北センチネル島はやらせ?入ってはいけない島の驚愕の真実と現在

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万が一、外部の人間が持ち込んだ細菌やウィルスによって彼らが感染症にかかってしまった場合、あっという間に北センチネル島全体でパンデミックが起こる危険も考慮し、彼らとの接触は法律で禁じられています。

北センチネル島を守る理由②先住民の生活

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北センチネル島の生活は狩猟や採集の石器時代レベルと考えられているので、その中にいきなり現代文明が流入すると、彼らが営んできたそれまでの平穏な生活が崩壊したり争いを引き起こしかねません。

そうしたトラブルを避けるため、保護という名目で北センチネル島やセンチネル族との接触は固く法律で禁じられています。

北センチネル島を守る理由③先住民と訪問者の生命の安全

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保護という名目で接触が禁じられている最大の理由は、彼ら先住民が外界との交流を拒絶しているためです。

もちろん会話や文字によるコミュニケーションが取れていないので、センチネル族の本心は図りかねる部分があることは否めません。しかし、訪問者が激しい攻撃に合うというのは厳然たる事実です。

また彼らに対して現代科学の力を持って危害を加えようとする悪意の訪問者が現れないとも限りません。接触禁止という政策はセンチネル族と訪問者の両方を守るために必要不可欠の政策です。

北センチネル島が外部の人間を拒絶する理由とは?

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北センチネル島の住民が外界を拒否する理由は、コミュニケーションが不可能な現状では、正確なところは不明です。

しかしこの地域の歴史を見ていくと、その理由がおぼろげながら見えてきます。ここでは広くアンダマン諸島のたどってきた歴史の真実を振り返っていきましょう。

北センチネル島が人を拒絶する理由①奴隷にされていた歴史

記録に残る18世紀以前、すでに7世紀ごろには、中国やビルマといったアジアの船乗りたちによって、このエリアの島々とそこに住まう人たちの存在はすでに知られていました。

船乗りたちのは、奴隷売買のために島から先住民を連れ去っていたとも言われています。外部の見知らぬ人間に家族や仲間が連れ去られ二度と戻ってこないという先住民にとっては悪夢のような出来事です。

このことは、アンダマン諸島の先住民の記憶にくっきりと刻み込まれたでしょう。こうした歴史も彼らが外部の浸入を拒絶する理由の1つと考えられています。

北センチネル島が人を拒絶する理由②イギリスとの闘い

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19世紀半ばのインドがイギリス(大英帝国)の植民地時代に、アンダマン諸島は反乱者の流刑地となり、収容施設(監獄)が建設されました。

その建設に、アンダマンのいくつかの部族の先住民が無理やり駆り出されました。先住民たちは同盟を結んで数千人規模で抵抗しますが、近代武装した英軍には勝てず、敗北します。

皮肉なことに反乱した先住民たちの多くはその収容所に入れられました。劣悪な環境の中で感染症が蔓延し数百人の先住民が収容所で無念の死を遂げたと言います。

北センチネル島が人を拒絶する理由③北センチネル島民連れ去り事件

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イギリスによる先住民への圧政が続く中、警戒心の強い北センチネル島の住民は、孤立を守ることでなんとか圧政を逃れていました。

そんな中、1880年に英国海軍将校が北センチネル島から大人2人と子ども4人を連れ去るという事件が起こります。しかし連れてきた大人2人が病死しため、子ども4人だけが島に戻されました。

真実は不明ですがセンチネル族が外部の人間を激しく敵視し拒絶するのは、この出来事が直接の原因ではないかと言われています。

北センチネル島が人を拒絶する理由③インド政府との過去

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第2次世界大戦終結後の1947年にインドがイギリスから独立し、ようやくアンダマン諸島はインドの統治下になりました。

しかしインド政府は先住民を圧政で支配するイギリスの政策をそのまま引き継ぎました。先住民の多くは収容施設に入れられ、ココヤシのプランテーションや畜産といった、まったく未知の産業に従事させられます。

こうして多くの先住民が独自の文化を失っていくなか、孤立を保ち、外界を拒絶することで、独自の文化・風習を保ち続けているのがセンチネル族である、というのがいまわかっている真実です。

北センチネル島への日本軍の脅威

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北センチネル島を含むアンダマン諸島の歴史は、インドやイギリスのつながりの中で語られることが多いです。しかしこの地域は、第2次世界大戦中に日本軍が占領していた時期がありました。

なぜ日本軍はこの地を占領したのでしょうか?また日本軍はセンチネル族とコンタクトを取っていたのでしょうか?当時この地域はいったいどのような状況だったのか歴史の真実を見ていきましょう。

日本軍が迫ってきたのはいつ?

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アンダマン諸島はミャンマー(ビルマ)やタイに近く、日本軍が東南アジアに占領地域を伸ばしている当時、軍事や海上輸送路の重要拠点と考えられました。

日本軍は1942年に敵国であるイギリス軍が駐留するアンダマン諸島の侵攻・占領に成功し、日本軍による支配は1945年の終戦時まで続きました。

当時の日本とインド

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当時のインドは、依然として日本軍の敵対国イギリスの植民地支配下にありましたが、戦争の気運に乗じて、イギリスの支配を脱して独立を求める機運も高まっていました。

アンダマン諸島もインドの一部として当然イギリス軍が駐留していましたが、日本軍がそのイギリス軍を追い払ってやって来たため、日本軍は好意的に受け入れられたと言われています。

また日本政府や日本軍もインドの独立を支持し、日本軍の支援によって独立を目指す「インド国民軍」も結成されるなど、当時の日本や日本軍とイギリス植民地支配下のインドは一面では友好関係にありました。

センチネル族はどうなったのか?

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アンダマン諸島を占領した日本軍でしたが、先住民が戦争に兵士として参戦したり、日本軍と戦ったというような記録も残っておらず、いわば戦争からは全く蚊帳の外だったと考えられます。

一貫して外界との接触を断ち、孤立を保ってきた彼らセンチネル族は、すぐそこまで日本軍が迫っていたにもかかわらず、普段と変わりない生活を送っていたというのが真実だと考えられます。

北センチネル島に住むセンチネル族の気になる疑問

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この項では、かなり特殊な歴史や経緯を持った彼らセンチネル族の生活などに関する疑問をいくつか分析して、より彼らの真実にせまっていきましょう。

センチネル族の気になる疑問①どんな生活をしているの?

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現代文明と隔絶した生活を送っている彼らの生活は、狩猟・採集を中心とした自給自足社会と考えられます。数少ない映像・画像からは農地も見られず、農業が行われている様子はありません。

周囲を海に囲まれ、もちろん漁も行いますが、非常に小さなカヌー程度でオールは使わずに長い棒で海底を押して移動できる程度の浅瀬よりも、遠くの沖合へ出ることは確認されていません。

島に流れ着いた漂着物や難破船から金属の部材を取り出し加工して、矢じりに使っている例も確認されていますが、おおむね石器時代のイメージそのままと思って間違いはありません。

センチネル族の気になる疑問②どんな格好をしているの?

男女とも衣類は身につけておらず、画像・映像からは腰や頭、首に植物の繊維や樹皮を編んだり加工したようなベルト状のものを巻いているのが見て取れます。

また彼らに近づくと、ほぼ間違いなく男性から弓矢で威嚇・攻撃されることから分かるように、男性は常に弓矢を携帯している姿が多く見られます。

センチネル族の気になる疑問③みんな左利き?

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彼らの変わった特徴として、左利きが多いのではないか?という噂があります。動画や画像を見ると、ものを扱うのに左手を使うことが多いように見える?ということから言われている噂です。

右利きか左利きかは遺伝だけでなく、環境によっても決まると言われており、もしセンチネル族に左利きが多いとしたら、独自の文化的な習慣が影響していることも考えられます。

残念ながら動画や画像は不鮮明なものも多いので真実かどうかは不明です。ぜひ皆さんも動画をチェックしてみてください。意外な発見があるかもしれません。

北センチネル島の現在の状況は?

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北センチネル島は宣教師の殺害事件を機にインターネットを中心に知名度が一気に上がりました。それによって、この島を取り巻く環境も少し変わってきています。

この項では、多くの人に知られることで起きつつある、新たな問題を解説します。

北センチネル島の現状①今だ拒絶する島 

知名度が上がったとはいえ、それはあくまで外部の人間のこと。彼らが外界を拒絶しているいう点は変わっておらず、インド当局も不干渉という方針は変えていません。

北センチネル島は2004年の「スマトラ沖大地震」で大きな被害を受けたエリアに含まれます。上空から観察すると津波などで北センチネル島も島の形が一部変わってしまうほどの被害を受けたとみられています。

人道的な立場からインド当局はセンチネル族の安否確認を行おうとしましたが、調査に向かったヘリコプターにも弓矢を向けて威嚇をするセンチネル族の姿が確認されています。

北センチネル島の現状②興味を持つ人々

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北センチネル島へ接近しようとするのは、これまでは宣教師のようにある使命感を持った人間という例外を除き、基本的には調査のための政府当局やマスコミ、学者に限られていました。

しかしその存在が知られるにつれて、興味本位や怖いもの見たさといった気持ちで島を見てみたいと考える人間が増えてきました。

北センチネル島周辺では、インド当局の監視の目を盗み、金銭で現地の漁師などを雇って密かに島に近づこうとする人が増えるといった、新たな問題が起きています。

北センチネル島の現状③観光地化を懸念する声

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このように北センチネル島が、思わぬ形で「裏の観光地」化してしまうことについて、インド政府は懸念を示しています。

センチネル族を伝染病から保護し、また無思慮な訪問者の犠牲を防ぐために、北センチネル島への接近禁止は最優先事項です。

そのためインド政府は従来通りの島へ接近することの罰則だけでなく、2017年からは島を遠くから写真や動画で撮影するだけでも最大3年の懲役を科す罰則規定を設けて規制の強化に努めています。

センチネル族以外のインドの先住民族を紹介

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北センチネル島を含む、アンダマン諸島にはセンチネル族以外にも、先住民族が住んでいます。

離島の北センチネル島に住むセンチネル族と異なり、諸島の主要な島に居住していた彼らのたどった歴史も過酷なものでした。

この項ではセンチネル族以外のそれら主な先住民についてご紹介します。

インドの先住民族①ジャラワ族

ジャラワ族はアンダマン諸島のうち南アンダマン島に居住していた先住民です。彼らもセンチネル族と同様、警戒心が強く部外者を拒絶してきましたが、近代以降さまざまな形で文明との接触をしてきました。

イギリス植民地時代の圧政の中でも比較的難を逃れましたが、強制移住などの影響で人口を減らし、現在は250~400名程度が住んでいると言われています。いまも部外者に抵抗の姿勢を見せることもあります。

居住地を制限されながら細々と暮らしているジャラワ族ですが、密猟者や島の道路建設による外部との接触により1998年と2006年には麻疹(はしか)が流行し民族消滅の危機に幾度かさらされています。

ジャラワ族の現在

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こうした過酷な生活の中でジャラワ族の伝統的な文化や知識も失われつつあります。望まぬ形で文明に接したジャラワ族の中には盗みや物乞い、売春に身を落とす人も現れています。

アンダマン諸島自体は制限区域はあるものの一部は観光客に開放されており、車からジャラワ族に向かってお菓子や果物を投げ与えるといった侮辱的な扱いをする観光客がいることも問題になっています。

先住民に関して、法律や政策では保護が大前提になっていますが、必ずしもうまくいっているとは言えない状況に陥っています。

インドの先住民族②オンゲ族

オンゲ族はアンダマン諸島の南部の少アンダマン島に暮らす先住民です。アンダマン諸島の他の先住民に比べ、部外者との接触には比較的寛容と言われています。

アンダマン諸島は2004年のスマトラ沖大地震で大きな津波に襲われましたが、オンゲ族には古くから津波が説話として伝承されていたので、いち早く高台に逃げたオンゲ族は難を逃れたと言います。

オンゲ族は現在もアンダマン諸島の小アンダマン島を中心に暮らしていますが、現在の人口は100人にも満たないと言われており、やはり深刻な民族消滅の危機にさらされています。

オンゲ族の現在

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インド政府は オンゲ族を小アンダマン島の2つの保護区に分けて、部外者との接触を管理しながら保護に努めていますが、ジャラワ族と同様に、文明との接触による不幸な出来事も起きています。

2008年には飲酒を覚えたオンゲ族の男性が、誤って有毒なメタノールを飲んでしまったことによると思われる中毒で8人が死亡、15人が病院に搬送されるという事件が起きています。

さらにはアルコールだけでなく、違法薬物の依存もオンゲ族の中に近年見られるようになり、民族消滅に拍車をかける深刻な脅威としてインド政府は危機感を募らせています。

北センチネル島とルーツは同じ?日本人との意外な関係

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われわれ日本人と北センチネル島のあるアンダマン諸島の人々は、はまったく異なる人種のようですが、近年の研究で彼ら先住民と日本人には意外なつながりがあることが分かってきました。

この項では日本人のルーツのカギにもなる、研究でわかったアンダマンの人々と日本人の不思議な関係の真実について紹介します。

アンダマン諸島先住民のルーツ

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アフリカで誕生したわたしたち現生人類の祖先は、中東を経てアジア、ヨーロッパ、そこからさらに太平洋のオセアニアやアメリカ大陸まで長い年月とさまざまなルートで世界に広まっていきました。

このうちユーラシア大陸を東方面に向かって進出した人類のなかで、数万年前に、この地に根を下ろしたのがアンダマン諸島の先住民と考えられています。

DNA分析でわかった意外なつながり

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北センチネル島のセンチネル族のDNAは調べられていませんが、同系統とも推定されるジャワラ人のDNAを調べると、日本人やチベット人に見られる共通のDNA型を持っていることが分かってきました。

ユーラシア大陸を東に進んだ大きなグループが、約6万年前にチベット方面(チベット人)、南方面(アンダマン先住民)、さらに東方面(日本人)の3つに分岐したらしいとことがわかってきたのです。

もしかしたら北センチネル島も?言語の不思議な共通性

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センチネル族の言語は解明されていませんが、ジャラワ族やオンゲ族の話す言葉は、言語学的に助詞や助動詞などの接尾辞を使って文を組み立てる「膠着語」と言われる系統に属します。

語彙や文法は当然異なりますが、実は日本語も言語学的にはこの膠着語に分類される言語で、こんなところにも日本人と北センチネル島含むアンダマン諸島の不思議な共通点があります。

見た目は違ってもルーツは同じ

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現在の日本人は、その後もいろいろなルートで日本列島にやって来た人たちとの混血や、環境風土に合わせて進化をした結果、現在のような姿になっています。

見た目も文化もまったく異なる北センチネル島のセンチネル族と、わたしたち日本人が、実は同じルーツをもつ遠い親戚かもしれないというのは、人類の進化の不思議さであると共になんとも夢のある話です。

日本人が持つ遺伝子には他にも謎があります。その一つ「神の遺伝子」とも言われる「YAP遺伝子」については興味のある方はこちらをご覧ください。

北センチネル島はムリでも…アンダマン諸島は人気リゾート地?

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北センチネル島のあるアンダマン諸島は大小合わせて300を超える島々のうち、先住身保護のため外国人が立ち入ることができるのは20~30の島や一部エリアに制限されています。

実はその立ち入り可能エリアは、年々訪れる人が増えている隠れた観光スポットとなっています。北センチネル島や立ち入り禁止区域は厳禁ですが、このアンダマン諸島観光について紹介します。

アンダマン諸島観光の概要

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アンダマン諸島の最大都市ポートブレアは、インド本土から飛行機で海を渡って約1300㎞も離れており、インドの歴史や風土の違った一面を体感することができます。

またパスポートとは別に空港で「入域許可証」発行の手続きが必要となり、あくまで「立ち入りを許可されている」というスタンスでの観光になるので注意しましょう。

出かけるには少しハードルが高い場所と言えますが、日本からもツアーを扱っている旅行代理店がありますので、旅慣れていない方はそうしたツアーを利用するのが無難です。

アンダマン諸島の観光①美しいリゾートビーチ

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アンダマン諸島観光随一のスポットは、ポートブレアからフェリーで行くハヴロック島のビーチです。アジアのベストビーチに選ばれたこともある美しい海が広がっています。

透明度の高い海でのシュノーケリングやダイビング、インドならではの本場のカレーやタンドリー料理、カニやロブスターなどの海の幸が名物を楽しみに観光客が年々増えています。

アンダマン諸島の観光②ポートブレア市内の旧跡

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ポートブレアには、イギリス植民地時代に建てられ、反乱者や独立運動家が収容された刑務所が、アンダマン諸島のたどった過酷な歴史を物語る名所として現在も残されています。

また、第2次世界大戦中の日本軍占領下に造られたバンカー(攻撃から守るための壕)も当時のままの姿で残っており、遠くインドで日本の歴史の一部を感じさせるスポットになっています。

北センチネル島は絶対NG!

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言うまでもなく、こっそり北センチネル島へ行こうという気を起こしてはいけません!金に物を言わせ島に近づこうとした輩の中には、残念ながら日本人もいたといいます。

もしアンダマン観光に行く機会があっても、すぐ近くに神秘に包まれた謎の先住民が暮らしている、という世界の不思議さを胸に秘めて、きれいな海や旧跡を楽しみましょう。

北センチネル島はやらせではなかった

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地球に残された最後の秘境の1つと言われる謎の島の真実と現在について紹介しました。インド政府による、島と彼らへの保護政策の方針が転換されることは今後も当面はありません。

初見ではやらせも疑えるほど、信じがたいエピソードに満ちた謎多き島ですが、先人が残した数少ない情報を詳しく見ていくことで、彼らの存在が決してやらせではない真実であることがわかります。

興味本位で語られがちな北センチネル島ですが、真実として受け止め、地球の大切な一員として、彼らの平穏な生活をおびやかさないように見守っていくことが、まさにわれわれ「現代人」の使命と言えるでしょう。

全世界が騙された「タサダイ族やらせ事件」についてはこちら

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