夫婦となり後に死刑囚となる息子、福田孝行が誕生します。
夫からの暴力で精神を病み自殺未遂を繰り返す
同居を始めてからの生活は甘い新婚生活とは言えないものでした。異質な支配をしまうことで、絶えれば何とかなると思いがちです。
一歩の勇気をもって外へヘルプ信号を発していればと悔やまれます。
自宅のガレージで首吊り自殺
精神のバランスを保つことが出来なくなっていました。子供たちと第二の人生のため勇気を出して逃げ出し、現代のようにシェルターが普及していたなら、命は守られたのかもしれません。
福田孝行は大人になっても福田孝行は包み込むような温かい愛を追い求めていくのです。
福田孝行の腹違いの弟
10歳以上年が離れた兄弟となります。年齢差があるので、さほど関りはなかったとされます。福田孝行は、このときすでに心は凍っていました。
無垢な赤ちゃんを見ても、可愛いとも感じなかったことでしょう。そして実の母がいなくなってしまったことで家での居場所はなくなったように感じるのです。
福田孝行のフィリピン人の継母
もともと父親の愛人でした。喪が明けない3か月後に籍を入れて夫婦になっています。周りからみても、異質を放っていたことでしょう。継母に対しても父は虐待をしていたとされます。
甘えられることはなかった
継母に心の叫びを訴えていたようです。福田孝行は無償の愛を必死で感じようとしていました。中学生といえば思春期に入り母との距離をとるようになりますが、福田孝行は違いました。
抱き着き赤ちゃんのように母性を感じ、心から安心したかったのです。壮絶な生い立ちで心のバランスが崩れていたためでしょう。それでも満たされることはなく、修復不可能な地点まできていたのです。
Contents
福田孝行の煽るような証言と行動
幸せだった子供時代とはいえない過去が発覚していますが、だからといって殺人を犯してはなりません。歪んだ思考は言葉としても出ています。福田孝行が発した驚きの発言についてみていきましょう。
ドラえもんに助けてもらおうとした
異空間を演出する世界観が夢を与えてくれるアニメキャラクターですが、福田孝行は現世でも通用すると思っていたようです。亡骸を押し入れに入れたのも、魔法の道具で生き返らせてくれると信じていたとされます。
通常なら、空想の世界だとわかるものですが、心の成長が止まったままの福田孝行には識別ができなかったようです。
屍姦はよみがえりの儀式
死体の中に精子を吹き込むと再生すると、本を読んだ際に知識として得たと公言しています。福田孝行はあり得ないことの境目がわからなかったのでしょうか。
審判で他人事のように語った福田孝行は、30歳でした。所帯を持ち、一家の大黒柱として奮闘している同級生もいたことでしょう。裏腹に幼稚な発言をしては周囲を驚かせ、不気味なオーラを放っていたのでした。
被害者を侮辱した手紙
内容とは、可愛らしい犬に突然出会い、そのまま肉体関係を持ってしまったことは罪になるのかと綴られていたり、悪いのは自分ではなく社会だとあてつけています。
福田孝行は、鬼父の血を受け継いでいるせいか、自分本位で周りを支配しているかのような見下した文面が並んでいたとされます。
被害者の本村弥生さんと来世で結婚する
数々の異言をしていたことから、精神鑑定を受けますが、この際にも生まれ変わったら弥生さんと夫婦になると語ります。全く反省もしておらず被害者に対して歪んだ愛情を向けていたことが浮き彫りとなりました。
命を奪っておきながら淡々と来世を口にする福田孝行には、殺意も覚えたことでしょう。
光市母子殺害事件の裁判と判決は?
福田孝行の残虐な犯行に加え、異質な発言は反省をしていないとされる中で、10代という低年齢がまだ更生の余地があるのではないかという声も挙がっており、判決の行方を世間は注目しました。
2000年に最初の審判がスタートしましたがさまざまな討論が繰り広げられ約12年かけて刑が確定しています。長かった道のりをご紹介します。
争点①殺意はあったのか?傷害致死罪が該当するか
明らかに首を絞める行動をしていますが福田孝行の弁護側は、突然のことで手を口に当てようとしたのが間違って首にいってしまったと主張をします。そして母性を求めていたとも告げています。
小さな赤ちゃんを抱いていた弥生さんに、福田孝行は自身の姿を照らしあわせたのです。自分もお母さんに抱かれたい、甘えたいと感じたといいます。
体は成長して18歳でありますが、心は小さいときのまま止まっていたのでしょう。精神のバランスを失ったことからの動きであるという討論がされました。
争点②未成年に死刑判決を下してもいいのか
犯行をしたとき18歳と成人ではなかった福田孝行に対して、死刑という一番重い罪を科してもいいのかが問題となりました。結果、どんな刑となっても正解はありませんでした。
福田孝行が起こした過ちは、若年であっても未来ある2人の命を奪ったことは許されるものではなく、重くのしかかり、きっちりと償なわなければいけません。
2012年3月に死刑判決が確定
再審が繰り返された結果、福田孝行の弁護人が主張する意向は、認められなかった他、更生の可能性は極めて低く犯行残虐で死で償いしかないと確定していました。
2人が笑顔で納まる遺影を手にしっかりと持ち、洋さんは長かった道のりを噛み締めるように聞いていたといいます。刑が執行されても愛する家族は戻ってきません。
悲しみが消えない中で福田孝行への刑量を見届けようと、目標に生きると命綱にしてきたことでしょう。
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増田美智子が福田孝行の実名本『福田君を殺して何になる』を出版
福田孝行に面会を通して取材し、周りの知人や親族にもインタビューを繰り返してレポートをまとめ、一つの本になっています。
出版に関してトラブルが起こっており、ここでも福田孝行は世間に注目されています。
死刑前提の内容になっており福田孝行が出版差し止め請求
まだ審判中であったときに面会を繰り返しています。インタビューしたいと願い出た理由は本を通して死刑を避けられるとように協力するという意向であったため、了解を得ていたとされます。
世に出回って目を通してみると、死刑が決定したかのようなあらすじになっており、福田孝行は約束と違うと意見します。差し止めを願い出ましたが敗訴で終わり、本は無事市場へ出回るようになりました。
福田孝行の現在は?
10年以上かけ刑量を討論した福田孝行の行く末が決定し、連日大きく取り上げれていた報道も終わりを遂げました。今はどのような状況であるのかをみていきましょう。
大月純子と養子縁組し「大月孝行」へ改名
獄中結婚かと再度注目を浴びましたが、養子に入ったことで苗字が変わりました。彼女はキリスト教の教えを説く牧師です。幾度となく面会を続け、聖書も手渡しています。
塀の中で神のお言葉を熟読し、福田孝行の歩んでいた道はどれほど幼稚で浅はかであったかを実感したとされます。自分の通ってきた悪の道を思い知ったようです。
福田孝行は広島拘置所で刑の執行を待つ日々
刑は確定してしまいましたが、最期にどんな経緯であっても福田孝行という人間を無条件で受け止め愛してくれる大月純子氏と巡り会えたことで、少しは心のバランスを取り戻したことでしょう。
そして過去の自分を見つめ直し、罪の重さを改めて感じていることと思います。
聖書を読み込み体を鍛える日々
養母から与えてもらった聖書を愛読書とし、以前よりも筋肉質ながっちり体型になったといわれています。自分自身を律することで、日々遺族に対して詫びる姿勢を示しているのでしょうか。
人が育つ環境というものは心を形成していく上で重要な基盤となるのです。見守ってくれる人がいてくれるという安心感で、今までで一番落ち着いて過ごしているのではないでしょうか。
福田孝行の家族の光市母子殺害事件後と現在
家族の中で一人犯罪に手を染めてしまうと、一族がバッシングされます。異質な関係であることが多く福田孝行の血縁も複雑な性格であったり、子に対しての養育する心持が特殊でありました。
父親は責任転嫁のような発言を繰り返す
自身の血を分けた息子であり責任は親にあります。異質な性格は、関係ないと平然と取材陣に応えています。一人の人間として福田孝行を尊厳している可能性もありますが、命を奪っている経緯から言えることではありません。
まず保護者としてできることは、謝罪ではないでしょうか。常識的な行動ができない哀れな姿を世間に公表し、あざ笑いされたのでした。
職場を変えた父親
洋さんと同じ職場でありましたが、本人が法に触れたわけではありませんが子供である福田孝行の犯した罪は、連帯責任のように社会は冷たく、鋭い視線を感じるのです。
居場所をなくし退職を余儀なくされ、2度も職場を変えているようです。あたかも被害者であるかのように仕事ができないことをマスコミに告げており、悪びれる素ぶりは微塵も感じなかったといいます。
メニエール病を患い片耳が不自由になっています。こんな運命になった福田孝行が憎いとまで言っています。
高2で行方不明となった弟
2歳下の同じ母親から生まれた弟です。事の重大さに耐えきれなかったのでしょうか。学生の身でありながら家出のように姿を消しています。
今はどこかで元気に暮らしているようですが、実家に近寄らないで氏名も変更し福田孝行の弟という正体は隠して生きていることでしょう。
無事で何よりですが、兄のせいで人生は乱れてしまったことを恨み、弟であることも後悔しているのかもしれません。
光市母子殺害事件被害者の遺族・本村洋さんの事件後と現在は?
幸せな家庭が一変して、悪夢のような日々が始まりました。残虐な方法が次々と明らかになり目を背けたくなる場面もあったことでしょう。
ですが洋さんは日本を動かし、被害者にとって光を作った素晴らしい功績をのこしていまうす。
あすの会を設立
裁判傍聴しようとしてもマスコミに全て席を占領され、遺族の配慮が全くなかったといいます。連日ヒートアップするプライベートな情報をメディアで流され、どちらが被害者なのかが判別できない状況だったといいます。
形態自体を見直す必要があるとし、あすの会を作りました。同じ志を持った被害者遺族8600人余りが集結し国会を動かしたのです。
2004年に犯罪被害者等基本法を成立させた
被害にあった遺族としての権利が与えられ、国から得る保障が厚遇されるようになりました。洋さんが手がけてきた功績は、多くの悲しい思いをしてきた人に、希望を与え、少しの光を感じるきっかけともなったことでしょう。
自身も辛い思いをしてきて、立ちどまりたい日もあったでしょうが、全ては生きたかったであろう妻と娘のために、少しでも生きた証として残してあげたい一心だったことでしょう。
目的の達成と会員の高齢化によりあすの会解散
社会を大きく動かした活動は一旦解消しています。福田孝行に対して恨みという強い怨念は変わることはないでしょう。
ただ自分の役目は果たせたという達成感があったことから、新たな課題がでてきた場合は時世に託す意向を示しています。
2017年に職場の同僚と結婚し幸せに暮らしている
絶望の淵にあった洋さんを影ながら支えた女性がいました。一時は自殺をも頭がよぎったといいます。もがきながら生き抜いた先に手に入れた幸せは、天国からの授かりものではないでしょうか。
現実から目を背けることなく、社会人として身を置き闘い続けた勇士は誰よりも輝いています。
福田孝行は結婚できる?
養子縁組をしたことで、大月姓を名乗り福田孝行から生まれ変わっています。彼女が救いの手を出したことで実現しました。我が国に留置されている死刑囚で、獄中結婚しているケースも度々取り上げられます。
今後、福田孝行にフィアンセとなってくれる人は現れるでしょうか?適齢期について考察します。
福田孝行との特殊な夫婦の形
死刑囚ですので、表社会へは一切出ることができません。もし今後生涯のパートナーとして立候補する女性が現れたとしても、面会室で会話をするだけの純愛になります。
夫婦の形はそれぞれですから、遺骨を守りたいといった愛情がある人が手を挙げることがあれば可能性はゼロとは言い切れないでしょう。
福田孝行は死刑が怖い?
牢獄で数えきれないほどの手紙を洋さんへ送っていました。最初、福田孝行は死刑になると思っておらず少年法で守られると誇示していたとされます。それが現実となり生きるということに執着したようです。
7年で社会へ出れると思っていた
逮捕されてすぐに友人へ福田孝行は、手紙を送っています。その内容は8年もすれば社会へ出られるが、刑務所の中に興味があるため、すぐには出たくないと綴ってありました。
成人でないから死は免れると根拠のない自信を誇示していました。
福田孝行は死が恐怖に
福田孝行は自分の運命は極刑であろうと悟ると、身勝手に殺めていたにも関わらず、生きたいと強く願うようになります。遺族である洋さんへ詫びる手紙を何十通も書いたのです。
あまりにも身勝手であり、命の重さを受け止めていないように感じます。今も福田孝行死刑囚は執行のカウントダウンまで聖書を読みふけっていることでしょう。
福田孝行の身勝手な犯行と垣間見える家族背景
突如起こった悍ましい事件を起こした福田孝行は、見た目は立派な大人でも心は未発達のままであり、複雑な家庭環境が影響していました。
一連で、世の親たちは子への接し方、家族としての在り方を見つめ直すきっかけともなりました。心の成長とは目に見えないものであり判別は難しいものです。
家族のコミュニケーションが気薄となっている現代、第二の福田孝行を誕生させないよう人との関りを大切にし思いやりを持って行動していきたいと心に刻むものです。
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