平岡都さんは島根女子大学生バラバラ事件の被害者
平岡都さんが主人公なのですが、残念ながら、すでにこの世にはいません。これから話す残酷で悲痛な出来事は、島根県女子学生殺人事件と名付けられています。なぜ被害者である彼女に焦点を当てたのか気になりますよね。
事件の犯人がわかった瞬間に、焦点は犯人へ移り、被害者の情報はそれほど世間に流されなくなります。被害者の人権もあり、被害者の遺族に対する配慮が考えられます。しかし、被害者から見た時に、この事件はどう映るのでしょうか。
広島県の臥竜山山中で若い女性の頭部が発見された
最初に彼女の遺体が発見されたのは、2009年11月6日のことでした。見つけてくれたのは、山にきのこ狩りに来ていた男性で、女性の頭が落ち葉の上に落ちているのに驚きます。逃げ出したい気持ちをおさえ、警察に通報しました。気になる場所は広島県北広島町の臥龍山(がりゅうざん)の山中です。
「平岡都(ひらおかみやこ)」が警察から発表した氏名、19歳の若さでした。遺体の損傷ははげしく、動物が食いちぎられた後も見受けられました。頭しかない状況とあわせて、人間のしたこととは考えにくく、猟奇殺人として捜査方針は決定、事件も同様に樹海の中に入っていくのです。
犯人の矢野富栄は事故死により不起訴処分になった
この事件の終わりは、世間を驚かせました。7年間も未解決だった事件に、いきなりの犯人判明のニュース。さらに、驚いたのはすでに犯人は事故死していたのです。真相に気付いたきっかけは、性犯罪の前科を洗い出した結果でした。
解決したことを喜べないのは、被害者遺族の悲しみと怒りのやり場がどこにもないことに気付いていたからでしょう。報道された名前は「矢野富栄(やのよしはる)」事故死により、不起訴処分になったことも報じられました。当時33歳と、彼女とは歳が離れていることも話題になりました。
平岡都さんはどんな女性だったのか?
平岡都さんは、一体どんな女性だったのでしょう。分かっている彼女の情報は身長が小柄な147cm、髪はセミロングで少し茶色がかっていました。大まかな彼女の外見でしたが、性格などはどうだったの気になります。当時の捜査で分かった彼女の人物像を見てみましょう。
平岡都さんは海外留学の希望を抱いていた
彼女は香川県の出身で、高松商業高校を卒業しています。その後、島根県立大総合政策学部に入学しました。真っ直ぐな彼女はまじめで、成績も良かったと言われています。彼女の将来の夢は、海外留学を経て英語を活かした職業に就くことでした。なぜ、海外留学をしてまで、英語に興味があったのでしょう。
平岡都さんはボランティア精神のある優しい性格だった
実は、彼女はボランティアにすごく興味を持っていました。発展途上国の飢餓を手助けするボランティアサークルに所属し、動物愛護にも興味を持ちます。ボランテイアの興味範囲は広く、優しい性格だったようです。興味があってもなかなか行動には移すのが難しいところです。
しかし、彼女はしっかりとサークルに入り目的を持っていました。失踪する6時間前に、捨て犬を一時的に保護するボランティアに問い合わせの電話をかけていることが、警察の調べで分かっています。何か、気になる点でもあったのでしょう。
平岡都さんは明るい性格・特定の交際相手はいなかった
明るい性格で周囲の人達から親しまれた彼女の交友関係は、浅く深くといった表現がぴったりです。大学関係やボランティアサークル、バイト先の人間だけで、広くは交友関係を広げていません。メールや電話でのやり取りも、同世代の人たちに比べると少なかったそうです。19歳ですが、事件当時は特定の相手もいなかったと報道されています。
平岡都さんの性格には心配の声も
彼女の性格はどうだったのでしょうか。彼女は、裏表のないはっきりした発言が出来ることです。しかし、残念ながら女性は同じ意見を求める人も多く、彼女の周りはサバサバした性格の男性のほうが多かったと言います。
中には、はっきり言葉を言われると、過剰に受け取る人もいる為、どこかで反感をかわないか、ヒヤヒヤしたとの証言も得られました。小柄な女性だけに言われた男性のショックは大きいかもしれません。もしかしたら矢野とのやり取りの中で、彼女の性格が災いした可能性も考えられます。
平岡都さんが被害にあった島根女子大学生バラバラ殺人事件の概要
彼女が被害者となった、事件について見ていきましょう。報道もされ、知っている人もいますが、あまりに残酷で悲惨な出来事です。どうしてこの様な出来事に発展したのか未だ謎のままで、なんともすっきりしない幕引きでした。
2009年10月平岡都さんが行方不明となる
2009年10月26日、通常通りバイト先であるアイスクリーム店で仕事をしています。バイト後の21時に退勤した姿を最後に、彼女の居場所は分からなくなりました。彼女は、バイト先から住んでいる学生寮まで徒歩で通勤しており、距離にして2.3キロと言われています。
最後のごみ捨てを担当しており、通常はごみを所定の場所に捨てて帰宅となります。ごみ袋も発見されておらず、アイスクリーム店が入っていたショッピングセンターで、何か事件に巻き込まれたと推測されます。2日後に両親が警察へ捜索願を提出しました。
事件発生翌月、臥龍山で平岡都さんの頭部発見
翌月の11月にきのこ狩りに来た男性に発見されます。遺体の髪の毛でセミロングであることが判明し、DNA鑑定が行われ、彼女と確認がとれました。首には切断した痕跡があり、人為的な殺人事件として捜査は始まりました。また、顔に踏みつけられた痕もあり、次の犠牲者が出ることを懸念して、約31万人の警察官が動員されています。
平岡都さんの遺体は損壊され、悲惨な姿だった
その後、雑木林から左足の腿の付け根から膝まである骨(左大腿骨)の一部が骨のみ発見されます。続いて両手、両足のない胴体、左足首、動物の排泄物から彼女の爪が発見次々発見されました。発見したものは、全て普通の人間では直視出来ない状況だったと関係者は語っています。
わざわざ骨だけの状態に削ぎ落とした左大腿骨、胴体は胸部を抉られ内蔵のほとんどが取り出した状態で焼かれた痕もみつかりました。狂気と言わざる犯行だったと言えます。また、性別がわからないほど性器が切り刻まれているのも特徴的です。一説では、犯人は遺体を食べたのではないかとの憶測も飛び交いました。
平岡都さんの事件の捜査進展はなく特別奨励金制度を適用した
あまりに残忍な殺害方法から、異例の早さで警察は特別奨励金制度を取り入れました。簡単に説明すると、事件解決に向けての有力な手がかりを与えてくれた人に、奨励金が支払われる仕組みです。有効なものから、お金欲しさに信ぴょう性の無いものまで集まります。それを切り分け捜査するのも大変な作業だったことでしょう。
しかし、進展はなく、死体遺棄事件そのものは3年経ち、時効を迎え起訴ができなくなりました。そこで警察は捜査を諦めませんでした。公訴時効の期限を設けていない殺人事件に切り替えて続行したのです。
平岡都さんの殺害事件は7年間の未解決事件であったが急展開
事件が進展を見せたのは、なんと7年後の事でした。2016年12月、警察の発表によると被疑者が特定できたとし、今まで名前の上がってこなかった「矢野富栄」が一気に世間に知れ渡りました。最初は何を元に特定できたのか、発表を控えていた警察でしたが、性犯罪の前歴を洗い直した時に浮上し、結果に至ったことを明かしています。
矢野は2004年に、性犯罪で実刑を3年6ヵ月受けています。3つのわいせつ事件で関わったとは言え、初犯で実刑になるのは稀なことです。かなり悪質な犯行を推測されます。また、犯人の名が判ったにもかかわらず、なんとも世間がすんなり結果を受け入れない原因があったのです。
平岡都さんを殺害した矢野富栄は事件2日後に交通事故死していた
事件の被疑者は、彼女の頭部発見から2日後に交通事故で死亡していました。当時の被疑者の矢野は定職に就いており、遺体の頭部発見がニュースに流れてから、会社に2日間の休暇を申し入れたことが分かっています。また、事故は父親の墓参りの帰りで、一緒に車に載っていた母親も亡くなっています。
矢野富栄の実家で決定的な証拠が見つかった
矢野の犯行の決め手になったのは、実家から押収されたUSBメモリとデジタルカメラでした。情報は消去されていましたが、警察が復元したところ、平岡都さんの遺体と遺体を損壊していく写真57枚が見つかりました。
矢野の自宅の風呂場と写真の風呂場が一致したこと、更に遺体を捨てた現場近くのNシステムに矢野の車が写っていたことも、決定打となりました。更に調べをすすめると、Nシステムに写らないように裏道を走る不審な動きも特定できたとされています。
矢野富栄死亡で不起訴処分となった
2017年の1月31日に被疑者を、殺人、死体損壊、死体遺棄罪で地方検察庁に送検しますが、被疑者死亡のため不起訴となり事件は幕を閉じました。被疑者が死亡している場合、必ず不起訴になるのはご存知ですか?なぜ、送検をするのでしょう。警察には、事件を処理する権限がないため、裁判を起こすかどうかは検察の判断になります。
たとえ、不起訴になったとしても、きちんと適切な捜査がなされているのかをチェックする役割も担っています。しかし、あまりに残忍なやり口と、被疑者の動機も不明なため、世間では複数犯の可能性や警察の隠蔽説は後を絶ちません。
平岡都さんは犯人と顔見知りだったのか?
平岡さんと矢野富栄の接点は、果たしてあるのでしょうか。歳も違えば、住まいも少し離れている二人です。顔見知りである可能性といえば、ショッピングモールでバイトをしている彼女を見かけたくらいでしょう。まるで設定のない二人に関係性はあるのでしょうか。
平岡都さんは失踪時、騒ぎはなかったとの声
初動捜査の段階で一番に重視したのが失踪場所です。バイト先のショッピングモールの防犯カメラには、しっかりとボーダーのワンピースを着る彼女が写っています。帰り道に通る、コンビニの3件の防犯カメラには彼女の姿は確認できませんでした。そこから、バイト先から自宅近くのコンビニまでの間でトラブルがあったと推測し捜査が進みました。
平岡都さんは慎重な性格だった
彼女がショッピングモールから出たのは閉店時間の21時頃、一番混雑する時間帯のため、目撃者や不審な騒ぎがなかったか調べるも、その様な様子は見られなかったそうです。一緒に仕事を終えた仕事場の人も一緒に帰ることはなく、最後のごみ捨て作業のごみと一緒に彼女は、忽然と姿を消しました。
数分後に出た従業員に話を聞いても「騒ぎはなかった」と情報は得ることはできませんでした。彼女の性格から、知らない人についていく可能性が少ないとされ、知り合いの可能性が高いと考えられました。今でも彼女と矢野の接点は明らかになっていません。
平岡都さんの事件の解決になぜ7年もかかったのか?
事件解決で、なぜ7年も年月を要したのか、誰もが気になる所です。拍子抜けのように、急展開から被疑者特定まではすごい速さで進みました。7年の歳月があったからこそ出来たことも、もちろんあります。しかし、新しい証拠が出てきたわけではなく、視点を変えれば矢野富栄に当時でも結びつく可能性は、いくらでもあったのです。
犯人が住んでいるのが他県だったため?
捜査が矢野まで手が及ばなかった理由に、他県だったからと言う説があります。警察には管轄があり、場所や地域が違うと捜査が出遅れたり、連携が取れないことがあります。島根県ではなく山口県に在住していた矢野の名前が上がらなかったのは、そうした警察内部の情報のやり取りの問題を指摘する声もあがりました。
事件直後のタクシー運転手の証言をうやむやにしてしまったため?
実は、事件直後にタクシー運転手が、犯人を目撃し30代の男性と証言しています。しかし、唯一の証言もうやむやにされてしまったのです。当時は、稀に見ない猟奇殺人の捜査で目撃証言は確定的なものはなかったものの、たくさんの情報が集められたと推測されます。
その中で、タクシー運転手は一定の場所に必ずいるわけではないことが考えられたのでしょう。また、たくさんの人と接する職業から、運転手の記憶力にどれだけの信ぴょう性があるのか、判断出来なかったことも要因の一つかもしれません。
平岡都さんの遺留品が見つかるのに時間がかかりすぎた?
未だにすべての遺留品が揃っているわけではありません。当時、胴体に着せられていた衣服も彼女のものではないとされています。また、見つかっていない遺体箇所もまだまだ多い状態です。遺体がどんどん発見されることで捜査は進むと、誰もが考えました。