【地下鉄サリン事件】事件から24年、概要とオウム真理教の恐ろしさを解説

地下鉄サリン事件は1995年、オウム真理教によって起こされた平成で最も凶悪な事件の一つです。化学兵器テロのこの事件は当時の日本を震撼させ、24年足経った今も大きな爪痕を残しています。この記事では地下鉄サリン事件の概要とオウム真理教の恐ろしさを徹底解説します。

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初めまして。皆様の関心と興味を引き付ける記事をたくさん書いていきます!
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地下鉄サリン事件とは?

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現在から24年前の平成7年に世界でも例を見ない、簡単に人を死に至らせる毒物や薬物などの『化学兵器』が用いられた『テロ』のような殺傷事件で、日本だけではなく世界的にもセンセーショナルを集め『トウキョウ・アタック』という名称で呼ばれており有名な凄惨すぎる事件なのです。

犯行に及んだ犯人グループは、名前を聞いただけで悍ましく恐ろしいと感じさせてしまう宗教団体の『オウム真理教』なのです。犠牲者となってしまったのは一般人や民間人で、死者も10名ほどそして負傷者は6000人を優に超えているのです。多くの人々がその化学薬品よって身体が侵されてしまい現在でも病やトラウマとして大きな傷跡が残ってしまっています。

地下鉄サリン事件の概要

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事件が起きたその当時に既に物心がついていている人、成人を迎えている大人の方でしたら、深く語らなくても恐らく凄惨な悲劇の概要を良くご存知なのではないでしょうか?その当時にまだ子供だった人物やどういった犯行が行われたよく理解していない方もいらっしゃるはずです。

どれだけ悍ましく恐ろしい事件であったかよく理解して頂くためにも、早速犯行内容や悲惨な事象の数々を皆さんに解説していきます。この事件は同時刻、同じタイミングで異なる場所で惨烈な犯行が行われました。その場所とは東京や都心部のような場所では欠かす事の出来ない交通機関の一つである電車、それも『地下鉄』だったのです。

地下鉄サリン事件①千代田線での犯行

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現在でも常磐線直通で千葉県の柏や松戸辺りまで、そこから東京都の大都市に当るエリアや政治家や庁舎に勤める人たちが多く集まる『霞が関』までを繋ぐ、東京だけではなく日本の主要線路の一つである『千代田線』この路線を走る電車内で、悲劇が発生し現場となってしまいました。

犯人グループの一人はサラリーマンや学生たちが出勤通学するちょうど朝のラッシュアワーの時間帯に、この路線内に侵入して犯行に及ぶその瞬間まで、足立区内の駅で一般人に紛れて身を潜めた後、現在でも多くの路線が集中し繁華街として栄えている『北千住駅』より電車に乗車しました。

犯行の瞬間

乗車した後犯人グループの一人は平然と民間時の乗客たちに紛れて駅から駅へ進め、日本大学や明治大学などの複数のエリート大学が隣接し、学生や学徒の街として知られている『新御茶ノ水駅』に到着する寸前に、予め用意していたナチスドイツで開発された神経ガスの一つである『サリン』が入った袋のような容器に故意に穴を開けて、到着すると一目散に逃げだしたのです。

犯人グループの一人によって容器に穴が開けられ、有毒で人を簡単に死に至らせる薬物が千代田線の路線を走る電車内の空気中に充満すると、次々に職場や学校に向かう民間人たちがバタバタと倒れていき、駅員や職員たちは異変に気づくとすぐさま運転を取りやめ、原因と思われる容器を処分すべく近づきましたが、2名もの人間の命が奪われ、また200人以上の人間が重症を負う事態になりました。

地下鉄サリン事件②丸ノ内線(池袋発萩窪行)での犯行

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都内や関東圏に住んでいない人たちでも、日本人であれば誰もが聞いたことがあり知っているであろう新宿や東京、銀座や池袋を繋ぎ、また日本の政治に携わる政治家が集まる国会議事堂や霞が関をも繋ぐ、こちらも重要な路線である『丸の内線』でも、同様に多くの民間人が集まる朝の通勤通学時間に、卑劣な犯行が行われました。

犯人グループの一人は始発の現在でも若者の街で知られ、多くの路線が集中している『池袋駅』から『荻窪駅』行きの電車に乗り込み、千代田線で科学薬品が詰められた複数の容器が開けられた『新御茶ノ水』に隣接する『御茶ノ水駅』にて所持していた化学薬品を車内にまき散らしました。

被害者たちは

電車に乗っていた1人の民間人により、人々が次々と倒れ容態悪化を訴える悲痛な事態を駅員に伝えられ、、化学薬品が詰められた容器が回収され、容態悪化して具合が悪くなった乗客たちは電車から降ろされ病院などの医療機関に搬送されましたが、電車はそのまま運行を続けたので被害はさらに拡大してしまいました。

恐らくこの時はまだ事の重大さに気づいておらず、このような判断に至ったと考えられます。こうしてこの路線の電車では1人の罪のない人間の命が奪われ、また300人以上の民間人や一般人が重傷を負う事態となってしまいました。

地下鉄サリン事件③丸ノ内線(萩窪発池袋行)での犯行

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先ほどご紹介した主要の路線の反対、逆の路線を走る電車でも同時刻、同じタイミングに犯行が行われました。やはりここでも同じ様に社会人や学生たちが通勤通学する朝の時間帯でに、犯人グループの一人は大都心部に当り日本の企業が連なる『新宿駅』から電車に乗車しました。

そして東京都新宿区に位置する『四ツ谷駅』を通りかかるその瞬間に、人を簡単に死に追いやる危険な化学薬品が詰められた複数の容器の内、1つが開けられて電車内に拡散させられました。そのまま電車は通常通り運行し終点まで到着しました。

その後何故か・・・

業務上終点到着後は駅員により、その車内に残っている乗客たちの忘れ物や不審物がないか駅員が確認するのですが、この時は何故か行われず、反対方向の電車として再び運航が再開されました。車内を清掃するスタッフによりごみの一つとして除去されましたが、以後も事態に気づかず何事も無かったかのように運行されました。

最終的には幸いにも死亡者は一人も出ませんでしたが、200人以上の罪のない人間が被害者となってしまい負傷してしてしまいました。化学薬品が詰められた容器が1つのみが開けられて、拡散されたのが要因で死者が出なかったのかもしれません。また事態が発覚するのが遅くなり処置に遅れたのもこれが原因なのかもしれません。

地下鉄サリン事件④日比谷線(中目黒発東武動物園行)での犯行

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埼玉県の有名な東武動物公園から東京都心を繋ぐ、主要路線の一つである日比谷線でも犯行が行われました。時刻はやはり朝の通勤通学時間でラッシュアワーとなる時間帯に、犯人グループの一人は東京都目黒区に位置する始発の『中目黒駅』より電車に乗り、サッポロビールで知られてる『恵比寿駅』に通りかかる瞬間に化学薬品が詰められた複数の容器が開けられました。

有害な毒ガスに属す化学薬品が電車内に拡散された事により、容態悪化や体調不良に見舞われて、次々と民間人や一般人が倒れていき、また車内は気分を害する様な匂いが漂いました。こうした事態によりすぐさま患者が電車から降ろされ搬送され、運航を取りやめるなどの処置が行われましたが、最終的には1人の命が奪われ、500人以上の人間が重体を負ってしまう悲惨な被害となってしまいました。

地下鉄サリン事件⑤日比谷線(北千住発中目黒行)での犯行

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先ほどの同じ路線の反対方向を運行する電車、即ち上り電車でも凄惨な犯行が行われ、悲劇の舞台となってしまいました。犯人グループの一人は日本のトップクラスの動物園、上野動物園が存在し東京都台東区に位置する『上野駅』から電車に乗り込み、一般人や民間人に扮して乗客たちに紛れていました。

他の路線で犯行に用いられた危険な化学薬品が詰められた容器は2つなのに対して、ここでは3つありこの時既に内1つの容器が開いていて、早期から車内に危険な化学薬品がばら撒かれてしまう事態となってしまいました。そして世界からも多くの観光客が訪れる、電子とアニメの街『秋葉原駅』にて残りの2つも開けられ、しかもこの時多くの箇所を開けられました。

更に被害拡大

早期の段階から車内に危険な化学薬品がばら撒かれて充満し、更には多くの箇所が開けられたことにより、他の犯行現場となった電車よりもより濃度が強く広域に毒ガスが及ぶ事になりました。当然被害も大きくなりましたが、更に化学薬品が詰められた容器を発見した、その両に乗っていた一般人はある駅に到着した瞬間にそれを蹴って除外したので、その駅のホームに放置されてしまいました。

それだけではなく容器が放置された駅近くに、運転を見合わせて停車していた複数の電車にも有害な毒ガスが充満した空気が及んでしまい、被害者の数はこの事件で最大で計り知れない人たちが負傷してしまう凄惨な事態になってしまったのです。8人もの罪なき人の命が奪われ、また2400人以上の民間人、一般人が『重体』を負う惨烈な被害結果となってしまったのです。

地下鉄サリン事件⑥事件から2日後に警察による強制捜査

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車内にばら撒かれた簡単に人を死に追いやる毒ガスにより、罪のない人間数名の尊い命が無残に奪われ、また数千人が負傷して重傷を負う深刻な事態になり、警察は2日後に容疑者の有無を問わない、任意を得ずしての捜査、つまりは『強制捜査』を執り行い、オウムの施設と思われる住居や家、数十か所を調べることになりました。

この時、容疑の疑いが掛かったのは、恐らくは事件が起こる同年の1月にオウムの拠点となったあるエリアで同様の危険な化学薬品の跡が残っていたためだと考えられます。そして強制捜査により化学薬品の原料となる物質が次々と見つかり、ほぼ間違いなくオウムによる犯行だと断定されましたが、逮捕に至る物的証拠や裏付けとなるモノは確認できなかったのです。

否定する主張

  • ある有名な政治家か、ある日本の宗教法人の仕業
  • 見つかった物質は、畑や農場の為の農薬である
  • 拠点となるエリアで見つかった有害物質の跡はアメリカ軍から危害が加えられたもの
  • もし自分たちがやっていれば同じ仲間がいるからするわけがない

地下鉄サリン事件⑦事件は林郁夫の証言で急展開

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実はこの時警察もその未知の悍ましい宗教団体の内部の情報や、メンバーや人物については判明しておらずぼんやりとしていました。それもあってか強制捜査から1か月が経とうとしていましたが、捜査は難航して誰が計画し指示をしたのか、また誰が実際に化学薬品をばら撒いたのかなどがほとんど判明していなかったのです。

凄惨なテロ事件から数日後に別件の犯罪でオウムの更には犯人グループの一人である『林郁夫』が逮捕され取り調べを受けていましたが、その際に警察は宗教団体の目的やメンバーなどについて問い詰めました。すると林はその宗教や教祖に不満を募らせていたためか、自身による犯行だという事、オウムが黒幕だという事を自供したのです。

更にメモで

更に彼は事件において各グループメンバーの詳細やポジション等の事件の概要を詳しく紙に筆記しました。その紙により難航していた捜査は一気に進展を見せて、犯人グループである宗教団体の各メンバを逮捕することができたのです。オウムの拠点、化学薬品を生成するベースとなり有名になった村に関する記事はこちらです。是非ご覧ください。

地下鉄サリン事件発生時の現場の様子

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ここまでどこの路線でいつごろ発生したのか?またどのくらいの被害となったのか?など事件の概要についてお話ししていきましたが、いかに多くの一般人や民間人の乗客たちが命を落とし、重症となり負傷してしまったか分かっていただけたはずです。治安の良い日本で同じ日本人により大勢の人たちがテロに遭ってしまった非常に凄惨でセンセーショナルな事件なのです。

多くの一般人や民間人が犠牲者となってしまったわけですが、悲惨な現場、パニック状態と化した駅や電車内では乗客たちや居合わせて被害者となってしまった人々を救助して、懸命に闘った者達も多くいたのです。次に悲惨なテロが発生した時の現場の様子を各隊員や団体にスポットを当てて解説していきます。

地下鉄サリン事件での様子①機動隊

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警察の中でも災害や事件が起きたときに動員される、人命救助や犯行鎮圧に活躍する機動力や警備力に長けた隊員、即ち『機動隊』が最初に動員され、化学薬品に侵されて体調不良や容態悪化を訴える民間人や一般人の救助に当たりました。初めはその化学薬品の情報も現場の状況や原因についても判明していなかったので、ガスマスクをせずそのまま救援活動を行いました。

恐らく最初に機動隊が動員されたのは、第2、第3のテロや犯行を警戒した為だと考えられます。多くの隊員が動員されましたが、先ほども解説した通り原因不明であったため化学薬品の対策を一切してなかったので、決死の覚悟で救護に当った彼らの多くも、有害物質を吸引してしまい被害者となってしまいました。

地下鉄サリン事件での様子②救急隊

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体調不良や容態悪化を訴えている患者や被害者たちを素早く救護して、迅速な医療処置を施し速やかに病院などの医療機関に搬送する『救急隊』も救援活動を行いました。やはり彼らもマスメディアの情報である『地下鉄で負傷者多数』などの少ない情報や誤った情報しか入っていませんでした。

そのため救急隊の隊員の多くも同じように、人を簡単に死に追いやるほど危険な化学薬品の物質を吸引してしまい、被害に遭ってしまいました。救援活動を行った人たちや隊員たちにも、次々と卑劣な犯行やオウムの魔の手が及んでしまったのです。

地下鉄サリン事件での様子③警察・検察

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警察や検察は、警察官の時はオウムの捜査だけではなくワールドカップが開催された際に警備強化などで活躍し、退職後は政治家に転身した『井上』を事件解決のための指揮官やリーダーに置き、第2、第3の事件やテロが発生しない様に事を急ぎ捜査に当たりました。

この際既に実行犯や犯人、容疑者としてオウムの名前が挙がっていたましたが、決定的な物的証拠が無かったので逮捕に踏み込めず、捜査も色々な法律に則ったギリギリのラインで抑えなくてはならなかったのです。大型連休も差し迫っていたので日本政府は警察に犯罪の抑止と早急な事件解明を求めました。

化学薬品の正体が解明

検察や鑑識は事件当時から、体調不良や容態悪化を訴える被害者たちの救援活動を行いながらも、原因を探るために一つの電車を丸ごと調べ上げられました。その際取り残された乗客たちの所有物を持ち帰り鑑識に回し検査をすると、化学薬品の正体がナチスドイツが開発した有害な毒ガスの一つである『サリン』である事が判明したのです。

地下鉄サリン事件での様子④自衛隊

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日本の安全や平和を守り保つ為の機関及び部隊の地上や陸の部門である『陸上自衛隊』は、ガスマスクや有害物質や化学薬品から身を守る特殊な衣類が警察に配備されていた事実を知ると、事件発生から直ぐに例の宗教団体により化学薬品が用いられた犯行だという事を察知しました。

これにより化学薬品や毒ガス、化学兵器の知識やその処置、対策を心得ている化学部門の隊員が動員され配備されました。彼らにより電車内や駅のホームに充満した有害な毒ガス、化学薬品が除去され、また患者が搬送された各医療機関にも配備され、処置や治療の仕方について助言して医師やスタッフを指導しました。

地下鉄サリン事件での様子⑤東京消防庁・病院

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東京都内の23区やほか地域の医療機関のほぼ全ての救急車が出動されましたが、各医療機関の規定患者数を優にオーバーしていたため受け入れ態勢が混雑してしまい、また各救急車にどこの医療機関、病院へ搬送してください。と指令を出す機関もパニックになってしまいました。これにより悲惨な現場と化した駅や電車では、いつまでたっても救急車が到着しない等の事態に見舞われました。

この状況に対して、被害者や負傷者が多数出てしまった駅の近くにある病院では院長の判断により、受け入れ患者数オーバーしても診察や治療を請け負うとして、通常外来をストップして限度なく体調不良や容態悪化を訴える患者を受け入れて、救援活動のベース的な医療機関となりました。更にほかの病院もイレギュラー事態に応じて臨機応変に対応しました。

地下鉄サリン事件のサリンとは

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救援活動や救護、治療に当った各隊員や機関の対応や動きについて解説していきました。どのように対処してどういった処置を施したか、また彼らの多くも化学薬品の有害な毒ガスを吸引してしまい、被害に遭ってしまった事をよく理解して頂いたはずです。乗客として電車に乗った民間人や一般人だけではなく、救援救護に当った隊員たちも危害が及び、大惨事となってしまったわけです。

ではその化学薬品つまりは『サリン』とは一体どういった物質で、どれほど恐ろしいものなのでしょうか?これについては明確に分かっていない方も多いはずです。こちらではその物質がいかに危険で恐ろしいモノなのか、また詳細などを解説して、実際の事件ではどのような作用が起きてしまったかをお話ししていきます。

地下鉄サリン事件のサリンとは

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『リン』という原子はその物質だけでは無毒なのですが、何かの物質がくっついて化合物となると一気に有害になるのですが、その有害になった化合物の一つが『サリン』なのです。それは固体ではなく空気中に溶け込む『有毒ガス』であり目には見えませんが、匂いを持っています。

現在から81年前の昭和13年、第二次世界大戦が起きてしまうちょうど一年前に、あの恐怖の独裁者ヒトラー率いる『ナチスドイツ』によって開発された化学兵器だったのです。ちなみにこの名称は開発した人物の名前の一部を組み合わせて定められました。

しかしヒトラーは

当初はこの化学薬品を兵器として軍事的に使用すると公言していたそうですが、自身もかつて化学薬品、化学兵器に苦しめられ身体のあちこちを負傷した経験があったため、実際に使用するのは乗り気ではなく結局使用せずに、当時同盟を結んでいた日本にも提供されませんでした。

その後次々と米ソを中心とする先進国や戦勝国も抑止力や戒めのような形で、『サリン』が導入され開発されるようになりましたが、事故で死亡してしまう事態があったものの攻撃的に使用されることはありませんでした。実際に使用されたの今回ご紹介している凄惨なテロ事件の5年前の事で、『イラク・イラン戦争』の中で毒ガス攻撃時に用いられました。

人体による影響

体内に少量を吸引してしまっただけで、様々な体調不良や容態悪化が表れ、また簡単に死に追いやるほどの強い毒性を持っており、鼻や口などの呼吸器官だけではなく、なんと放射線の様に皮膚からも体内に侵入してしまうのです。目や視覚に悪影響を及ぼしやすい物質でその他様々な症状に見舞われ、最悪の場合死に至らせます。

そしてこれも放射能に類似していて『後遺症』も極めて深刻なモノなのです。視力に悪影響が出てしまったり、慢性的にそして頻繁に、軽い熱や風などの症状が出てしまうケースもあり、また精神的にもストレス障害や精神疾患を伴う場合もあるのです。更には発がん性があるので数年後にガンで死亡してしまう犠牲者も少なくありませんでした。

地下鉄サリン事件の現場は「戦場のようだった」

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現場となった各駅の周辺やホームでは、数百人、数千人を超える体調不良や容態悪化などの症状が出ていた被害者たちが次々と医療機関に搬送され、また自衛隊や警察、機動隊など各機関や隊員の多くが出動したのです。想像つかないほどのたくさんの救急車、ガスマスクをした隊員たち、響き渡る悲痛な悲鳴や救援活動の声。現場はまさに戦場そのものだったのです。

地下鉄サリン事件の実行犯

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犯行に使われた化学薬品は、もともと世界的に人類や人命の脅威となる化学兵器として知られており、開発や所持していたとしても使用された前例がほとんどなく、それだけ危険なモノであると認知されていたという事実を知っていただけたはずです。そんな化学兵器となる薬品がテロに使用されたのですから、当然世界的にもセンセーショナルを集めたわけです。

さて次に犯人グループの宗教団体のそれぞれのメンバーの簡単なプロフィールや詳細をご紹介していきます。事件ではどんな役割や犯行を及んだのかも合わせてまとめて記述していきます。当たり前ですがご紹介するどの人物も極悪非道で人の道を大きく外れた人間です。私たち日本人だけではなく地球に住む全ての人間は彼らのことを許してはいけないのではないでしょうか。

地下鉄サリン事件の実行犯①林泰男

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現在から62年前の昭和32年の12月に生まれました。出身は凄惨なテロ事件の舞台となった同じ東京都内。宗教団体では上の地位である『幹部』にあたる人物でした。犯行内容は千葉から東京都内の都心部を繋ぐ主要路線の一つである『千代田線』の電車に乗り込み、学生の街で知られている『新御茶ノ水駅』で化学薬品が詰められた容器を開けるなどの犯行に及びました。

他の犯行では科学薬物が詰められた容器は2つ用いられましたが、彼の犯行では3つ用いられ更には乗車する際に既に1つが開封されてあり早い段階から、有害物質が空気中に舞って漂う事態となってしまったのです。

地下鉄サリン事件の実行犯②広瀬健一

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現在から65年前の昭和39年の6月生まれで、出身は凄惨なテロ事件の舞台となった同じ東京都内です。彼も組織内では上層部に位置する『幹部』の一人でした。またこの宗教団体では組織を形成するにあたって、日本政府が用いていた『省庁制』を取り入れており彼は化学技術部門の次官に当る人物でした。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、日本人であれば誰もが聞いたことがあり知っているであろう新宿や東京、銀座や池袋を繋ぎ、また日本の政治に携わる政治家が集まる国会議事堂や霞が関をも繋ぐ、重要な路線である『丸の内線』の荻窪駅行きの電車に乗車して同様の犯行に及びました。

地下鉄サリン事件の実行犯③横山真人

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現在から66年前の昭和38年の5月生まれで、関東圏の神奈川県が出身です。彼もまた組織内では上層部に位置する『幹部』の一人でした。そして彼もまた日本政府が用いていた『省庁制』を取り入れた後は、彼は化学技術部門の次官に配属されていました。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、先ほどご紹介した広瀬が『日比谷線』荻窪駅行きの電車に乗って犯行に及んだのに対して、こちらはその反対路線の『池袋駅』行きの電車に乗って同様の犯行に及びました。準備していた化学薬品が詰められた2つの容器の内1つしか開ける事が出来なかったそうです。

地下鉄サリン事件の実行犯④豊田亨

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現在から61年前の昭和43年の1月生まれで生年月日が123になる人物です。出身は近畿地方に位置する阪神と呼ばれるような兵庫県生まれです。彼もまた組織内では上層部に位置する『幹部』の一人でした。そして彼もまた『省庁制』の化学技術部門の次官の1人として配属されていました。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、別件で逮捕され取り調べで事件や組織の概要や内部事情を明らかにした『林郁夫』が日比谷線の上り電車に当る中目黒駅行きの電車を担当したのに対して、こちらは反対に下り電車の『東武動物公園』行きの電車に乗車して犯行に及びました。

地下鉄サリン事件の実行犯⑤林郁夫

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現在から72年前の昭和22年の1月生まれで、前述した『豊田』と誕生日が一緒で123となっています。組織に入団する前はれっきとした免許を所持した医者であったという過去を持っています。日本政府が用いていた『省庁制』を取り入れた後は、以前の仕事柄の影響もあってか彼は治療部門の『大臣』でした。

今回ご紹介している多くの犠牲者を出し化学兵器が用いられたセンセーショナルなテロ事件では、埼玉県から東京都心を繋ぐ路線『日比谷線』の中目黒駅行きの電車に乗り犯行に及びました。彼が別件の犯罪で身柄を拘束され、取り調べ時に組織や犯行について自供し内容を紙に筆記したことにより全貌が明らかとなりました。

地下鉄サリン事件の運転役と製造役

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実際に一般人や民間人に扮して電車乗車して、車内に有害な毒ガスをばら撒いて罪のない人間を殺傷した、実行犯5人の簡単なプロフィールや組織内の立ち位置や、当時の犯行の様子などをご紹介していきました。どの人物も宗教団体、組織の中では上層部に当る『幹部』であった事が伺えましたが、事件に関与した人物は他にもいたのです。

その人物とは実際に犯行に及ぶ幹部たちを目的の場所、つまりは多くの一般人や民間人が利用する主要路線が走る駅まで送り届け、逃走する際に足となる『運転役』そして今回のセンセーショナルなテロ事件、人類史上2度目に攻撃的な用途で使用された化学兵器及び化学薬品を作り出した『製造役』それぞれの動きや犯行の概要を次に解説していきます。

地下鉄サリン事件の運転役

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実際に一般人や民間人に扮して電車に乗車して、車内に有害な毒ガスをばら撒いて罪のない人間を殺傷した実行犯は5人でしたが、それぞれの人物に対する運転役は1人だったので計5人でした。彼らは実行犯を目的の場所、予め犯行を予定していた路線の駅に送り届けるというポジションを担っていた人物です。当日はある人物を違うメンバーに変更する動きもありました。

事件当日は犯行に及ぶ前に、数名の人物は呑気に飲食店で料理を食べて過ごしていました。その後でお店で変装する際に用いる各アイテムを勝って用意し、実行犯を送るための脚となる車を宗教団体の信者から借りました。犯行後は東京都都内にあるベースに集合したそうです。

地下鉄サリン事件の製造役

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恐らくどんなポジションを担っているか、その名前を見ていただれば一目瞭然ですが、彼らは犯行に用いる化学薬品、ヒトラー率いるナチスドイツが産み出した化学兵器の毒ガス『サリン』を物質を混ぜ合わせたり、組み合わせて作成した張本人なのです。他の化学薬品を生成していたそうです。

メンバーの一人は、組織が関わるある出来事、一件が頭によぎり作成する事を躊躇っていましたが、宗教団体のトップ、犯行の主犯格にあたる『あの人物』の言葉によって製造が促され、完成したモノは純度が100パーセントの科学兵器でなかったのですが、それを使用して犯行に及ぶ事が決定されました。彼らも製造したVXガスに関する記事はこちらです。是非ご覧ください。

地下鉄サリン事件の裁判の行方と現在は?

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これまで今回ご紹介している世界でもすぐに報道されたセンセーショナルなテロ事件に、関与した犯人グループたちそれぞれの人物の簡単なプロフィールや犯行内容についてお話ししていきましたが、気になるのは逮捕され各犯罪者一人一人が裁判に掛けられて、どんな判決結果が言い渡されたかでしょう。

各犯人グループのメンバー、即ち宗教団体の信者及び役柄についているような人物たちがどんな判決となったか次に解説していきます。恐らく結果を知らずとも彼らの非人道的で残虐な犯行内容を知れば、その罪の重さから刑罰も相当なものに値しなくてはならないという事は誰でも容易に伺えるのではないでしょうか?

地下鉄サリン事件の判決と現在①林泰男

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彼は逮捕され裁判に掛けられた際、加入していた宗教自体の教えなのか彼の生きる教訓なのかは分かりませんが、巡り廻るという輪廻、生まれ変わるという転生の事、そしてあの世の裁判官や神として知られているエンマ大王の存在を絶対的に信じていたので、法廷では一切虚偽や嘘はつかずにありのままを話したそうです。

裁判官はそんな彼の態度に『本来は被告人として裁判に掛けられるべき人格者ではなかった』『教えを受ける先生や師を見誤った間違えてしまった』と言及し、さらに『罪のない多くの人間を殺めた凶悪犯には変わりない』とさらに述べると、彼は『その通りです』と静かに認めると『死刑』が言い渡されました。

地下鉄サリン事件の判決と現在②広瀬健一

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彼は裁判では裁判官に宗教団体や個人の目的や思想について問われましたが、それに率直に嘘を付かず答えていきました。最終的には自身はマシンの様に組織のトップである『あの人物』の言いなりになっていた事に気づきましたが、彼もまた『死刑』が言い渡されました。いかに重い罪を犯しているのかは自覚していたそうです。

地下鉄サリン事件の判決と現在③横山真人

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彼は逮捕された後も裁判が執り行われた時も、頑なに口を開こうとはせず、謝罪の言葉や事件の証言についても一切言及しませんでした。しかし最終的な判決で『死刑』が言い渡された後で、涙を浮かべ鼻水を垂らしながら、犯した罪の重さを受け止めて死刑執行を受け入れる姿勢を見せました。彼の人物像は超が付くほど『真面目』で無口だったそうです。

地下鉄サリン事件の判決と現在④豊田亨

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同年に日本で起こした複数のテロ事件を引き起こしており、色々な容疑が掛かっていた彼も当然ながら『死刑』が言い渡されました。裁判官は最期に『勉学に優れ成績優秀、性格や人格も良くても、その事は被害者となってしまった人物にも言える事である』と彼の死刑判決について言及しています。

地下鉄サリン事件の判決と現在⑤林郁夫

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