土浦連続殺傷事件の犯人・金川真大の生い立ちや犯行動機について解説!

小学校3年生の頃には、とうとう父親は金川を見放してしまい、さらに仕事に熱中し家族に対して関心を示さなくなっていったようです。

中学の時に与えられた哲学の本が人生を大きく変えるきっかけとなる

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中学生だった金川に父親がある本を与えます。『子どものための哲学対話』というタイトルで、世間の常識や疑問に思うことについて哲学的な見方で考えるという趣旨で書かれた子ども向けの哲学入門書です。

本の中では死刑についての文章があり、金川はこれまでの生い立ちから生まれた独善的な解釈により「死刑になってもいいなら人を殺してもいい」という考えを持つに至ったようです。

土浦連続殺傷事件という凶行へ繋がる思想的な背景を形作ってしまったと推察され、この本については裁判でも取り上げられることとなりました。

大学進学希望だったが就職に希望を変更する

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高校生になった金川は弓道部に所属し、部内でも実力を認められています。全国大会にも出場しました。教師も同級生も真面目な生徒だったと話しています。

一方で、周りからのアドバイスには耳を貸さず、何でも自分で決めた通りに押し通すような傾向があったことを同級生が漏らしています。

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進路を選択する際、金川は私立大学文系学部への進学を希望します。学力的には十分に合格圏内でしたが、高校3年の9月になり突然「大学へ興味がなくなった」と話し就職へと希望を変えます。

後に学校の会見では、高校3年生の夏に部活動を引退してから、無気力な様子が見られるようになったと報告しており、部活動がなくなったことで目標を見失ってしまったのかもしれません。

菓子工場の面接を受けるも不採用になる

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学校の教師から紹介され、土浦市内の和菓子会社に応募します。当初は見学の後に面接までしてもらう予定でしたが、会社の判断により工場見学をしただけで帰されてしまいます。

この件について、実際には会社側から断られているのですが、同級生には「自分から面接を断ってやった」と見栄を張っていたようです。

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土浦連続殺傷事件後に供述した内容の中で、このこと経験は金川にとって大きな挫折だったと漏らしています。拒絶されたという気持ちが金川の中に深く残ることとなりました。

また、この会社を紹介した教師への不満をずっと抱き続けており、自分勝手で他罰的な思考もみてとれます。

土浦連続殺傷事件の犯人・金川真大の生い立ち②プライドの高さが認知を歪ませる

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和菓子会社で面接に応じてもらえなかったという大きな挫折を抱えた金川真大は、その後どのような生い立ちをたどったのでしょうか。

高校を卒業した後の生活から土浦連続殺傷事件という惨劇を起こすまでの生い立ちについてみていきましょう。

自身のプライドと現実に折り合いをつけられなくなっていった

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就職活動がうまく進まない事態に追い打ちをかけるように、高校の卒業単位が足りなくなる可能性が浮上します。卒業できないということは、そもそも就職が決まっても取り消しとなってしまいます。

教師がレポート提出による単位認定などの手を差し伸べますが、金川は「卒業しなくてもいい」と言い張り、応じようとしませんでした。

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母親から説得も効果がなく最終的には同級生が説得し、教師の求めに応じることとなりました。金川はプライドが非常に高く、自分の置かれた現実と折り合いをつけられずに苦悩していました。

本当の自分はこうじゃないという思いが強くある一方、現実がうまくいかないというギャップが金川の目の前に大きく横たわっていたのでしょう。

友人へ自殺をほのめかすように

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教師の提案や同級生の助けもあり、何とか無事に高校を卒業します。しかし、教師が説得を試みたにも関わらず就職はしませんでした。

金川の卒業した高校では就職も進学もせずに卒業する生徒はほぼいなかったようで、金川の選択が他の同級生とは全然違っていたことが分かります。

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一方で、進学も就職もせずに卒業したことから将来を悲観していたのか、金川はこの頃、同級生に死にたい気持ちがあることを打ち明けています。この頃から自殺願望が生まれ始め、後の凶行へと繋がっていきます。

裁判の中では、つまらない世界で生きるくらいなら死んだほうがいいとも述べており、生きるための目的・目標のようなものが持てなかった様子もうかがえます。

卒業後はゲームに没頭していた

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何とか高校を卒業した後は自宅でゲームをしたり漫画を読んだりしてダラダラと過ごしています。同級生たちともあまり交流せず時々近くのゲームセンターへ出かけ、対戦ゲームをしていたようです。

後の証言では、ゲームセンターでは負けると腹を立て椅子などを蹴ったりすることもあったようです。自分の思い通りに物事が進まないと感情を爆発させてしまう傾向がうかがえます。

また、同時期に妹や弟も不登校気味となっており、金川家全体に暗い雰囲気が立ち込めていたことが推測できます。妹や弟の生い立ちも複雑だったのでしょう。

アルバイト先での評価は良かった

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そんな生活を送っていた金川ですが、完全にひきこもっていたわけではなく、ゲームを買うための小遣いが必要になるとコンビニなどでアルバイトを始めます。

ただ仕事も長続きはせず、お金がたまるとすぐに辞めてしまい、またゲームを買うためにアルバイトをするという生活を続けています。

コンビニなどのアルバイト先での評価はそれなりに良く、仕事自体はそつなく行えていたようです。高校の弓道部でも頑張っていた様子もあり、目的があればこなせるのでしょうか。

自殺願望が高じて死刑を望むようになった

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変わらずゲームは熱心に取り組んでおり、2003年(平成15年)8月に行われたゲームの関東地区大会で準優勝に輝きます。しかし、次第に生きる目的を見失いはじめ、自らの死を望むようになります。

死にたいという気持ちはあったものの、自殺は確実ではないし、失敗して長く痛い思いをするのは嫌だと考えていたことが供述から明らかになっています。

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そこで、死ぬ保障がある手段として死刑を考えるようになります。死刑なら確実に殺してもらえる、そんな風に考えたのです。このような発想になること自体に金川の独特の思考がみてとれます。

そして、多くの人を殺して死刑になろうと決意し、土浦連続殺傷事件の計画を考え、凶器の購入など、具体的な行動に移っていくのです。

土浦連続殺傷事件の犯人・金川真大の家族と異常な家庭環境

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土浦連続殺傷事件の犯人である金川真大は6名家族です。家族構成は父親、母親、本人、妹、妹、弟で本人は長男として生まれました。

父は外務省に努める国家公務員であり、社会的には恵まれた生い立ちといえます。実際はどのような家族環境だったのでしょうか。

父は外務省のノンキャリアで子どもに関心無し

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父親は外務省の官僚ではありましたが、出世コースのキャリア組ではなく高卒のノンキャリア組でした。そのような背景もあり、長男である金川に対して過度な期待があったと推察されます。

しかし、金川が小学校低学年の頃、学校での成績が父親が期待したほど振るわなかったことから、父親は金川を見放し家族も顧みなくなっています。

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さらに父親は長男である金川だけでなく、家族に対しても興味を失ったように仕事に時間を割き、家族のことは顧みなくなってしまいました。そのことがその後の金川の生い立ちにも大きく影響を与えているようです。

家族同士の仲も悪く家庭内でも会話無し

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犯行当時、金川は父、母、上の妹、弟の5人で同居していました(下の妹は進学のため別に暮らしていました)。

家族の中で金川と折り合いが悪かったとされる上の妹(当初殺害の標的にされていました)は、小学生の頃に兄・金川から強く怒られたため、それ以来積極的に話すことができなくなったと語っています。

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また、家族内でそれぞれ仲が悪く、特に母と妹が不仲で、筆談やジャスチャーのみでコミュニケーションをとっていたようです。

喋ることができるのにも関わらずに家族間で筆談やジャスチャーを使うことは、傍から見ると異常な光景といえます。家族同士で仲が悪く、金川自身も強い孤独感を抱えていたようです。

それぞれの家族が互いに無関心なまま生活

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事件後、証言台に立った父親が「妻と一緒に買い物に行ったのは、真大が小学校の時以来ない」と告白しています。それだけ父親との交流がなかったことが分かります。

また、上の妹は「事件(土浦連続殺傷事件)後の報道で兄の年齢を知った」と話し、下の妹は「家族だけど兄弟とは縁を切りたい」と話しており、家族の結びつきはもはやなくなっていたようです。

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これらの証言からも家族がお互いに無関心であった様子が分かります。土浦連続殺傷事件が起きてしまった一端には、歪な家族環境という生い立ちも背景にあったのでしょうか。

土浦殺傷事件の裁判では遺族が「金川の両親は子どもの育て方を間違えた。子どもは寂しかったと思う。事件の最大の原因は両親にあると思われる」と両親を責める発言をしています。

土浦連続殺傷事件の裁判の行方

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2009(平成21)年5月、水戸地方裁判所にて公判が始まります。土浦連続殺傷事件から約1年が経過した頃でした。世間に衝撃を与えた凶悪犯罪の裁判は世間も動向を注視していました。

その後、2010(平成22)年1月に死刑という判決が確定するまでの間、裁判はどのような進んでいったのか、経過をみていきましょう。

ポイントは責任能力の有無

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土浦連続殺傷事件の裁判では、金川被告の刑事的な責任能力について大きく審議されました。金川は公判が始まる前に精神鑑定を受けています。その結果は後の公判の中で明らかにされます。

弁護側は「被告は血を見ただけで失神した過去があり、人を殺傷できたことは心神喪失状態であったと推測される」「本人が望む死刑にするのはご褒美のようなもの」という2点を軸に主張します。

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その上で、犯行時には統合失調症の初期症状が出ており、責任能力は問えない状態であったと主張します。なんとか死刑を回避しようと試みます。

一方の本人は犯行前と変わらず死刑となりたい気持ちですが、弁護士はそう主張するわけにはいきません。裁判は弁護側と被告の訴えが一致していないという歪な状況でした。

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