ロザリアは1920年、肺炎のため当時2歳(1歳11ヶ月)にこの世を去りました。幼い娘の魂を残したいというイタリアの将軍だった父たっての願いで、ミイラ化されることになりました。
娘をミイラ化したいという父の希望を叶えたのは、遺体保存の専門家であったアルフレッド・サラフィア氏でした。
ミイラというと、古代エジプトで全身を包帯にくるまれたからからに干からびた人、というイメージがあるのではないでしょうか。
しかしアルフレッド氏は、幼女の遺体をまるで生きているかのような、美しいミイラとして蘇らせました。
ミイラ化の作り方が明らかになった
しかし彼は、独自の特殊な方法によりミイラ化した、とだけしか周囲に伝えておらず、その技法は長年謎のままでした。その後2009年、あるノートが発見されます。
「遺体を永遠に保存する新しい方法」と題されたノートには、ミイラ生成に必要な薬品や保存のプロセスが記されていたのです。
アルコールや湿潤に使うグリセリン、腐敗を防止する塩化亜鉛、菌の繁殖を防ぐサルチル酸、そして当時発明されたてのホルマリンを体内に注射。
顔には、頬をふっくらさせるためと思われる、パラフィン(ろうそくの原料)が打たれていたことが判明しました。
まばたきをする?奇跡のミイラ
ロザリアの遺体はミイラ化され100年近くたっていますが、現在も美しいままです。驚くべきことに脳や胃などの臓器まできれいな形のまま残っていことが、レントゲン写真から明らかになっています。
乾燥させて生成されるミイラは腐敗を防ぐため、血液と内蔵は取り除いてしまうので、作り方が違うことがお分かりいただけると思います。
保存方法が書かれたノートが発見される前、美しいミイラの保存法を研究していた研究者たちが、1時間に1回彼女を上から撮影していました。
すると、なんとまばたきをするように、薄くまぶたを開け閉じるような写真が記録されたのです。真偽のほどは明らかにされていませんが、ロザリアは本当に奇跡のミイラであると言えるのではないでしょうか。
あの福沢諭吉も死蝋化していた
1万円札の顔でお馴染み、日本の学問を支えたあの福沢諭吉も、なんと亡くなった際に死蝋化していたというのです。
諭吉は数々の偉業を成し遂げた後、明治34年に亡くなり、品川の常光寺で土葬されました。しかし福沢家の墓をまとめる事情から、遺骨を掘り返すことになりました。
諭吉のミイラ発見の経緯1
地下2メートルまで掘ると、「福沢諭吉先生永眠の地」と書かれた石碑がでてきました。その後堀り進めますが、出てくるのは奥さんの遺骨や埋葬品のみ。
さらに堀り進めると、地下水が流れており、そこに諭吉の棺桶が水に洗われるようにして腐らずに残っていたのです。
中を開けると地下水に浸りながら、ほとんど形を保った諭吉のご遺体が出てきました。地上に出されたご遺体は、緑色になっていきました。
諭吉のミイラ発見の経緯2
地下にいた間は、お棺に張られていた青銅の効果で、水に溶けた銀イオンに守られ変色を免れていたものと思われます。
しかし残念ながら、死蝋化した諭吉を見ることはできません。親族と慶応大学の意向により、写真も残ることなくすぐに火葬されてしまいました。もしあの姿がそのまま残っていたとしたら、歴史がひとつ変わっていたかもしれません。
グリーンねえさんは興味本位で検索してはいけない!
いかがでしたか。検索しないほうがいい言葉【グリーンねえさん】は、全身が緑に変色した女性のご遺体画像でした。8枚の写真全部を見ることはできないと言われるほどショッキングな写真ですので、検索は自己責任でお願いします。しかし1人の方が自ら命を絶って亡くなっているのですから、グリーンねえさんを冒涜するような真似は、ご遠慮いただきたいと思います。