広末涼子の灰皿事件とは?関東連合との繋がりは?黒い噂の真相と現在に迫る

関東連合には違法薬物の密売人がいたとされています。そこで、彼と付き合い関東連合と関わってしまった彼女は当時、違法薬物をしていたのではないかと言われていました。金子賢さんとクラブ通いをしていた彼女はクラブのVIPルームで一緒に薬をしていたという噂がありました。

また、ある番組終了後にフラフラになって出てきた彼女を目撃したことにより薬をやっていたからフラフラになっていたのではないかという噂もありました。

メディシンが欲しいなら灰皿に脱糞しろと指示され実行

StockSnap / Pixabay

違法薬物の虜になっていた彼女は薬漬けとなっていたようです。薬欲しさに金子賢や関東連合関係の人の言いなりになってしまいます。彼らは彼女に薬物(メディシン)が欲しいならとクラブのテーブルにあった灰皿に脱糞するよう要求します。

そして彼女はテーブルの上に座り要求に応じました。これが世間で噂された灰皿事件です。彼女はその時、酔っ払っていたのか薬物を摂取していたのかは分かりませんが通常の考えができない状況だったのではないでしょうか。

広末涼子の奇行と関東連合は深く繋がっていた

rebcenter-moscow / Pixabay

これと同じ頃、他にもおかしな行動が多々ありました。1995年にクレアラシルのCMに出演してから約5年ほど経った頃こういった奇行が集中して多々あったので、この奇行の原因は違法薬物のせいではないかとも言われていました。なぜならその頃はちょうど、金子賢と付き合っているとスクープが出た頃で関東連合と繋がっているのではと噂された頃だったからです。

関東連合OBが「広末涼子の灰皿事件はデマ」と激白?

Engin_Akyurt / Pixabay

数年が経ち、関東連合OBにより関東連合の内部事情が色々と暴露されたときに、灰皿事件はデマだと否定する話しが出てきました。当時の関東連合の幹部が美人が脱糞したり放尿するのを見るのが好きな性癖の持ち主だったという噂もあります。そこから灰皿事件に繋がってしまったのかもしれません。

関東連合について興味がある方はこちらの記事もご覧下さい。

広末涼子「灰皿事件」以前の奇行

Mandyme27 / Pixabay

この頃にも、数々のおかしな行動を起こしていました。後のテレビ番組で当時のことを辛かったと語っています。デビュー後、一気に有名人になりドラマに映画に歌に舞台に忙しい日々を送り、遅い反抗期が来たようだったと当時の心境を告白しました。

月9ドラマ「できちゃった婚」の撮影中に多くのトラブル

できちゃった結婚 DVD-BOX

Amazonで見る

2001年夏に放送されたドラマでは、20歳の女の子がひと夏の恋により子供ができ結婚していく話のヒロインを演じました。相手役にはビーチボーイズでも一緒だった竹野内豊さん、姉役に石田ゆり子さんが出演していました。

撮影中は、よく遅刻し、さらに友人と大声で長電話をすることもあったため収録が進みませんでした。出演者には父親役で大御所の千葉真一さんや木の実ナナさんもいましたが気にすることもできないほどだったのでしょうか。

広末涼子が西麻布の路上で座り込む写真が流出

cocoparisienne / Pixabay

実際に撮られた写真が週刊誌に掲載されました。それは彼女が路上に酔っ払って座って半泣きしながら叫いている写真でした。このスクープの内容は、ドラマのロケ地が千葉だったのですが、都内のクラブで当時付き合っていた金子賢さんと朝まで遊んだ彼女はタクシーで向かうことになったのですがその距離150㎞で代金が約4万円ほど。彼女は財布を無くしたと言って代金を支払うことができず、無賃乗車をしたと週刊誌に書かれてしまいました。

しかし実際は電車に乗ろうとしたら財布が無かったのでタクシーで行きスタッフに代金を支払って貰ったとも言われていますが、翌日撮影があるにも関わらず、写真のように路上に座り込むほど朝まで遊んでいたというのは事実です。社会人として女優として平常心ではなかったのではないでしょうか。

広末涼子がカメラの前でいきなり号泣

Counselling / Pixabay

ドラマの撮影時には泣くシーンではないのに号泣してしまい撮影できなかったというエピソードもありました。当時、とっぴな行動をする女優のことをプッツン女優と呼び、石原真理子や藤谷美和子などが呼ばれていましたが、広末涼子もこのような奇行を取り上げられたせいでプッツン女優と言われてしましました。

この頃の彼女は心と感情が安定しない情緒不安定な状態だったのではないかとも言われていました。

スカート事件

StockSnap / Pixabay

ある日、スカートを履いていた彼女はロケバスから降りた際にスカートの中に手を入れて下着を直し始めました。周りにはスタッフはもちろんのこと、たくさんの野次馬もいたにも関わらず、彼女は何事も無かったようにしていました。

広末涼子は当時「仕事を辞めたくて仕方がなかった」

1995年のデビューから1997年にはドラマビーチボーイズ、1998年にはドラマ聖者の行進、1999年にはドラマリップスティック、映画鉄道員、秘密と名作に出続けていた彼女は当時を振り返り仕事を辞めたかったとテレビ番組内で語っています。

役の幅が狭く、色々な役が貰えず、与えられた仕事をこなしていましたが、やり尽くした感があって仕事を辞めたかったと言っています。太れば仕事の依頼がなって辞められるのではと考えて一生懸命太ろうとしていました。

Tumisu / Pixabay

その頃はというと、2002年に放送されたドラマの頃で体重はなんと37㎏から52㎏まで増やしたと言います。ラーメンやビール、クッキーなどを食べて15㎏増やすことに成功しましたが仕事はまだまだ続いたようです。

NEXT 広末涼子と関東連合との繋がり