宇都宮病院事件とは?看護助手が患者2名を死亡させた暴行殺人事件
看護職員の暴行により患者2名の命が奪われてしまったショックな事件になります。他の精神病院でも対応に苦労する患者も受け入れおり患者や患者の家族からすれば優良な病院に見えていたのかもしれません。
しかし、この病院の実態は看護師に診察をさせる、患者への虐待を黙認、敷地内の畑で作業させる、既定のベッド数をオーバーしているのに入院を受け入れることは日常的で、入院の強制もありました。他には亡くなった人を無資格の人間に解剖させるなどブラックな場所でした。
それぞれの部屋に施錠がしてあったり、隔離されたりしていた為病院の実態や患者死亡に関してはすぐには公になりませんでしたが、事件の翌年、朝日新聞朝刊によって明るみになり世間の大きな注目を集めました。精神障害者の人権保障の観点から、国会でも話題となりこの事件をきっかけに、これまでの法律を改正し精神保健法が成立しました。
宇都宮病院事件の経緯
新聞の報道により世間に知られることになった驚愕の事件になります。精神病院故の閉鎖的な空間が災いして表沙汰になるの時間がかかりました。この事件の被害者はどのような患者でどのような被害を受けたのか事件の経緯について見ていきます。
32歳の男性患者が看護助手に鉄パイプで殴られ死亡
最初に犠牲となってしまったのは、統合失調症で入院をしていた32歳の男性です。職員が夕食をあまり食べていない患者に対して食べるように注意するも、被害者が拒否をして捨ててしまったことに激怒して頬を叩いたことが発端となります。
被害者は抵抗しますが職員は被害者の腰に回し蹴りをするなどして被害者を別の場所に移動させ、他にも3人の人間が加わり合計4人で暴行を続けていきます。最初に頬を叩いた職員が金属製のパイプで殴ったのを皮切りに他の職員達も交代で殴り続けたり身体を踏みつけたりするなど長時間続きました。
被害者は、自力で自分のベッドまで戻りますが飲み物を飲む力もなくなり次第に動かなくなりました。駆け付けた職員により処置を行いますが被害者の男性はそのまま亡くなってしまいます。
35歳の男性患者が他の患者と看護職員にリンチを受け死亡
1件目の出来事から、10カ月後再び犠牲者が出ることになりました。2人目の犠牲者となったのは35歳のアルコール中毒で入院していた患者になります。お見舞いに来た家族に病院の対応について愚痴をこぼしており、家族が帰った後に長く入院していた患者と職員複数名によって集団で暴行を加えています。
退院したいと家族に訴えていた患者に対し素手で殴ったりパイプ椅子で殴るなどの暴行を加え冷水を頭から被せるなどの行為を行いました。被害者は肝硬変も患っており暴行が原因となり静脈瘤が破裂し暴行を受けた翌日に亡くなってしまいました。
院長は家族に病死などと報告していた
患者の状態を観れば、病死ではないことは明白でしたが院長は1人目の患者は外傷性のショック死であったのにてんかん発作による衰弱死と説明をし②英目の患者は肝硬変による失血死であると病気の悪化により亡くなったと説明をしていました。2人目の患者の遺体は至るところに内出血の後があり痣だらけでした。
1年もたたないうちに暴行により2人の死亡者を出すことになりますが、誰かこの異常な事態に気付く人はいなかったのでしょうか?誰かが止めに入っていれば最悪の事態は防げていたでしょう。体中に痣が見られるのに遺族は不審に思わたなかったのでしょうか。
宇都宮病院事件が発覚した経緯は?
宇都宮病院は、患者と外部の人間との接触を遠ざけていました。患者同士で監視させたり脱走した場合は見つけ出した後に暴行を加えたりしていました。外部との接触を遠ざけていましたが事件は公表されることになりました。実態が発覚するまでの経緯について見ていきます。
宇都宮病院の患者が東大病院を訪れた際に告発し発覚
宇都宮病院に入院していた患者が東京大学附属病院の精神科を受診した際、劣悪な現状を暴露したことにより発覚しました。この患者は職員に反抗したり脱走を企てたらリンチされている他の患者を常に見てきていた為、脱走を断念したそうです。
なお、この患者は運よく外部と連絡が取れ退院することができましたが、宇都宮病院を退院した後すぐに病院で起きている現状や殺人事件などに関して警察に訴えを届け出ていますが、何故か受け付けてもらえませんでした。この時警察が行動をしていれば事件はもっと早くに明るみに出た可能性があります。
東大病院が宇都宮病院問題担当班を設置
東京大学附属病院は入院中の患者からの告発を受けて問題担当班というのを設置しました。その後は弁護士の戸塚氏や社会党政策審議会と協力体制を整え、調査に乗り出します。また、告発した患者も入院中に暴行により亡くなった患者さんや加害者の職員達の情報を調べ挙げたそうです。
調査を進め宇都宮病院の実態が明るみに出た
東京大学附属病院は、宇都宮病院問題担当班を設置し弁護士や社会党と協力体制を整えた後、同じく調査をしていた朝日新聞社と情報交換をしていました。慎重な調査の結果を含め告発者の悲痛な訴えにより宇都宮病院の現状を明るみにすることに踏み切りました。
宇都宮病院事件が朝日新聞で報道される
慎重に調査を続けていた東京大学附属病院側と朝日新聞社は入院中の患者が必死の思いで書き紙飛行機にして飛ばした手紙を見つけ朝日新聞社は報道することを決めました。1984年3月の新聞に「患者2人に死のリンチ」というショッキングなタイトルをつけ患者2名が無残にもリンチにより命が奪われていた事実を公表します。
宇都宮病院の異常な実態
患者2名を暴行・虐待等により死に至らしめていますが、事件が明るみになったことにより様々な異質ともいえる実態が次々と明らかになっていきました。中には目を背けたくなるようなことや、常識的に考えるとあり得ないというようなことあります。
宇都宮病院の実態①事件発覚まで3年間で200人以上が死亡
事件が公表されるまでに、3年間で200名以上の死亡者が出ていると言われています。それが、全て暴行が原因かどうかは不明ですが、200名以上という聞きなれない死亡者数の為病院がいかに粗悪な体制で経営をしていたのかが容易に想像できます。
宇都宮病院の実態②無資格で遺体を解剖していた
他の患者とは違く少し特質な症状のある患者が入院してくると、病院側は研究の為かその患者の脳が欲しいと欲が出ていたそうです。珍しい症例の患者が死亡した後、看護師やケースワーカーといった解剖知識や資格のない者に脳の解剖をさせていたそうです。
無資格者による解剖は1年間で10体以上とという常軌を逸した数であり、解剖により摘出した脳はホルマリン漬けにした後に研究の為として東京大学の武村伸義の元に提供されていたそうです。この武村伸義は非常勤として出入りしていた経験もあり環境等について知っていたと考えられておりもしくは真の黒幕ではとも言われています。
宇都宮病院の実態③無資格の看護助手を多数雇用
1960年頃から宇都宮病院は看護師の資格を持っていない職員を安い給料で集中的に雇っていたそうです。専門的な教育や指導などは一切なく、患者を暴行しても構わないというような発言をし、逆に暴力で押さえつけることに抵抗を持っている人を解雇しています。
宇都宮病院の実態④「作業療法」として患者にも仕事をさせる
劣悪な環境や実態が明るみになったのは1984年のことですが、院長はそれよりも10年近く前から患者を自分の一族の企業で働かせるなどしていたと言われています。敷地内の土地で畑仕事をさせたり、作業療法と称してレントゲンの検査や脳波の測定等の医療行為をさせていました。他には、敷地内にあるゴルフ場でボール拾いをさせる等しています。
宇都宮病院の実態⑤患者と外部との接触を絶たせる
このような実態が10年以上も公にならなっかた理由は、入院中の患者は外部と連絡を取り合うことがほぼ不可能であったことによります。携帯電話やパソコンは普及していない時代になり公衆電話のみが外部との連絡手段になりますが、金銭管理を病院側がすることにより公衆電話を患者独断でできないようにしていました。
宇都宮病院の実態⑥適正基準に満たない看護師数
症状の軽い入院患者に注射や点滴等看護師や医師しか行えない医療行為をさせまた1日当たり6人という義務付けをしていました。目標を達成できれば退院できると言われており患者たちは目標達成のため、医療行為を行っていたそうです。他、不審による違法治療に関する記事はこちらをご覧ください。
当時は精神科を専門とする病院は他の診療科と比べて医師の数は既定の1/3、看護師は2/3の人数でよく、また事情によってはその基準を満たしてなくても良いという緩い設定もありました。しかし、患者を強制的に入院させベッドを常に空きの無い状態にしていたこの病院は看護師の数が圧倒的にたりず患者に患者の検査をさせていました。
宇都宮病院の実態⑦法人税2億円を脱税
入院患者の金銭を管理していた病院は生活保護等の費用を自分のものにしていました。そのため、患者の預貯金が数千万円所在不明となっていた遺体にも違法な方法で財畜しており約2億円ともいえる法人税を脱税するなど、悪質な経営体制となっていました。
宇都宮病院のずさんな経営は金儲けのため?
劣悪な環境は全て院長により金儲けの為の私利私欲のためだったと言われています。私腹を肥やすために患者の金銭を巻き上げたりする以外にも様々なずさんな経営体制が明るみになっています。呆れるほどの経営体制について見ていきます。
宇都宮病院のずさんな経営①ベッドが空かないよう患者を詰め込んだ
病院は入院患者が減りベッドが空いてしまうとその分収入が減ってしまします。そのため病院側はベッドが空になることを嫌い多くの患者を入院を受け入れておりその人数は、病院に設置してあるベッド数920床に対して入院患者は948人に及んだと言われています。
また、ベッドを空きがないように入院患者確保のため、家が近い人たちだけでなく、遠方からの診察希望者の人たちも積極的に受け入れており、時には通院レベルであり入院の必要のない人まで入院させ、医療保険料を国へたくさん申請していました。
宇都宮病院のずさんな経営②不正経理を行っていた
患者が脱走したり、外部と連絡を取ったり反抗的な態度をとったりしないように現金や通帳などを預かり金銭管理をしていました。しかし、あろうことか預かっていたお金を大雑把に扱い3000万以上行方が分からなくなっていました。
生活保護を受給している患者を積極的に受け入れ、看護料を不正に申請し受給していたと言われています。この不正受給の結果1億円近い金額をだましとり脱税も行っていたと言われています。誰が聞いてもあきれる経営管理になります。
宇都宮病院のずさんな経営③患者の食事を減らしコスト削減
病院の食事は、栄養管理を重視して偏ることの内容に栄養士さんが考えて調理をするものですが入院中の患者の食事はおにぎりと漬物だけだったと言われています。院長は食事の質を落とし、食費を浮かせその浮いたコストを自分で着服していました。
おにぎりと漬物だけというのは、あまりにも栄養のバランスがとれておらず患者が栄養失調も同然だったと言っても過言ではないでしょう。その上それを自分の私腹のために患者を犠牲にする行為は悪質としか言いようがありません。
宇都宮病院のずさんな経営④無駄な検査や入院引き伸ばし
連日のように必要のない検査をしたり、多くの薬を服用させるなどし入院を引き延ばしていたそうです。一度入院したら退院は殆どできないと言われていました。このように、不要な検査や入院を引き延ばすことで医療費を請求し自分が着服するという事を院長は繰り返していたそうです。
宇都宮病院のずさんな経営③東大医学部と癒着していた
院長は、精神科の研究生だったころ東京大学医学部と繋がりを持っており事件が発覚したときは共同研究を行い東京大学医学部の医師は数多くの論文を作成していました。病院側は東京大学医学部の医師の名前を借りて医者を増員して利益を得てまた東大という名前を手に入れブランドがついたことにより格上げにも成功しています。
一方で東京大学附属病院側も珍しい症例の研究ができることや死亡した患者の脳を研究用に提供して貰えていたことに加え謝礼や研究費を受け取っていたそうです。このようにお互いにとってプラスとなっていた為東京大学医学部側も病院の現状を知りながら黙認し、お互いWin-Winの関係であったことが伺えます。
宇都宮病院事件が起きるまで
当然のことながら、最初から違法な手段や犯罪を起こそうと考えて病院を経営する人はいません。では、何故このような悲惨な事故が起きてしまう病院となってしまったのでしょう。事件が起きるまでの病院の実情と闇を追いかけていきます。
石川院長は元々内科医だった
石川院長は初めから精神科の医師ではありませんでした。石川医院という病院を精神科を設立する前は経営していました。石川院長本人は元々内科医でり、精神科や精神病患者についての知識は殆ど持ちわせていませんでした。精神科医に転向した際に東大医学部精神科の研究生となったことがきっかけで先ほど紹介した東大との癒着は出来上がっていきました。
東大医学部の医師から指導を受け宇都宮病院の医師となる
病院を大きくしたいと考えるのは決して悪いことではなく、開業している医者であれば考えることは必然なことでもあります。石川院長も精神医学を学ぶために東大の研究生となり竹村伸義から精神科に関する知識を学び精神病棟の設立が可能となり内科医から精神科医へと変更しています。
精神医学に関する知識を教えてくれた竹村伸義の事を院長は恩師として慕い、彼のために解剖した患者の脳を提供していたとの噂が出るほど真の黒幕として竹村伸義の存在は特別なものとなります。
精神衛生鑑定医の資格を取り宇都宮病院に解剖室を設置した
石川院長は、徐々に病院拡大の目安を立てていき精神衛生鑑定医を取得することに成功しました。この資格を所持したことにより、解剖室を設置することになります。この施設の設置が結果として死亡した患者の脳を摘出し東大医学部へ送るというルートができあがることになります。
特殊な症状の患者を積極的に受け入れた
鑑定医の資格を取ったことにより病院の拡大が可能となりました。そのため、病院の利益と症例数の確保の為院長は病床数を拡大させていきます。また、解剖学の進歩のため珍しい症状の患者を多く・積極的に受け入れ病院は徐々に拡大していくとになりました。
ベッドの数が300を超えたころには、問題の多い患者の受け入れ先として全国でも名の知れた病院となりました。患者の身内からすれば積極的に受け入れをしてくれる為、最後の砦のような存在でしたが実態は私欲のための病床拡大と受け入れであり患者や患者家族を考えての事ではありませんでした。
宇都宮病院事件が起きた背景とは
職員らによる暴行により患者が死亡してしまった今回の事件は、この当時の時代背景が起こした悲劇だとも言われています。すべての責任が病院側にあるともいえず、当時の法律自体にも問題点はあったのではという観点から精神衛生法が見直されることになりました。
事件が起きて、大問題にならない限り法律を見直すようなことをしなかった日本政府もまた加害者と言えるのかもしれません。精神疾患は患者との接し方など大変な病気ではありますが隔離が必要な患者はごく一部であり、他は普通の人たちと変わらない生活ができる人が殆どです。
宇都宮病院事件の背景①「精神衛生法」は患者を隔離するための法律
事件が起きた当時は、精神患者に対する法律は「精神衛生法」といい明治時代に作られた「精神病院法」をそのまま引き継いだ内容でした。その内容というのは、精神疾患の患者を治療するのではなく、外部と隔離する事を目的としていた内容の法律となっていました。精神疾患を抱えている人を収容することで国からの援助金がもらえるというシステムでした。
宇都宮病院事件の背景②精神科は優遇されていて経営しやすかった
精神科の診察を行い、精神障がい者を収容すると国から援助がもらえるため当時精神科病院が多く作られるようになりました。厚生労働省の特別措置で一般診療の病院と比べて医師は約3分の1、看護師数は約3分の2の人数で良いとされており人件費を大幅に減らすことが可能でした。