首なし娘事件とは?
事件の被害者の女性の遺体が異常なまでにバラバラにされており、また切り取られていた部分も女性特有の乳房や首といった部位である事も含め、男女の恋愛が絡んだ殺人事件であったとされています。しかし、犯人も殺害後に奇妙な自殺を遂げており、怪奇事件と言われているのです。
首なし娘事件は1932年に愛知県で発生した殺人事件
昭和の7年に愛知県で起こった殺人事件で、2月の8日に被害者女性の遺体が発見されました。しかし胴体から切り離された首は、2月11日に木曽川河川敷で別に見つかったのです。これだけでも異様な狂気じみた事件であったのですが、更なる猟奇が待ち受けていました。
遺体の状態と自殺方法が異常であった首なし娘事件
胴体が発見された時には首以外にも被害者の乳房と下腹部が摘出された無残な状態で発見されました。そして首の状態は頭皮が剥され眼球がくりぬかれており、目も当てられない悲しい遺体の姿で見つかったのです。
そして犯人とみられる男性は自殺後に発見されましたが、その姿は人間が行える行為なのかと疑いたくなるほどの姿でした。被害者女性の頭皮を頭から被り、身に着けていた財布には女性の眼球を所持、また自殺した部屋に置かれた冷蔵庫の中には女性の乳房と下腹部が見つかりました。
首なし娘事件!女性の遺体発見時の状況とは
この恐ろしい事件は一体どのような始まりを迎えたのでしょうか。ご紹介させていただいて遺体の状態から考えても第一発見者の方は一生忘れられない心の傷を負い、末恐ろしい姿を見ることとなりました。この事件は被害者女性だけではなく、それ以外の方々にも深い傷を残してしまったのです。
1932年2月8日!納屋へやってきた男性が首なしの遺体を発見
遺体が見つかったのは、愛知県名古屋市中村区米野町の鶏糞小屋で、発見時には既に体が腐乱しており、首が付いていない上に損傷を受けていたため、体つきからなんとか女性であることは判断できましたが、女性特有の生殖器で判断がつかなかったのでしょうか。
首がないだけでなく胸やへそなどがえぐりとられていた
その答えは女性特有の乳房や下腹部が体からえぐり取られていたため、体のラインからしか判断がつかなかったのです。警察による捜査の結果、遺体は19歳の女性と判定され、43歳の和菓子職人である男性と生前密会を行っていたことがわかりました。
遺体のそばにあった物から遺体は“吉田ます江”と判明
遺体のそばにあった遺留品から遺体の身元が特定され、さらなる犯人捜査へと踏み出されました。彼女は不審な年上男性と旅館で密会を重ねた形跡がありました。しかしどのように男性と出会い、どういった間柄であったのかは明確にわかっていないのです。
首なし娘事件の“首”は3日後に発見!異常な首の状態とは
胴体の発見から3日後の2月11日に首が発見されました。木曽川河原の犬山橋近くで遺留品と共に被害者女性の頭部が隠されていたといいます。しかし、その状態も著しく悪く、頭皮がはぎとられ、眼球もくりぬかれており、下あごも激しく損傷していました。
2月11日に木曽川に女性の首が浮いているという情報が
発見したのはもちろん一般の方からの通報でした。通報によると木曽川で女性の首のようなものが浮いていると通報があり、警察が駆けつけて引き上げてみると、数日前に発見された女性の遺体の首であったことが判明しました。
頭蓋骨がむき出し?異常な状態であった女性の首
しかしその姿も見るも無残でした。本来髪の毛が生えている頭皮が剥ぎ取られており、頭蓋骨がむき出しの状態で発見されました。また、眼球もくりぬかれ、おそらく犯人が持ち去ったのであろうという判断がなされました。
その首は吉田ます江のものであると判明
警察の調査により発見された首は数日前に発見された胴体のみの女性の遺体と同一人物であることが明確になりました。遺体の状況からもただの恨み妬みによる殺人ではなく、犯人が普通の精神状態ではなく、女性に対して何かしら強い依存の精神があったことが伺えます。
首なし娘事件の犯人・増淵倉吉とは?吉田ます江との関係は
この狂気に満ちた人と思えない殺人事件を起こした犯人は一体どのような人物だったのでしょうか。被害者女性との関係性はあまりわかっていないのですが、犯人には長い長い女性関連の歴史が存在していました。
遺留品から増淵倉吉と吉田ます江が親密な関係であることが判明
遺留品から犯人と被害者女性に関係があることが判明し、聞き込み調査を行った結果、幾度も2人は会っている目撃証言もあり、親密な関係であることがわかりました。しかし2人の年の差は19歳と43歳、その2人の間にどういった歴史があったのかは定かではないのです。
吉田ます江は増淵倉吉の妻から裁縫の稽古を受けていた
2人が知り合いになった理由は犯人の妻が絡んでいました。裁縫教室を拾いていた犯人の妻ですが、犯人にとっては2人目の妻です。その裁縫教室に通っていたのが被害者女性でした。妻が病に伏せると被害者女性は師匠である妻の元へと通うようになりました。
そういった中で犯人と被害者女性は次第に関係を持つようになりました。しかし一方で看病を行っていた妻は残念なことに命を引き取ってしまいます。妻の遺体を解剖する際に立ち会っていた犯人は一時も目も話さず見守っていたといわれています。
歳の差恋愛?19才の吉田ます江と44才の増淵倉吉
妻の看病を通して通じ合った2人ですが、その年齢は25歳も差があります。しかし犯人は年齢よりもかなり若く見られがちだったこともあり、周囲から年の差で変な視線を向けられることは少なかったのではないでしょうか。では何故このような事件が2人の間に起こってしまったのでしょう。
首なし娘事件発覚後に見つかった増淵倉吉の姿
被害者の女性の遺体が発見されてから、警察は犯人の捜索にあたりました。しかし一向に足取りがつかめず、捜査が難航していた時期に一本の通報が入ったのです。しかし見つかった犯人の姿は誰しもが目を疑うような歪な姿で発見されたのでした。
東京から大阪など幅広く捜すも見つからない増淵倉吉
事件が起きた愛知から遠く離れた東京や大阪までに及ぶ広域で捜査は行われたのですが、それでも犯人は見つかりませんでした。頭の良い犯人であれば長い期間警察の捜査を潜り抜けて逃げることが出来ますが、そのように賢い男性であったのでしょうか。
3月5日に掛け茶屋で発見!増淵倉吉は首つり自殺をしていた
答えはノーです。捜査を潜り抜けていたわけではなく、犯人は既にこの世から姿を消してしまっていました。遺体が発見されてから1か月後の警察への通報により、男性の腐乱死体が発見されました。もちろん言わずともこの遺体は犯人の男だったのです。
しかし、犯人の自殺死体は想像も絶するほどに末恐ろしい姿をしていました。この第1発見者の方がトラウマとなってしまったり、精神的な疾患を目に焼き付いた情景から患ってしまうことも少なくはありません。このような猟奇殺人事件の第1発見者も殺された女性同様、犯人から心に深い怪我を負わせられた被害者なのです。
異常な姿であった増淵倉吉!吉田ます江の頭皮かぶっていた
発見された犯人の遺体は物置で首つりしていた状況で発見されました。女性用の下着を履き、鬘のように被害者女性から剥ぎ取った頭皮を被った状態で首つりをしていたという異様な光景です。内向的であった事がこのような猟奇を産んでしまったのでしょうか。
犯人はかなり前から神仏の存在を強く信じていたことが分かっています。彼からすると、こういった奇行は彼女と一体化するために行ったまじないのようなものなのかもしれません。しかし、どういった理由にせよこのような残虐な行為は通常の精神状態で行えるとは到底考えにくいものです。
他にも吉田ます江の眼球なども所持していた増淵倉吉
その他にも女性の遺体からくりぬいた眼球は財布に入れて持ち歩いていたとされています。乳房や下腹部は首を吊った小屋に置かれていた冷蔵庫の中に保管されていましたが、大陰唇と小陰唇が見つからなかったことより犯人が食べたのではないかと言われています。
しかし、犯人がカニバリズムを行った事実が全くないことから食したのかどうかについては定かではなく、被害者女性の首を川へ放棄している事からどこかへ隠したか、遺棄したかの説も考えられます。2人の関係性を考えると、遺棄という女性の体をないがしろにする行為は考えにくいとし、カニバリズム説が出てきているのかもしれません。