【トムプライス死亡事故】不運な事故の状況と原因、事故動画とは?

トムプライスのF1死亡事故はマーシャルがレースコースを横切るという前代未聞の原因によって引き起こされたいわば人災です。なぜトムプライスの事故はおきたのか、事故概要と原因に注目しながら問題のトムプライス事故動画を紹介していきます。

この記事をかいた人

アウトドアやオカルト・心霊が大好きです。わかりやすく、ちょっとためになる情報も織り交ぜながら紹介できるような記事を作っていきたいです。
Array

トムプライスとは

Pexels / Pixabay

イギリス出身のレーシングドライバーのであるこの名をご存知でしょうか。彼は幼少期から車に興味をもち、その後F1ドライバーとして活躍するのですが、不運な事故によって無くなります。彼について調べていきましょう。

トムプライスのプロフィール

urv / Pixabay

彼が一体どのような人生を送っていたのか、プロフィールについて調べていきましょう。彼は949年6月11日にイギリスのクルイド州ロセットに生を受けます。本名はトーマス・モルドウィン・プライスといいます。

子供のころから車に興味を持つ彼ですが、きっかけは10歳の頃にパン運送用のバンに乗ったことが始まりでした。そこから車に興味を持ちドライバーを目指していきます。ただ、一時期は飛行機のパイロットにもあこがれていたようです。

katherinelake / Pixabay

しかし、こちらの夢は成績が及ばずあきらめることになってしまったようです。両親もちょうど彼をレーサーにしたいと考えていたこともあり、家族でレーサーとしての夢をかなえられるよう動いていたそうです。

そうして、彼は16歳で学校を中退後、トラクターのメカニックとしての検証を受けつつ働き、同時にF1レーシングドライバーになるための成績を残すために、F2やF3お大会に出場していくことになります。

Pexels / Pixabay

1975年には結婚し、イギリスから誕生した期待のドライバーとして注目されることとなっていきますが、1977年に起きた事故により命を落とすこととなります。享年27歳という若くしての死に誰もが衝撃を受けたそうです。

トムプライスの戦績

Toby_Parsons / Pixabay

彼が生前残した成績についても紹介していきましょう。彼はメカニックとして働きながらF2やF3の大会に出場することでF1への出場権を獲得していき、とうとう1974年にベルギーグランプリにてF1への出場を果たします。

そして1975年のオーストラアグランプリでは3位に入賞し、ポールポジションまで獲得します。また、その後に行われたブランズハッチでのレース・オブ・チャンピオンズと呼ばれる非選手権戦においては、ポールポジションとファストステップを獲得。

3dman_eu / Pixabay

そして、成績は優勝を収めるという快挙を成し遂げました。この活躍は世界中で瞬く間に広がり、イギリスの期待の若手ドライバーとして大注目を浴びることとなったのです。

不運な事によりトムプライス事故死

Free-Photos / Pixabay

若くしてすさまじい成績を収めて、世界中から気体のドライバーとして注目される中、彼は不幸な出来事によって命を落とします。それがレース中に起きた事故です。

レース中にコースを横断したマーシャルと衝突し、そのマーシャルが所持していた消火器がドライバーであるプライスの頭部に直撃。その後操作不能の状態でコーナーを抜けて衝突し、その後やっと車は止まります。

Quique / Pixabay

時速270キロ以上での暴走の末に止まった車はもちろん大破した状態で、レース関係者が近寄った時は凄惨な状態での遺体発見となったといわれています。また、今回起きた出来事の恐ろしい点は、これだけではありません。

内容も恐ろしい手のですが、実は当時の現場の様子がカメラに収められておりその動画が今でも普通に見ることができるというのです。もちろん非常にグロテスクな光景も写っており衝撃的な映像になっています。

Nolde / Pixabay

今でも動画が普通に見られるという特殊な環境ということもあり、当時から広く語られる内容となっているようです。

トムプライス悲劇の事故死

gianfrancodebei / Pixabay

彼が無くなったことのあらましについて調べていきましょう。いったいどのような経緯で亡くなったというのでしょうか。そこには驚くべき事実がありました。実はもらい事故だったのです。

1977年南アフリカグランプリ決勝

ことが起きたのは1977年のアフリカグランプリでの出来事になります。プライスはシャドウDN8・フォードと呼ばれる車で出走していました。南アフリカグランプリとは1962年から行われるF1グランプリの一つです。

ヨーロッパの気候と反対になることから、F1シーズンの開幕戦や最終戦の舞台となることが多く、今回もそういったタイミングでのグランプリだったそうです。そのなかでも今回の試合は決勝となる舞台した。

トムプライス22周目でクラッシュ事故

Nolde / Pixabay

大きな大会となる今回のグランプリ、そんな中プライスが22週目を走っている最中に不幸な出来事が起こります。コースを横切るマーシャルに衝突する事故が発生するのです。なぜコースを横断していたのかといった詳細は後述しますが、現場は騒然としたらしいです。

そもそも、走行中に人と接所する事故はあまり起こるモノではありません。コースを横断することも珍しいですし、また、今回の事故現場の環境も関係していると言います。

VladArtist / Pixabay

どうやら、事故現場手前がコースでも名物となる急こう配のある場所だったのです。それにより、横断中の人の発見に気づきにくい状況だったのではないかといわれています。

また、その瞬間プライスは前を走る車を追いかけていた形でした。前を走っていたのはハンス=ヨアヒム・シュトゥックという人物で、スタックの方は前を横切るマーシャルに気づき避けることができたようですが、そのすぐ後ろを走るプライスはそうはいかなかったのでしょう。

stevepb / Pixabay

そうして、マーシャルをはねてしまった後、プライス操作不能の状態でコーナーを曲がりきらずそのままクラッシュし、大破したといわれています。

レース中にトムプライス即死

cozmicphotos / Pixabay

このようなクラッシュを起こしたプライスはどうなったのかというと、もちろん即死だったそうです。コーナーを抜けてクラッシュをした時点で時速300キロ近い速度が出ていたこともあり、衝突時には車体はかなりの大破状態だったといわれています。

また、ようやく止まった車を調べに近寄った当時の救護班の話では、コックピットの中は血液と体積が混じった状態で、非常に凄惨な状態だったといわれています。当時プライスは、仰向けのままハンドルを握りアクセルは踏み込んだまま死んでいたそうです。

jclk8888 / Pixabay

現場状況から、どうやらマーシャルを敷いた時点で車の操作不能状態に陥り、そのまま減速できずコーナーを抜け衝突。何もできないまま直進したためにこのような大きな事故となったと考えられたようです。

トムプライスの事故は不運なもらい事故だった

MichaelGaida / Pixabay

当時の凄惨な状況からF1史上かつてないほどの出来事だといわれた内容となりました。しかし、その内容を調べられていく中で実は不運なもらい事故だったことが明らかになっていきます。

「レンツォ・ゾルジ」エンジントラブルで降車

Pavlofox / Pixabay

なぜこんなことが起こったのか、事の始まりは彼の同僚であるレンツォ・ゾルジの車がエンジントラブルで故障することから始まります。このエンジントラブルに見舞われたために、車を停車させていたようなのです。

位置としては、ピット正面、コントロールラインを過ぎたあたりのコース脇であり、そこでゾルジは降車していました。するとその直後、エンジンから出火したのか車が燃え始めたのです。このままでレースにも支障をきたします。

マーシャルが消火器を持ちコースを横切る

これ以上の頬にならないためにも動いたのがマーシャルでした。二人のマーシャルが今回動くことになり、消火器を持ってマシンに近づこうとします。しかし、その時にどうしても道を横断しなければゾルジの車には近づけなかったのです。

つまり、マシンを止めた道とは対抗車線側にマーシャル達はいたことになります。道路を横断して、マシンに近づいて消火活動をしようと考え二人は道路を横断し始めたのです。

マーシャルとは

Papafox / Pixabay

レーシングをご存知でない人からするとマーシャルとは一体何のことかと考えている人も居るでしょう。マーシャルとは、コース係員のことを言います。レースを安全に円滑に運営するためにいる人材の中でも特にコースに関することを担当する人物です。

一般的な故障ではオフィシャルという人も多いですが、マーシャルとは厳密には異なり、オフィシャルはレース運営陣の総称を示しており、マーシャルはオフィシャルの中でもコースを担当する人物というイメージになります。

トムプライスのマシンがマーシャルに衝突

消火活動にマシンに近づこうとする二人のマーシャルですが、そこをプライスの車が通り衝突が起こります。マーシャルも当然、コースの横断が必要ということで、コースの状況や近づくマシンには気を遣っていたはずです。

消火器を運ぶということで、通常よりも動きが遅くなることも踏まえて動いていたはずなのですが、どうやら横断が間に合わず、そのまま衝突することになります。衝突した相手はジャンセン・ヴァン・ヴーレンという人物でした。

消火器がトムプライスのヘルメットにヒット

jarmoluk / Pixabay

マーシャルとの衝突したときのマシンの状況についても調べを進めていくと、どうやらマーシャルが持っていた消火器が運転手である彼の頭部に直撃していたことが分かりました。

さらに言えば、当時マシンの時速は300キロ近くの速度を出していたといわれています。いくら運転手がヘルメットをかぶっているからといってもこれほどの時速で走る状況でただで済むはずがありません。

ヘルメットが吹っ飛びベルトで頸動脈切断

geralt / Pixabay

ヘルメットに消火器が直撃し、これが原因でヘルメットは吹っ飛んでいきます。そして、さらに最悪な状況になります。ヘルメットは通常顔の顎下でベルトで固定するのですが、その顎紐が首を切りつける形となってしまうのです。

顎紐は頸動脈を切断し、そのまま彼の首を切りつけました。これが直接の死因となりコースをのけてクラッシュする前に、彼は即死していたのだといわれています。これは彼にとっては大事なヘルメットだったそうです。

両親から走行中でも見分けられるようにと、父親から5本の黒いラインを入れ、横はウェールズの国旗とグッドイヤーのロゴ入りの大切な物だったと語られています。

トムプライスの事故の悲惨な状況

gianfrancodebei / Pixabay

運転手の状況も凄惨な物でありますが、もちろん衝突したマーシャルも凄惨な状況だったといわれています。現場で起きた状況について詳しく調べていきましょう。

マーシャルの体が吹っ飛びバラバラに

skeeze / Pixabay

衝突したときの状況ですが、まずマーシャルの体について、彼の体はその衝撃でばらばらになり吹っ飛んだといわれています。当時の速度は300キロ近くの物、衝突の衝撃は相当な大きさで、体が引き裂かれたのでしょう。

さらに、表半身は縦に高く跳ね上がり宙を舞って飛んでいき、地面にたたきつけられる状況だったともいわれています。即死は免れない状態でした。これらの事故の様子は当時の動画にも残っており、かなり凄惨な状況が刻まれています。

bentnielsen / Pixabay

かなり衝撃的なシーンがありますので、後述で紹介はしますが閲覧には十分注意が必要といわれています。当時現場ではあまりにもバラバラになった遺体だったために、作業員全員を集めて確認をしないと誰が欠員だったのかわからないほどだったようです。

トムプライスの体は硬直状態

8385 / Pixabay

運転席にいた彼の殻の状況についてもその後わかっています。どうやら頸動脈が切断され即死となっった彼は、そのまま死後硬直で体が固まっていたようです。その状況はハンドルを握りしめ、アクセルを踏んだままの状態でした。

そのため、コーナーを曲がることなくそのまま減速もほとんど行われずにクラッシュしたのだといわれています。

トムプライスのマシン内は体液と血液の海

Joshua_Willson / Pixabay

コーナーを越えてクラッシュした後、ようやく停止した車に救護班が駆け付けることとなりますが、その時の状況は非常にすさまじいものだったといわれています。中には彼の体液と血液の海だったそうです。

NEXT トムプライスのマシン内は体液と血液の海