土浦連続殺傷事件とは?死刑になりたいという動機の元に9名を殺傷した事件
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2008年(平成20年)3月、当時24歳の若者だった金川真大(かながわまさひろ)という男が2日間で9名を襲い、そのうち2名を死亡させました。この残忍な通り魔事件が土浦連続殺傷事件です。
殺害の動機について犯人の金川は死刑になって死にたかったからと供述しており、身勝手で残忍極まりない事件として世間に衝撃を与えました。では、時系列で土浦連続殺傷事件を振り返ってみたいと思います。
犯人は2日に分けて犯行に及んだ
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この事件は衝動的犯行ではなく、以前から殺人を計画していた金川真大によって土浦連続殺傷事件は引き起こされました。2008年(平成20年)3月19日、金川は住宅街で男性1名を殺害し最初の被害者を出します。
土浦連続殺傷事件を起こした金川の当初の計画では、多数の人を殺害する予定でしたが、うまくいかなかったため金川は逃亡します。その後、都内のホテルに潜伏し、次の犯行の機会を狙っていました。
2日間で合わせて9名が切り付けられ、内2名が死亡
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金川は最初の被害者を出した翌日にも犯行を考えますが、一旦諦めており、警察に対し挑発のメールや電話等をしています。このような常軌を逸した行動から金川の身勝手な思考がうかがえます。
そして、土浦連続殺傷事件で最初の犠牲者が出て4日経過した3月23日、JR線の荒川沖駅で金川は両手で刃物を振り回し居合わせた人々を襲撃し、切り付けた8人のうち1人が亡くなってしまします。
最終的には2日間で9名が凶行に遭い、何の罪もない2名の尊い命が犠牲となり、土浦連続殺傷事件は幕を閉じます。非常に残虐で身勝手な犯行だったといえるでしょう。
土浦連続殺傷事件の経緯①一度目の犯行
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土浦連続殺傷事件は3月19日と23日の二日に分けて起きています。まずは、3月19日に起きた最初の犯行から次の犯行が起きるまでに何が起こったのか、金川真大の動きを追いながら詳しくみていきましょう。
初めは妹が標的だったが不在だったため諦めた
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当初、土浦連続殺傷事件の計画では家族も標的とされていました。不仲だった上の妹を殺した上で自分の母校である小学校を襲うというものでした。
他にも中学校や高校、ネット上でトラブルになった相手も標的として挙がっていたようです。しかし、運よく妹は既に出かけており家にいませんでした。
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そこで金川は、次に狙っていた母校である小学校へマウンテンバイクに乗り出かけます。小学校に到着した金川ですが、大勢の大人がいることに驚きます。
偶然にも3月19日はちょうど終業式の日で校内に多数の保護者がいたのです。金川は計画が失敗に終わることを危惧し、小学校の襲撃は断念し立ち去ります。
住宅街をマウンテンバイクで走り無差別に標的を探した
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小学校の襲撃計画を断念した金川は新たな標的を探しに住宅街へ向かいます。家の前で自転車に乗っている男が殺人を考えているなんて住人は夢にも思わなかったことでしょう。
先の小学校の件などからもうかがえるように、土浦連続殺傷事件では、年配の方や子どもなど自分が制圧しやすい相手を狙おうとしたと考えられます。
たまたまインターホンに出た男性を刺しマウンテンバイクを置き逃走
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金川は住宅街である家に目をつけます。そして、インターホンを押して、自転車がパンクしたことを装い、出てきた住人の男性に自転車の空気入れを貸して欲しいと頼みます。
親切にも空気入れを貸した男性が金川に背を向けた直後、金川は男性の首元をめがけて包丁を振り下ろします。男性は叫び声をあげて倒れ、土浦連続殺傷事件での第一の犠牲者となりました。
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凶行に及んだ金川ですが遂に殺害を実行したことで気が動転していたのでしょうか。乗ってきたマウンテンバイクを男性宅の前に置いてくるという失態を犯してしまいました。
そして、殺害現場に置き去りにされたこのマウンテンバイクから、土浦連続殺傷事件の捜査線上に金川真大の名前が浮かび上がります。
血のついた服などを自宅に置きビジネスホテルへ
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殺害現場にマウンテンバイクを放置してしまったまま自宅へ戻った金川は、犯行で服に返り血がついてしまったことから着替えをします。その際に自室の壁に血で「死」と記しています。
そして、事前に用意してあった現金とともに都内のビジネスホテルへ逃走します。その際、理髪店に寄り髪型を丸坊主に変え、警察の目をくらまそうと変装しています。
では、金川は何故逃走を図ったのでしょうか。土浦連続殺傷事件の目的は確実な死である死刑だったはずです。
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現在の日本の司法制度において死刑となる基準は、犯行の性質、動機、被害者の数、社会的影響等の9つの基準があるとされています。
過去に起きた殺人事件の判例では、精神鑑定により責任能力がないとされた場合等を除き、2名以上殺害した場合は概ね死刑の判決が下っています。
金川はこのことを知っており、死刑になるために何人もの人々を殺すつもりでした。土浦連続殺傷事件は、死者が2名に到達するまでは終わることがなかったのです。
数日間ゲームをして過ごしながら警察に挑発メールを送る
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最初の被害者が出た日の翌日3月20日、土浦殺傷事件の犯人である金川は次の犯行に及ばず、新作のゲームソフトを買ってきてホテルの部屋でゲームをして過ごしています。
人を殺した金川はどのような気持ちでゲームに興じていたのでしょうか。当時、殺人とゲームの関連について様々な意見が話題になりましたが、今現在明白な関連は明らかになっていません。
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土浦連続殺傷事件で最初の犯行が行われた2日後の3月21日、事態が動き出します。金川の携帯電話に母親からメールが届いたのです。心配しているという内容でした。
メールを読んで、既に警察に疑われていることを悟った金川は、母親に対して「自分が犯人だ。これから犠牲者が増える」という内容のメールを返信し警察を挑発します。
そして、このメールの送信内容が決定打となり、土浦連続殺傷事件の犯人・金川真大は全国に指名手配されることとなりました。
土浦連続殺傷事件の経緯②二度目の犯行
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土浦連続殺傷事件の最初の犯行から4日後の3月23日、金川真大は二度目の凶行に及びます。この日が彼の今後を運命づける日となりました。最後の犯行に至るまでの動きを追ってみましょう。
自身の指名手配を知りもう一度殺人を犯すことを決める
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ニュースで自分が全国に指名手配されていることに気付いた金川は更なる犯行を決意します。警察に追われていることが確実となったため、捕まる前に早めに行動しなければならないと考えたのでしょう。
ホテルでは土地勘のある場所に思いを巡らせ、犯行を確実に遂行できそうな場所を吟味していました。もう一人殺さなければ意味がない、そう思い必死で考えを巡らせていたことでしょう。
22日の犯行は断念し警察に挑発電話をかける
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3月22日、都内のホテルを出た金川は土地勘のある場所を歩き回りながら、殺害できそうな標的を探します。しかし適当な標的が見つからず、この日の犯行を断念します。
その後、自分から警察に二回ほど電話をかけて自分が犯行を行ったことを自供し「早く捕まえてごらん」などと挑発の言葉を残します。
この日は幼少期を過ごした横浜で宿泊するつもりでしたが、ホテルが満室だったことから東京に戻り神田のホテルに宿泊しました。捕まる前に確実に犯行を行うために土地勘のあるでの犯行を考えていたようです。
23日に荒川沖駅にて事件を起こし8名を殺傷した
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そして、3月23日、土浦連続殺傷事件の第二の凶行が行われます。金川は自宅の最寄り駅でもある荒川沖駅を次の犯行の舞台に選びます。人の通行量が犯行を行うには適していると考えたようです。
それにしても自宅の最寄り駅のため、知人等を殺害してしまう可能性も十分にありました。金川としては、むしろそれでも構わないと考えていたのでしょうか。
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午前11時過ぎ、JRの荒川沖駅に一人の男が姿を見せます。眼鏡をかけ、黒のニット帽、黒の上着という服装の金川です。
金川は、両手に持った刃物を振り上げながら、次々とその場に居合わせた通行人を襲い始めたのです。土浦連続殺傷事件第二の犯行の瞬間です。
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現場は人々の恐怖の叫び声に包まれ騒然とします。人の往来のある昼間に繰り広げられた惨劇は想像を絶するものだったに違いありません。
現場ではあらかじめ複数の警察官が張り込んでいましたが、金川の身柄を確保することはできず、結局、金川は8名を襲撃しその場を後にします。このうち1名は死亡してしまいました。
犯行後に自ら交番に出頭した
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土浦連続殺傷事件という凶行に及んだ金川は駅から少し離れた場所にあった荒川沖地区交番へ急ぎます。自首をするためです。しかし、警察官が不在であったため、電話にて自ら犯行を名乗り出る通報を行いました。
その後、駆けつけた警察官に身柄を確保されますが、その際全く抵抗しなかったといいます。こうして土浦連続殺傷事件は金川の望む形で幕を下ろしたのです。
土浦連続殺傷事件の犯人・金川真大の生い立ち①理想と現実のキャップに苦しむ
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このように自分勝手な凶行・土浦連続殺傷事件を起こした金川真大ですが、どのような生い立ちを歩んできたのでしょうか。
生い立ちの中で彼がどのような考えを持つにいたったのか、一番身近な存在と言える家族や周囲の人々との関わりを中心にみていきましょう。
幼少期は海外を転々として過ごす
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金川の幼少期の生い立ちは海外生活から始まります。金川真大の父親は外務省の官僚であったため転勤が多く、家族も一緒についていったようです。
金川は中国の上海、アメリカのニューオーリンズでの海外生活を経て、4歳の時に日本へ帰国しました。帰国後すぐに土浦に住んだわけではなく別の土地で生活しています。
父親は教育に厳しく理想と現実にギャップに苦しむように
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父親は外務省の官僚という多忙な仕事であり、家族のことはほとんど母親に任せきりでしたが、子どもの学力やしつけに関しては厳しかったようです。長男であった金川に対しても将来に高い期待を寄せていました。
しかし、父親が期待していたほどには金川の成績はふるわず、父の求める理想と現実のギャップが徐々に大きくなっていきました。後に大きな劣等感を生んでしまったといえる生い立ちです。