恩寵園事件が発生してしまった要因は何だったのか
匿名の告発や子供の訴え、職員の証言などから虐待の事実はあるのにも関わらず黙認され、簡単に片付けられ、再び悲劇が繰り返されてしまったこの事件の要因は一体なんだったのでしょうか。ここではその要因をまとめました。
恩寵園の同族経営化
ここでは同じ一族による同族経営により、「私物化」と「支配」が満映しており、それを批判することのできない環境になっていました。理事長は大濱浩の兄であり、「虐待はただの間違い」などとして、施設内虐待を正当化し隠蔽してました。
千葉県の児童養護施設長会も事実を黙認
この虐待行為に対して児童養護施設長会ではごく一部の役員が対応をしており、長い間この役員のみ状況把握していました。実際に始めてこの施設内虐待の経過を施設長会に報告したのはなんと2000年2月のことだったのです。
それまではこの事について一度も議論をされず、唯一状況把握していたこの一部の役員も、「大したことない」と虐待の事実を隠蔽、黙認する発言をし、園長に対して「頑張れ」などと激励すらしていたというのです。
千葉県の不適切な対応
千葉県の調査では子供達からの訴えや現場職員の証言よりも、大濱浩園長の意見ばかりを聞き、全く改善させようとしてませんでした。もし最初の発覚の時点で適切に対応していたら心と体に深い傷を負う子供達が増えなかったかもしれません。
園長を退任させられない制度上の問題
当時の福祉制度にはまだ大きな欠陥がありました。ここまで明らかな虐待行為を繰り返し行ってきた大濱浩園長が継続的に虐待を繰り返しながら施設運営できたのは、きちんと処理をするマニュアルを作ってこなかった厚生省の問題でもあります。
恩寵園事件に関する世間の反応
この度重なる異常な施設内虐待が日々繰り返されていた恩寵園事件は、問題が明るみになりながらも改善されず長きにわたり継続され、ようやく世間に知れ渡り、裁判により事態は収束しました。これに対して、実際に世間の反応はどうだったのでしょうか?
この恩寵園事件において上記にもある様に、過去に児童養護施設内で起きた虐待行為の中でも極めて異常である意味歴史的な事件だったのにもかかわらず、未だにそれを教訓として取り組めていない現状がうかがえます。
年月が経った今でも、当時の虐待の事実や裁判の結果などを知った世間の反応は当時と変わらず、その異常な残酷性と、延長や関係者を含めた加害者たちへの刑罰の軽さに胸を痛めているのがわかります。