身体のあちこちを負傷した経験があったため、実際に使用するのは乗り気ではなく結局使用せずに、当時同盟を結んでいた日本にも提供されませんでした。

その後次々と米ソを中心とする先進国や戦勝国も抑止力や戒めのような形で、『サリン』が導入され開発されるようになりましたが、事故で死亡してしまう事態があったものの攻撃的に使用されることはありませんでした。実際に使用されたの今回ご紹介している凄惨なテロ事件の5年前の事で、『イラク・イラン戦争』の中で毒ガス攻撃時に用いられました。

人体による影響

体内に少量を吸引してしまっただけで、様々な体調不良や容態悪化が表れ、また簡単に死に追いやるほどの強い毒性を持っており、鼻や口などの呼吸器官だけではなく、なんと放射線の様に皮膚からも体内に侵入してしまうのです。目や視覚に悪影響を及ぼしやすい物質でその他様々な症状に見舞われ、最悪の場合死に至らせます。

そしてこれも放射能に類似していて『後遺症』も極めて深刻なモノなのです。視力に悪影響が出てしまったり、慢性的にそして頻繁に、軽い熱や風などの症状が出てしまうケースもあり、また精神的にもストレス障害や精神疾患を伴う場合もあるのです。更には発がん性があるので数年後にガンで死亡してしまう犠牲者も少なくありませんでした。

地下鉄サリン事件の現場は「戦場のようだった」

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現場となった各駅の周辺やホームでは、数百人、数千人を超える体調不良や容態悪化などの症状が出ていた被害者たちが次々と医療機関に搬送され、また自衛隊や警察、機動隊など各機関や隊員の多くが出動したのです。想像つかないほどのたくさんの救急車、ガスマスクをした隊員たち、響き渡る悲痛な悲鳴や救援活動の声。現場はまさに戦場そのものだったのです。

地下鉄サリン事件の実行犯

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犯行に使われた化学薬品は、もともと世界的に人類や人命の脅威となる化学兵器として知られており、開発や所持していたとしても使用された前例がほとんどなく、それだけ危険なモノであると認知されていたという事実を知っていただけたはずです。そんな化学兵器となる薬品がテロに使用されたのですから、当然世界的にもセンセーショナルを集めたわけです。

さて次に犯人グループの宗教団体のそれぞれのメンバーの簡単なプロフィールや詳細をご紹介していきます。事件ではどんな役割や犯行を及んだのかも合わせてまとめて記述していきます。当たり前ですがご紹介するどの人物も極悪非道で人の道を大きく外れた人間です。私たち日本人だけではなく地球に住む全ての人間は彼らのことを許してはいけないのではないでしょうか。

地下鉄サリン事件の実行犯①林泰男

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現在から62年前の昭和32年の12月に生まれました。出身は凄惨なテロ事件の舞台となった同じ東京都内。宗教団体では上の地位である『幹部』にあたる人物でした。犯行内容は千葉から東京都内の都心部を繋ぐ主要路線の一つである『千代田線』の電車に乗り込み、学生の街で知られている『新御茶ノ水駅』で化学薬品が詰められた容器を開けるなどの犯行に及びました。

他の犯行では科学薬物が詰められた容器は2つ用いられましたが、彼の犯行では3つ用いられ更には乗車する際に既に1つが開封されてあり早い段階から、有害物質が空気中に舞って漂う事態となってしまったのです。

地下鉄サリン事件の実行犯②広瀬健一

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現在から65年前の昭和39年の6月生まれで、出身は凄惨なテロ事件の舞台となった同じ東京都内です。彼も組織内では上層部に位置する『幹部』の一人でした。またこの宗教団体では組織を形成するにあたって、日本政府が用いていた『省庁制』を取り入れており彼は化学技術部門の次官に当る人物でした。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、日本人であれば誰もが聞いたことがあり知っているであろう新宿や東京、銀座や池袋を繋ぎ、また日本の政治に携わる政治家が集まる国会議事堂や霞が関をも繋ぐ、重要な路線である『丸の内線』の荻窪駅行きの電車に乗車して同様の犯行に及びました。

地下鉄サリン事件の実行犯③横山真人

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現在から66年前の昭和38年の5月生まれで、関東圏の神奈川県が出身です。彼もまた組織内では上層部に位置する『幹部』の一人でした。そして彼もまた日本政府が用いていた『省庁制』を取り入れた後は、彼は化学技術部門の次官に配属されていました。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、先ほどご紹介した広瀬が『日比谷線』荻窪駅行きの電車に乗って犯行に及んだのに対して、こちらはその反対路線の『池袋駅』行きの電車に乗って同様の犯行に及びました。準備していた化学薬品が詰められた2つの容器の内1つしか開ける事が出来なかったそうです。

地下鉄サリン事件の実行犯④豊田亨

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現在から61年前の昭和43年の1月生まれで生年月日が123になる人物です。出身は近畿地方に位置する阪神と呼ばれるような兵庫県生まれです。彼もまた組織内では上層部に位置する『幹部』の一人でした。そして彼もまた『省庁制』の化学技術部門の次官の1人として配属されていました。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、別件で逮捕され取り調べで事件や組織の概要や内部事情を明らかにした『林郁夫』が日比谷線の上り電車に当る中目黒駅行きの電車を担当したのに対して、こちらは反対に下り電車の『東武動物公園』行きの電車に乗車して犯行に及びました。

地下鉄サリン事件の実行犯⑤林郁夫

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現在から72年前の昭和22年の1月生まれで、前述した『豊田』と誕生日が一緒で123となっています。組織に入団する前はれっきとした免許を所持した医者であったという過去を持っています。日本政府が用いていた『省庁制』を取り入れた後は、以前の仕事柄の影響もあってか彼は治療部門の『大臣』でした。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、埼玉県から東京都心を繋ぐ路線『日比谷線』の中目黒駅行きの電車に乗り犯行に及びました。彼が別件の犯罪で身柄を拘束され、取り調べ時に組織や犯行について自供し内容を紙に筆記したことにより全貌が明らかとなりました。

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