【宅間守】付属池田小事件の犯人はサイコパス?生い立ちなどを徹底解説!

宅間守とは8名の児童が殺害された附属池田小事件の犯人です。すでに死刑が執行されていますが、最後まで反省の色を見せませんでした。暴力的な父、育児放棄気味の母に育てられ、凶悪な事件を起こした宅間守の生い立ちや精神状況について徹底解説します。

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初めまして。皆様の関心と興味を引き付ける記事をたくさん書いていきます!
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宅間守とは

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皆さんはこの人物についご存知でしょうか?この人物は現在から18年前の平成13年に起きてしまった、非常に凄惨でセンセーショナルな悲劇となってしまった附属池田小事件の犯人なのです。日本人の中でトップクラスに入るくらい凶悪犯、殺人鬼と認知されています。

勿論そのセンセーショナルな事件も注目され現在でも、多くの幼気な少年少女が犠牲者となってしまったその痛ましい被害や犯行の惨さが話題となりますが、犯人である殺人鬼のプロフィールやおいたち、人格や人柄についてもクローズアップされ日本人の関心を集めているのです。今回はその犯人がどんな人物であるか徹底的にご紹介していきます。

宅間守の起こした「附属池田小事件」とは

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まず彼が起こした世間を震撼させたセンセーショナルな事件について、その概要や詳細を解説していきます。彼の名前が凶悪犯、殺人鬼として知れ渡ってしまったのは紛れもなく、凄惨で残虐な犯行に及んで痛ましい悲劇を引き起こした張本人だからなのです。

果たしてどんな凄惨な事件でいつ発生してしまったのか?また犠牲者となってしまったのはどんな人物でどれくらいの犠牲者を生んでしまったのか?逮捕時に言い放った驚愕のセリフについてもそれぞれまとめて記述していきます。

宅間守の起こした事件①2001年附属池田小事件発生

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今から18年前の平成13年の6月のある日の午前10時ごろ、男は少し奇抜な恰好で悲劇が起きた舞台となる学校に忍び寄り侵入しました。数名の教員や職員とすれ違ったそうですが、PTAや保護者だと勘違いを起こしたので特に誰も気をかけなかったそうです。そして彼は後者の最東端に位置する2学年のクラスルームにおもむろに入室しました。

幼気で純粋無垢な少年少女たちは男を見ると、鋭い刃物を持っていたので給食スタッフと初めは思ったそうですが、直ぐに違うと察知して担任も『逃げろ』と言い放つと、すぐさまパニックになり一斉に少年少女たちはクラスルームから飛び出しました。慌てて大勢が飛び出したためかつまづき転倒してしまった子もいたのです。

惨劇が起きた

転んでしまった子、逃げ遅れた子たちに対して、男は容赦なく所持していた鋭い刃物を向けて切り刻んだのです。担任も椅子を投げるなどで抵抗しましたが、男は次に隣の西に位置する2学年のクラスルームに駆け寄り入室したのです。そこでも担任は逃げる様に指示した後、自身もクラスルームを飛び出し、逃げ遅れ残った少年少女たちは男に襲われてしまったのです。

更に男は次に南に位置する2学年のクラスルームに侵入しました。ここではなんと既に授業が終了していて担任が不在していたのです。その担任は外で花に水やりをしていましたが、クラスルームにいた少年少女は男に襲われてしまったのです。悲鳴や叫び声が響き渡ったのか職員2名が駆け寄り、男の犯行を阻止すべく格闘しますが、激しく抵抗されその教員1人が刃物によって負傷してしまいます。

ようやく身柄を拘束

2名の教員が犯行を阻止すべく格闘しましたが、男の暴走や犯行は止まらず次に1学年のクラスルームに入室しました、そのクラスルームで花に水やりをしていた担任が男に切り付けられながらも必死に抑えつけようとして、そこに加勢する形で副校長も協力してようやく身柄を拘束して、男の犯行と悲劇に終止符が打たれる事になりました。

今回の記事では事件を引き起こした犯人、死刑囚となり現在は他界している『宅間』にスポットを当ててテーマにしています。こちらでご紹介している事件に関してより詳しい情報や詳細を知りたい方は、時系列ごとにより事細かに記述され、問題視された学校や教員の対応についても深く解説している、こちらの記事も合わせてご覧ください。

宅間守の起こした事件②8名の児童が亡くなった

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男が初めの2学年の最東端に位置するクラスルームでの犯行から、最後に身柄を取り押さえるまでに僅か10分程度の事でしたが、多くの幼気な少年少女たちが殺傷され傷つけられてしまったのです。この凄惨な事件、男の残虐な犯行により8名の幼気な児童の命が奪われてしまいました。

また取り押さえようとした教員や担任2名も負傷し、他10名程度の少年少女たちも怪我を負い被害者となってしまったのです。またあまりに痛々しい凄惨な光景を、1人の男が興奮状態で次々とクラスメイトや同級生たちを斬りつける様子を目の当たりにした他の児童たちも心に大きな怪我や疾患を負い、深い爪痕を残したのです。

宅間守の起こした事件③児童殺害後「しんど。」と発言。現行犯逮捕

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男は約10分間の間、侵入した学校の校舎内の各クラスルームに入室して、幼気な少年少女たちを所持していた刃物で殺傷して教員2名に取り押さえられましたが、この時自らその所持していた刃物を手放したそうです。

更に男は警察により現行犯逮捕された直後、捨て台詞を吐くように『しんどっ!』と発言したそうです。自身が犯した罪の大きさを自覚していないことが伺えます。多くの幼気な少年少女たちをその手で傷つけた直後に言える言葉でしょうか?どんな心境だった常人にはとても理解できないでしょう。

宅間守の逮捕後の様子とは

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先ほどの見出しでは彼が引き起こした凄惨なセンセーショナルな無差別殺傷事件の詳細や概要、取り押さえられ現行犯逮捕される様子について解説していきました。幼気な少年少女たちを狙った残虐で卑劣な犯行だけではなく、警察に連行される瞬間に言い放った『しんど』という発言からも、人格や人柄の異常性が垣間見れたはずです。

そんな彼の人格や人柄の異常性がは、上記の様子だけではなく生い立ちや経歴などの過去を遡ってみても、また逮捕された後も見受けられたのです。ここではまずは逮捕された後のエピソードや言動について解説していきます。彼は逮捕された後も一切反省する事なく、謝罪の意を見せず驚くべき行動を繰り返したのです。

宅間守は逮捕後、異常な行動をくり返す

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彼は逮捕された後、まるで精神異常者、精神疾患者のように異常な行動を繰り返しました。裁判が行われた時には、彼の犯行により我が子の命を奪われてしまった親族、被害者となった児童の親族に対して、煽ったり挑発するような暴言を言い放ちました。

また自身が侵入して犯行に及び、事件の現場となってしまった小学校を何故か全く別の駅での犯行と偽り、部屋の硬い壁面に頭を何度も打ち付けて自傷行為に走るなどしていました。誰が見ても精神や人格に異常があるような言動を度々とったのです。

宅間守が異常な行動をとったのは罪から逃れるための演技

実は彼がこうした常人や健常者ではしない様な、異常な行動、奇行に走ったのは彼の精神や人格に疾患や異常があったからではなかったのです。彼はこのように異常な行動や奇行に走れば、精神疾患と診断されて責任能力を問われず、つまりは犯した罪から逃れられると考え、演技をして『精神異常者』に扮していたのです。

宅間守は犯行を認め涙を流したが、嘘をつき通せなかった悔しさから

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警察は彼に何度も問い詰めると、いよいよ彼は自身が侵した罪の大きさや犯行を認めました。その瞬間彼は涙を流しました。当然罪の意識や取り返しのつかない過ちをしてしまった後悔の念や、自身の手で殺めた者、傷つけてしまった被害者たちに謝罪の意から涙を流すのが普通です。

しかし彼は全然違った理由から涙を流したのです。それは異常な行動や奇行に走り、演技で精神異常者のフリを最後までつき通せなかった悔しさからだったそうです。涙を流すポイントすらも常軌を逸しており、彼はこれまでに例を見ない異常な犯罪者、殺人鬼であることが伺えます。

宅間守の裁判の様子と判決

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凄惨な犯行に及び逮捕された後、警察により取り調べを受けている際にも、彼の人格や考え方の異常性が垣間見れたわけですが、罪状が確定され、当事者たちが供述して刑事処罰が下される裁判が行われている際の様子も異常な行動や奇行に走ったのです。

次にサイコパスな殺人鬼である彼の裁判時の異様な言動の数々や様子、そして判決結果について解説していきます。果たしてどんな言動を見せたのか?またどんな判決結果となったのか?また今のところ彼は一切反省の意や謝罪の気持ちを述べておりませんが、改心して反省や謝罪の様子を見せるのでしょうか?

宅間守の裁判の様子①反省の様子を見せたのは初公判のみ

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初めて行われた裁判では『命をもって償う』と供述しており反省の意を示しましたが、以後の裁判では一切謝罪の意や反省の様子を見せなかったのです。そればかりか自身が奪ったまだ幼く輝かしい未来が待っていただろう少年少女の命に対して、軽はずみな気持ちや軽率な態度が見受けられる言動を繰り返して遺族たちや関係者たちを逆上させ激昂させたのです。

宅間守の裁判の様子②「下関事件の模擬犯になりたかった。」

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彼はさらにこのように初めて行われた裁判で供述していますが、この『下関事件』にはいくつか候補があり、下関と名の付く地でセンセーショナルな事件が数件発生しているのです。彼が発言していたものに該当するのは下関駅で発生した、無差別殺傷即ち通り魔事件の事です。

ではそれはどんな事件でいつ起きたのか、犯行や動機はどういったものだったのか、概要や詳細を簡単にまとめて解説していきます。どのあたりが模倣されたのか考えながら読んでみていただくと良いのではないでしょうか。

下関通り魔殺人事件

犯人は優秀な大学に進学して国家資格の一つを所得して、自身が経営する企業を起こしましたが直ぐに潰れてしまい、更にはトラックを購入して運送業を始めるもののこちらもトラックが廃車となってしまったそうです。

こうした上手くいかない人生、身に降りかかる災難を社会や家族のせいだと考え、無差別殺傷を引き起こそうと計画しました。現在から20年前の平成11に犯行に及び、レンタルした車で数名を意図的に轢き、その後車から降りて駅内に侵入して刃物を一般人に振りかざしました。これにより5人の罪のない人間の命を奪い、他10名を重軽傷を負わせました。

宅間守の裁判の様子③裁判中は被害者や遺族への暴言が続いた

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前述でもお話しさせていただきましたが、彼が反省の様子や謝罪の意を表したのは初めての裁判の証言の際だけであり、それ以降の裁判では自身の手で殺めた幼気な少年少女たち、心と身体に怪我を負わせた犠牲者、そしてその遺族たちに対して煽ったり挑発するように暴言を吐いたり、ふざけた態度を見せたのです。

その暴言や行動は、他人の命を軽んじる考えやこの世の中や社会をどうでもよいと考えている、反社会性な人格が伺えるのです。健常者には到底理解できず常軌を逸した思想や精神を持っている彼も、世間からセンセーショナルに扱われ注目されたのです。問題発言を幾つも残していますが、どんな発言をしたか心情を考察しながら次にご紹介していきます。

宅間守の発言①面白くない裁判にきてアホなやつら

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この発言からも反省の色や謝罪の態度が一切見れず、厳正なる裁判を面白くないと幼稚な発言をしているのですが、恐らく裁判そのもの自体が馬鹿馬鹿しいと思っているだけではなく、どうせ極刑にあたる『死刑』が確定しているのに、という気持ちが表れているのです。

更に心や体を無残に傷つけられた幼気な少年少女たち、そして遺族たちの事を『アホなやつら』と呼んでいるのです。当事者ではない私たちが聞いても、なめくさっている態度であると感じますが、被害者や遺族たちはそんな風に言われたら、想像できないくらい腹正しく怒りを感じた事でしょう。現に逆上して激昂してしまった人もいるくらいなのです。

宅間守の発言②死刑にしてくれてありがとう

このように発言していますが、これはまだ最終的な判決が言い渡される前にそう言い放っており、自身もこの時死刑が免れない事を把握しており、更に余裕な態度を示しているのです。彼は犯行前から最終的に死刑になって死んでもいいと考えており、できるだけ多くの罪のない人間の命を奪おう、多くの人間を傷つけようとしていたのです。

そして死刑という判決に対して感謝の意を示しているのです。自分は常人とは違って死など怖くはないとアピールしている様にも見えますし、自分の死を待ち望んでいるかのように捉えれます。彼とういう人物、人格は私たちの測りではとても測りきれないほど常軌を逸していたのでしょう。

宅間守の発言③(子供たちに対して)死んでくれてありがとう

彼はこの世を断つことを死ぬことに対して、憧れや希望している考えを持っていて、自身の手で殺めて命を奪った幼気な少年少女たちのおかげで死刑が執行されると考えたのです。つまり望み通り死刑判決が言い渡されるようになったのは殺めた亡き尊い少年少女たちのおかげだから、感謝の意を述べているということなのです。

もし自分の大切な人の命を奪った残虐な犯人、殺人鬼からこんな風な発言を実際に聞いたらどうでしょうか?きっと黙っていられず逆上して怒りが収まらないはずです。実際に裁判に出席した遺族たちの心情は怒りが収まらず憎悪すら覚えたのではないでしょうか。

宅間守の発言④ぶすぶす事件は面白い!

『ぶす』とは不細工や顔が整っていない人物に対しての悪口ではなく、鋭い刃物で人間の柔らかい皮膚や身体を貫くときの擬音の事であり、彼は多くの幼気な少年少女たちを刃物で突き刺していたのでぶすぶすと表現しており、更には面白いと非人道的な感性を顕わにしたのです。

彼は更にもし宝くじが当たってお金持ち、裕福になっていたとしたら今回のセンセーショナルな事件は起こしていないと、『ぶすぶす事件』と表現して発言したそうです。どこまでも人の道を多く外れた人格者であることが見受けられます。

宅間守の発言⑤あの世でも子供を追いかけ回してしばいたる!

彼は望み通り死刑が執行されこの世を他界した後、あの世でも幼気な少年少女たちを傷つけて回ると発言しているのです。反省の色が一切見受けられないのも勿論ですが、他者に対して一切関心がなくどうとも思ってないないサイコパスな精神を持っている片鱗を見せているのです。

犯した罪の大きさ、反省する様子や謝罪の態度が一切ない彼が、あの世に行ったとしてもエンマ大王様によって地獄に連れて行かれるのではないでしょうか?そんな空想の話はさておき、この世界に二度と彼のような残虐で卑劣な人間が生まれない事を祈るばかりです。

宅間守の判決は「死刑」

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彼の残虐性な犯行や罪の大きさ、8人もの幼気な少年少女たちの命を奪い、一切反省の色がなく謝罪もない態度も見せ、世間や周りの予想通り極刑にあたる『死刑判決』が言い渡されました。しかしこの判決は死を望んでいた彼の思惑通りという結果になってしまったのです。

残虐性の高い犯行に及んだサイコパスと言える彼の命をもってしても、犠牲者や遺族たちの悲しみや苦しみ、やり場のない怒りは晴れる事はないのでしょう。後述でも解説いたしますが死刑が執行されるまで一度も反省の意や謝罪の言葉はありませんでした。

宅間守の死刑判決から死刑執行まで

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実際に裁判で死刑判決が言い渡され、『死刑囚』となり刑務所に収容されたあと執行されるのは数年後の事になるのですが、サイコパスで異端な人格者を有する『宅間』死刑囚の場合は違いました。なんと彼は裁判で最終的な判決が言い渡され死刑囚となってから1年という短い時間を過ごして、死刑が執り行われこの世を去っているのです。

果たしてなぜ死刑執行が早くなったのか?また彼は死刑判決が言い渡されたあとどんな様子だったのでしょうか?そしてどんな言動をしたのでしょうか?次に死刑囚となった彼にスポットを当てて解説していきます。

宅間守の死刑までの様子①弁護士に宛てた手紙にも反省の色はなし

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死刑囚となった彼は担当する弁護人に手紙を宛てました。普通は事件を引き起こしてしまったこと、自身の罪の意識や犯行に及び人の命を奪ってしまった後悔の念や謝罪の気持ちが綴られるのですが、彼はやはり普通ではなかったのです。そこには『お金』の事や『私利私欲』の事しか書いていませんでした。

『シャバならばお金が無くても盗めば何でもできるが刑務所ではできない。』『少しでも充実した刑務所生活が送りたい。』『暇なので雑誌などを購入したい。お金があれば美味しいモノが食べれる。』など死刑囚であれば、普通は頭によぎらないであろう自分の私利私欲の事についてしか綴られていなかったのです。

更に再犯を示す内容も

更には自身が逮捕され身柄が拘束されるまえに、自宅に残していた『宝くじ』が当選しているかどうかの事を気にする内容。また『ぶすぶす』と刃物で将来輝かしい未来を送るであろう子供たちの命を奪いたいと死刑囚となった状況でもそのように殺人を犯したいという、重いのふちを明かして手紙に綴っているのです。

宅間守の死刑までの様子②事件見分では「申し訳ない」と手を合わせた

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反省の意や謝罪の言葉が全く見受けられなかった死刑囚ですが、初めて執り行われた裁判では『命をもって償う』と反省の意や謝罪の様子が伺え、また証拠や事件、犯行などを調べる事件見分では『申し訳な』と手を合わせたのです。本心はどのように考えていたか分かりませんが、少しは謝罪や反省をしていたのでしょうか?

宅間守は死刑を早めなければ国を訴えるつもりでいた?

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死刑囚となった彼は担当する弁護士を通して、法律上の規則を駆使して死刑執行を判決から半年以内に執り行うという要求をしましたが、更にもし望み通り半年以内に執行されないのであれば、当時の法務省のトップつまりは国務大臣をいくつかの罪で訴えるという意向を示したのです。

結局望み通りに早期に死刑が執行されこの世から去ることになりました。後日談になりますが担当した弁護士によると本当に国を訴えるつもりはなかったと供述しています。なぜそこまで『死』に執着していたのでしょうか?大多数の世論としては、罪のない幼気な少年少女たちを巻き込まず自分だけで死んでほしいという意見であります。

宅間守は死刑の際、妻にのみ感謝の言葉を送っていた

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恐らく死刑囚になっても彼は獄中の中で、所持していたお金を使ってそれなりに美味しいモノを食べて、望み撮りに雑誌などを読んで表現に語弊があるかもしれませんが有意義に過ごしていたと考えられます。

彼は死刑が執行される直前には煙草を吸って、またジュースを口にしています。そして最後の瞬間には当時の内縁の奥さんに対して『ありがとう』と刑務官を通して伝えられていました。結局生前の彼からは引き起こした事件や被害者、遺族に対しての反省や謝罪の気持ちは述べられず、そんな態度も一切見せなかったのです。

宅間守の事件の動機とは?

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こうして多くの幼気な少年少女たちの心と身体を傷つけて、尊い命まで奪った殺人鬼は死刑囚となり自身の望み撮りに早期に死刑が執り行われこの世から去っていったわけですが、果たして彼はなぜ幼気な少年少女たちを狙ったのでしょうか?なぜ残虐性の高い犯行に及び凄惨な事件を引き起こしたのでしょうか?次に気になる彼の動機について解説していきます。

宅間守の動機①高学歴・高収入への強烈なコンプレックス

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彼は少年時代からお金持ちというよりも、地位や権力に強い憧れを抱いており、小学生ながらにしてエリートな将来を見据えて、優秀な中学校に進学する事を希望していたり自衛隊に憧れを持っていました。自身の目標や夢が叶わなかった為、エリートや富豪たちに強い妬みやコンプレックスを抱えていたのです。

宅間守の動機②自殺の道連れにしたかった

ここまで読んでいただければ、理解して頂いているはずですが、彼は死にたいとこの世を断ちたいとう願望があったのです。更に彼はどうせ一人で死ぬならだれかを道連れにしたいと身勝手な欲求があったのです。また彼の口から道連れとなる人間は多ければ多いほうが良いと述べています。

残虐性の高い犯行に及び凄惨な事件を引き起こした一つの動機として『自殺の道連れにしたかった』という理由があったのです。世間や被害者、その遺族の多くの意見として勝手に一人で死んでほしいと考えるのも頷けるのではないでしょうか?

宅間守の動機③別れた妻に後悔させるため

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更に身勝手で腹立たしい動機がありました。それは彼は別れたつまりは離婚した妻に後悔させるためにという理由です。殺人鬼となり大きな罪を犯した自分と以前内縁の関係を持っていた事を後悔させるためなのか、関係のない他人の命を奪う犯行に及び事件を引き起こしたのは別れた事、離婚が原因であると戒めるためなのかは分かっておりません。

どちらにせよ非常に身勝手な動機であり、そんな理由で幼気な少年少女たちの命を奪うなどあり得ないですし甚だ遺憾なのです。ちなみに『別れた妻』とは複数の人物が該当して、実は離婚再婚を繰り返していました。この事に関しては後述にて詳しく解説していきます。

宅間守の動機④自分の苦しみを多くの人に味わわせるため

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また彼は自身の『苦しみ』を同じように他の人たちに味合わせようと考えていたと供述しており、これも動機の一つなのです。その苦しみとはどういった物なのか詳しく語られることはありませんが、この後解説する彼の生い立ちや経歴などを理解すれば、少しどういった物か察する事ができるのではないでしょうか?

いずれにしても彼は自分以外の全ての人間や物、社会に対して強く憎悪の気持ちを抱いていたのでしょう。そんな妬みや憎しみの感情から、自身の身勝手な欲求から残虐性の高い犯行に及び凄惨な事件を引き起こしたのです。

犯行を決意した時はいつだったのか?きっかけは?

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非常に身勝手な動機から残虐な犯行に及び、痛々しい凄惨な事件を引き起こしたわけですが、彼が小学校に侵入して自らの手で幼気な少年少女たちの命を奪おうと計画した瞬間、即ち犯行を決意した時は一体いつの事だったのでしょうか?また何かきっかけがあったのでしょうか?

きっかけとなったかもしれない出来事?

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後述で詳しく解説しますが、かつての彼の内縁の3番目の妻と離婚して別れた後も、一方的に因縁をつけて未練がましく付きまとって、トラブルや金銭を巡っての裁判を起こしていたのです。そして残虐な犯行に及び凄惨な事件を引き起こす前日、彼は3番目の妻とよりを戻したい一心で、担当の弁護士に離婚を取り消すための訴訟に関する電話をしていたのです。

事件前日の晩に決意した

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そして事件前日の夜に彼はこれまでの人生や過去をふと振り返りました。自分が抱える多額の負債や、色々な災難や不幸に見舞われていたことを思い返し、全部別れた3番目の妻や社会のせいだと責任転嫁して考え初め、どうしたらこの社会とかつて内縁の関係であった3番目の妻に復讐できるか考えたのです。

更に彼はそのころ度々死のうと考えており、自殺未遂に及んだこともあったのです。そこで彼はどうせ死ぬならずっと妬みや僻みを持って強い劣等感を抱いていた、優等生やエリートを一緒に道連れにしようと考え犯行を計画し決意したのです。それは事件が起きる前日の晩の事だったのです。

宅間守の生い立ちと家庭環境

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ますます彼という凶悪犯、殺人鬼の人格が想像の遥か上を行く非人道的なサイコパスであり常軌を逸していると感じたのではないでしょうか?どうしてそんな人格者、人物が生まれてしまったのかとても気になるはずです。

多くの猟奇的殺人鬼やサイコパスは生まれながらにして、精神異常者や非人道的な思考を持っていたわけではないのです。成長して大人になる過程であらゆるエピソードや体験によって徐々に人格や性格が歪んでいくのです。彼の過去もまた同様に『一般的』ではなかったのです。次に彼の生い立ちや劣悪な家庭環境について深くご紹介していきます。

宅間守の生い立ち①母親は生まれる前から危険を感じていた?

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彼の母親はお腹にその子を宿した時つまりは妊婦の時に『絶対アカン。堕ろしたい』と発言していたそうです。母親はどういうわけかまだ生まれる前から危険や不吉を呼ぶ子と察知していたのかもしれません。またこの発言からは母親として生まれてくる我が子を面倒を見たくない。育てたくない。と親として十分子に対して愛していなかったという事も伺えるのです。

どんなに危険や不吉な予感がしたとしても堕ろしたいとまで考えが至ることはおかしいでしょう。自分の子供であれば責任をもって、精一杯愛して一生懸命に育てて面倒を見るべきなのではないでしょうか?ちなみに彼が生まれたのは現在から56年前の昭和38年の11月です。

宅間守の生い立ち②母親はネグレクト気味

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上記の内容からもどんな母親だったかある程度伺えるはずですが、彼に対して育児放棄や適切な教育や養育を行っていなかったのです。育児や養育の実態についてはあまり語られておりませんが、やはり母親が『ネグレクト』であると、精神に異常をきたし人格を歪ませるなど、その人物の性格や人格に大きく悪影響を与えるのです。

宅間守の生い立ち③武士の家系を誇る父は暴力的だった

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母親にかなり問題があった事が分かっていただけたのではないでしょうか。なんと問題があったのは母親だけではありませんでした。一方の父親に関しても物心がつかない幼少期のころから、彼に対して現代じゃ虐待に当るくらいの教育を行ったそうです。具体的には強く怒鳴りつけて叱ったり、何か悪さや間違った行いをすれば容赦なく殴り、時には鈍器の様なもので打ったそうです。

実は父親の家計はあの西郷どんでお馴染みの薩摩藩の武士であり、その名残があり先祖代々その家系に生まれた人物は厳かな教育を受けてきたらしく、父親もその一人で彼に対しても同様に接したそうです。実は家族全員に対しても暴力を振るい厳しい態度を示していたそうです。現代の考えにおいてその思想や教育は時代遅れであり、間違ったものなのではないでしょうか?

宅間守の生い立ち④幼少期から問題行動を起こす

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そんな傍から見たら親としての真っ当な『愛』が一切感じられない教育や養育があったせいなのか、まだ物心がついていない幼気な少年時代から、既に奇行に走り問題行動をしばしば起こしていたそうです。

僅か3歳の頃にはタイヤが三つ付いている『サンリンシャ』で多くの車が通る様な大きな道路の真ん中を走行して、危険な行為に走りちょっとした交通トラブルを起こしていたのです。(この時両親は何をしていたのか疑問に残りますが・・・)

宅間守の生い立ち⑤いじめられっ子であり、いじめっ子。動物虐待も

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小学校に進学すると、そんな一風変わった彼のことを虐める生徒もいました。そして彼自身も弱い立場の同級生に対して奴隷のような扱いで接して虐めたのです。また自身よりも小さな猫や犬などの動物に対して暴力を振るったり、その命を弄ぶ行為などの虐待を行っていたのです。

彼のこうした問題行動の原因やきっかけは、家庭での不満や苦しみ、寂しさ、悲しさから生まれるストレスのはけ口にしたためなのではないでしょうか?ごく普通の過程でお母さんやお父さんがまともな人物で、適切な教育や親として精一杯愛していれば、普通の人格者に育ったかもしれません。

宅間守の生い立ち⑥好意を持った女子生徒に性的いたずらも

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彼は小学6年生の時に、将来が約束されるような好成績を収めた者、勉学に優れた者しか入れない様なエリート中学校に進学する事を希望していましたが、自身の成績や頭の良さが優れなかったため、更には両親からも反対されたため、希望校に進学する事はできずに公立の中学校に進学しました。

この時自身の頭の悪さや希望校に進学できなかったのを、自分を生んだ親のせいにして酷く恨んだそうです。中学生になっても以前から行っていたいじめや問題鼓動は続き、素行の悪さが目立ちました。ある日には気になり好意を寄せた女子の弁当に、自身の体液をぶちまけるという性的悪戯もしたと後に自供しました。

宅間守の生い立ち⑦高校中退後に航空自衛隊に入隊

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入学したての1学年なのか2学年に進級してからなのか、諸説ありますが高校に進学した後、直ぐに中退したと言われております。原因は教員に手を出したり、原付バイクを無免許運転するなど不良のような素行に走っていたために停学処分を下され、そのまま不登校になって学校を辞めさせられました。

彼は物心がつく前か着いた後、まだ幼い少年時代からエリートや人生の成功者に対して強い憧れと妬みの感情を抱いており、また同時に自衛隊に入隊する事を憧れて目標にしていました。高校中退すると家系の力が及んだのか晴れて『航空自衛隊』に入隊する事ができたのです。

宅間守の生い立ち⑧規律を破り1年強で除隊

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しかし彼はずっと憧れだった自衛隊でも問題行動や奇行に走ってしまい規律を破り、僅か1年後で強制除隊させられてしまったのです。どんな問題行動を起こしてしまったのでしょうか?それは家庭や両親に対して不満を募らせ、家を飛び出した未成年の少女を自身が生活していた寮の一室に連れ込み、強制性交をしたのです。

宅間守の生い立ち⑨十数社転職を繰り返す

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自衛隊を辞めた後は、色々な職に就いては辞めて、また新たな職場で働いての繰り返しをしていました。彼の人格や性格上少しでも気に食わないところ出てきたり、納得行かなったらすぐに仕事を辞めてしまい、更には社会人になっても度々問題行動や犯罪を犯していたのでクビになっていたのです。

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