カルチェラタンはジブリ「コクリコ坂から」に登場の建物!元ネタなど紹介

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映画の中の登場人物たちはみんな、男子文化部部室棟のことをカルチェラタンと呼んでいますが、正式名称は「清涼荘」なのです。カルチェラタンは愛称のようなものですね。

港南学園の理事長も、海たちが直談判に駆け付けた際に、「用は清涼荘の建て直しの件だね」と話しています。

カルチェラタンの中は?

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映画の中ではあまり詳細に紹介されていませんでしたが、カルチェラタンの中はどうなっているのでしょうか。カルチェラタンは3階建てで、1階に露西亜文学研究会、詩吟研究会、民俗学研究会、将棋同好会があります。

2階にはアマチュア無線同好会、現代詩吟研究会、美術部、古典音楽研究会、高等数学部、哲学研究会、化学研究会があります。さらに天文部もこの階にあるかもしれないとのことです。

3階には文芸部、考古学研究会、そして風間が所属する週刊カルチェラタン編集部、港南山岳クラブ、囲碁研究会の活動スペースがあります。文科系の人の心をくすぐりそうなラインナップですね!

カルチェラタンをコクリコ坂で登場させた理由とは?

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少女漫画である原作には存在しないカルチェラタンを、登場させた理由はどんなものなのでしょう。

原作とは違うジブリオリジナルのメッセージを、私たち受け手に伝えたいからなのではないでしょうか。それではその理由やメッセージを考察していきましょう!

カルチェラタンで実際に起きた学生運動と映画の中の年代がリンク!

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かつてカルチェラタンの中にあるパリ大学の学生が、大学制度の改革を求めたことに端を発した学生運動(5月革命)が起こりました。

それが、男子文化部活棟であるカルチェラタン存続の為に、学生が学園に働きかけるという構図にどこか似ていますよね。

また5月革命が起こったのが1968年、「コクリコ坂から」の舞台も1960年代と、時代的にも近いですね。

カルチェラタンのメッセージ①当時の学生達の熱意

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当時は学生運動が盛んで、学生達は熱意に溢れ、非常に活気のある時代でした。そんな熱い空気感が、古くから大切にされていたものを、学生みんなが一丸となって守るというストーリーに表れていますね。

そこには打算や損得勘定といったものは微塵も感じられず、爽やかで眩しい世界が広がっています。それが映画を鑑賞する私たちの心を動かすのかもしれません。

カルチェラタンのメッセージ②あるものを大切にする重要さ

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昔はモノが無かったことから、何でも最後まで大事に使っていました。しかし海の生きる時代は、東京オリンピックを控え、「古いものより、新しいものの方が優れており、古いものは排除する」という思想が主潮でした。

映画の舞台になった時代の数年後、日本ではその思想が色濃くなり、工場でどんどんモノが作られ、自然が破壊され、公害の問題も深刻化しました。環境問題に対する警鐘は、他のジブリ作品でも多く見られますね。

このような時代の流れに流されてしまうのではなく、大量生産、大量消費に疑問を持ち、今一度古くからあるものを大切にする重要さを、カルチェラタンを守るということを通して伝えたかったのではないでしょうか。

カルチェラタンのメッセージ③様々な角度から視線を当てることの大切さ

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カルチェラタンをただ存続させたい!と自分達の主張を叫ぶだけでなく、海のような、どうすれば取り壊し派の人もカルチェラタンを存続させたくなるだろう?という相手の視点に立つ考えが、解決の糸口となりました。

男子文化部以外の学生たちの、取り壊し問題に対する冷ややかといっていい他人事のような目線が、掃除に参加することで、いつのまにか当事者の目線に変わっていく様も、作品の中で鮮やかに表現されていましたね。

さまざまな角度から問題を見る冷静さと、相手の立場に立つことの優しさにも気づかせようとしているのかもしれませんね。

カルチェラタンは日本にもある?!

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実は日本にもパリのカルチェラタンにちなんで、大学が集中している場所を「日本のカルチェ・ラタン」と呼ぶことがあります。

映画の舞台というわけではないのですが、かつて学生運動の主戦場だったりと、その場所の歴史を紐解くと、映画の世界とリンクしていると思えるような部分もあるようです。

東京都千代田区駿河台周辺はカルチェラタンと呼ばれる

では日本のカルチェラタンは一体どこなのでしょうか。東京都千代田区の駿河台周辺が「日本のカルチェ・ラタン」と呼ばれたり、「神田カルチェ・ラタン」と呼ばれているそうです。

ここではパリのカルチェラタンと同様、学生による運動(神田カルチェラタン闘争)が起こされたことから、このように呼ばれることがあります。今の街の様子と比べると、全く想像できませんね。

名古屋の八事地区も「名古屋のカルチェラタン」と呼ばれる

東京だけでなく、市の文教地区に指定されている名古屋市千種区の八事(やごと)周辺を「名古屋のカルチェ・ラタン」と呼ぶことがあります。

この地域もやはり大学が集中しており、名古屋大学、名城大学、南山大学、中京大学があり、学生街として発展してきました。

カルチェラタンは学生運動の気質が共通している

パリのカルチェラタンと、作中のカルチェラタンは、学生が団結して運動を行っているところが似ていますね。

一つの目的に向かって、学生たちが団結して活動する気質が共通していることから、作品の中の部活棟はカルチェラタンと名付けられたことが想像できますね。

布施明の「カルチェラタンの雪」も有名

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少し古い曲ですがカルチェラタンといえば、昭和にリリースされた布施明さんの「カルチェラタンの雪」という曲が有名ですね。

カルチェラタンという響きは、どこかノスタルジックでロマンチックな異国の雰囲気がして、意味は知らなくても心惹かれるものがあり、それがこの曲の人気の理由の一つかもしれません。

「カルチェラタンの雪」は1979年のヒット曲

カルチェラタンの雪

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布施明さんといえば「君は薔薇より美しい」のイメージがあるかもしれませんが、「カルチェラタンの雪」もリッカ―ミシンのコマーシャルソングに使われたり、日高晤郎さんによってカバーされたりと、人気の曲です。

「カルチェラタンの雪」は切ない楽曲

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恋人を思う男性の切ない気持ちを描いた歌詞が、聴く人の心を締め付けます。またメロディーがロマンチックで、切ない感じの歌詞とすごくマッチしています。興味が湧いた方はぜひ聞いてみてください。

昭和のノスタルジックな雰囲気に酔えること間違いなしです。昭和の芸能界に興味が出てきた!という方はこちらの記事の記事をどうぞ。

カルチェラタンはコクリコ坂に登場した学生街が元ネタの建物

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カルチェラタンについてご紹介してきましたが、知れば知るほど古いながらも、様々な観点から素晴らしい建物であることがお分かりいただけたと思います。

カルチェラタンを取り巻く主人公たちのストーリーも魅力的ですね。学生運動に関連すると思われるカルチェラタンが登場するこの映画の監督は、宮崎駿さんではなく、学生運動が盛んな時期に生まれた宮崎吾朗さんです。

学生運動が盛んな時に生まれたからこそ、学生運動に参加できたり、目の当たりにできた父の世代とは違う視点で、その時代を見つめられたのかもしれません。これからも宮崎吾朗監督の作品に期待していきたいですね!

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