神作譲(小倉譲)とは?
女子高生が何日間にも及び閉じ込められ暴行され、死亡した後にコンクリート詰められている状態で見つかった事件を覚えている人も多くいると思います。4人組による犯行となりそのメンバーの1人の中に神作(小倉)讓がいました。
そしてこの事件は犯人の1人の自供により明るみになりましたが、芋づる式に逮捕されたメンバーは全員未成年と言うことであまりの残虐さに日本中が震撼した出来事になります。また被害者の女性は無残な姿であったことから身元の割り出しに時間がかかったと言われています。
当時未成年だったことから名前や顔写真は公開されていないため、名前を聞いてもこの事件に関わっていたと知る人は少ないでしょう。
しかし、神作(小倉)讓が未成年の時に犯した罪や残虐な殺人を行った1人であるという事は瞬く間に世間に知られることになったからです。それは、裁判で涙ぐんでいたり実刑により反省していたと思われていた彼が再び犯罪を犯してしまった為です。何故再び犯行に走ることになってしまったのでしょう。
彼は、一人の罪のない若い女性の命を奪ったことに罪の意識と反省は持ち合わせていなかったのでしょうか。彼は最初から非行の道を歩んでいたのか、彼の生い立ちや素顔について迫ります。
女子高生コンクリート詰め事件の犯人の一人
女子高生コンクリート詰め事件とは、未成年の少年たちが被害者の女性を約2か月間に渡り部屋に閉じ込め、当然のように暴行等を加え、また薬物を無理やり行わせ食事を与えなかったりして衰弱させ、結果女子高生は死亡させるというとても痛ましい事件になります。
そして、亡くなった女子高生を隠すために、トランクに詰め家から出した後用意していたドラム缶に女子高生の遺体を入れ捨ててしまいます。非情としか言いようのない行動であり彼はそんな非情な事件を起こした1人でありサブリーダーの位置にありました。
犯罪を犯してしまったメンバーは以下の4人になります。
- リーダー少年A宮野:事件の主犯格の人物になります。少年法に守られニュースでは少年Aとしか伝えられていませんが、ネットは個人が書き込むもので少年法が行き届いていないため、ネットから実名や素顔等が明らかになりました。元々は高校に通っており柔道部に所属し部活に励んでいましたが途中で退学し暴力団と繋がるようになりました。
- サブリーダー少年B神作(小倉)讓:神作(小倉)讓はリーダーの少年A行動を共にすることが多かった人物になります。真面目に部活に励む学生でしたが途中から不良行為を行うようになり、家庭環境もあまりよくなかったため悪循環であったと言われています。また、頭がよかったため悪知恵もよく働いていたと言われています。
- 少年C湊:港はは名門中学校に進学・卒業したあと工業高校に進学し成績は優秀であったと言われています。ところが宮野や神作(小倉)や他の不良メンバーと出会ったことをきっかけに犯罪を犯すところまで落ちてしまっています。
- 少年D渡邊:内気な性格で高校には在籍していましたが不登校であったそうです。気弱な性格のため率先して被害者の女子高生を暴行するのではなく他の3人に言われたことをそのまま行っていたと言われています。
再犯で三郷市逮捕監禁致傷事件を起こしていた!
神作は不定期刑で有罪判決となり、出所した後に苗字を小倉に変更しています。そして、あろうことかまた同じような監禁致傷を犯しています。
未成年の時の事件については少年法により顔も本名も大きく知れ渡ることはありませんでしたが、再犯を犯したときには既に成人していた為顔と名前が全国に知れ渡ることになりました。
また、他の3人の内主犯格として動いていた宮野と少年Cの湊もまた再び犯罪を行い逮捕されています。1人の人間を死に追いやっているにも関わらず罪の意識に苛まれることなく何故犯罪を再び犯すことになったのでしょうか。
女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要
女子高生が壮絶なリンチの上死亡後無残にも、コンクリ詰めにされまた人があまり立ち入らない埋め立て地に捨てるという、あまりにも残虐な犯行でありまた逮捕されたのが未成年の少年たちだったという事が判明した時は、日本中が驚愕した事件になります。
4人のメンバーは一体何の目的で拉致監禁をした上で数々の残虐な仕打ちを繰り返したのか、どのように被害者を長期間にわたり拉致することができたのか女子高生の家族や加害者の家族は不審に思わなかったのでしょうか。
ここからは、まだ若く夢や希望に溢れていた被害者の女性は何故殺害されなければならなかったのか、被害者と少年たちとの関係性から暴行の経緯や少年たちに下された判決まで見ていきます。事件に関する詳しい記事はこちらを御覧ください。
見ず知らずの女子高生を騙し監禁
まず、被害者となってしまった女性と犯人グループの関わりですが、被害者の女性と犯人グループに面識はありませんでした。少年たちは2つの役割に分かれ自転車を転ばした後に助けに入るふりをします。
助けに入った少年は女子高生にタチの悪い奴らに狙われている等巧妙に女子高生を騙して一度ホテルへ連れていき暴行しています。その後少年グループの1人の家に女子高生を拉致して1か月以上も自宅に返さず暴行をしています。
被害者が閉じ込められていた部屋は不良たちのたまり場になっていた少年の家でしたので、他の不良仲間たちも時折部屋を訪れ一緒に暴行を行っていたこともありましたが、メインで被害者を暴行していたのは4人になります。
残酷な暴行・監禁は約40日間も続いた
女子高生の監禁と残虐な暴行は約40日間も続きました。被害者の女性は少年たちが溜まりに場にしていた少年Cの部屋にずっと閉じ込められていましたが、少年の両親が一度被害者に帰るように忠告し隙を見て帰そうとしますが、少年たちに見つかってしまったそうです。
少年の両親が忠告したのはこの1度きりでその後は、どのような行為が行われているか知らないふりをしていたそうです。被害者の女子高生も数々の暴行に怯え生きる気力を失ってしまい「殺して」と呟くまでになりました。
何故40日間も監禁をしなければいけなかったのか、初めから殺害が目的だったのか真相はわかりませんが被害者の女性からすると地獄の40日間でありなぜ自分がという思いしかなかったことでしょう。
壮絶なリンチで殺害。死体を遺棄した
女子高生へのリンチは非情で残酷極まりないものでした、殴ることは当たり前でライターで足を燃やしたり、シンナーの強要等多岐にわたりました。
次第に女子高生が監禁されていた部屋は異臭を放つようになり、少年たちは部屋に近づかなくなり女子高生は少年たちが部屋に来なかった期間水も食糧もない状態でした。
女子高生をリンチしていた理由はただの少年たちのストレス解消のためでした。イライラすると矛先を女子高生へ向けていたのです。ある日、リーダーA(宮野)はギャンブルで10万円以上負けてしまい、イライラがピークに達していました。
リーダーA(宮野)は残りの3人を呼び被害者を閉じ込めている部屋に向かいます。ストレス解消のために流行りの音楽をかけ音楽に合わせて2時間以上も殴る蹴る、飛び乗るなどの行動を行います。しかし、暴行が終わったころには、女子高生は既に息を引き取っていました。
女子高生が死亡した後少年たちは遺体の処理に困ることになりましたが、セメントを購入しドラム缶に入れセメントを流し埋め立て地に捨てることにしました。そして捕まるまでは何事もなかったかのように普通に生活をしていました。
何故誰一人として自首をしようと訴えるものがいなかったのでしょうか。罪を認めるのではなく罪を隠すことに走ってしまったのは命を軽く見ているとしか言いようがなく、また罪の重さを理解していなかったと考えられます。
女子高生コンクリ詰め事件の判決
別の事件で逮捕され他の婦女暴行などの余罪を追及されているときに、刑事のハッタリに騙されバレていると勘違いして殺害したことを自供し凶悪な犯行は明るみになりました。犯罪に加担したものは全員が未成年という稀に見る犯行でした。
少年法に守られ当時は氏名も顔も公表さることはなっかたのですが、事件の残虐性から刑事責任が妥当され裁判にかけられています。4人の少年たちに下された判決は下記になります。
- リーダーA(宮野):地裁では検察の無期懲役の求刑に対して下されたのは懲役17年でした。その後控訴審となり高裁で懲役20年の刑が確定しています。
- サブリーダーB(神作):検察は懲役13年を求刑しますが地裁・高裁ともに5年以上10年以下の不定期刑で確定となりました。
- 少年C(湊):検察側の求刑に対して、地裁が出した判決は4年から6年という不定期刑でした。しかし、その後の控訴審で5年以上9年以下で決定し1審よりも重い刑となりました。
- 少年D(渡邊):地裁の判決では3年以上4年以下の不定期刑でしたが控訴審において高裁で5年以上7年以下という長くて2年間の刑が決まりました。
神作譲(小倉譲)の生い立ちと家族
神作譲(小倉譲)は女子高生を死に至らしめた4人の少年の内の1人であり出所しても再び犯罪を犯した人物です。では、なぜこのような血も涙もない非情な事件を起こしてしまったのでしょうか。加害者の少年たちの生い立ち家庭環境等が事件と深く関係があると言われています。
事件当時家族と一緒に暮らしていましが、家族の中で少年の変化に気づいた人間はいなかったのか、事件のサブリーダー的存在だった彼の生い立ちに迫っていきます。
両親は不仲で父親には愛人がいた
父親と母親は離婚こそしていませんでしたが別居中であった為姉と母親の3人で暮らしていました。母親は夜働いていた為、家にはほとんどいなかったそうです。そのため夜遅くに帰ってきたり夜中に遊びまわっても注意する人物はいませんでした。
更に、別居中の父親は愛人を作り姉と本人以外に2人の子どもが生まれています。そのため、父親は愛人との生活を選び自分たちの元へは帰ってくることはなかったそうです。
両親の別居や父親の愛人とそして愛人の子どもの存在は、成長途中や思春期の子どもからすれば受け入れがたいことでありこのような複雑な環境が性格や今後の生き方等に影響していったのではと言われています。
部活の試合中に事故。意欲をなくし不良化していった
彼は元から素行が悪かったわけではありませんでした。どちらかと言うと学業も部活動も真面目に取り組む学校生活を過ごしていました。しかし、部活の試合の最中にケガをしてしまい部活を続けることができず退部します。
部活を退部したことにより、目標を見失ってしまたのか彼は次第に素行不良になっていきます。しまいには学内で暴力事件を起こして退学となってしまいました。
退学になった後はバイトをしていましたが後に共に事件を起こすメンバーと出会い、暴力団の下で働くことになり暴力団に足のように使われる毎日だったそうです。
ケガをしてしまったことは残念なことであり、もしもの話をしたところで過去を変えることはできませんが、彼がケガをすることなく部活動を真面目に続けていれば彼は非行の道に走ることはなく女子高生の事件を起こすことはなかったでしょう。
神作譲の母親は事件後に被害者の墓を破壊
家庭の事情などについて見ていきましたが、両親の別居に父親の愛人やその子ども母親が夜働いていた為夜中に遊び歩いていても気づかれることも怒られることもなかったのでしょう。
様々な事情から荒れた生活となり、殺人を犯してしまいましたがが世間を騒がせたのは、息子だけではありませんでした。蛙の子は蛙という言葉が似あうのか母親もまた、周囲を驚かせるような事をしたと記事になったことがあるという噂があります。
息子を守る為か、息子の犯した犯罪に自分自身が耐えることができずその矛先を間違った方向に向けてしまったのか真相は判明していませんが母親はあろうことか自分の息子が殺してしまった被害者の女性のお墓を破壊したというのです。
また、母親はお墓を破壊している途中に「自分と息子が生きるのに苦労して人生が狂ってしまったのはこの子(被害者)やその家族のせい」と怒鳴りながら破壊を続けていたそうです。常識では考えられない異常ともとれる行動です。
当然のことながら息子は被害者ではなく加害者であり、その母親もまた加害者家族になります。加害者家族が周囲から冷たい目で見られたり中傷されるのは確かに被害者なのかもしれません。
しかし、被害者に対して息子の犯した罪を背負い償っていくべきものであり、被害者に謝罪をしたりするのであれば周囲の目も変わるのでしょうが、自分たちの生活が狂ったとして怒りの矛先を被害者に向けるものではありません。
神作譲(小倉譲)女子高生コンクリート詰め事件のその後
衝撃的な事件だった故にこの事件が記憶にある人は大勢います。裁判で5年以上10年以下の判決を言い渡された神作譲ですが、彼は出所後どのような道を歩んでいるのでしょうか。出所後の彼について追っていきます。
出所後すくに神作久子と養子縁組して改名した
5年から10年の不定期刑の実刑を受け1999年に出所しています。ネットが普及し簡単に自分のことが分かってしまうので社会に出て普通の生活ができるように更生保護士の神作久子と養子縁組をして苗字を神作に変えています。
受刑中にパソコンの事を学んでいた為、派遣社員としてコンピューター関係の仕事に就くことになりましたが横暴な性格だと仕事関係者との間でも話になり結局は人間関係が上手くいかずすぐに辞めることになりました。
苗字のみを変更し下の名前はそのままであったことや、出所したころにはネットが既に一般家庭に普及していた為ネット上で昔の顔写真が残っていました。
そのため、名字だけを変えたところで犯罪者だと気付いていた人も多くいたと言われています。そのため、彼は再び名前を変える方法を画策していたのではと言われています。
中国人女性と結婚するも後に離婚
神作(小倉)讓は一度中国人の女性と結婚をしていた過去があります。日本ではどうしても自分が犯罪者であると気づかれる可能性がある為、自分の事が知られていない中国で暮らしたいと考えていた為ではないかと噂が飛んでいます。
中国人の女性と結婚したのは、自分の居場所を見つけるためで利用しただけではと言われており、結局この女性とは別れてしまうことになりましたので、神作(小倉)讓がに反から離れて暮らすという夢は叶えることができませんでした。
住む場所を日本から変えたところで、自分の犯した罪から逃れられることはありません。その点に気づかづに自分がいかに上手く身を隠せるかを考えている時点で例え中国で暮らしても犯罪を犯した可能性はあります。
被害者の遺族への慰謝料はほんのわずか
裁判の途中、自分が犯してしまったことに反省し涙を見せながら「一生をかけて償う」と話していましたが、それは周囲からの同情を貰うためで実際は反省をせずに被害者の遺族に支払われた慰謝料はほんのわずかなものでした。
そして、被害者遺族に支払われるはずだった慰謝料で車やマンションを購入したりするなどして自分の私利私欲に使い豪遊しており反省の文字は1つもありませんでした。
被害者の遺族からしてみれば、たとえ職に就けない等の理由で慰謝料が払えないなどということがあるのであれば、それでも誠意を見せてくれれば、被害者遺族の悲しみや憤りも少しは和らぐでしょう。
しかし、慰謝料を払わなければ誠意も見せない自分の為にお金を使う。そんな暮らしをしているならば、法廷で見せた涙はいったい何だったのか?自分の家族の命を奪ったことを軽く見ているのか?と感じてしまうのも当然でしょう。
再犯を犯した監禁致傷でも、被害者を脅迫した際裁判に関わる人間を騙せるというような話をしていたことが明らかとなっており、女子高生の裁判の時も反省をしているフリでずる賢い考え方を持った人物だったことが垣間見えます。
わずか5年で再犯!神作譲(小倉譲)の三郷市逮捕監禁致傷事件と現在
未成年の時に犯した女子高生の事件での裁判で反省している様子を見せていましたが、再犯を犯したことにより名前と未成年のころに犯した犯罪が露呈することになりまた、同じ監禁事件だったことから反省していないが知られることになりました。
出所後すぐに改名している事が、彼が反省していない何よりの証拠だと語る人もいます。また知人の話によれば彼の悪い部分は治らないと語る人もおりそれは1999年の不定期刑からの出所後わずか5年で現実のものとなりました。
被害者は神作譲(小倉譲)に好意を寄せる女性の恋人
事件の発端となったのは、彼に行為を寄せている女性に関することが原因とされています。この女性は神作(小倉)に好意を寄せていたと言われていましたが、別に付き合っている男性がいたそうです。