勝田州彦は14年間未解決だった殺人事件の犯人?
2004年に世間を騒がせたニュースは、津山3女子殺害事件と呼ばれています。当時9歳だった女子を殺害し、未解決のまま時は流れ14年の歳月が過ぎたのです。別の事件で逮捕されていた犯人は、当時25歳の勝田州彦ですが、既にこの事件では逮捕されていることを踏まえて犯人表記とさせていただきます。
自宅で殺害されるといった犯行でしたが、裁判では否定するも一転し認めるなど、二転三転し無残な犯行の裏に犯人を垣間見ることができるかもしれません。余罪があるともされている犯行は、果たして解決に至るのでしょうか。犯人の背景や、そこに潜んでいる犯罪歴や性癖にも触れていきます。
勝田州彦の生い立ちとは?両親は警察関係者?息子がなぜ犯罪を
1979年に兵庫県加古川市で生まれ、津山市で小学3年生の女児が殺害される事件を引き起こした犯人の名は、勝田州彦(かつたくにひこ)です。どこで育ち、どんな生活をし、なぜ犯罪に至ったのでしょうか。
幼少期や家庭環境、またはどのような過去を持っているのかなどになります。両親の職業を見ても、なぜその行動に出たのか測り知ることはできません。何が容疑者を駆り立て、犯行に及んだのかについて、世間を騒がせた事件の背景に迫って見ますのでご覧ください。
勝田州彦の家族構成!父は警察OBで母は警察職員だった
犯人の両親に迫ってみると、素晴らしい経歴を持っていたことが分かります。父親は元県警の警部だったことが明かされているのです。捜査一課で働く、まさに現場で働く犯罪を追うエキスパートと言えるでしょう。
元警察OBだった父親として生まれた犯人ですが、母親もまた警察関係者でした。母親はというと、同じく警察に関わる職歴を持っており警察職員です。両親が元警察関係者ということで、そこでもまた注目を浴びた点と言えます。
勝田州彦の生い立ち①高校生まで地元で過ごしていた
兵庫県加古川市で高校生まで育ち、水泳が得意だったことから推薦で私立の高校へと進学します。男子校へと進んだのですが、高校を卒業するまでは地元で過ごしていたのです。
両親の後押しもあったのか、将来はかなり期待されていたのではないでしょうか。男子校でも特に非行に走ったこともなく過ごしていたのですが、それは高校時代の話です。荒れ狂ったわけでもなく、トラブルと呼べる問題は特になかったとされています。
勝田州彦の生い立ち②高校卒業後はアメリカへ短期留学も
高校を卒業した後ですが、両親の勧めがあったのではないかと思われる留学を経ています。英語を習得して後に、アメリカへの短期留学をしますが、短期留学だったこともありアメリカでの生活は明らかにされていません。
そこでの生活が影響してかは定かではありませんが、その後は父親の背中を追うようにと道を進もうとしています。同じではないまでも、警察OBの父親の元、固い環境の中歩んでいく姿を見ることができるのです。
勝田州彦の生い立ち③海上自衛隊へ入隊するが半年で除隊
堅い環境の中としたように、短期留学を経て海上自衛隊へ入隊することになります。ただし、入隊するも半年で除隊をしてしまうのです。そこには、事件の要因ともされる「いじめ」の問題があったとされています。厳しい海上自衛隊の訓練は過酷なことも伺えるのではないでしょうか。
半年で除隊しますがそこから徐々に何かが変わったのかもしれません。いじめの原因の多くは、後にも語られるように人格を形成すら変化させるからです。海上自衛隊を除隊後については、少しずつ歯車は崩れていきます。
勝田州彦の生い立ち④自衛隊の後は職を転々としていた
自衛隊の除隊後には、勤勉に職に就いていた姿が見て取れます。郵便局に勤めるようになりますが、その他にも組み立てや運送業、または現金輸送車の運転手をするなど良い意味では多彩な仕事をしてきたと言えるでしょう。
反対に捉えれば、職を転々として長続きしなかった様子も伺えるからです。勤務態度に問題があるわけでもなく、真面目に働いていた姿から犯罪を想像することは誰にもできないことではないでしょうか。元の同僚からも、事件を起こすなど塑像できないほどだったことは否めません。
勝田州彦の生い立ち⑤引きこもりからアニメオタクへ
様々な職に就いた経験がありますが、その後は引きこもりへと生活は変わっていきます。アニメの世界に浸かっていくのですが、アニメが悪いわけではありません。ただ、勝田州彦にとって男子校や海上自衛隊を経たことで架空の女子への想いが募っていくに時間はかからなかったのではないでしょうか。
空想のアニメの世界を実態のように捉えてしまい、歪んだ性癖がアニメオタクへと変貌します。架空と、現実の世界の区別ができないほどになっていったことは確かでしょう。そして空想の世界の女子に興味を抱き、過去にも関係して歪んだ好奇心へと繋がっていったのかもしれません。
勝田州彦が関与した「津山小3女児殺害事件」とは
2004年に岡山県津山市で、小学校3年生の女子を殺害する事件が起こりました。事件の起こったのは9月ですが、翌月には「新潟中越地震」があったこともあり、何かと世間が騒いだ年でもあります。
僅か9歳で殺害されてしまったのは、筒塩侑子(つつしおゆきこ)さんであり地震があったことすら知りません。尊い命が奪われた事件は一体どういう経緯だったのでしょうか。そして発覚までに年月がかかりましたが、14年の時を経て発覚した背景にも迫ってみます。
岡山県津山市で小学3年生の女子が殺害された事件
小学校3年生と言えば、学校であったことを楽しげに母親や父親に話す年頃ではないでしょうか。そんな小学3年生の筒塩侑子さんは、学校から帰ってすぐに自宅で刃物により殺害されてしまいます。自宅という安心できるはずの場所に魔の手が及ぶことなど、想像もしていないことでしょう。刺し傷は酷く、肝臓まで達していた部分があったほどとされています。
更には解剖されていた痕跡まで発見されるほど、無残な殺害方法だったのです。発見したのは、まだ幼かった郁子さんの姉であり、すぐに母親に連絡したということも判明しています。外部の犯行であることが明らかだったため、すぐに殺人事件と断定され捜査が始まりました。では、なぜすぐに犯人は見つからなかったのでしょうか。
津山小3女子殺害事件は14年間未解決の事件だった
岡山県津山市で小学3年生の女子が殺害されても、14年間の間犯人が見つかりませんでした。捜査は6万人以上の警察官が導入され、チラシの配布、フリーダイアルの設置などあらゆる方法を講じましたが見つかりません。難航した理由には目撃者もいなかったこと、遺留品と呼べる凶器が見つからなかったことなどが挙げられています。
総力を挙げた捜査だったことが伺えますが、そのまま14年間の月日は流れ、未解決の事件として扱われてしまったのです。内々的に捜査は進んでいたのかもしれませんが、有力な情報を得ることはできないままでした。
勝田州彦が津山小3女子殺害事件の容疑を認めて逮捕に
岡山県津山市で小学校3年生の女子が殺害された事件ですが、14年の時を経て急展開を見せます。別の事件で逮捕された上、女子殺害と同じ岡山県にある刑務所に服役中だった男性が、事件について語り出したのです。捜査上にも浮上した犯罪歴を持つ男性こそ、犯人である勝田州彦でした。
14年の時が過ぎましたが、供述によって事件が動き出したのです。それを元に難航していた捜査は動き出し、当初は「首は絞めたが刺してはいない」ともありましたが、解剖の結果が窒息と失血の関連から犯人逮捕に至りました。
勝田州彦は一度犯行を認めるもその後は証言が一転?
当初は否定していた犯人でしたが、後にその証言は二転三転します。元から殺意があったのでしょうか、顔見知りだったのでしょうか。捜査上に上がった時から、考えられていたことは見ず知らずの犯行であることでした。
背後からなどではなく正面からという点ですが、それでは犯人の証言がなぜ変わっていったのかについて、そこには一言では表せない経緯があったことが分かります。逮捕時に語った内容との違いを見ると、そこには巧妙さも垣間見られるのです。
勝田州彦は逮捕時に殺害を認めていた
逮捕後に犯人が語った内容によると「刃物で刺した」という言葉があります。「わいせつ目的で追っていったが気付かれ殺害した」と自供したのです。当然その時点で「犯行を認めた」と、捉えるのが普通ではないでしょうか。14年の時が経っていることから、刃物などの遺留品の存在も不確かかもしれません。
供述内容にかかっているかのような中でも、犯罪歴や解剖の結果も当然加わってくるのです。それは時間も関係してくるのですが、逮捕時に認めた内容と食い違う点はありませんでした。ではなぜ話は変動していったのでしょうか。認めていた内容から、一気に話は進むかのように見せましたがここで問題が起こります。
勝田州彦は後に殺害行為はなかったと容疑を否認
どのように問題が起こったのでしょうか。それは突然、翻したかのように「殺害の事実はない」と否認をし始めたことです。疑問点が生まれておかしくないのは、犯罪が明らかになったにも関わらず、なぜ突然の否認をしたのかになります。
殺害はなかった、という内容に納得のいくことはありません。それとも自白を強要されたと訴えるのか、と捉えるとそこにこそ巧妙さがあることが分かります。二転三転する場合には、犯罪の意識がないことも挙げらるのかもしれません。
勝田州彦は死刑になるのが怖くて嘘の供述をした?
知らない間に殺害したわけではありません。そこに隠された巧妙さとは、犯罪歴から恐怖心が加わり、性癖も明かされることなど自らの身を大切にした変化があったのです。「殺害の事実」について「このままでは死刑になる」と言われ「情状酌量を狙って認めた」という供述をします。
つまり死刑になることが怖かったために嘘の供述で、何とか刑を軽くできないかと考えたのです。この時点で考えられた点は、自己中心的で被害者の存在より自分の身を案じたということがポイントではないでしょうか。
勝田州彦は約4ヵ月間精神鑑定を受けていた
供述が二転三転した理由はそれだけではありません。異常さを感じる犯行に対して、4ヶ月間の精神安定を受けることになります。責任能力の有無が問われるのですが、結果的にはどうだったのでしょうか。
4ヶ月に及んだ精神鑑定の結果、判断されたのは十分責任能力はあるという結果でした。これによって事件はいよいよ逮捕の段階から、きちんと過程を踏まえて進みます。逃げ隠れのできない判断に対して、犯人は認めざるを得ない段階に進むかのように思われたのです。
2018年11月に勝田州彦は起訴される
14年間の時を経ていることもあり、証拠は供述が大きな論点になるかもしれません。逮捕後に精神鑑定を受け、犯人の供述が二転三転することからも慎重になるのかこれからです。2018年11月に犯罪歴や、これまでの性癖を踏まえ起訴されることになります。岡山県津山市で起こった小学3年生の女子の殺害事件は、14年の月日を経て動き出そうとしているのです。
他の事件で服役中だった勝田州彦による事件は、未解決から一転変化していくことになります。他にもたくさんの余罪があるとみている為、捜査と並行して本格的な裁判はこれから行われていく段階にあります。今後の展開と共に、今までにも何が行われてきたのかに注目する裁判ではないでしょうか。
その他の未解決事件に興味のある方はこちらもご覧ください。
勝田州彦はいくつもの犯行をしていた!その恐るべき犯罪歴とは?
犯罪者の多くが必ず犯罪歴があるとは限りません。ただ性犯罪の多くのケースでは、性癖によって繰り返されることがあることは伺えます。犯人の顔がはっきりしていない、犯行を明らかにすることを拒む場合などがあげられるからではないでしょうか。辿ってみると犯罪歴が多かったといった確率は低くはないのが、性的な犯罪の一つかもしれません。
2000年に少女を暴行・強制わいせつし逮捕
裁判を進める段階で必要になってくることは、過去の犯罪歴が大きく関係してきます。勝田州彦も例外ではなく、ちょうど職を転々としていた頃にも関係してくるでしょう。2000年には、当時10歳だった少女に対して同じく性癖が絡んだ暴行・強制わいせつ事件を引き起こしています。
精神的に問題があったと判断されていますが、逮捕にまで至っているのです。しかも、暴行した上で、わいせつな行為に及ぶという幼い子供対して行われた犯罪でした。抵抗できるはずもない子供に対して行われた犯行でしたが、それだけに止まりません。
2009年に5人の女子小学生の腹を殴り逮捕
犯行はそれだけではなく、他にも行われていたことが明らかになっています。しかも1人に対してではなく、複数にもわたって行われたのです。2009年に5人の幼い女子小学生に対して、通り魔とも言える犯行に及びます。
腹部を殴った犯行ですが、刺したともされているのです。1人は内蔵の一部を損傷する大怪我にまで至りましたが、この事件で逮捕された後、4年の実刑判決が下されています。幼い女子に対して行われた犯行に、執拗なまでの少女への歪んだ思いが見て取れるのではないでしょうか。
2015年に中学3年生の女生徒を刃物で刺し逮捕
犯行を食い止めることはできなかったことに、その後も刃物により事件が起こっています。通り魔事件になりますが、兵庫県で中学3年生の女子生徒にまで魔の手が及んだのです。2015年に刃物で刺し、以前に実刑判決が下されているにも関わらず、重傷を負わせる事件が起こります。
5回以上も刺し傷を与え、更には変装まで試みたことで殺人未遂事件とされたこの事件では10年の実刑判決が下されたのです。このような犯歴を見ても、津山市で起こった事件だけではないことは確かでしょう。裁判の行方にもよりますが、今後新たに明かされることがあるかもしれません。
勝田州彦には他にも10件を超える余罪が
これだけの犯罪歴にも関わらず、兵庫県加古川市では未解決の殺人事件もあります。未解決も含め性癖に絡んだわいせつ事件も多数ありますが、中でも加古川市の勝田州彦の実家くでも殺人事件があり犯人説が疑われているのです。
自身も「100人以上は女子を狙った」と証言していることもあり、数えただけでも10件を超えるのではないかともされている余罪があるのではないか、とされています。どこまでが真実かは定かではありませんが、犯罪歴からも凶行に及んだ犯行がまだ隠されている可能性は十分あるのです。
勝田州彦が歪んだ原因は教育環境にある?両親や交友関係に迫る
犯罪に至るまでには何かしらのきっかけや、過去が関係してくるケースが多いのではないでしょうか。警察で警部まで上り詰めた父親と、警察職員だった母親の元で勝田州彦の身に何があったのかを紐解いてみます。
決して荒れていたわけではなかったとはいえ、何らかのきっかけがあったことは確かでしょう。それは幼少期に遡ることかもしれません。更には、そこまで至り両親も関係してきたことも伺えるのではないでしょうか。