精神科を設立し、患者を収容する事で国からの補助金がもらえるというのは経営者側からすれば非常に魅力的な内容でした。この魅力に食いつくように精神科病院が多く設立されることになりましたが精神科医の不足という問題も発生することになりました。
この精神科医の不足を補うために、多くの内科医や外科医が精神科医に転向するという事態になりました。病院の利益のために精神科に転向するため、専門的な知識もさほどなくレベルの低い病院が多く存在するようになりました。
宇都宮病院事件の背景④厄介者の受け入れ先として都合が良かった
隔離することを目的としていた法律と病院であったため、精神疾患を抱えている人の身内が患者として強制的に入院をさせることができる施設として精神病院は都合のいい場所になっていたそうです。
Contents
宇都宮病院事件の捜査の行方
今回の事件は、あまりにも衝撃的な内容であったことから世間でも非常に注目を浴びました。関係者300人以上の取り調べを行い、石川院長をはじめ9人が逮捕される事態に発展します。また容疑者として送検された人数は100名を超えていたと言われています。
1984年に家宅捜索された
新聞での報道により事の重大さが判明し、警察は患者への暴力や違法な解剖などの真相を究明するべく病院の家宅捜索を行っています。家宅捜索により数々の病院の闇が明るみに出ることになり世間を驚愕させることになりました。
実行犯の看護職員5名と石川院長が逮捕された
家宅捜索の結果、暴行を加えた職員・元患者5名と院長が逮捕となりました。220名にも及ぶ死亡者が出ているにも関わらず逮捕されたときの罪は2名の患者に対するものだけでした。既にかなりの年数が経過しており立証が困難であったことからというのが推測できます。
しかし、大勢の入院患者を暴力により支配していた事実を考えるとこの2名に対してだけでしか逮捕できなかったというのは、他の被害者や遺族からすればあまりにも残念な結果としか言いようがないでしょう。
捜査後には更に病院関係者4名が逮捕された
捜査を続けた結果更に病院関係者4名が逮捕されこの事件の逮捕者は合計9名となりました。多くの逮捕者を出すことになってしまいましたが、利益のみを優先した経営ではなく職員や患者の環境を優先していればこのような最悪な事態に陥ることはなかったでしょう。
実行犯は傷害致死罪、院長は違法治療などの罪に問われた
家宅捜査の後に院長と一緒に逮捕された職員5名の内4名は傷害致死罪の罪に問われ裁判へかけられることになりました。しかし、劣悪な環境により最悪の結果を引き起こした院長は殺人や傷害致死罪に問われることはありませんでした。
220名いた死者のうち傷害致死罪に問われたのは2名分だけ
院内での暴力などにより、220名にも及ぶ不審死、患者の金銭の着服等数々の犯罪行為が当然のように黙認され行われていても、他の病院拒否した患者を受け入れてきたことが社会的貢献とみなされ、裁判で罪に問われたのは2名の患者の傷害致死と院長の無資格の治療行為などに対する罪の身でした。
宇都宮病院事件の判決は?
全てが暴行による死亡ではないものの、多くの暴行被害を受けた者がいるにも関わらず立件は難しいことから患者2名を死亡させた傷害致死に問われた4名と院長の4つの罪に対する裁判の判決はどのような結果となったのでしょうか。裁判の内容とそれぞれに下された判決について詳しく見ていきます。
看護職員と元患者は実刑判決
1人目の被害者に対する暴力行為による傷害致死では主犯格の看護職員1名は懲役4年の判決となっています。犯行に関与した2名の職員は懲役3年の実刑、暴行に加わった元患者については事件当時は躁病で心身耗弱の状態であったとされ懲役1年6ヶ月の実刑判決となっています。主犯格の看護職員以外はいずれも執行猶予がついています。
なお、2人目の被害者となった患者の暴力についても裁判で問われることになりましたが、直接の死因と暴力行為の関係性が断言できないとされ残念ながら1人目の被害者に対してのみの判決となっています。
石川院長は懲役1年の判決に控訴し8ヶ月の実刑
地方裁判は石川院長に対し、懲役1年の判決を言い渡しました。傷害致死などに関する罪ではなく病院の管理体制に関する法律違反で傷害致死での有罪判決を受けた職員達よりも軽い刑でしたが院長はこの1年という判決を不服として控訴しています。
結果として高等裁判では地裁の1年という判決から減刑され懲役8ヶ月執行猶予なしという結果となりました。また、院長は医道審議会において2年間の医業停止命令が下されます。数々の違法行為に暴力の黙認等2年では短すぎるのではとの意見も少なくありません。
宇都宮病院事件のその後
今回の事件は宇都宮病院だけでなく癒着していた東京大学医学部をも巻き込むこととなりまた、多方面から批判の声が上がり入院していた患者にも多くの影響が残る事件となりました。この事件の後に起こった出来事について見ていきます。
武村は刑事責任を負わず東大を退職しただけだった
事件が公になったあと関与していたとされる東大の医師たちは厳重注意のみで終わることになりました。しかも注意の内容も厳重とは程遠く東大内部から受けたものだったとされており批判の的になりました。
また、石川院長と深く繋がりがあった武村伸義でさ刑事責任を問われるようなことはなく東大医学部を退職しただけに終わり、あろうことか東大医学部を退職した後は事件の現場となった病院で働いていました。黒幕ではと言われていたにも関わらず刑事責任を課せられることなく医師を続けいました。
宇都宮病院事件は他国からも批判が上がった
この事件により日本における精神医療のひどい状況が国内だけでなく世界中でも明るみになり各国から多くの批判の声が上がりました。これは、当時世界的に見ても精神医療に対する患者の人権が問題になっていたことによりますがそれでも悪質すぎると集中砲火のようになりました。
各国から多くの批判を浴びた日本は、これまでの法律を見直すことにし精神保健法を制定することになりました。そして国連の場や各国が集まる場所においても精神障がい者の人権の保障と保護を約束することになりました。
宇都宮病院事件後に退院となった患者が事件を起こした事も
入院していた患者の内170名の人は退院することになりました。入院が必要なのは、病気により自分自身や周囲の人に暴力をふるう可能性がある人のみでそれ以外の患者に対しては入院の必要はないと判断されたことによります。
しかし、退院後に殺人事件などの犯罪を起こしてしまった患者がいたのも事実になります。精神疾患との因果関係は証明できませんが、精神疾患という普通の人とは違うという観点から大きく精神病というのが大きく掲げられ精神病患者への偏見が増幅してしまったこともあります。
宇都宮病院は元患者から民事裁判を起こされた
強制的に入院させられていた患者たちは、傷害致死のみの罪であることに納得ができず病院と院長を相手に民事裁判にて訴訟を起こします。民事裁判が決着したのは1996年になります。損害賠償が成立し決着となりました。
刑罰で裁判ができないのであれば、民事でとの考え方は被害者からすれば当然のことであり損害賠償を得ることができても暴力を受けた心の傷は簡単に治ることはできないでしょう。
宇都宮病院は今も経営しているが評判は悪い
このような事件を起こしていたにも関わず、宇都宮病院は現在でも病院として稼働しています。国立の宇都宮病院もありますがそれと区別するために陽南の宇都宮病院と呼んでいる人もいます。しかし、昔の悪評は尾を引くものでGoogle等の口コミをみても評価は低く評判はいいとはお世辞でも言えない状況です。
宇都宮病院事件の院長はどんな人物?その後どうなった?
事件を引き起こしてしまった根本的な原因は石川院長にあります。このような悲惨な事件を引き起こした石川院長は本当に悪人だったのでしょうか?石川院長の診察の様子や性格・人柄退院後の様子について見ていきます。
ゴルフのアイアンを持ち患者を暴行しながら回診していた
院長は入院している精神疾患の患者をほぼ一人で診察していたと言われています。多い時には900名以上の入院者がおり診察に膨大な時間を要することから、回診は一人当たりわずか数秒という診察とは思えない行動でした。
また、精神疾患を抱えている者には暴力的な面を持っている人もいるため常にゴルフのアイアンを持った状態で病院内を歩き回り反発する患者には殴るなどして患者を支配し自らの身を守っていたそうです。
事件後も医師として診察を続けた
事件の後に、院長を辞任していますが病院のホームページには精神科の主任医師のところに名前が載せられているそうです。かなりの高齢ではありますが現在でも医者を続け主任医師であることから石川院長の指導により精神科は存在しているようです。
自身のホームページで「暴力はなかった」と主張
石川院長は自身のホームページで今回の事件の事を語っていました。自分の犯した無資格者の医療行為などについては反省していると述べていますが、暴力行為については虚言壁のある患者の言葉を信用しそのまま報道されたことにより事実は歪められ誤ったイメージがつけられたと記述しています。
暴力により死者が出たことや患者のお金を着服したことなどは一切なく患者の一方的な虚言や妄想であり暴力行為などはなかったと強く主張している文章になっています。真実はわかりませんが保身ともとれる文章であると捉えられます。
宇都宮病院事件後に「精神保健法」が制定
精神疾患者に対する集団暴行による殺人や、日常的な暴行、無資格者に医療行為をさせるなどが各国に明らかになり批難を浴びまた1985年に国際法律家委員会が精神科医療の様子を調査したところ国際問題にまで発展することになりました。そこれこれまでの法律を改正し精神保健法が成立することになりました。
改正内容①患者が自由に入退院できる
精神障害者への人権保護を改善した内容に変わることになりました。これまでの半強制的な入院から、任意入院ができるように変更されました。また本人や家族への十分な制つめいと合意が必要となり精神保健指定医1名の確認と判定が必要で親族誰かの同意が必要となりました。
改正内容②入院患者の権利を明らかにする
患者の中には適切な判断を自分でできない人も存在します。そのため、本人の意思によらず入院をしなければいけないこともありますが、人権対する配慮は精神疾患者にも必要であり良質な医療を受ける権利と処遇等に対して不満を申し立てる権利は保障されています。
改正内容③第3者委員会の設立
精神病院に入院する精神障害者の人権を守るため、入院の必要性等を審査する精神医療委員会が設立されています。人権擁護だけではなく、精神障害者の社会復帰を促進し支援する働きもあるそうです。
宇都宮病院事件に関する書籍
今回の事件に関する書籍は数多く発売されています。今回は、その内の2つについて紹介をしていきます。
宇都宮病院事件の関連書籍①「東大病院精神科の30年」
東大病院闘争時から一貫しての自主管理・自主看護を掲げ、30年にわたる精神医療改革運動の内容になっています。また、東大医師による人体実験が問題となった宇都宮病院事件の日本における精神医療現場での環境は改善されたのかという内容になっています。
宇都宮病院事件の関連書籍②「新ルポ・精神病院」
二つのリンチ怪死事件を起こした宇都宮病院の内部の日常的暴力・患者の奴隷労働・院長の法人私物化などで次々と明らかになり、実際に潜入し実態を詳細に記述し、また良心的な病院は解放された空間であり、患者の社会復帰を考えた治療法を探っており精神科の未来について考察している本になります。
他にも病院での事件や事故は起きている
この事件だけでなく、過去にも多くの病院での事件や事故は起きています。ここでは以前病院で起きた事件や不祥事などについて紹介していきます。
新潟精神病院人体実験
新潟大学医学部の内科医たちが新潟精神病院の150名近い精神病患者たちにツツガムシ病の病原体を注射し8人の患者が死亡するという人体実験事件になります。新潟大学医学部の内科医は治療のひとつと主張していましたが、精神科医は関与しておらずカルテの記載もなかったそうです。当時国会でも大きな問題として取り上げられました。
近藤病院女性暴行事件
1968年、以前この病院の患者であった暴力団員が病院の経営権を握ったことにより、女性患者を次々と暴行を受けた事件になります。またこの事件で近藤病院は健康保険の水増し請求も発覚し問題となりました。
栗岡病院暴行事件
入院患者13人に対して院長がバッドで殴打したことにより死亡事故が発生。死亡した患者は1人と言われていますが、2名だったとも言われています。なお、実際に殴打したのは看護職員で院長は暴行を指揮していたともいわれていますが、実際に患者を殴打したのが誰か真相ははっきりしていません。
安田病院暴行事件
1969年に看護職員3人が患者を暴行しその結果患者が死亡した事件になります。1969年は他の病院でも様々な収賄や患者の詰め込みをごまかすなどの不祥事や、集団脱走により2人が死亡、火災により6名の患者が死亡するなどの事件が相次いで起きた年になります。
精神疾患者との向き合い方と偏見のない世の中へするには
統合失調症等の精神疾患を持っている人との付き合い方は難しいと感じる人も多くいると思います。しかし、家族や周囲の人が正しく接し向き合うことができれば、決して難しいことではありません。
精神疾患者との接し方
精神疾患に関しては現在も偏見の目があるのは悲しい事実です。家族は世間体を気にしてか身内に精神疾患を持っている人がいる場合隠そうとする傾向が多くみられますが、これは本人にとっても家族にとってもマイナスとなります。理由としては家族が病気を受け入れていないことそのため本人も自分の存在を否定されていると感じてしまうからです。
特に統合失調症は難しい病気であり、家族も受け入れるのに時間がかかるかもしれませんが特徴等を理解することで上手に向き合うことが出来ます。本人ができること、できないことを把握してあげてできることは本人に行ってもらい難しいことは周囲がサポートしてあげることが大切です。他、コタール症候群という精神疾患に関する記事はこちらをご覧ください。
誰もが平等の世の中になるために
人は生まれながらにして平等である権利を持っています。身体障がい者・健常者関係なく人は皆平等であるべきです。しかし、日本においては昔からの風習が根強く残っているところも多く、今でも障がい者に対する偏見はあります。
もし、自分だったら自分の身内だったらと変換させ広い視野を持って人と接するようにすれば、自然と偏見は減り人々が平等の世の中になります。簡単なことではないですし、まだいくつもの障壁があるのは事実ですが一日も早く平等な世の中になるよう努力は必要です。
宇都宮病院事件は精神病院の有り方が見直された事件だった
職員達による集団暴力により大勢の命が奪われ罪に問われたのは2件だけという残酷な事件であり、また当時の精神病に対する国の措置などから劣悪な環境を生み出し蔓延させ患者の人権を無視した法律が問題となった事件になります。
この事件をきっかけとして、精神病院の在り方や精神疾患者への人権等が見直されることになりましたが問題が大きくなりすぎて見直すのは遅すぎる感じますが逆に問題が起きなければ現状で潤滑に動いているということになりその判断は難しいところにはなるでしょう。