千葉祐太郎とは?石巻3人傷事件の犯人に迫る
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石巻3人殺傷事件とは、2010年2月10日早朝、宮城県石巻市にある一軒家で3名の若者が刃物によって襲われ、そのうち2名が死亡した殺傷事件のことを言います。その犯行を引き起こした男が当時18歳だった千葉祐太郎です。
千葉祐太郎は少年を連れだって元交際相手の実家に乗り込み、元交際相手の少女や彼女の家族、知人らに刃物で襲いかかりました。その後、元交際相手を拉致し逃走します。非常に身勝手で残忍な事件として世間に衝撃を与えました。
暴虐な性質を持った千葉祐太郎は、事件前にも数々のトラブルを起こしていました。死刑判決が下り、現在死刑囚となった千葉は拘置所に収監されています。
千葉祐太郎の生い立ち・性格とは?
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自分本位な考え方により凶行に及んだ千葉祐太郎ですが、どのような生い立ちを歩んできたのでしょうか。他人を傷つけてしまうような性格となってしまった千葉祐太郎の生い立ちについて探ってみましょう。
千葉祐太郎が5歳のときに両親が離婚している
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千葉祐太郎は1991年(平成3年)に生まれました。父親はトラック運転手という仕事柄、家に不在がちだったようです。そして、千葉が5歳のときに両親が離婚してしまいます。
両親が離婚するということは、幼い子どもの心に何らかの爪痕を残すことが研究でも示されています。その後、新しい家族や環境でうまくいけばいいのですが、離婚後に苦労する子どもは統計的にも多いようです。
母親が再婚!その後に妹が生まれる
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千葉祐太郎は母親の方に引き取られました。離婚した翌年、母親は別の男性と再婚します。そして、千葉とは父が異なる妹が誕生します。しかし、新しい家族とともに楽しい生活が始まることはなく暗い生い立ちが始まります。
千葉祐太郎が小学1年生の頃に母親からの虐待がはじまる
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千葉祐太郎が小学校1年生の頃から、母親による虐待が始まります。母親は暴力をふるったり、食事を与えないこともあったといい、しつけではなく完全に虐待の域といえます。
妹には何も及ばなかったようで、事件後「母親は妹の方を可愛がっていた」と千葉は話したといいます。母親は元夫との子どもだった千葉祐太郎に複雑な感情を抱いていたのでしょうか。
祖母に引き取られ小学校時代を過ごしていた
しかし、母親は再婚した男性とも上手くいかず、別の男性と交際を始め一緒に暮らすようになります。母親も男性から暴力行為を受け、またアルコール依存の問題もあったため入退院を繰り返していたようです。そんな母親から離れ、祖母と一緒に暮らすこととなりました。
暴力行為により高校を中退することになった千葉祐太郎
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祖母の元で成長した千葉祐太郎は高校へ進学します。暴力とともに育った千葉は、自身も粗暴な性格になってしまいました。他の生徒に暴力をふるい、それが引き金となって高校を退学処分となってしまいます。
幼い頃から暴力という手段を物事が解決していく様子を身近で見てきたことが、大きくなった彼の一つの手段として身に付ついていたことはある意味必然とも言えます。
千葉祐太郎は退学後にも傷害事件を起こしていた
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退学後、千葉祐太郎は悪い仲間とつるむようになります。その中で「母親を殴ればスカッとする」と仲間から言われたことを真に受け、母親や祖母にも手をあげるようになります。母親への暴力行為により、千葉は保護観察処分を受けました。
千葉祐太郎の起こした「石巻3人殺傷事件」とは?
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17歳になった千葉祐太郎はある女性と付き合い始めます。しかし幸せな交際とは言い難く、千葉は彼女に対して頻繁に暴力をふるい、交際相手である彼女はDV被害に悩んでいました。警察にも何度か相談していました。
彼女が別れを切り出した後も千葉はしつこくつきまといます。一種のストーカーです。事件前夜にも実家に押しかけており、危険な予兆が見られた最中で事件が起きてしまいます。
石巻3人殺傷事件の概要①元交際相手の姉と友人を殺害
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千葉祐太郎は元交際相手にしつこく復縁を迫っていたようです。元交際相手の姉はそんな状況の妹をとても心配し、千葉から彼女をかばっていました。千葉はそんな姉の存在を疎ましく思っており、事件前には姉に対する殺意も口にしていたようです。
無念にも被害者の一人となったもう一人の女性は、元交際相手の中学時代からの友人でまだ高校生でした。この友人は彼女からDV被害等についてよく相談を受けていたようです。元交際相手を心配し守っていた一人でした。
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事件が起きたのはある民家でした。そこは元交際相手の実家だったのです。当時犯行現場となった寝室には、亡くなってしまった姉、心配して来てくれていた友人、姉の知人の男性、そして元交際相手とその娘(生後4ヶ月)がいました。
侵入した千葉祐太郎は元交際相手の奪還が第一の目的でしたが、周囲から阻止されます。そして、警察に通報する姉に逆上し、持参していた刃物で腹部を何度も刺して殺害します。次に、悲鳴を上げる高校生の友人に襲いかかり、姉と同じように腹部を何度も刺して殺害しました。
石巻3人殺傷事件の概要②元交際相手の姉の知人男性を重症に
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その後、千葉祐太郎は救急車を呼ぼうとしていた知人男性にも襲いかかり、胸を突き刺します。しかし、不幸中の幸いで男性は一命をとりとめ、全治3週間の大怪我を負いました。
この知人男性も姉を通じて、元交際相手への暴力やつきまとう彼女に千葉については把握しており、相談に乗っていたうちの一人だったようです。
石巻3人殺傷事件の概要③元交際相手を拉致
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犯行後、千葉祐太郎は元交際相手を車に乗せ拉致監禁し、逃亡します。共犯の少年も一緒でした。知人から借りた車で石巻市内や東松山市内を走り回り、途中で車を変えたりしながら逃げ切ろうと試みます。
このまま元交際相手と逃亡し新しい生活でも夢見ていたのでしょうか。残忍な犯行の裏には計画性も見え隠れしていました。
千葉祐太郎と元交際相手の間には娘がいた
実家にいた元交際相手の娘(生後4ヶ月)ですが、その父親というのは千葉祐太郎です。交際していたときに出来た子どもで、妊娠が発覚した当初は周囲から反対されますが、反対を押し切ってまで生んだかけがいのない娘でした。
石巻3人殺傷事件の概要④逃走中に現行犯逮捕される
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しかし、逃亡は成功せず、事件発生から6時間経過した13時過ぎ、千葉祐太郎と共犯の少年は警察に囲まれます。元交際相手の彼女に対する未成年者略取・誘拐罪及び監禁により即刻逮捕されました。
千葉祐太郎は隠ぺい工作も行っていた
被害者に刃物を振り上げたのは千葉祐太郎ですが、凶器を共犯の少年に握らせてわざと指紋をつけたり、返り血を浴びた服を共犯の少年に着せる等していたことが明らかとなっています。
自分の罪を共犯の少年に被せるかのように隠ぺい工作をしていたようです。この行為は身勝手さを示すとして裁判でも焦点となりました。
千葉祐太郎の事件後は?裁判での様子は?
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石巻3人殺傷事件の裁判では、千葉祐太郎が少年であることや彼の決して幸せとは言い難い生い立ちが争点となりました。最高裁までもつれた裁判はどのように進んでいったのでしょうか。
争点となったのは「年齢」「殺意の有無」「刑の重さ」
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この裁判では、犯行当時殺意があったかどうか、3名殺傷という被害の甚大さに見合う刑の重さ、そして被告・千葉祐太郎が未成年で少年犯罪という点が争われるポイントとなりました。
家庭の事情があれど更生の余地がないとされた
千葉祐太郎の生い立ちや家庭環境も裁判で赤裸々に明かされます。事件の一因とも判断されましたが、それを踏まえてもなお、今回起こした事件の被害の甚大さや残虐性は許し難く、千葉の今後の更生は望めないものと判断されました。
事件中の記憶がないと語った千葉祐太郎
犯行について、後にあって千葉祐太郎は驚くべきことを口にしています。何とその時は頭が真っ白になって記憶がなく、殺害当時の詳細な記憶が欠如していると話したのです。
このことについて、専門家の見解では「解離性障害」という自分の体から自分が抜け落ちてしまったような状態であったと推察されるといいます。虐待等を受けた人が発症しやすいともいわれており、千葉の生い立ちとも一致するという見方もあるようです。
千葉祐太郎への判決①第1審「死刑」
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事件から数か月経った2010年11月、いよいよ公判が始まりました。裁判員裁判の形でした。そして2週間ほどの審議の後、同月25日、検察の求刑した通り死刑判決となりました。
被害者や遺族に対する反省の言葉を口にしており、被告である千葉祐太郎は「今後同じようなことが起きないように厳罰にしてください」と述べたといい、死んで償いたいという気持ちがあったといいます。
そのため千葉は裁判を続けることをあまり望んでいなかったようですが、弁護側が被告が18歳とまだ若く更生の余地があることや生い立ちに考慮すべき点があること、非常に短期間で結論が出されたこと等を理由に控訴します。
千葉祐太郎への判決②第2審「死刑」
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2011年11月、第一審から1年後に仙台高等裁判所にて第二審が始まります。2014年1月、第一審の死刑判決を支持する形で控訴を退けました。
弁護側は結果のみで判断がされており、またその事実認定も偏っている主張します。そして、少年の生い立ちや犯行当時18歳だったという点が考慮されていないとして、即日最高裁へ上告します。
千葉祐太郎への判決③最高裁「死刑」
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上告から2年ほど経った2016年4月、最高裁判所にて公判が開かれました。弁護側は精神状態の審理が足りていないこと等を主張しますが、同年6月、上告を棄却する判断が下されます。そして、千葉祐太郎は極刑に処されることとなりました。
千葉祐太郎は平成生まれ初の少年死刑囚になった
こうして石巻3人殺傷事件の裁判は幕を閉じました。千葉祐太郎は平成生まれとして最初の少年死刑囚となりました。これまでにも少年犯罪での死刑判決は出ていましたが、平成生まれでは初めてだったことから大々的に報道されました。
千葉祐太郎の背景①虐待と暴力
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残忍な事件を引き起こした千葉祐太郎ですが、その生い立ちには不幸な出来事が多く積み重なっていました。両親が離婚した後、母親に引き取られた千葉は母親から心無い虐待を受けるようになります。
母親は、千葉にしつけの域を超えた暴力をふるったり、首輪に繋いで放置したり、食事を与えないといったネグレクト(育児放棄)を日常的に行っていました。千葉の暴力性・粗暴な性格はどのように形成されてしまったのでしょうか。
千葉祐太郎は「ビンタは3発目からが暴力」という生活を送っていた
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日常的に暴力と隣り合わせの生活を送っていた千葉祐太郎は、次第にそれが普通のことだと受け止めるようになります。虐待や暴力を受け続けると感覚が麻痺してしまい、抵抗したり悪いことだと認識する能力が低下してしまうといいます。
千葉はまさにそのような状態に陥っており、「ビンタも2発目までは暴力とはいわない」と周りから吹き込まれたことを真実だと思うようになっていたのです。
千葉祐太郎は交際相手への暴力を暴力と認識していなかった?
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自らが暴力や虐待を受け続けた生い立ちを経て、同時に母親が交際相手から暴力を受け続けるのを見て育った千葉祐太郎は、自らも暴力を振るうことが当たり前という性格になってしまいました。
そのため、自分の彼女に暴力を振るったり、暴力で言うことを聞かせることに対して罪悪感が全くなく、むしろそれが彼女に対する正しい接し方だと思っていた可能性があります。暴力を暴力と認識していなかったのです。
こういった善悪の区別や振る舞い方は生い立ちが大きく影響を与えます。周りにいる大人の価値観や言動が正しいと思ってしまうのです。千葉祐太郎が暴力で物事を解決しようとする姿勢は彼の生い立ちが形作ったといっても過言ではないと思われます。
千葉祐太郎は自らを「かわいそう」とは思っていないとのこと
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しかし、恵まれない生い立ちを送った千葉祐太郎ですが、自らを「かわいそう」とは思っておらず、逆に暴力のおかげで強くなれたとも語っているようです。むしろ、「かわいそうな生い立ちの子」というレッテルを貼られることに嫌気がさしていたともいいます。
獄中にて自身の生い立ちを絵であらわした
収監された後、自らの生い立ちを振り返り、それを絵で表現しています。絵の中では、幸せそうな家族の様子から、酒瓶の中に倒れている人を見つめている姿など、千葉祐太郎自身の生い立ちを現しているような絵も描かれています。
また、絵には、少年の助けを求めて流した涙が、愛娘や家族の愛情で温かい涙が溢れた、といった文章が添えられています。今後の自分は「死」か「贖罪」かとも書かれており、最高裁判決が出るまでの揺れ動く気持ちを現しているかのようです。
虐待経験がその後の人生に与える影響とは?
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ここで、千葉祐太郎も被害にあっていた虐待について取り上げてみたいと思います。今般、ニュースでも児童虐待や虐待による死亡事件が連日のように報道されています。
虐待を受けた子ども達は多かれ少なかれ、身体的・精神的なダメージを抱えることになります。そういったダメージがその後の彼らの人生にどのような影響を与えるのでしょうか。
虐待件数は年々増加している
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1990年から虐待件数の統計がとられ始めていますが、年々増加傾向にあるといいます。前年を下回った年は一回もありません。中には居所が不明な子どもも含まれており、また残念なことに虐待による死亡事例も年間50件ほどあるようです。
虐待を行うのは実の母親が最も多いようです。一般的に母親が一番子どもと接する時間が長いことからそうなるのでしょう。また、小学校入学前の子どもが一番被害に遭っており、死亡に至るケースの割合も高くなっています。
虐待にも様々なパターンがある
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一般的には虐待と言えば暴力的な行為を想像しますが、そういった身体的な虐待以外にも、心理的な虐待(暴言、兄弟間の差別的な比較等)、ネグレクト(食事を与えない、清潔な環境を用意しない等)、性的な虐待(性的な暴力行為等)などがあります。
暴力といった身体的虐待、ネグレクトが千葉祐太郎には当てはまります。また、妹との待遇の差などは心理的な虐待にも当てはまると考えられます。
虐待の中で育つと不安定な性質になりやすい
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小さい頃に虐待を受けた人でも立派な大人になり、自分の子どもには決して虐待行為はしないという方も大勢います。しかし、中には普段は大丈夫だけど、普段とは違う状況など、大きなストレスがかかったときに崩れやすい人もいるようです。
安定した環境の中で育つと、ストレス耐性も強くなります。しかし、親から愛されない、歪んだ愛を向けられる等の経験をした子どもは、大人になってからも精神的な土台が脆いことが多いようです。そして、何かの拍子にその不安定さが表出してしまうのです。
愛着障害が起きることもある
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虐待を受けることで、子どもは本来受け取るはずだった愛情を受けられず、他者との愛情に基づく関係性をうまく築けなくなります。それが愛着障害といわれるものです。
愛着障害があると、衝動的、反抗的、破壊的な態度をとったり、自尊心が低く、他者を尊重することができない特徴があります。そのため、孤立したり、他者を困らせる言動を繰り返したりしてしまいます。
虐待が虐待を生むという負の連鎖が起きることも
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虐待を受けて育った人は心に深い傷を負っている場合が多くみられます。自分は絶対にやらないと誓った元被害者でさえ、気が付けば自分がされていたことと同じことを子どもにしてしまうということがたびたびあるようです。
こういった負の連鎖を断ち切るためにも、被害を受けている子どもの安全を確保することは第一ですが、さらには虐待する親への介入や治療等が今後ますます求められるようになるでしょう。
千葉祐太郎の背景②交際相手・娘との関係
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交際時から頻繁に暴力を振るわれていた元交際相手は、ついにそのDVに耐えきれなくなり千葉祐太郎の元から去っていきます。
しかし、最終的には悲惨な事件が起きてしまいました。千葉祐太郎と元交際相手はどのような関係性を築いていたのか、また二人の間に生まれた娘についてもみてみましょう。
千葉祐太郎は交際中に暴力をふるい接近禁止が出ていた
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千葉祐太郎が暴力で元交際相手を虐げていた事実は交際時からありました。鉄の棒で数十回殴ったり、身体に火のついた煙草を押し付けたりといった残忍な方法で虐げています。彼女は当然怪我を負っており、全治1ヶ月かかる大怪我を負わせたこともありました。