神作譲(小倉譲)の現在は?三郷市逮捕監禁致傷で再犯し逮捕されていた?

女子高生をリンチしていた理由はただの少年たちのストレス解消のためでした。イライラすると矛先を女子高生へ向けていたのです。ある日、リーダーA(宮野)はギャンブルで10万円以上負けてしまい、イライラがピークに達していました。

リーダーA(宮野)は残りの3人を呼び被害者を閉じ込めている部屋に向かいます。ストレス解消のために流行りの音楽をかけ音楽に合わせて2時間以上も殴る蹴る、飛び乗るなどの行動を行います。しかし、暴行が終わったころには、女子高生は既に息を引き取っていました。

女子高生が死亡した後少年たちは遺体の処理に困ることになりましたが、セメントを購入しドラム缶に入れセメントを流し埋め立て地に捨てることにしました。そして捕まるまでは何事もなかったかのように普通に生活をしていました。

何故誰一人として自首をしようと訴えるものがいなかったのでしょうか。罪を認めるのではなく罪を隠すことに走ってしまったのは命を軽く見ているとしか言いようがなく、また罪の重さを理解していなかったと考えられます。

女子高生コンクリ詰め事件の判決

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別の事件で逮捕され他の婦女暴行などの余罪を追及されているときに、刑事のハッタリに騙されバレていると勘違いして殺害したことを自供し凶悪な犯行は明るみになりました。犯罪に加担したものは全員が未成年という稀に見る犯行でした。

少年法に守られ当時は氏名も顔も公表さることはなっかたのですが、事件の残虐性から刑事責任が妥当され裁判にかけられています。4人の少年たちに下された判決は下記になります。

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  • リーダーA(宮野):地裁では検察の無期懲役の求刑に対して下されたのは懲役17年でした。その後控訴審となり高裁で懲役20年の刑が確定しています。
  • サブリーダーB(神作):検察は懲役13年を求刑しますが地裁・高裁ともに5年以上10年以下の不定期刑で確定となりました。
  • 少年C(湊):検察側の求刑に対して、地裁が出した判決は4年から6年という不定期刑でした。しかし、その後の控訴審で5年以上9年以下で決定し1審よりも重い刑となりました。
  • 少年D(渡邊):地裁の判決では3年以上4年以下の不定期刑でしたが控訴審において高裁で5年以上7年以下という長くて2年間の刑が決まりました。

神作譲(小倉譲)の生い立ちと家族

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神作譲(小倉譲)は女子高生を死に至らしめた4人の少年の内の1人であり出所しても再び犯罪を犯した人物です。では、なぜこのような血も涙もない非情な事件を起こしてしまったのでしょうか。加害者の少年たちの生い立ち家庭環境等が事件と深く関係があると言われています。

事件当時家族と一緒に暮らしていましが、家族の中で少年の変化に気づいた人間はいなかったのか、事件のサブリーダー的存在だった彼の生い立ちに迫っていきます。

両親は不仲で父親には愛人がいた

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父親と母親は離婚こそしていませんでしたが別居中であった為姉と母親の3人で暮らしていました。母親は夜働いていた為、家にはほとんどいなかったそうです。そのため夜遅くに帰ってきたり夜中に遊びまわっても注意する人物はいませんでした。

更に、別居中の父親は愛人を作り姉と本人以外に2人の子どもが生まれています。そのため、父親は愛人との生活を選び自分たちの元へは帰ってくることはなかったそうです。

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両親の別居や父親の愛人とそして愛人の子どもの存在は、成長途中や思春期の子どもからすれば受け入れがたいことでありこのような複雑な環境が性格や今後の生き方等に影響していったのではと言われています。

部活の試合中に事故。意欲をなくし不良化していった

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彼は元から素行が悪かったわけではありませんでした。どちらかと言うと学業も部活動も真面目に取り組む学校生活を過ごしていました。しかし、部活の試合の最中にケガをしてしまい部活を続けることができず退部します。

部活を退部したことにより、目標を見失ってしまたのか彼は次第に素行不良になっていきます。しまいには学内で暴力事件を起こして退学となってしまいました。

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退学になった後はバイトをしていましたが後に共に事件を起こすメンバーと出会い、暴力団の下で働くことになり暴力団に足のように使われる毎日だったそうです。

ケガをしてしまったことは残念なことであり、もしもの話をしたところで過去を変えることはできませんが、彼がケガをすることなく部活動を真面目に続けていれば彼は非行の道に走ることはなく女子高生の事件を起こすことはなかったでしょう。

神作譲の母親は事件後に被害者の墓を破壊

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家庭の事情などについて見ていきましたが、両親の別居に父親の愛人やその子ども母親が夜働いていた為夜中に遊び歩いていても気づかれることも怒られることもなかったのでしょう。

様々な事情から荒れた生活となり、殺人を犯してしまいましたがが世間を騒がせたのは、息子だけではありませんでした。蛙の子は蛙という言葉が似あうのか母親もまた、周囲を驚かせるような事をしたと記事になったことがあるという噂があります。

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息子を守る為か、息子の犯した犯罪に自分自身が耐えることができずその矛先を間違った方向に向けてしまったのか真相は判明していませんが母親はあろうことか自分の息子が殺してしまった被害者の女性のお墓を破壊したというのです。

また、母親はお墓を破壊している途中に「自分と息子が生きるのに苦労して人生が狂ってしまったのはこの子(被害者)やその家族のせい」と怒鳴りながら破壊を続けていたそうです。常識では考えられない異常ともとれる行動です。

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当然のことながら息子は被害者ではなく加害者であり、その母親もまた加害者家族になります。加害者家族が周囲から冷たい目で見られたり中傷されるのは確かに被害者なのかもしれません。

しかし、被害者に対して息子の犯した罪を背負い償っていくべきものであり、被害者に謝罪をしたりするのであれば周囲の目も変わるのでしょうが、自分たちの生活が狂ったとして怒りの矛先を被害者に向けるものではありません。

神作譲(小倉譲)女子高生コンクリート詰め事件のその後

衝撃的な事件だった故にこの事件が記憶にある人は大勢います。裁判で5年以上10年以下の判決を言い渡された神作譲ですが、彼は出所後どのような道を歩んでいるのでしょうか。出所後の彼について追っていきます。

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