恩寵園事件とは?児童養護施設で起きた虐待事件の判決や要因、その後

当時の福祉制度にはまだ大きな欠陥がありました。ここまで明らかな虐待行為を繰り返し行ってきた大濱浩園長が継続的に虐待を繰り返しながら施設運営できたのは、きちんと処理をするマニュアルを作ってこなかった厚生省の問題でもあります。

恩寵園事件に関する世間の反応

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この度重なる異常な施設内虐待が日々繰り返されていた恩寵園事件は、問題が明るみになりながらも改善されず長きにわたり継続され、ようやく世間に知れ渡り、裁判により事態は収束しました。これに対して、実際に世間の反応はどうだったのでしょうか?

この恩寵園事件において上記にもある様に、過去に児童養護施設内で起きた虐待行為の中でも極めて異常である意味歴史的な事件だったのにもかかわらず、未だにそれを教訓として取り組めていない現状がうかがえます。

年月が経った今でも、当時の虐待の事実や裁判の結果などを知った世間の反応は当時と変わらず、その異常な残酷性と、延長や関係者を含めた加害者たちへの刑罰の軽さに胸を痛めているのがわかります。

恩寵園事件で虐待にあった子どもたちその後

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実際に虐待にあっていた恩寵園事件の子供たちは、その後どういった生活をしているのでしょうか?きちんと社会生活を送れているのでしょうか?この項では恩寵園事件で虐待にあった子どもたちその後について記述します。

大人を信用できない子どもになってしまった

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虐待を受けてきたどの子供達も、年月がたった今でも急激に不安に襲われ、その度に血が流れるほどの自傷行為を行う事で気持ちを沈めていたり、当時の記憶が欠落している場合とそうでない場合があるような記憶障害に悩まされたりし、今でも大人を悪魔だとし、信用していません。

子供の頃に心に深い傷を負ってしまうと、やはり自分自身を制御できなくなってしまうのでしょうか。過去に心に闇を持ったまま育ち、自らの人生を狂わせ、多くの命を奪った痛ましい事件も実際にありました。

教護院に送られたり高校には行かず就職する子が多かった

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この施設を出た子供達は、そのほとんどが中卒で就職していました。高校に進学した男の子は過去20年間おらず、女の子も数名程度でした。さらに大濱浩園長から問題児扱いされていた子供たちは強制的に教護院に送られていたのです。

事件後の恩寵園の現在

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あれほど卑劣な非人道的とも言える虐待行為を行い、それを20年余りもの長い間隠蔽していた恩寵園でしたが、ようやく世間に知れ渡り、それでも虐待は止まず、遂に裁判にまでもつれ、ようやく事態は収束しました。子供たちは未だ後遺症に悩まされていますが、恩寵園は現在どうなったのでしょうか?

事件後職員を総入れ替えし新園舎も竣工

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過去稀に見る施設内虐待が繰り返されていた恩寵園は、事件が世間に明るみになり、裁判にて事態が収束した後、元々いた職員たちを総入れ替えし、とても広々とした印象の新園舎も竣工し、園長を含む総勢34名で再スタートを果たしました。

現在はイベントなども多く行い子どもたちの成長を支援

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現在では過去事件を起こした恩寵園の姿は無くなり、お食事会やナイトウォーク、餅つき大会のほか、卒園、卒業、進級などの御祝いと1年の頑張ったことを表彰する「がんばったね会」などの各種イベントなどを行い、日々子ども達の成長を支援しており、子どものことを思う児童擁護施設として運営されている事が伺えます。

恩寵園事件以外でも施設内虐待は行われていた

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恩寵園事件と同時期もしくは事件後となる近年、あれだけ大々的に施設内虐待に対して批判があったにも関わらず、未だにそれらを教訓とせず、指導がエスカレートし、事件に発展した事案がありますので以下にまとめました。

埼玉児童性的虐待事件

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この事件は2006年に被害にあった少年の証言により発覚した虐待行為で、当時10代の少年を女性保育士が自宅に呼び出すなどをして性行為に及んだといいます。さらにこの関係を拒むと別の女性職員に蹴られたり髪をつかまれたりしました。

この同時期に男性指導員が少女を自宅に連れて行き、性行為を強要しました。この行為があった一年後に更に手錠や玩具などを使用することを強要され逃げ出し、宿直補助の女性職員に相談したことで事件が発覚しました。

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