水戸事件とは?事件の概要と赤須正夫社長や会社のその後について紹介

ですがこちらが導入されたのは09年のことで、当時は検察官がその権限を独占していたため、これ以上の進展は望めませんでした。

当時の裁判の傍聴席には、被害者や支援者らが多くいました。社長が事実を否認するたびにため息や不満が言葉に出ていました。

水戸事件の裁判の結末とは?その②民事裁判での判決

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一連の水戸事件に対する裁判は、被害者側の不満しか残らない判決内容が下され、その後も判決に不満を持った被害者らが暴行などで逮捕されたりと荒れましたが、その後、民事裁判を起こしたのです。

水戸事件の民事裁判の結末①女性社員3名が性的虐待で訴えた

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裁判で認められた以上の暴力行為をはじめ、性行為の強要もあったにも関わらず、刑事裁判では全くなかったことにされてしまったいました。そして、社長に対する刑罰は、あってないようなものでした。

さらに、この判決に対して激怒し、弁護士のネクタイを掴んだり、取り囲んでしまったことで逮捕者が次々に出てしまいました。

反対した支援者や被害者たちに対しての処分は社長より重かったことから、不満が爆発した3人の女性社員は、民事裁判にて訴えを起こしました。

水戸事件の民事裁判の結末②1500万円の支払が命じられた赤須正夫社長

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刑事裁判では全く認められることがなかった強姦などの性的虐待行為も、民事裁判では全面的に認められました。赤須社長へは、1500万円の支払い命令が下りました。

被害にあった女性社員は皆、知的障害のある方々ですから、実際にされた内容を伝えるには相当の労力を要したと思われます。

それでも最後まで戦い、真実が認められたので、金額は見合ってませんし、傷が言えるわけではありませんが、一区切りついた瞬間でした。

水戸事件の民事裁判の結末③赤須正夫社長は控訴したが棄却された

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ですが今度は逆に赤須社長側がこの判決を不服としました。これを認めてしまうと、強姦の事実も認めたことになるためだと安易に予測できます。

今まで悪の限りを尽くし、当時まだ15歳だった少女にも犯行の手がおよび、大きな傷を与えたにも関わらず、一転、否認し認めませんでした。

ですが、この赤須社長の控訴は見事に払い除けられ、1500万円(一人500万円の3人分)の賠償金を支払うことになりました。

水戸事件は何故起きてしまったのか?赤須正夫社長の狙いとは

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ではここまで事件の内容と結果を踏まえて、どうして水戸事件は起きてしまったのか?赤須社長はの真の狙いはなんだったのか、記述していきます。

助成金の支給が終わる時期を狙って従業員を自主退職させたかった?

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赤須社長は障害者などを雇うと国から支払われる「特定求職者雇用開発助成金」に目をつけ、これを不正に運用し、私腹を肥やそうと目論みました。

要は福祉活動で社会貢献したかったわけではなく、金を大量に集めるために、進んで知的障害者を雇用していたのです。

助成金が降りる前に辞めさせたかった

助成金が出るのは1年半後となるので、その時期が来たら自主退職したくなる様に虐待していたのではないか?と予測できます。

恐らく福祉に目を向けたのもこれが狙いで、計画的に行われていた可能性があります。因みに知的障害者に支払われていた給料は月に数百円だったそうです。

障害者本人が上手く証言出来ないことを利用していた

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知的障害がある従業員ばかり狙って虐待や暴行、そして強姦していたのは、記憶が曖昧などの理由により、何があったか明確に説明できないからだと思われます。

他者への意思疎通が乏しい

知的障害があると、自分が今何をされているのか理解できないこともあるので、本人が虐待されている認識がない場合もあります。

そのため周囲の従業員も知的障害者の場合は、他人が過度な暴力を振るわれていてもそれを虐待だと認識できず、放置してしまいます。

子供を心配する親心につけ込んだ赤須正夫社長

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障害のある子供を持つ保護者は、大人になっても周囲についていけず、介護なしに生きていけない我が子に不安を持ちます。特に社会的なルールに溶け込めずに働き口がなかった場合、生活の術がなくなってしまいます。

そんな中普段の生活も含めて面倒を見てくれるこの企業にすがる保護者は多少の暴力行為でも目を瞑っていた可能性があり、そんな親心を十分に理解した上で、逆にそこに漬け込んだ卑劣な手口でもあったのです。

水戸事件はその後とは?事件関係者や会社の現在とは

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あまりにも軽い判決を下し物議を醸した刑事裁判を経て、反対派や被害者側に逮捕者を生み、その後ようやく民事裁判により事態が収束したこの水戸事件のその後はどうなったのでしょうか?

水戸事件のその後①被害者と支援者が事件を起こし逮捕される

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刑事裁判にて判決が下された時に、そのあまりにも軽い判決と、認められた虐待行為が全てではなかったことなどに対して、被害者と支援者がこれを不服としました。

怒った反対派は、赤須社長と弁護士が乗る車を取り囲み、謝罪要求やフロントガラスを割ったりしたことで、逮捕、起訴され、実刑になってしまいました。

水戸事件のその後②アカス紙器はクリーン水戸に社名を変更した

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詐欺で逮捕、刑事・民事裁判を経たその後の「アカス紙器」は、所在地はそのままで、社名を「有限会社水戸パッケージ」に変え、更にそこから「有限会社クリーン水戸」に変更しました。

現在でも赤須正夫が有限会社クリーン水戸に接点があるかどうかなど、関わっているのかどうかは分かっておらず、ネット上でもこれといった情報は見当たりません。

水戸事件のその後③工場は火事で全焼した

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事件があった後に関して、赤須正夫は社長の座を退いていることはわかりましたが、その後の消息は不明なままです。元々あった工場は不審火により寮を残して全焼しました。

不審火の詳細については全く情報がないのでわかりませんが、ここで下りた保険金を不正受給の返済に充てた、という話はあるようです。

水戸事件のその後④事件関係者のその後はわかっていない

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水戸事件が起きてからというもの、赤須正夫の所在も関係者や被害者、支援者たちの動向も、一切開示されていないため、現在どのように生活しているかはわかりません。

事件発覚後、しばらくはテレビやメディアなどで、被害者がインタビューを受けたり、支援者らは水戸を中心に活発に活動してましたが、現在は何も分からなくなっています。

どうして虐待は行われてしまったのか?その後遺症は?

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こういった福祉活動に力を入れて優良企業とされていた場所以外でも、数多くの虐待行為が繰り返されていた現実があります。ではなぜ虐待は起こるのか?要因をまとめました。

どこにでも虐待行為は起きうる

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事件として記憶されている事案に関しては、裏で金銭の横領や強姦なども頻繁に行われており、その施設や企業の運営方針自体に問題がありますが、必ずしもそういった場所だけで起こるとは限りません。

ストレスの爆発が引き金に

重度の知的障害者が問題行動を起こし、それを制止させる時に手を出してしまったり、それが繰り返された蓄積のストレスから思わず殴ってしまったなど、「きっかけ」は日常に転がってます。

一般社会でも類似している点がある

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例えば学校で問題を起こした生徒が、注意した教員に対して暴力行為を行った場合は、問題視されず、逆にビンタなどを生徒に行った場合は如何なる状況でも体罰や虐待だと言われます。

企業内は虐待予備軍

企業でも、部下に対して指導や注意と称して手を出している場合があります。今となってはパワハラで訴えやすいですが、当時は当たり前のように行われていました。

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