遊び人だから性の意識で行ったわけでないと告げた上で、服の脱ぎ方まで指示を出して服従する姿を見て楽しんだのです。
梅川昭美の異常な言動③死んでいる行員の耳を切り取らせ口にする
一番歳を重ねた従業員に対し、態度が気に入らないと撃っています。幸い瞬間によけたため命は守られています。ですが、事を大きくしないようにと倒れこみ死んだふりを続けました。
近くにいた男性に信じられない要求をします。泣きながら拒否しますが命の危険を感じ仕方なく応じています。生きていてくれと心で叫びながら、半分だけ耳を切り取ったのです。
このとき声を出したら同僚の命はないという使命感から、壮絶な痛みに無言で絶えたといいます。頭の中で妻と4人の子供たちのことを思いながら時間が過ぎるのを待ったのでした。
解放後に手当てがなされ、しびれや傷跡などの後遺症は少なからずあるでしょうが命は助かっています。
梅川昭美の異常な言動④人質同士で性行為をさせていた?
裸にした光景をマスコミが撮影し、面白おかしく書き立てた可能性が高いとされます。彼は、どういう風に週刊誌に書かかれるかは責任を問わないと公言しています。
事実とは異なる報道がされるのを想定し、面白がっていたのかもしれません。ストリップショーを楽しむかのようにゆっくり脱ぐよう命令したといいます。
Contents
梅川昭美と角田美代子は交際していた?
悪のオーラは引き寄せ効果があるのでしょうか?2人は世間を恐怖に陥れた凶悪であり深い仲であったのではないかと囁かれています。実際のところはどういった間柄だったのでしょうか?真相に迫ります。
尼崎事件の犯人・角田美代子
自分の周りにいる親族を次々と乱暴をして殺めていった凶悪犯です。25年以上も家族でない偽物の家族として生活を共にし、洗脳させています。
自分の手は汚さずに指示を出して、仲間同士で虐待を実行させています。留置所で長袖を首に巻き付けて窒息死しています。自殺と断定し処理されています。
梅川昭美と角田美代子は交際していたのか?
うわさ話の範囲ですので真相は定かでありません。同じ年齢であることや凶悪な犯行内容が似ている点の共通から、いつしか2人は恋仲であったという情報が出回りました。
すでに2人はこの世にいないので真実を知ることができませんが、お互いにもし惹かれあう存在であったなら、非行へ走らずに明るい未来へ歩んでほしかったと誰もが思うことでしょう。
そうすれば祝福される仲であったかもしれません。
元は鳴海清の愛人で、死後梅川昭美の愛人になったとも
京都の繁華街で起こった暴力団の組長を狙った発砲事件の首謀者であった鳴海は、妻子がおりましたが15歳の愛人を囲っていました。
変わり果てた姿となって発見されたことで関係は解消されており、後に深い仲になったのが梅川といわれています。彼は支配したいという思考が強く、度々ケンカをしては彼女を全裸で外に出すなど異常行動をしていたとされます。
このときの交際相手を15歳の魔性の女とマスコミは書き立て=角田美代子説と根強く残っています。
京都の暴力団論争について詳しく知りたい方は、こちらも良かったらご覧ください
人質だが梅川昭美と仲良くなったのが角田美代子?
立てこもりの室内にいたという諸説あります。何とか生き残って解放されたいという想いから、戦略として悪人との関係を良好にしようと試みる行動をストックホルム症候群といわれています。
極限まで恐怖を覚えると心理的に、働くようです。その一人が彼女だったのではないかといわれているのです。
梅川昭美と角田美代子はたまたま同い年なだけ?
境遇が似ていることから、マスコミが話を盛って人々の興味を引き付けようと試みたものなのでしょうか?目撃談も証言も得られていないため、噂話としてではありますが注目をされている2人であります。
彼の義理堅い性格と優しさ、彼女の洗脳できる言葉の巧みさを組み合わせて何かビジネスをしていたら、名声を得られていたのではないかとも感じます。
梅川昭美の母親の噂と現在
親よりも早く絶命した息子は、犯罪を犯してしまい全国に悪名を知られることとなりました。家庭運に恵まれなかった母は、人生の中で少しでも幸せだと感じた瞬間はあったでしょうか?現在について迫ります。
存命であれば80歳を超えている
多くの親は、子供の幸せを願うものです。子が先に逝ってしまうことほど残酷な仕打ちはないでしょう。罪を犯した極悪人でも息子であることには変わりはありません。
深い悲しみが襲ったことでしょう。事件後、どのようにすごしたかは不明ですが彼女自身も被害者の一人ともいえます。ひっそりと暮らしたのではないでしょうか。
旦那は思うように働けず、女グセも悪かったことで精神的に追い詰められたことでしょう。必死で生活の為に働いたものの息子は非行に走り、挙句には人を殺め本人も撃たれて息絶えています。
彼女の人生は穏やかに過ごせる瞬間があったのでしょうか?さまざまな苦悩が一気に押し寄せてしまった状況の中で少しでも幸せと感じれた時があったのかと疑問を抱くものです。
母親も異常?「テレビに出るから美容院へ…」
女心でしょうか。綺麗な姿で人様に見てもらいたいと思う気持ちもわからなくはないですが、人質をとり立てこもっている緊迫した状況で、返ってくる言動ではないでしょう。
通常ならば、疲弊し何とか事を鎮めたい一心ではないでしょうか。謝罪の言葉を述べ泣き崩れることでしょう。
自分では出る幕がないと思っての行動なのでしょうが、尊い命も奪われている最中に自分の美を追求することには唖然とします。可愛い息子がしていることを、悪いと感じていない様子でありました。
報道で取り上げられる騒動を起こす人物の親も異質を放っていることが多く、遺伝的要素もありますが家庭環境から心が形成されることもあるので、少なからず母の思考が影響しているのかもしれません。
梅川昭美の母親・韓国人説はデマ
残虐な行為を繰り返している息子を生んだ母ということで韓国人の印象を強く持った人々が多かったようです。
ただこれは根拠のない話を流したデマであり、日本人として悪い印象を持ちたくないといった勝手な思い込みから流れてしまったのではないでしょうか。
梅川昭美の住んでいたマンションの現在
実際の犯行現場とはなっていないですが生活をしていた場として、明かされています。現在はどうなっているのかをまとめました。
事件発生後からマンションは特定されていた
静かな路地にひっそりと佇む深緑色の外観で、彼の部屋にはびっしりと本が並べられていたといいます。大変愛読家であり、暴力内容であったり医学、経営学の書物が600冊もあったといいます。
この部屋で彼女と一緒に住んでいたとされます。
現在は梅川昭美の居た部屋に誰か住んでいるらしい
見た目は年代を感じるものでありますが、現在も賃貸マンションとして稼働しているようです。誰かが住んでいるという情報があります。大きな通りに面していない場所ですので、暮らしやすいのかもしれません。
借りた本人は、まさかこの部屋が梅川の暮らした地であったとは知らずに契約しているでしょうし、かなり前のことで賃貸ですから、入れ替わり人が入っていることでしょう。
梅川昭美の生い立ちと事件を元に映画が作られた?
世間を大きくにぎわせた一連は、作品の題材として色褪せることなく今も残されています。まるで映画のような恐怖と残酷さが実際に起こっていたわけですから、多くの人が興味を持ったのでした。
事件から3年後の1982年に公開された「TATTOO<刺青>あり」
一人前の立派な男になりたいと思い続け、その願いが犯罪へと向いてしまった人生の破滅を梅川に寄せて描いたストーリーです。強気に出る態度とは裏腹に、心には闇を抱えている人間性がうまく表現されています。
現代とは違ったアドベンチャー的な要素をいれつつ、生きていくなかでの孤独感も垣間見れます。彼だけでなく人は誰もが孤独を感じ生きているのだろうと考えさせられる作品となっています。
井筒和幸が制作に関わっていたことでも有名な映画
多くの青春ドラマの作品を手掛けている監督が目がフォンを取り、構成しています。独自の感性が随所に組み込まれていますが、豪華な俳優陣も起用し見ごたえ十分にしています。
実際に起こった出来事を作品にするということは、現在は人権問題が関わってくるので難しいとされますが、忠実に梅川の人間性を取り入れつつも表現豊かなストーリーに完成させた人間の影を映し出した映画です。
彼だけでなく、誰もが悩みは持っていますし消せない過去もあるということが改めて感じる内容です。
三菱銀行人質事件と似てる?犯人死亡で解決した日本の人質事件
いつの時代にも罪を犯す人物は登場します。現代でも同じですが、何かしらどこかでトラブルが起き命を奪われているのです。最悪な形ではありますが、殺めることでしか終息できなかった騒動についてご紹介します。
瀬戸内シージャック事件
車の盗難から始まったとされます。広島と愛媛の間で旅客線ハイジャック騒動で、支配されたのは従業員含めた46人でした。
首謀者の男と少年2人が関わっていましたが、最終的には男一人が立てこもり、乱射しています。多くの国民に被害が拡がる危険性を考慮し、警察は銃口を向けました。実際の船はフィリピンにある会社に受け渡しされて、異国の地で観光のために使われています。
この事件について詳しく知りたい方は、こちらも良かったらご覧ください
長崎バスジャック事件
一般道を走るバスが支配されています。シージャック以来2回目の射殺して騒動を抑えたこととして残っています。改造した銃を手に持ち、お金欲しさに2人の犯人が乗っ取っています。
長時間だったため、人質の体力に限界が感じられたため警察が突入し7発撃ち1人に命中し、絶命しています。上記と梅川が起こした騒動、合わせて3件が日本において、人質が関係している乗っ取り犯殺害の騒動です。
熊野一族7人殺害事件
昭和55年に突如起こった悍ましい騒動であります。首謀者の男は斧を手に持ち、集めた親族目掛けて振り回し、7人を殺しています。後に自分は猟に用いる銃を向けて自害しています。
犯行動機が定かでありませんが、息子の病気を気にかけて心中を図ったかといわれています。数日前から精神不安定さも判明していることから、過剰に心配した結果、残酷な事件となってしまった可能性が高いとされています。
梅川昭美が抱えていた心の闇
まるで小さいころに我慢ばかりの生活だったことの反動が来ているかのように読書をして知識を深め、筋トレに励み肉体改造もしていたとされます。
それには大きな別れが関係しており、心の奥深くに眠る悩みを悟られないように強くみせ、影を隠していたとされます。
7年交際していた彼女との別れ
少年院を出てから付き合っていた彼女と、別れが訪れました。心の拠り所を失ったため、何かにすがるように入れ墨を入れ、肉体改造をし、猟をするための銃練習に励み、強い自分を求めて見つめ直す期間を作っていたといいます。
更生できたのは彼女の支えがあってのことでした。間違いを正してくれる部分があったことでしょう。お互いが話し合って選択した道ではあったとされますが、長年一緒にいた分の喪失感が大きかったのです。
その寂しさを埋めるように、心の闇を隠すため強くなければいけなかったのではないでしょうか。誰もが抱えるであろう悩みに、彼ももがいていたことでしょう。
梅川昭美の最期の言葉
42時間も密室に一緒にいれば、人質であっても会話をそれなりにしていたようです。母からの手紙が届き女性従業員に読ませていたときのエピソードが最期の会話であり言葉でもありました。
最愛ある母からの手紙
教養があまりなかったため、読みにくい字しか書けなかったようです。女性従業員に読ませて聞いていたとされます。
首を傾げながら朗読する姿に、彼は読みにくいだろうと相手を気遣う言葉を発しています。この文字をみて何を感じたのでしょうか?
心の思いを告げる
母一人子一人の状態であり、大好きな存在で一緒にいたいと心中を語りつつ、自分の置かれている状況を確認したかったのでしょうか。息子がもし同じようなことを起こしたらどうする?と質問しています。
女性はしばらく悩んだのちに、叱ると答えました。これに共感し、喜んだといいます。自身の母は、高齢で授かったため甘やかして育てています。怒ることもなかったのでしょう。
今のこの状況でも、綴った文章には叱咤ではなく、お願いととれる穏やかな内容でした。彼は本気で叱ってほしかったのではないでしょうか?
働きづめで一緒にいる時間が少ない中、親子としてのコミュニケーションが希薄だったようです。親からの説教は愛がこもっているからこそ怒りになっています。
それを体験したかったのではないかと察します。貧困が生んだ複雑な家庭環境は大人になっても心の片隅にわだかまりとして残っていたのです。
梅川昭美は暗い過去をもつサイコパスな殺人鬼!
今も残る凶悪な出来事としてテレビで取り上げられたり、注目をされています。彼の起こしたことは決して許されることではありません。
むしろ、風化させてはならず二度と同じようなことが起きないようにしなければなりません。良好とは言い難かった家庭環境で、心は荒み、必死にそれを隠して強くあろうとしました。
その反動からか、容赦なく乱暴をして命を身勝手に扱っています。母を思い弱者を労わる優しい一面を持っていた彼は、もっと違った方面でパワーを使い苦労した分、幸せになれれば、未来は変わっていたことでしょう。
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