ボランティア活動にも興味があった彼は、高校の友人を誘ってキリスト教系の団体主催のホームレスのための炊き出しに参加することもありました。祖母を介護した経験があったため病院の介護のアルバイトもするほど、困った人を放っておけない性格の人でした。
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香田証生がイラク入りした理由
なぜ治安が悪く危険なイラクへ入ってしまったのでしょうか。既に亡くなってしまった彼に理由を聞くことはできませんが、ニュージーランドからイラクへ入るまでに彼と出会った人たちがイラク行きの理由を推測しています。それはどういったことだったのでしょうか。
香田証生は戦争を体験したかった
彼は、戦争を見てみなければ平和を考えられないとイラクに入る前に出会った人に語っています。学生時代からボランティアや介護現場など困った人の助けになりたいと考えていた彼にとって必要なこととなったのでしょう。
香田証生は行き当たりばったりだった!?
しかし、イラクに入りアルカイダ系組織の人質になり殺害される運命を辿ってしまったことは、安易すぎたのではないでしょうか。その行動は計画性が見られず、行き当たりばったりだったようです。
イスラエルで旅行者の話を聞きイラクに興味を持つ
イスラエルに渡りテルアビブにあるホテルでフランス人の旅行者と出会います。テレビでは連日イラクの内情を報道して危険なことは分かっていましたが、そのフランス人旅行者は、イラクに行ったことがあったが、危険なことはなかったこと、イラクへは自由に入れることを教えます。その話しを聞き彼はイラクへ行きたいと興味を持ちます。
そして、そのフランス人旅行者はイスラエルからヨルダンへ行き、ヨルダンのアンマンにあるお勧めのホテルやヨルダンからイラクへの交通手段、イラクへの入国方法、イラクのバグダッドにあるお勧めのホテルなど細かく教えていました。
しかし、そのフランス人がイラクへ行ったのは約10ヵ月程前のことで、その時よりも治安がとても悪くなっていたことは、この事件後に分かったことでした。また、フランス人旅行者はイラクからイスラエルへ移動していて、香田証生さんは逆に移動することにより危険度が高くなりました。
危険だという映画監督四ノ宮浩の制止を聞かずイラク入り
フランス人旅行者に教えて貰った通りにヨルダンのアンマンにあるクリフホテルに宿泊していた香田証生さんは、映画監督の四ノ宮浩さんとも出会います。クリフホテル近くのバス停で2人は会ったのが最後となりました。
四ノ宮浩さんは、イラクへ向かおうとしている彼に、危険だから行ってはいけないと言いましたが彼は自分は旅行者だから危険はないと言ってイラクへ向かってしまいました。
イラクで宿が見つからなければ野宿でも
香田証生さんは、四ノ宮浩さんに、泊まる宿がなければ野宿でもしますと言っていました。ホテルに泊まるお金がなかったのかもしれませんが、治安の悪いイラクで野宿するということは、危険をさらに高めることでした。
5日後にヨルダンに戻る予定だった
ヨルダンのアンマンにあるクリフホテルに到着した香田証生さんは、ホテルの従業員のサーメルさんにもイラクへ行いたいと出会った時から伝えていました。そしてサーメルさんにイラク行きのバスの手配を頼みます。5日後にはヨルダンに戻ってくるからと言いサーメルさんに旅の記念品を預けます。
その中にはイラクの戦争で傷付いた子供の写真が10枚ほどあったそうです。サーメルさんはイラク行きを何度も引き留めましたが彼の意志は強く、イラクへ旅立ってしまいました。
サーメルさんが旅立ってしまった後にバグダッドのホテルに勤める友人に連絡すると、ホテルに泊まる外国人を武装グループが誘拐していく事件が多かったため日本人が来たけど泊めてあげられなかったと伝えられました。
香田証生は日本政府に見放されたのか?
自衛隊を撤退させないと、この日本人の首を切るぞとアルカイダ系組織グループがインターネットで声明文を読み上げたにもかかわらず自衛隊を撤退させなかったということは彼を見放したということだったのでしょうか。
小泉元首相の発言
拉致の声明文が流れた5時間後に、自衛隊は撤退しないと当時の官房長官へ指示した小泉元首相は、その2時間後の記者会見でテロには屈しないと断言します。
小泉元首相が決断には今後の犠牲者を減らすことやアメリカとの関係によるものだと推測されましたが、小泉元首相は要求を受け入れないと発表するタイミングが早すぎて組織グループを怒らせたのではないかや、彼を見放したのではないかなど、世間から厳しい批判の声も多々ありました。
外交ルートを使い水面下での交渉
香田証生さんが遺体で発見された後に小泉元首相が、人質解放のためにあらゆる努力を尽くしたと述べている通り、外交ルートを使って水面下での交渉を行っていましたが、アルカイダ系組織に繋がりの糸口がなく交渉自体が難しい状況でした。
48時間という短いタイムリミット
小泉元首相はあらゆる努力を尽くしますが、約束の時間までに解決することができませんでした。そもそも犯行グループとの繋がるルートが見つからない中、48時間のタイムリミットは短すぎました。
香田証生に対する世間の声
この事件は世間を騒がせて、あらゆる意見が述べられました。理由は他の事件に巻き込まれた被害者と違ったからではないでしょうか。
治安が悪く大変危険なイラクへ旅行者として戦争を見に行った、どこにでもいそうな日本人青年が被害者となり、世間はより身近なことと感じて、あらゆる意見をあらゆる年代の人達が口にすることになったのではないでしょうか。
香田証生は自業自得
安易に行き当たりばったりに危険なイラクへ入ってしまったことは自業自得ではないか世間の多くは言っています。台風の時に川を見に行く人のように、危険なので行かないでと声を掛けられているのに自分勝手な判断で大丈夫だからと言ってイラクへ行ってしまったことにより殺害されたことは仕方ないという理由です。
しかし、最後に彼と話した四ノ宮浩さんは、彼は勇敢で尊敬できる人だと述べます。彼は戦争の真実を見ようとしていたと、その行動を称えます。他にも平和を願っているのであれば危険な戦争の場へ行かなくてもやれることがあったはずだと彼の行動を残念と思う人もいました。
香田証生を政府は救うべきだった
この意見も多々あるのですが、アメリカと日本の関係上、難しいとは思うが自衛隊を撤退して彼を救うべきだったという意見や、テロに屈してしまってはいけないという意見もありました。
自衛隊を撤退しなかったことによって殺害されたということを繋げてしまうと批判は絶えません。しかし、テロに屈しないことと香田証生さんを助けないことは繋がらないという意見もあり、水面下の交渉に力をもっと入れて救うべきだったと語る人もいました。
香田証生の死に方はあまりにもむごい
この事件がこんなにも騒がれている理由は他にもあります。それは衝撃的な首切り動画です。ただイラクへ戦争を見に行っただけで斬首刑になった香田証生さんのあの死に方はあまりにむごく衝撃を感じる人が多くいました。一部、その光景を面白がる人もいたようですが、その面白がっている人を批判する意見もありました。
現在のイラク渡航危険度
2004年に自衛隊を撤退しなかった日本ですが、2009年2月には自衛隊を撤退することになります。翌年の2010年にはアメリカものイラクでの任務を終了、翌年に撤退します。するとすぐにイラクの治安は悪化し始めました。
2017年12月ISILからの解放宣言
2013年4月にISIとシリアの過激派組織が合併したイスラム過激派組織ISIL(イラクとレバントのイスラム国)は建国を目的としてイラク北部のモースル市やイラク西部の多くの都市を占拠しました。
翌年にはISILの攻撃を受けているイラクを支援しようとアメリカのオバマ大統領がISILに対して空爆をすることを決定します。その後は有志連合の支援を受けイラク軍はISILに対して掃討作戦を行いました。
追い詰められたISILは占拠したモースル市やその他、自分たちが支配地を失います。2017年12月にイラクはISILからの全土解放と勝利を宣言します。
テロリスト分子は今なお活動中
しかし、今もなおISILの分子グループが活動していると考えられていて、バグダッド市内などで起こっている自爆テロはISILの犯行によるものだろうと言われています。それは、あるテロ事件をISILと繋がりのあるメディアがISILの犯行だと断言したり、テロを実行しようとしたと思われるISILの分子グループを逮捕したり、ある殺害現場からISILの旗を警察が押収したことがあったためです。
現在もレベル4継続中
現在のイラクは危険レベル4が継続中です。危険レベル4とは退避勧告を発出していることです。ここにいる人は退避し、渡航はやめて下さいという指示です。2004年のこの事件の頃と比べると各国から支援があり危険度が低くなっているようにも見えますが、まだまだ拉致殺害も変わらず起こり危険な場所です。
香田証生とKLACK事件
香田証生拉致斬首事件があった2か月後の2004年12月26日に東京ベイNKホールにてヴィジュアル系雑誌のロックイベントが開かれました。出演アーティーストは13組、観客は5000人ほどのイベントで、KLACK事件が起こりました。では、どんな事件だったのか紹介します。
V系バンド「KLACK」
2003年から活動しているビジュアル系バンドで過激な歌詞やパフォーマンスを行っていました。2004年4月のライブの時には1曲終わったところで警察に止められます。その後ファーストシングルのジャケット撮影を北朝鮮で行おうとして失敗します。11月にはファーストDVDに収録された北朝鮮渡航の映像が話題となりクレームが殺到します。
KLACKのライブで斬首映像公開
そしてKLACK事件が起こります。2番目に出演したKLACKのライブは始まる前にグロテスクな映像が流れますとアナウンスが入りました。するとスクリーンに香田証生さんが拘束されている画像が映り、演奏が始まるとスクリーンに斬首映像が流れて観客5000人が見ることになりました。このことを知らされていなかった主催者側でしたが後日、謝罪文を出します。しかしKLACKからはコメントは何もありませんでした。
ヨルダンのアンマンにあるコーダホテル
香田証生さんがヨルダンのアンマンにあるクリフホテルで働いていたサーメルさんは、香田証生さんにイラク行きのバスを手配してあげた人です。サーメルさんは香田証生拉致斬首事件を自分のせいだと心を痛め忘れないために香田証生さんの名前を入れたコーダホテルを2007年8月に作りました。
サーメルさんとは
パレスチナ人のサーメルさんは19歳の時にヨルダンのアンマンにあるクリフホテルで働き出します。オーナーはヨルダン人でパレスチナ人のサーメルさんを奴隷のように扱いました。23歳の時に孤独を感じていたサーメルさんに旅行客の日本人は礼儀正しく温かい言葉を掛けてくれたことによりサーメルさんは日本人を好きになりました。ホテルに戻った日本人に「ネスカフェはいるか?」と言ってはコーヒーを入れてくれる優しいサーメルさんでした。
サーメルさんと香田証生さん
香田証生さんがクリフホテルに滞在したのは1日でしたが、イラクに行くと言う香田証生さんをサーメルさんは危ないから行かせたくなったので手配して欲しいと頼まれたバスのチケットもギリギリまで手配しませんでした。最後には香田証生さんの熱意に負けてバスのチケットを取ってしまったことによってイラクに行き殺害されてしまったとサーメルさんは後悔しています。
書籍「香田証生はなぜ殺されたのか」とは
貧乏旅行作家の下川裕治氏によって執筆された書籍は様々な人に読まれています。特に旅行好きの人が読んで意見をネットに述べています。その書籍の内容は下川氏が香田証生さんの旅の行程を辿り、香田証生さんような旅行者の実状や心性を描いたものでした。下川氏はこの書籍を執筆するにあたり、行き当たりばったりの旅に惹かれてしまう旅人の謎を探りたかったと思われます。
香田証生拉致殺害事件を教訓に
計画もなく、その時の思いで危険だから行ってはいけないと言われた場所へ行き拉致され、日本の政府を動かさなければ自分が殺されてしまうという、大事になってしまった香田証生さんは殺害されるまでどのように思っていたのでしょうか。
小泉元首相に動画を通して言った「すいません」が全てを物語っているように感じます。首切り動画を世間が見ることにより、より深刻に考えてしまう自分勝手な行動を教訓に、自分の思いと行動にもっと確実性を持って安全に行わなければならないと考えさせられる事件だったのではないでしょうか。
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