福田孝行の生い立ちと現在は?父親と本村洋の現在も【光市母子殺害事件】

光市母子殺害事件の犯人、福田孝行。18歳という若さで本村弥生さんとその赤ちゃんの命を奪いました。福田孝行の背景には複雑な家庭環境があったと報道されていましたが、実際のところはどうだったのでしょうか?今回は福田孝行の生い立ちや家族関係についてまとめてみました。

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福田孝行とは?光市母子殺害事件の犯人の今に迫る!

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会社の社宅に住む幸せなファミリーを襲った悍ましい男であります。未来ある2人の命を身勝手に奪い、周りにいる人々の人生を狂わせました。

我が国の法律で守られる若年齢でありながら極刑しかなかった福田孝行の素性について迫ります。

光市母子殺害事件の犯人

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23歳母と11カ月の女の子が人生の幕を閉ざされました。桜が満開である4月のことでした。心踊る陽気の良い季節でしたが、地獄絵図のような現場だったのです。

福田孝行が手を染めた実態は瞬く間に拡散されました。誰もが福田孝行を人でなしだと感じ、逃げようのない自宅で発生したことに恐怖を覚えます。

18歳という若さでの犯行

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福田孝行の若少が、こぞって取り上げられました。世の同じ年代の子を持つ親たちは恐怖を覚えたことでしょう。通常ならば青春を謳歌していることでしょう。

低年齢犯罪は、近年問題視されてはいますが、虐待を受けていたり無関心で養育を放棄しているようなネグレクト、片親や再婚といった複雑な事情などが背景にあります。

福田孝行が悪の道へ反れてしまった背景にも、自家の所為が一因ではないかといわれているのです。

犯行の裏には複雑な家庭環境も?

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福田孝行が育った情況は、お世辞にも平穏であったとはいえないものでした。言葉では発することのできない心の苦しみは、レールは反れてしまい方向転換が不可能な地点まで歩んでしまったのでした。

福田孝行が養育された場が、残虐なデビルを製造したともいえるのです。生い立ちについてはこの後、詳しくみていきます。

光市母子殺害事件の概要

ポカポカとした天気が心地よく感じられるようになった4月の午後2時半すぎに壮絶な出来事は発生します。なぜ殺めなければいけなかったのかを考察し、福田孝行の思惑や詳細についてみていきましょう。

強姦目的で侵入した福田孝行

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思いついた凶行ではなく何か惹きつけられるものがあったとされます。見た目が可愛く、赤ちゃんを抱いている姿は聖母のように優しいオーラが漂っていたことと思います。

無断欠席を続けていた福田孝行はついに、決行するのです。テレビ鑑賞していた彼女に襲い掛かかり福田孝行は、身勝手にもレイプというゴールを目指すため企んだのです。

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ライフスタイルに困難をきたすため、点検ですといわれれば疑いもせずに依頼をしてしまうものです。誰もが起こりうるであろう経緯に、日中自宅にいる主婦たちは恐怖となったでしょう。

本村弥生さんと赤ちゃんを殺害

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福田孝行はしばらく、のどを強く押さえつけると、弥生さんは微動だにしなくなりました。傍にはママのいつにもない情況を察知し、ハイハイしかできない乳児がいました。

ヘルプを発せず、泣くことで感情を示すしかない女児を福田孝行は抱っこしますが、一向に泣き止みません。声が住民の一人にでも聞こえていたら助けられたかと思うと無念が残ります。

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小さな助けは鉄筋で囲まれた箱の中で響くことなく気づかれなかったのです。わずかな泣き声が一人でも住民の耳に入っていたら、救助ができたかもしれないと思うと無念でなりません。

自分の足で歩き外の世界を冒険し、キラキラした目でたくさんの発見をしていくはずであった小さな天使も仏となったのでした。僅か11カ月でこの世を去った小さな魂は、天に召されたのです。

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卑劣にも屍姦を行う

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福田孝行の目的は、性欲を満たし帰ろうと頭で練っていたようですが、じたばたされたことに頭がパニック状態になってしまったようでした。

福田孝行は、蘇ってほしいと願うあまり、儀式に及んでいます。読んだ本のストーリーには、性行為をすると魂はカムバックすると記述されていたことから、福田孝行も魔術師のように体を駆使するのです。

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通常ならばあり得ないものだと認識できますが、歪んだ精神を持った男は、異次空間の奇跡も現実に起こりうると信じていたのでしょう。

仕事を終えて、疲れた体を癒そうと足早に家路に向かったでしょう。温かい食卓を楽しみに帰宅した主は、暗く電気もついていない部屋に冷たい2人がいたのです。

財布などを盗み逃走するも四日後に逮捕

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盗人で得た銭を持ち、福田孝行は遊技場に通い、友人宅を転々とするなどして過ごしています。日本の警察の捜査力は優れています。

福田孝行は何を想いながら過ごしていたのでしょうか。のうのうと逃げ切れるほど、社会は甘くはなかったのです。悪いことをしたと思っていなかったのでしょうか。

18歳という福田孝行の若さと卑劣な犯行に加熱するマスコミ

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凶行が大きく報道され、誰の仕業であるのか論争していた最中、18歳の男逮捕と発表され、ヒートアップした情報を世に流していきます。

取材陣は、法廷の様子など故人の事に関して執拗に伝えていくのです。彼らにとっては使命でありましたが、心をえぐられるような思いで耐えなければならない人たちがいるのです。

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福田孝行という名は伏せられていましたが、日本中が大きく注目し連日取り上げられるビッグニュースとして賑わせていました。

長期間がかかった判決内容とは

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福田孝行の若すぎる歳と犯行時の心情がネックでした。更生の余地があるであろう18歳に対し、死の罪を与えるべきか、社会へ適応する教養を指導したほうがいいいのかという意見が12年を要したのです。

彼女に対して好意ともとれる感情を抱いており、わいせつな気持ちで近づいたことは事実であるが、悪意を持っていたものではなく、生命は守るべきと弁護人は弁明しています。

被害者の遺族・本村洋さんは「あすの会」を設立

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凄まじい悲しみと闘いながらも、陽は昇り生きていくためには働かなくてはなりません。連日の過剰ともいえるプライベートが公に流されることに、不信感を抱くようになったのです。

福田孝行は少年であるため、正体は伏せられガードされているといった待遇の温度差に疑問を感じています。どちらが被害者で守られるべき人権だったでしょうか。

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心に傷を負った人の集いの場として、会を作りました。何か熱中するものがなければ気がおかしくなってしまいそうだったのではないでしょうか。

毎日の成長が楽しみであったはずの娘と生涯を誓いあった妻を一気に奪われた空虚感を、少しでも軽くするために同じような体験をしている人と乗り越えたかったのではないかと察します。

福田孝行の生い立ちとは?

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多くの若者非行で繰り広げられるのが、家庭の環境についてです。ほとんどが異質な養育を経験しています。福田孝行も同じでした。生誕した背景や経緯をまとめました。

1981年3月16日に誕生

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福田孝行として芽吹いたときから、夫婦関係にはどんよりと曇ったオーラを放っていました。結婚をして子供が誕生することは、大きな人生のターニングポイントであり喜びの忘れられない思い出です。

福田孝行の父母は、助け合って共存していくパートナーではなく服従関係のようでした。心安らぐ瞬間が2人の間には存在していなかったことでしょう。日々ストレスの連続でした。

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コウノトリは運ぶ場所を間違えてしまったでしょうか。幸せだと感じる節目はブラックな日々の始まりでしかなかったのです。

在日という説も?

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福田孝行の顔が公表されていますが、一重瞼に鋭い目つきが特徴的です。父は朝鮮からの渡来人であると囁かれています。

定かでない情報ではありますが、残虐な手口もあって、我が国の同じ血を引き継いでいると思いたくないことからの噂という可能性もゼロとは言い切れません。

ギャンブル・暴力漬けの父から母を守り自身も虐待を受ける

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多額の借金があったようです。福田孝行の目に焼き付いていたのは、乱暴を受けては母が倒れ、血が飛び散る状況であり、団らんというものなど体験も言葉も知らなかったかもしれません。

長男としての威厳を出そうと奮起しますがヒーローのようにはいかず、福田孝行は生傷が絶えませんでした。

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現代のように気軽に虐待ホットラインへコールできていたら歴史は変わっていたかもと悔やまれるものであります。

中1の時に母が自殺!遺体掃除をさせられた 

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鬱病だったのでしょう。息をしていくことすら興味がなくなったのです。倉庫にロープを括り付け人生の幕を閉じました。

荒れている子供でもお母さんが大好きで、福田孝行にも特別な存在でした。もう会えないという失った悲しみは例えようのないほどでした。

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父の姿をした魔神は、息子である福田孝行に失禁していた母の体を拭くよう命じ、縄をほどいて、地上に降ろすこともさせたといいます。

どんな思いで冷たくなった体に触れ、何を感じたでしょうか。心に傷を負ったことは間違いないでしょう。成す術なく埋葬されたことで、蘇らせる思考に興味が湧き、弥生さんに施したのでしょうか。

腹違いの弟の誕生 

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喪が明けない3か月後に、愛人であったフィリピン女性を伴侶に迎え入れます。すぐ弟が生まれ福田孝行はお兄ちゃんとなりました。

ただでさえ思春期でホルモン変動が起こり不安定になる時期に、著しく変化が起こったことでスピードについていけなかったのです。

家出を繰り返すようになる 

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心をシャットアウトしていた福田孝行は、嫌な気持ちを押し殺してまでい続ける意味があるのかと疑問に思っていました。外へ飛び出し、共感し合える仲間を求めます。

荒んだ心を気づいてほしくて彷徨っていたのかもしれません。夜回り先生のような指導者の目に留まっていたら、未来は明るいものになっていたのかもしれません。

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運命とは、不運が重なるものです。寄り添う場が定まらない福田孝行は、心が張り裂けそうだったことでしょう。

なんとか就職するも十日後に犯行を起こす

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劣悪な家庭から早く独り立ちしたいと考えます。高校を卒業すると水道管を設置する会社の社員となります。

きちんと自立すれば地獄のような家からも出ることができると少しばかりの希望を見出したのです。儚くも意欲は長続きしませんでした。

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荒れた家庭で育った男は、ガラスのような心を持ち、忍耐を持ち合わせておりませんでした。新入社員で入ったのもつかの間、無言で休むようになっていき、福田孝行という名を有名にさせたのでした。

福田孝行と家族関係

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人格が形成されるのは遺伝的要素もありますが、ほとんどが家庭の雰囲気で構築されます。笑顔が多い家であれば明るいにこやかな子供に成長するでしょう。福田孝行の一同はどうだったでしょうか。

家族の関係についてまとめました。

福田孝行の父

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福田孝行の心を歪ませた張本人といっても間違いないのではないでしょうか。この男が痛めつけることによって母は死を選びました。悪魔が乗り移ったのではないかと思える姿について詳しくみていきます。

結婚前に妻を強姦していた! 

福田孝行の両親の出会いはお見合いでした。理性をキープすることは難しかったのでしょうか。あまりにも身勝手であり相手のことを全く考えない冷酷な心を持っています。

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手当たり次第に暴力を続ける背景からして、女性を道具としか思っておらず奴隷のようだと思っていたのでしょう。

結婚後はギャンブル漬けに

一度はまってしまうと、抜け出せない快楽があるとされますが、借金をしてまでのめり込んでいます。おそらく生活も困窮していたことでしょう。依存していく有様は、彼の心の闇も感じさせられます。

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家計は常に火の車で妻の実家にお金を借りて工面していたようです。

妻に暴力も日常茶飯事 

籍を入れた当初から、何度も実家に逃げていますが、連れ戻されるのがいつものパターンです。現代のようにDVに対し手厚い考慮のなかった時代でした。

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福田孝行もかばうようにして暴力の対象になっています。親の背中を見て育つ子は、まともに育たないことが想像できるでしょう。

妻亡き後にフィリピン人と再婚

3か月後には新たな伴侶を出迎えます。一緒に暮らし始めた矢先、また力で支配しています。何も変わらない最低の男といえるでしょう。

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痛みつける行為には、何も信頼関係は生まれず恐怖と痛みだけです。

本村洋さんと同じ会社に勤めていた 

生前の弥生さんを見かけては、綺麗な女性だと親子で話していたといいます。単純に褒めているのではなく、性の対象として見ていました。

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平然と会話をすること自体、歪んでいますが福田孝行は父の影響を受けていることもあるでしょう。改めて家庭の雰囲気がいかに大事なものかがうかがえます。

福田孝行の母

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我が子を置いて現世から姿消した母は、福田孝行にとって唯一の心の支えでありました。失ったことで明らかな精神不安定が浮き彫りとなります。彼女の半生を順番にみていきます。

結婚前に夫に襲われるも結婚へ 

男の強い服従に自分の意思を伝えることができなかったのでしょうか。このとき、逃げきれていたら今世も姿はあったのかもしれませんが、福田孝行の姿がなかったかもしれません。

結婚後福田孝行を出産

婦人科で入院を余儀なくされており体も心も疲弊していたとされます。男は、逃がしたくないほど惚れ込んでいたのか、それとも支配をむき出しにしたのでしょうか。

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