彼が別件の犯罪行為で逮捕され、取り調べ時に自ら組織や事件の概要を自供し、紙に内容を筆記したことにより事件解決や犯人グループの逮捕につながったという結果や彼の行動は『自首』に値すると検察は考えて、死刑ではなく『無期懲役』を求刑しました。
極めて異例のケースですが裁判ではこれを認める形で無期懲役という判決結果が言い渡されました。この判決結果についても当時からセンセーショナルを集め、話題を集めました。ではなぜ裁判官はその様な判決を下したのでしょうか?次にその理由について解説していきます。
地下鉄サリン事件で林郁夫はなぜ1人だけ死刑にならなかったのか
いくつかの理由があると考えられていますが、一つに裁判官は『彼はほぼ間違いなく死刑判決が確定するであろう状況の中で、自身が不利になる様な真実を嘘偽りなく語った様子は後悔や謝罪の情が誠のものであった表れ』と言及しており、彼が自首同然の自供をした事実を認めてそれを考慮したものであると考えられます。
また主犯格であり組織のトップである『あの人物』に指定されなけらば犯行に至らなかったという見方も示し、信仰者の弱みを握られ利用されたと考えたそうです。さらには事件で命を奪われた電車の駅員の親族である人物が『許してもよい』と発言しており、このエピソードも影響を与えた要因の一つと言われております。
この意外な判決結果について
『無期懲役』という刑罰を下した張本人である当時の裁判官は現在は引退しておりますが、今でもあの時の判決はあれでよかったのだろうか?間違っていたのではないか?と自問自答しているそうです。皆さんはこの判決結果について大変シビアな問題とは思いますがどう考えますか?
地下鉄サリン事件の判決と現在⑥運転役メンバー
運転役メンバーは5名いましたがそのうちの4名は検察により『無期懲役』が求刑され、いずれの人物も最終的には認められ求刑通りの判決結果となりましたが、1名は逮捕された後も裁判の際も一切反省する様子や謝罪の言葉が無く、終始宗教団体の思想に基づきトップである『あの人物』を崇拝する態度や言動を示したのです。
彼は『死刑』すらも宗教団体の為であったりその思想の一環であるという考えを改めることなく、一貫してオウムのトップである人物の為に死を捧げるかのような意思を持っていることを示しました。当然ですが反省や謝罪の意が一切見られない彼には『死刑』判決が下されました。
地下鉄サリン事件の判決と現在⑦製造役メンバー
宗教団体が起こした殺傷事件やテロ事件において、凶器として使われてきた化学薬品や化学兵器を作成して、それを普及させた張本人である製造役の主なメンバー3人に関しては、『この人物がいなかければ多くの犠牲者も事件も生まれなかったであろう』として検察側は3人とも死刑判決を求刑し、求刑通りに3人とも死刑が言い渡されることになりました。
直接化学薬品や化学兵器を作成した3人以外の彼らから与えられた、作成するうえでの制作過程の業務を手伝ったいわゆる『補助役』の犯罪者たち数名は『死刑』は免れ、それぞれ数年の禁固刑が言い渡されました。
死刑判決されたメンバーは
死刑判決されたメンバー10名近くの犯人たちは、去年平成30年の7月に一斉に死刑が執行されました。その為現在はこの世を他界しております。当然ながらこの出来事は記憶に新しくご存知の方も多いでしょうが、我々日本の国民だけではなく世界的に関心を集め話題となりました。
Contents
地下鉄サリン事件の傷跡は今なお濃く残っている
数々の化学兵器を使った事件を引き起こし、多くの罪のない人間を殺傷してきた犯人たちがどんな判決が下され、現在はどうしているのかを解説していきましたが、ほとんどの主要な犯罪者たちは『死刑』が言い渡され、去年の夏に執行されて既にこの世を他界していたのです。
彼らの犯行によって深く傷つけられた、罪のない犠牲者たち。幸いにも命は助かり現在も生きている犠牲者の中には、心や体の様々な悲痛な『後遺症』に悩まされている人たちが少なくないという事実があるのです。今回ご紹介している事件の傷跡は20年以上経ち『令和』となった今でも濃く残っているのです。
地下鉄サリン事件の傷跡①後遺症
今回ご紹介している非常に凄惨で悲惨な事態となったテロ事件に凶器として用いられた化学薬品、化学兵器の一つである『サリン』世界的にその存在は人類や人命の脅威になることは知られていましたが、実際に攻撃のために使用されたのは世界でも2回目となり、テロとして使用されたのは初めてとなりました。
医学的にもその有害な物質がどれほど人体に悪影響を及ぼすかは予想されていましたが、実際に吸引してしまい重体になるほど負傷してしまった人たちの多くは、治療により一命をとりとめた後も、様々な後遺症が現れて苦しみながら現在も生活しているのです。
地下鉄サリン事件の傷跡②今でも苦しんでいる人々
人によって後遺症の症状は様々なですが、視力が低下して視界がぼやけてしまう様になってしまった人や、慢性的にまた頻繁に風邪や熱の症状が出てしまう人たちもいました。更には一命はとりとめたものの、数年後に化学兵器の発がん性により癌を患い亡くなってしまった人たちも少なくないのです。
そして現在でも痛々しい当時の現場や状況がフラッシュバックしてしまい、パニック障害に陥ったり精神疾患を起こしてしまう人、トラウマな体験により電車という乗り物に一切乗れなくなってしまった人もいて現在でも深く苦しんでいる犠牲者たちがたくさんいます。
地下鉄サリン事件の傷跡③子供を作れなかった
また後遺症として精神的疾患ではなく、身体に症状が出てしまった犠牲者たちは、自身の子孫、子供の人体にも悪影響を及ぼす可能性があるため、それを懸念して子供を作ることを断念せざるを得なかった夫婦もいるのです。こうしてこの凄惨すぎるテロ事件では罪のない人間の輝かしい未来までも奪う事になりました。
地下鉄サリン事件の各報道も過熱
今回ご紹介しているあの宗教団体による残虐で凄惨な事件は、罪のない民間人や一般人が無差別に殺傷されるテロとして、また数千人を優に超える人たちが犠牲者となってしまった規模の大きさなど、様々な要素がセンセーショナルを集める事になり、日本国内のマスメディアは勿論の事ですが、世界的にも大きなニュースとして話題となり波紋を広げました。
当時国内で報道されていた各マスメディアの状況や海外メディアがどのようにこの凄惨なテロ事件を報じたか、また現代を生きる世界中の人々にどんな余波を及ぼしてしまったかを次に皆さんに解説していきます。
地下鉄サリン事件国内でも大きな衝撃
当然阿鼻叫喚する凄惨な事件の舞台となってしまった日本国内では、あらゆるマスメディアが取材をして連日トップニュースとして報じられました。世間も一斉に注目し関心を集め大きな話題となりました。予定されていた番組表ではなく、急遽特別番組や特集が各テレビ局でいくつも組まれる事態となりましたが、当然の対応と言えるでしょう。
地下鉄サリン事件海外でも速報で報道される
かつて第二次世界大戦では同盟を結んだヨーロッパのドイツでは『ヒトラー率いるナチスドイツの毒ガスが使用された』と国内のメディアが報じました。更にアメリカ合衆国では何故か犯人が割り出される前に『アラブ系の犯行によるテロ』と誤情報がニュースで報じられ広まってしまう事態となりました。
このような誤情報は恐らく時代背景を考えると、中東の社会情勢が揺れておりイランイラン戦争など、アラブ系民族が住んでいる国々の各地で紛争が起きている問題があったためだと考えられます。また海外でも事件が発生した後すぐに『速報』として報じられ、世界中でセンセーショナルを集めました。
地下鉄サリン事件世界中で治安維持にも影響
世界的にテロリストやテロの脅威が騒がれていた事実もあり、世界の国々では頻繁にテロが多発しておりました。そして今回の日本で起きた宗教団体オウムによるテロ事件では、世界でも初めて攻撃手段つまり凶器に『化学兵器』が使用されたのです。
これにより各テロリストが参考にしてしまい、模倣して同様に化学兵器が使用される可能性が懸念されたのです。こうして更にテロや化学兵器に対して警戒が強まり、世界中の治安維持にも影響を及ぼす事になりました。
地下鉄サリン事件の動機とは
今回ご紹介している世界で始めて『化学薬品』が使用されたセンセーショナルなテロ事件を起こした動機について簡単に解説します。犯行グループであるオウムは、首謀者である組織のトップである『麻原』は自身が日本という国において絶対的な存在、権力者になり、よりその宗教や信者の拡大を目指したのです。
しかし事件が起こる少し前に、日本の未来を描く政治家として立候補するための『選挙』に参加しましたが、他の議員たちに圧倒的な投票数の差を見せつけられ『大敗』してしまいました。そして信者たちや国民から大きなイメージダウンや信頼を損ねてしまったのです。失ってしまった地位や評価を再建して取り戻すために大規模なこの事件を引き起こしたのです。
地下鉄サリン事件の計画ができるまで
勿論犯行内容をふまえても、このテロが計画的に仕向けられていたことが明らかですが、果たして悍ましい計画が企てられたのはいつ頃で何がきっかけとなったのでしょうか?こちらの見出しではそんな事件の計画ができるまでの詳細やきっかけについて解説していきます。
地下鉄サリン事件は迫りくる警察の強制捜査を逃れるため計画
事件が起こる数か月前にオウムの拠点となるエリアを警察や検察が調査を行い、化学薬品の跡が検出されてしまった事により、それが証拠となり警察が宗教団体が有していた施設や家などに強制捜査が行われてしまうのは時間の問題だと考えていました。そこで焦点を別の団体や人物にずらして強制捜査を逃れようと考えて計画したのです。
地下鉄サリン事件の2日前のリムジン内での会議
メンバーは前年度の大地震による影響を思い出して、大きな災害や事件が発生すれば『強制捜査』から逃れられると考えると、『サリンを地下鉄に』や『サリンが作成できれば・・・』『パニックを作れる』などの言葉が飛び交う会議が2日前に行われ、実際に詳細な犯行計画が企てられました。
またこの時に政治家が立ち上げた新たな政党や宗教法人の一つである『創価学会』に焦点をずらせるのではないか。という考えも述べており、またオウムが引き起こす他の2つの事件の計画を示唆する内容を宗教内の教祖でありトップである『麻原』の口から述べられてます。
地下鉄サリン事件の決行には異説がある
別件の犯罪で逮捕され身柄を拘束されていた、犯罪グループの一人は宗教団体そのものとトップである『麻原』に不満を募らせていたことから、嘘や虚偽なく正直に犯行の概要や犯行メンバーや組織の内部事情などを自供しました。
これにより犯行の動機は『強制捜査』逃れるために、大きなパニックや事件を引き起こし、犯行の焦点を別団体や他の人物にずらすためであったと明らかになり、後に逮捕されたほか数名の犯行メンバーの供述からもそれが伺えたのですが、実は一部の犯行メンバーの供述によると目的や証言が食い違っていたのです。
地下鉄サリン事件の決行の異説①予言を成就させるため?
犯行に及んだ犯人メンバーの1人は逮捕された後、『宗教全体を巻き込んだ戦争が起こるであろう』という麻原の予言を成就させるために犯行に及んだと証言しており、加えて本来の動機として考えられている『強制捜査』から逃れるという事自体、犯行に及んだとしても効果はなく、目的を叶えられないのではないか?とメンバー内で議論されていたそうです。
地下鉄サリン事件の決行の異説②弟子が暴走した?
また首謀者であり宗教団体のトップである『麻原』は罪を擦り付ける様に、他メンバーの独断で犯行に及んだ。私の指示や計画ではない。と容疑の一切を全面的に否定したのです。この供述において当初は崇拝していた他のメンバー数名は幻滅してしまい、その勝手な主張に否定的な意見を述べ、強く批判しました。
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教とは?
名前はほどんどの方が知っていて悍ましく犯罪者たちによる宗教というイメージがあるはずですが、具体的な思想やどういった宗教であるか分かっていない人たちも少なくないはずです。ここでは簡単に分かり易く『オウム』そのものについて解説させていただきます。後に宗教団体のトップ(教祖)となる『麻原』は異国での修行により仏教の教えや思想を心得ていて宗教を布教していました。
そして現在から30年前の昭和64年、つまりは平成元年に東京都から法人として認められて設立して、更に信者やメンバーが次々と入信しましたが、それを段々自身の都合の良い考えや思想に変換して、おかしな行動をとるなど段々と不穏な事をし始める様になっていたのです。
ポアという考え方により・・・
この地球上に住むあらゆる人間や民衆の人たちの命を一度地に還して、清めたり魂を救済するといったあくまで良いイメージで、罪のない人たちの命を勝手に奪うという思考に変わっていき、実際に度重なる無差別殺傷事件、テロを引き起こして現在から23年前の平成8年に国より、組織の解散と排除が命じられました。
地下鉄サリン事件のオウム真理教の3大事件とは
今回ご紹介している数千人を超える犠牲者を出したセンセーショナルなテロ事件と、オウムが引き起こした大きな被害規模となり関心を集めた主要な他2つの事件を含めて、ある新聞会社はそれらを『3大事件』と呼んでいます。
その他の2つの事件の概要や犯行内容についてもこちらの見出しでご紹介していきます。果たしてどんな凄惨な犯行が行われた恐ろしい事件だったのでしょうか?犯人グループの属する得体のしれない宗教法人がいかに悍ましく汚いものであるかより理解が深まるのではないでしょうか?
地下鉄サリン事件を含むオウム3大事件①坂本堤弁護士一家殺害事件
ご紹介している事件から数年前、ちょうど『オウム』が東京都に宗教法人として認められた昭和64年、平成元年に起きていて、現在から数えるとちょうど30年の事件です。犯人グループである組織の幹部たち数名は、とある弁護士本人とその家族を残虐に殺害しました。
動機は明確で、被害者の弁護士は、宗教団体を脱退したある人物から相談を受けたことをきっかけにオウムの危険性や非社会性などを追及して、批判していました。当時まだ公になっておらず実態について解明されていなかった中、弁護士である彼は大方の恐ろしい実態について証拠や情報を握っており、それをマスメディアを通して公開するつもりだったのです。
批判した為に
つまり弁護士は世間に明らかになっていないその悍ましい宗教の実態の情報や証拠を握っており、その事から強く組織の事を批判して、それに対しての戒めや気に食わないという理由が動機となりその弁護士と家族を無残にも殺害したのです。
地下鉄サリン事件を含むオウム3大事件②松本サリン事件
事件より一年前の平成6年に、長野県に位置する松本市の市街地で組織により『化学兵器』がばら撒かれて、これにより周囲にいた600人以上の民間人や一般人が犠牲となり重体を負ってしまうという凄惨な事件が発生しました。8人の命が奪われてしまい、また現在でも後遺症に苦しめられている人々がいます。
地下鉄サリン事件を指示したオウム真理教のトップ「松本智津夫」とは
オウムのトップ、尊師や教祖は『あさはらしょうこう』という名が知られていますが、実は本名は『まつもとちづお』という名前だったのです。こちらではすべての発端、首謀者、黒幕と言っても過言ではない松本の生い立ちやプロフィールをご紹介します。また彼の目的や宗教を作ったきっかけについても考察していきます。
地下鉄サリン事件を指示の松本智津夫①プロフィール
現在から64年前の昭和30年に九州地方の熊本県で生まれました。畳屋さんを営む父親の子供として生まれ、兄弟は彼を含め9人おり、7番目の子供にあたり、現在であれば特集が組まれそうなほど大家族であったのです。また彼は生まれつき目が悪く、兄弟にも同様の症状が出ていました。
地下鉄サリン事件を指示の松本智津夫②幼少期
大家族という事で一家を支えるためには父親だけでは生計を立てる事が困難な状況であったため、母親も日中は外に働きに行き共働き世帯でした。その為の彼の面倒や教育は兄弟が担当していたそうですが、無邪気な男児らしく非常に元気ないたずらっ子だったらしく、テレビで放送されていたアニメが大好きだったごく普通の子供だったそうです。
地下鉄サリン事件指示の松本智津夫③盲学校時代
他の目の見えない兄妹とは違い、彼は片目だけ盲目で片方は視力があったのにも関わらず、普通の学校から途中で盲学校に転入させられたのは、お金がかからないためであり、両親には酷く見捨てられたと悲しみ涙したそうです。
その盲学校に通うと片目が見える事をいいことに、完全に盲目である他の児童たちを虐めたり、お金を巻き上げたりパシリに扱うなど『暴力』を駆使して悪い素行を繰り返していたと言われていて、この時から権力者やモンスターの片りんを見せているのです。
しかし高校生時代は
しかし高校生時代の担任の先生は、上記のような闇の深い盲学校時代の素行の事実に驚いたそうです。というのも高校時代の彼は困っている他の生徒や同級生がいれば快く手を差し伸べる、心優しい少年であったらしく、将来は『人を助けて救う職に就きたい』と夢や希望を語っていたそうなのです。何か考え方が大きく変わるきっかけがあったのでしょうか?
地下鉄サリン事件指示の松本智津夫④成人後
成人になると志望校が母校になるというキャッチコピーやフレーズでお馴染みの『代々木ゼミナール』に入会すると、現在から41年前の昭和53にそこで知り合った女性と結婚し2人は千葉県の船橋市で生活しました。その数年後に薬局を自身で経営しますが、効き目がなく副作用が出る違法な薬品を販売していたため逮捕されてしまいます。
地下鉄サリン事件指示の松本智津夫⑤入信とオウム真理教の結成
逮捕された1年後昭和57年に、経営や商売のあれこれを教わっていた師と呼べる人から『彰晃』の名を与えられて、『あさはらしょうこう』に改名します。その後元々入信していた宗教に不信や不満を募らせていき脱退して、自らの思想や理念を有する、自身の学習塾を設立して徐々に入信者を増やしていきました。
やがてその学習塾は名称と実態を変えて『オウム』と名付けられるようになり、その会や株式会社を興していき、そのメンバー内でもどういった方向性で行くか論争が起こり、最終的には独特な自身の思想や理念を『仏教』をベースにした宗教法人を独立して設立することになり、『オウム真理教』が発足しました。
松本智津夫の死刑執行の様子
死刑判決が言い渡され、執行されるしかるべき時が来るまで収容される死刑囚は、その時が近づいてくると徐々にパニック状態や異様な精神状態から奇行に走るようになることが多いと言われています。かつては自身を神、尊師と名乗り日本という国家を再建しようと企み、多くの尊い命を無残に奪ってきた『松本死刑囚』の最期の様子もまた精神に異常をきたしていたそうです。
死刑執行が迫ると
確実に迫りくる死に恐怖して彼も精神的にどうにかなってしまったからなのか、自力で自身の脚で立ち上がることもままならず、刑務官の手助けなしではろくに移動もできなかったらしいです。そればかりかお風呂もトイレも一人でできず、赤子同然の扱いをしていたというのです。食欲に関しては変わらずあったものの見た目は病的にやせ細っていったらしいです。
最後に「畜生!やめろ!」と叫ぶ
死刑執行が執り行われる当日の朝、執行される場所に無理やり刑務官に引きずられて運ばれました。この時死にたくない一心で、必死に暴れたりして駄々をこねるように抵抗しました。そして最後には『畜生!やめろ!』と文字通り断末魔の雄たけびをあげると、静かに死刑が執行され去年の夏この世を他界しました。
「松本智津夫」に関する書籍作品の数々
その実態は悍ましい思想や勝手な主張で溢れかえった宗教団体のトップであり教祖である『麻原』(本名:松本)人格や思考が常軌を逸しておりモンスターと化してしまった彼に関する作品はたくさんありますが、その中でも特に興味を引く内容の彼の誕生や、知られざる驚愕の獄中生活の様子が描かれた書籍が出版されています。ここではその二つの書籍作品をご紹介していきます。
書籍作品①麻原彰晃の誕生
どんな偉人や歴史上の人物に影響を受けて、人格や思想が変化していったのか、公になっていない少年時代や学生時代の事。また成人となった彼がどんな事をしてどんな心情を持っていたのか、彼自身そのものが詳細に鮮明に描かれている彼の教科書となっています。モンスターと化した彼の実態を知るうえで最適な一冊なので興味のある方は是非一度手に取って読んでみてください。
書籍作品②獄中で見た麻原彰晃
最終的な結果である死刑執行だけが注目され、ほとんど知られていない彼の凄まじい獄中生活のエピソードや彼の言動が記されています。驚くべき事実や普段知ることのできない驚愕のドキュメントを垣間見ることのできる一冊なので、続ぎが気になり、すらすら読めるのではないでしょうか。気になる方や興味のある方は是非一度読んでみてください。
地下鉄サリン事件の根源であるオウム真理教は今も海外にも存在する
そんな今回ご紹介している多くの民間人や一般人が無差別に化学兵器で殺傷された、世界的にセンセーショナルな事件の根源である『オウム』はなんと現在でも海外に存在しているのです。次にそんな恐ろしい驚愕の事実について解説していきます。
ロシアにもオウム真理教の拠点がある
当時世界的にも信仰を深めるべく、教団が他の国々に出張する形で教えや思想を広めていきました。その中でも当時のロシアはソビエト連邦が崩壊して『ロシア』という国に生まれ変わり、『理想』と言われてた社会共産主義が崩壊して、多くのロシア人の心の拠り所や精神的支柱を失ってしまったのです。
そんな心の隙間に入り込んで信仰を深く広めてしまったのが『オウム』だったのです。表向きは廃止され除外されていますが、現在でもロシアには宗教活動のベースとなるエリアがや後継した宗教団体が存在しているらしいです。去年に死刑が執行されましたが、教祖が殺されたという事実を知った今なお残るロシアの信者たちの意向や行動には目を離すわけにはいけないのです。
当時は故・麻原死刑囚奪還計画もあった
日本国内でも後継組織の宗教団体である『アレフ』が、そして遠く離れたロシア国内でも発足したオウムの考えや宗教の教えを信仰する信者や布教者により、『麻原死刑囚』の奪還テロ計画があったらしいのです。ロシアではある組織が計画を実行に移すための化学兵器を所持したとの記録もあり、死刑執行当日まで再び悲劇が繰り返される恐れがあったのです。
今なお根強く残るオウム信者
宗教団体のトップや主要メンバーが逮捕され、日本政府に事実上の解体が命じられた『オウム』ですが、その数年後に遠く離れたロシアでは、信仰者であった男性が意思や思考を受け継いだ新たな宗教団体を設立したのです。
また現在から9年前の平成22年にも別の宗教団体が日本人の信者の指導の元ロシアで設立され、去年平成30年にその組織のメンバーが教えや宗教を布教活動していて逮捕されました。日本でも名称を変え『アレフ』として残り、今なお根強く残っている信者がいる実態を私たちはどう捉え、どう対処していくのか。良く考えないといけません。
あまり語られない地下鉄サリン事件の裏側
実は今回ご紹介している大規模な犠牲者を生んでしまったセンセーショナルな事件は、公表されている表向きな動機や目的、犯人の一人やトップが証言した内容により異説が存在している事は世間によく知られていますが、あまり語られない新たな可能性や新たな説があったのです。ここではそんな事件の裏側について語っていきます。
地下鉄サリン事件の裏には北朝鮮
オウムが引き起こした事件の現場となった、ある飲食店を経営するオーナーが北朝鮮人で、彼女は拉致に関与していた北朝鮮の工作員と共に暮らす女性の妹に当る人物だったのです。更には当時捜査が難航していたオウムによる事件の物的証拠や現場に残っていた物があり、それが『朝鮮人』と書かれているバッチや韓国のお金だったのです。
またその中には暴力団であっても入手する事が困難な銃も含まれており、国家的支援があったのではないかという疑惑も生まれたのです。国家そのものを作り直すという大々的な目的があった組織だからこそ、違う国家つまりは北朝鮮が秘密裏に関与している可能性が指摘されました。しかし残念ながら真相は分かっておりません。
地下鉄サリン事件は個人を狙った犯行だった可能性
結果的に民間人や一般人が無差別に殺傷されてしまう大規模テロとなってしまいましたが、実は化学兵器を作成する拠点となる工場やエリア、すなわち『第7サティアン』を『強制捜査』しようとしていた捜査員7名の『個人』の命を狙った犯行だった可能性があると一部では囁かれているのです。
自衛隊の出動や救援活動が早期に行われたのも、予め狙いが分かっていただからという見解もあります。あくまでも可能性があるというだけで事実ではありません。もしこれが事実だとすれば未然に凄惨な事件もテロも防げたかもしれません。
地下鉄サリン事件は決して風化させてはいけない事件
今回はその後の世界中にも影響を及ぼし、今なおその爪痕を深くの残してしまったオウム真理教による地下鉄サリン事件の概要や犯人の各メンバー、被害や当時の状況をご紹介していきました。あれからテロリストが犯行を模倣するという恐れていた事態が起きてしまい、現在でも化学兵器を使用したテロは世界中で起こってしまっています。
また日本国内だけではなく、ロシアでもオウムの思想や考え方を受け継いだ後継宗教団体が蔓延っており、彼らによっていつまた凄惨なテロが引き起こされるか分かりません。日本国内に住む我々も、世界中の人々も今後も決して油断はできません。平和な世界を築くためには現代を生きる私たちは何を考えどう行動すればよいのでしょうか?
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