恩寵園事件とは?児童養護施設で起きた虐待事件の判決や要因、その後

恩寵園事件は千葉県の船橋市にある児童養護施設「恩寵園」で起きた施設内虐待事件です。児童相談所に匿名で告発され、明るみになった事件です。千葉県なずさんな対応等に批判も殺到したこの事件の詳細や事件の要因、裁判結果まで詳しくまとめました。

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恩寵園事件とは?児童養護施設で起きた虐待事件

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これは千葉県船橋市にある児童養護施設「恩寵園(おんちょうえん)」で起きた、バットや木刀、鎌などでで殴る蹴るの身体的虐待や女児に対しての性的虐待など、まるで拷問の様な虐待により長い間子供達を苦しませた痛ましい事件です。

大濱浩園長が就任してから20年ほど続いた施設内虐待に対して、被害者側や職員から再三の訴えがあったのにも関わらず、行政の不適切な対応により虐待行為は一向に改善されず、悲劇が繰り返された事でも有名な事件です。

恩寵園事件で行われた虐待の数々

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信じがたい事ですが、恩寵園の大濱浩園長は、体罰(虐待)をこの園を創立した以来の伝統だと言い、子供達が苦しまなければならないのは、捨てた親が悪い等と自らの虐待行為を正当化していました。

恩寵園事件で行われた虐待①手に持っているティッシュに火をつける

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入所する子供の祖業の悪さに対して注意の度を超えた虐待行為の1つで、なんと大濱浩園長はその子供に対して火のついたライターを近づけて恐怖を与え、職員の制止を物ともせず、笑いながら子供の手に持ってティッシュに火をつけました。

このたった一つの園長のとった行為を見ても、その異常性がうかがえます。通常態度が悪ければ、それに対して注意や指摘をすることで理解してもらいますが、園長はあえて火を使い恐怖を与え、実際に点火したのです。

恩寵園事件で行われた虐待②男子園児の性器にハサミをあて出血させる

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じゃれ合っていた3人の男児を「ホモか」と叱り、全員保母室へ連れて行き、強制的にズボンを脱がせてハサミでペニスを切りつけ出血させました。園内の他の子供たちは悲鳴の様な叫び声を聞いたそうで、実際に気を失いました。

園長は日常的に素手で暴力を振るっていましたが次第にそれがバットや鉄パイプに変わり、最終的に刃物を投げつけたり、それで切り付けることもあったそうです。廊下に血だまりができることは何度もありました。

恩寵園事件で行われた虐待③鶏の死骸と一緒に寝させられる

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当時小学生だった園児が、園で飼育していた鶏を遊具の上に連れて行き、飛ばそうとしましたが、鶏は暴れてそのまま落下し死亡しました。大濱浩園長はその死骸をタオルにくるみ、同じベットに入れて寝る様に命じました。

もちろん子供が高所から落下させて鶏を死なせてしまったことは悪いことではありますが、指導の仕方は実に異常で、死んでしまった鶏の顔と向き合うようにベットの上に置かれ、一緒に寝かせたそうです。

恩寵園事件で行われた虐待④朝鮮人の園児をなじる

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ある時、日本名で生活していた朝鮮人の園児は、自分が朝鮮人であることを隠して生活していたにもかかわらず、朝鮮出身だという事を度々なじり、その子が泣いてしまうとその泣き姿さえも揶揄したといいます。

施設内では日常的に贔屓や差別が行われていたと子供たちの証言から確認できます。ですが何度も言うように、子供を養護すべき施設内であってもそうじゃなくてもあってはならない行為ですが、それを実際に園長は行ってました。

恩寵園事件で行われた虐待⑤園児を乾燥機に入れ回す

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廊下を走ったりすると、その子供をお仕置きとして「乾燥機部屋」に連れて行き、なんと熱くなった乾燥機の中に閉じ込めてスイッチを入れ1回ほど回してました。他の子供は頭がぐるんと回る様を目撃したことがあるそうです。

口頭で注意できる問題行動でも、昔から男女問わずお尻を50回以上叩いており、その延長線上にあったのがこの異常行為でした。これは虐待というより、拷問に近い、到底常人には理解しがたい行為を行ってました。

恩寵園事件で行われた虐待⑥冬場に裸で池に浸からせる

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子供たちがお風呂でふざけていると強制的に真冬の庭に裸で立たせ、他にも同じく真冬に裸で池に浸からせるといった虐待行為がありました。こういった園長の体罰や厳しすぎる指導方針に批判的な意見はありましたが、似た様なことが他にもありました。

雨が降り肌寒い中、屋上で遊んでいたという理由で、屋上へ上がるはしごを外し、その場で正座させていたり、お気に入りだという同じ服を3日間着ていたことから「物乞いみたいだ」となじり、すべての服を没収し、下着姿で過ごさせたりしてました。

恩寵園事件で行われた虐待⑦24時間正座させる

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問題行動がある園児には、24時間監視下のもと、睡眠や食事、排泄を許さず、正座させたまま反省させました。園児がトイレに行きたいと言うと、その場に新聞紙を引いて、他の園児がいる前で排泄させました。

その他、何か問題行動を起こすと、新聞一面の漢字を全てノートに書くよう指示をしたが、園児が書ききれず黙っていると、その園児には一年後の部屋替えの際に新しい部屋を与えないなどの長期的な精神的虐待行為も行ってました。

恩寵園事件で行われた虐待⑧暗い部屋に閉じ込め外からたたく

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まだ年齢的にもかなり幼い幼児が悪いことをすると、乾燥機部屋の奥にある暗い部屋に閉じ込め、約15分間ほど部屋の外から壁や扉をガンガンと叩き、精神的苦痛を与えてました。乳児はその恐怖から、失神寸前まで追い込まれました。

ここで悪質なのは、中学生や高校生にはこの虐待行為はやらずに、あくまでも幼児に対してこの虐待行為をしていたことです。乾燥機に入れ回す行為を行っていた部屋の裏にあることから、子供たちは「恐怖の乾燥機部屋」と呼ぶほど苦痛を味わっていました。

恩寵園事件で行われた虐待⑨髪の毛をバリカンで刈る

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時に大濱浩園長は、園児の頭をバリカンで剃ってしまうことがありました。それは散髪ではなく、問題行動の罰として、ハート型や星型だけを残してました。理由はそれだけではなく、この園から逃げ出してしまわない様に男女問わずそうしてました。

ほとんどの子供たちがこの後はしばらく学校を休んでいましたが、頭を刈られた後も学校に通っていた女の子もいたそうです。ですが、怪我を負わせた場合は、学校には風邪だと嘘の連絡を入れ休ませていました。

恩寵園事件で行われた虐待⑩園児達の前で足を切り出血させる

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姉から貰ったミサンガを男の子が園の中でも外さずに生活していると、その子を呼び出し、他の園児も一同に集めさせ、見せしめとして机の上に寝かせて包丁でミサンガを切りました。その際に足を切断をする真似をして出血させました。

この行為は園児を集めて行ったため、その中には足を切られた園児の姉もおり、あまりの残虐さに下を向いて涙を流していたそうです。こちらもその異常性を考えると、虐待の度を越えまさに拷問といえます。

大濱浩園長の素性とは?その全貌と園長側の人間とは

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千葉恩寵園裁判資料である、退職した保母による陳述書には、大濱浩園長の恐るべき素性が記録されていました。子供を日常的に暴力で支配した大濱浩園長の異常な思考の全てが明かされた記録をまとめました。

園長による精神的支配

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日々残虐な虐待行為が行われていた恩寵園では、「言葉で分からない時は体で覚えさせる」と言う全く理解しがたい教育方針を並べ、園内の虐待行為を正当化してました。大濱浩園長は激昂すると子供に対してそこら中のものを投げつけていました。その中に刃物も含まれる為、職員たちは表に出ていないかチェックするそうです。

叱っているところを園長に見つかった場合、激昂して子供にハサミやカッターなどを投げつけるからそういう風に先輩保母から後輩保母へ伝えていました。そういう現状から、恐怖で園長の機嫌を損ねない様にするので精一杯でした。

狂気に満ちた思考回路

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園長の虐待のきっかけは様々で、問題行動のあった子供が過去の虐待からなる防御本能で頭の前に両手の拳を出しただけで「ボクシングがしたいのか」などと言い、その子の頭を急に殴りつけることもありました。

そういった行動に対して批判的な職員が大濱浩園長に対して意見を言うと、「あなたたちの指導が悪いから、こうするしかない」などと反論してくる上に、あまり責め立てると子供たちに八つ当たりするので、結果何も言えなくなっていました。

園長を含む三人の家族ともう一人の人物

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これは千葉県知事にあてた手紙にも書かれていた人物たちで、恩寵園は園長をはじめとして主に4人の主要人物の支配下にあったと確認できます。それが妻の洋子とのちに強制わいせつにより逮捕された息子の大濱晶、そして林ルリ子の4人でした。

手紙には、すでに息子の大濱晶が女児に対してわいせつな行為に及んでいることや、林ルリ子にいやみたらしく罵られること、大濱洋子は自分の意志では動かないことなどが書かれています。この4人が中心でいる限り、誰も意見を聞き入れてもらえない状態が続いてしまうのです。

自分と意見が合わない職員への姿勢

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職員たちは大濱浩園長の目に余るほどの虐待行為を目の当たりにし、それを肯定する一部の人間の存在も理解していました。そのため、その事実に対して反対意見を持つ職員も多くいました。ですが自分にとって都合の悪い人間に対してどう接していたのかを詳しく紹介します。

意見に従わせ、退職という名の排除をする

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この園内では、大濱浩園長のまるで何処かの国の独裁者の様な経営方針があり、事実自分に従えない職員に対しては「やめればいい」などと吐き捨てていました。実際に強制的に退職させていたりもしましたが、これをまた正当化してました。

そして園長に対して職員が反対意見をいうと、それが「意見」ではなく「批判」と取られてしまい、子供達に拷問の様な八つ当たりをし、それが日常的に行われるという圧倒的な人権意識の欠如がありました。

ワンマン運営からなるずさんな実情

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自分に都合の悪い意見に対して否定する以前に全く聞き入れないため、真面目に取り組む職員から議論を求められても問題修正にはつながりませんでした。そして目障りになるとその職員を使い捨てにしてました。

自分が園長になりたくてなったわけではないし、自分はただやらされているだけ、とも取れる発言を職員に対し吐き捨ててました。こう言ったことから、施設運営への姿勢の問題の深さも根強かったのです。

恩寵園事件の裁判とその判決

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日々虐待行為に終わりが見えない中、1995年8月、遂に動きがありました。それは、児童相談所に匿名の電話での告発でした。その後施設には指導が入りましたが、残念ながら虐待が止むことはありませんでした。子供たちも訴えを起こし、ようやく2000年に決着がつきました。

大濱浩園長は懲役8か月、息子は強制猥褻で4年の実刑判決

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激昂すると子供に対して刃物を投げたり、殴りつけたりなど日々拷問のような虐待を繰り返した園長は懲役8ヶ月の判決が出ました。息子の大濱晶は強制卑猥により大濱浩より重い4年の実刑、加担したものたちは99年〜00年にかけて逮捕されました。

大濵浩が園長に就任してから実に20年間もの間金属バットで顔面を殴ったり木に吊るすなどの数々の虐待行為を行っていながら、たった懲役8か月という実に軽い判決を不服とする動きはありましたが、ようやく形に現れた瞬間でもありました。

千葉県に対して10万円~80万円の支払い命令

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千葉県に対しては、本当の意味での「児童養護施設」を設置することが責任であると、10〜80万円の支払いを命じました。園及び大濱浩園長に対する賠償責任は「国家賠償法」の適用を受けるとされたためなんと認められなかったのです。

子供たちからの再三の訴えや改善希望があったにもかかわらず、責任逃れのためにずさんな対応を繰り返し、悲劇を生んだにもかかわらず、気持ち程度の支払い命令しか出なかったことも多くの市民が疑問を感じました。

恩寵園事件の発覚と千葉県のずさんな対応

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長い間水面下で起きていた虐待行為が明らかになっていたにも関わらず、適切な指導をしなかったがために悲劇は繰り返され、そして子供たちからの訴えを受けたのにも関わらず、千葉県はずさんな対応を繰り返してました。

児童相談所へ体罰を訴える匿名の電話があり訪問指導

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19958月には児童相談所に匿名で虐待の事実の赤裸々な告発があり、千葉県と児童相談所は虐待の事実を確認したため、恩寵園に対して口頭での指導ではなく、現地に赴いての訪問指導を行いました。

虐待が無くならないことをみかねた職員が一斉に辞職

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そして恩寵園には千葉県と児童相談所から訪問指導を受けましたが、効果はなく、引き続き虐待行為は繰り返されました。子供たちを守ろうとしていた職員たちは大濱浩園長に抗議の意味で一斉に辞職を表明しました。

13名の児童が4か所の児童相談所へ逃げ込むも恩寵園へ戻される

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自分たちをかばっていた職員たちがいなくなると知った子供たちの内13人が虐待から逃れるために4箇所の児童相談所を目指し、それぞれ脱走しました。逃げ込んだ先の児童相談所にて虐待の事実を訴えましたが、園長への対処も養護施設への移管もせずに元の恩寵園に引き戻しました。

この事実を知り虐待をしないと誓った園長に対して、それならと辞表を提出した職員たちも撤回しました。ですが県は、過去の卑劣な虐待を知りながら、渦中の園長にはこれ以上の責任追及を行わず、施設側だけの指導で問題を解決しようとしました。責任を問ってしまうと、今まで放置した県の責任も問われるとの判断でした。

沼田武千葉県知事に子どもたちが手紙を書くも無関係な回答受領

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結局虐待は続き、高学年以上の子供で結成された「子ども自治会」を設立し、知事に大濱浩園長をやめさせる事などを強い希望を提出しましたが、驚くべき事に千葉県知事からはこの件とは全く無関係な「健康に気をつけてがんばって」など書かれた返答がかえってきたのです。

女の子が千葉県庁で園長解任を求めても逃げ腰で対応せず

女の子の入所者が自ら訪れた千葉県庁では、施設内の卑劣な虐待の事実を伝え、大濱浩園長が解任されるよう強く希望しましたが、改善命令を出すべき立場にあるはずの千葉県は、「権限がない」などと逃げ腰で、大濱浩の園長という役職から解任をすることも、改善命令をすることもありませんでした。

またしても体罰が起こり職員は辞職

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199610月、子どもが過度なストレスから壁を叩いていると、それを見た大濱浩園長が拳で血が出るほど思いっきり顔面を殴りつけました。目撃した職員が批判するが暴力行為を否定、更に主任保母は園長を擁護したのです。

職員たちは、全く反省していない園長の姿に心身ともに疲れ切ってしまい、1996年の年末からのおよそ1ヶ月間の間に、次々と辞職を志願し、1997年の3月には、主任保母と園長の息子である大濱晶を除く全職員が退職してしました。

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