北センチネル島で何が起こっているのか?
人類は地球上のあらゆるエリアに、活動範囲を広げましたが、今もなお現代人が容易に足を踏み入れられないエリアがこの地球上に存在します。
今回紹介するとある島もその一つです。この島には、いったいどんな謎と真実が隠されているのでしょうか?
北センチネル島は現代社会を拒絶し続ける島
この島はインドのベンガル湾のアンダマン諸島にあり、センチネル族という部族が暮らしています。
外から訪れる人間に、激しい攻撃を加え殺害してしまう謎の島として知られ、現在は法律で立入り禁止になっています。
北センチネル島に住むセンチネル族とは
この島の先住民は、北センチネル島に数万年前から住んでいるとみられています。さらに彼らの言語も近隣部族の言語と大きく違い、すでに過去数千年にわたって外部との接触がなかったと考えられています。
現在の人口は、実際に島への調査ができないので、50から多くても400人程度と推定されており、狩猟や釣り、採集の石器時代の生活レベルと言われていますが、現在のところ詳細は不明です。
北センチネル島で起こった数々の殺害事件
20世紀に入ってからも、研究者や公的機関によって学術研究や先住民調査の目的で北センチネル島へのコンタクトが行われていますが、ほぼ成功せず不首尾に終わっています。
これらの場合は幸いにも殺害の犠牲はありませんが、不可抗力で島に来たり、民間人でも明確な意図をもってこの島にやってきた人の中には、殺された方がいます。
いま現在も訪れるには危険すぎるアンタッチャブルなエリアとして、北センチネル島は存在しているのです。
北センチネル島で起こった数々の殺害事件
北センチネル島を訪れた人が殺害されるという悲惨な事件が何件も発生しているというのは前述のとおりです。
それではこの項では実際に北センチネル島の殺害事件の代表的な例をご紹介しましょう。
訪問者の結末①脱走犯の悲劇
かつてインドがイギリスの事実上の植民地だった19世紀に、アンダマン諸島は流刑地として刑務所が置かれていました。1896年のこと、その刑務所からの脱獄に成功した囚人が北センチネル島に逃げ込みました。
すぐさま捜索隊が追跡に当たりましたが、その囚人は、弓矢で追われ喉を切り裂かれた無残な遺体で見つかりました。
外界からの訪問者を攻撃し殺害するセンチネル島の風習は、実に100年以上前から記録があります。
訪問者の結末②密漁者の無残な最期
北センチネル島付近はウミガメやカニ、ロブスターなどの海産資源が豊富で密漁も多い海域と言われています。
2006年には、密漁をしていたインド人2名が、ボートごと漂流し、たまたま北センチネル島に着いた結果、弓矢で射られ殺されました。
2人の遺体捜索のため、インド当局はヘリコプターで接近したものの、ヘリコプターにも弓矢や投げ槍で攻撃してきたので、結局遺体は回収できませんでした。
訪問者の結末③布教しようとした宣教師
2018年に、キリスト教の布教を目的に北センチネル島へ上陸したアメリカの宣教師が、やはりセンチネル族によって弓矢での攻撃を受け死亡するという事件が起きています。
ニュースやネットでも取り上げられたこの事例については、次項で、もう少し詳しく紹介します。
北センチネル島で宣教師を襲った驚愕事件とは
布教に訪れたキリスト教の宣教師が、外界との接触を拒む北センチネル島の先住民に殺されたセンセーショナルな事件を詳しく見ていきます。
宣教師の真の目的や殺害までの顛末を、事件の経緯や背景、当時の報道なども含めてご紹介します。
宣教師は3度も行っていた
北センチネル島で亡くなったのは、中国系アメリカ人のジョン・アレン・チャウ氏(26)。彼はまず2018年11月14日の夜に独自にチャーターした地元の漁船で島への接近に挑戦します。
この日は島への接近だけでしたが、15日以降、準備を整え漁船から海上でカヌーに乗り換えて接近しますが、弓矢の雨やカヌーを破壊されるほどの攻撃にあい漁船に泳いで逃げかえるほどの失敗を2度繰り返します。
チャウ氏が不幸な最期を遂げるのは、続いて決行された北センチネル島への3度目のチャレンジの際といわれています。
動機は宣教師としての使命感
殺害されたチャウ氏は、先住民への布教のために、数年前から経計画を練り、実は2016年と2017年にも北センチネル島への上陸のチャレンジをしています。
亡くなる直前に彼が残した日記には「主よ、悪魔の最後のとりでのこの島では誰もあなたの名を聞いたり、名を聞くチャンスすらなかったのですか?」という言葉が残っています。
死の危険もある島に単身乗り込むという、無謀な行動ですが、宣教師としての強烈な使命感を持った行動であることがうかがえます。
帰って来なかった宣教師
チャウ氏は3度目の挑戦となる島への上陸で殺されました。この時の様子は北センチネル島付近までチャウ氏を漁船に乗せた漁師が目撃しています。
漁船からカヌーに乗り換え近づく間にもチャウ氏は容赦なく弓を射られました。チャウ氏は負傷しながらもカヌーを降り、なんとか浜に歩いてたどり着きましたが、そこで力尽きて倒れました。
その後、島民が倒れたチャウ氏の首に縄を巻きつけ砂浜を引きずり回すのも目撃されています。このため残念ながらチャウ氏は死亡したと判断されています。
殉教者として覚悟していた可能性
チャウ氏はヨハネの黙示録をベースにした終末思想に重きを置いている「オール・ネイションズ・ファミリー」という教団に所属していました。
来たるべき世界の終り(終末)に向けて、教えを(彼にとっては未開な)先住民に広めることが、彼にとっては最も重要だったのかもしれません。
亡くなる直前の彼の日記には、海に沈む美しい夕日を見て「これが最後の夕日か」という、死を覚悟した感想が書かれています。
宣教師は不明のまま
死亡したとされる宣教師のチャウ氏の遺体については、チャウ氏の所属するキリスト教系宗教団体等は遺体回収を求めていますが、いまも遺体は回収されないままです。
もちろん回収隊も島に上陸できていません。警察がボートで弓矢の射程外から浜の様子をうかがうと、必ず弓矢を手にした先住民があらわれ近寄れない状況になっています。