凌遅刑とは?生きながら人肉を削いで漢方薬に!福岡一家四人殺害事件でも?

この流儀で執行する執行人は肉を剥ぎ取る順番が決まっており、頭の次に手足の肉、そして首の肉という順番で肉を切り落としていたとされています。その削ぎ落し方にはコツがいるため、師匠から弟子へと伝えられる技であったとされています。

正しい手法で行う事で痛みなどが変わるという事は考えにくいですが、あくまで公的な行事であったため、正式に決まった形で決行されていた事が伺えます。また公の場で行うため、誰でもかれでもが行える行為ではなく、決まった許可を受けた人物のみ執行できたという事なのでしょう。

凌遅刑の詳しい執行方法②遮目罩

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執り行う人が変わると、頭の額より上で横に切れ込みを入れ、頭皮を引きちぎり降ろすように剥いでいき、めくれてきた頭皮で目が隠れるところまでで止める方法を使用していました。これは執行人が受刑者と目が合い情がわかないように、受刑者の頭皮で目隠しをするために行われていました。

凌遅刑は刑の重さによって切られる回数が違った

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受ける肉削ぎの回数には受ける刑の重さで違いがあり、一番軽い刑だと8刀、そこから刑が重くなるごとに、24、36、72、120と回数が増え、受ける痛みや苦しみが増えるような仕組みとなっていたようです。

また歴史上に名を残している人々の処刑では3桁を越えた4桁にも及ぶ回数、削ぎ落しがあったという言い伝えも残っており、大きなことを成し遂げるためのリスクの大きさも伺えるでしょう。また、普通の人間であればそれだけの回数削ぎ落される痛みに意識を保っていられるはずがないのです。

凌遅刑は賄賂の有無で苦しみに差があった?

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執行する側も人間であり、刑罰を与える事でご飯を食べています。そこへ漬け込み賄賂を執行人に渡すことで、受刑は免れずとも痛みや苦しみの度合いが執行人の調節で変化することがあったといいます。賄賂を渡す事で、死ぬよりもつらい仕打ちからは免れるという金銭主義な世界であることがわかります。

凌遅刑の犠牲者の人肉は漢方薬とされた

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倫理に関する志向も今ほど強くなかったため、受刑者から削ぎ落した肉は漢方の材料とされて、市場で高額な取引が行われていたとされています。また観衆に与えていた事も有りカニバリズムが普通に行われ、購入するほどの需要があったということです。

凌遅刑の罪人の人肉は漢方薬として売られていた

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中国では昔から数多くのカニバリズムの歴史があったと報告されています。時には人の毛の油であったり、人の肉のしゃぶしゃぶを食したという記録も残っています。そしてその肉は罪人から削ぎ落された肉も含まれていたのです。

そして執行中、周りに人だかりがある理由はこちらに関係しています。削ぎ落した肉はその場にいた観衆に配布されることもあったようで、それを目当てに周囲で待機している方もいらっしゃったはずです。自身の美容や長寿のためと言えど、痛みに叫ぶ受刑者の近くにいると気がふれてしまっても仕方がない事なのかもしれません。

中国では人肉が漢方薬になるとして信仰されていた

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言い伝えの中に人の肉は漢方として妙薬であるという信仰があったため、受刑者の肉が市場に並ぶと飛ぶように買い漁られていたとされています。肉はバラバラに解体され売られていましたが、その食べ方には数多くのバリエーションがあった記録が残っています。

薬効として正式な文章が残っているわけではありませんが、古くから人間の血肉は美容や長寿へと効果があるとされており、その薬効からか中国の方々は同じ人間であっても平気で好んで食べてしまっていたのかもしれません。特に病気を患い余命が少ない方々からすると天にも縋る思い出むさぼっていたのではないでしょうか。

凌遅刑に処された人々①中国

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数多くの人がこの獄刑により命を絶たれています。当時の風習で刑罰は一般人の目の前で公開処刑という風習があり、処刑の様子が撮影された写真でもはりつけにされた受刑者の周りには執行人以外に多くの民衆が見守っている姿が写されていました。

また執行後には首だけを晒して置いておくなどで民衆へと知らしめていた記録も残っており、特に大きな事を成した有名な人物の首は同じ意思を持っていた人たちや、陰ながら尽力していた人たちを震え上がらせるにはかなりの影響を与えていたのではないでしょうか。

凌遅刑に処された中国の罪人①劉瑾

正徳帝の東宮時期から側近として地位をなしており、政治を乱していたとされ、捕らえられたとされています。そして行った行為の大きさから彼の受刑は3日で4700刀加えられ、相当な重罪であり、かなりの苦しみの中息絶えた事がわかります。

これほどまでの回数、苦痛を与えられていても最後の1撃まで生きながらえていた精神力と生命力は政治的に人々を動かしてきた人ならでの強さなのかもしれません。一般の人間であれば、これほどまでの精神的、肉体的な苦痛に耐えれるほどのキャパシティーは持っていないでしょう。

凌遅刑に処された中国の罪人②鄭鄤

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政治闘争の中で他人から陥れられて受刑された方もいらっしゃいます。彼は実の母を殺し、実の妹を姦淫したというデマにより、3600か所の肉を削ぎ落される刑罰を受刑しています。そしてその肉はその場で見ていた観衆へと配布されたようです。

凌遅刑に処された中国の罪人③壬寅宮変に関わった女官

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政治に関わる人物に男性が多い事から受刑者は男性の占める割合が多いのですが、もちろん対象が男性のみであるというわけではありません。政治紛争に関わったとされる女性たちも女であるからという理由は関係なく、受刑している記録があります。

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