【エリザベートバートリ】恐怖の血の伯爵夫人の残虐行為と吸血鬼伝説

エリザベートバートリは血の伯爵夫人・女吸血鬼のモデルとして有名なハンガリーの貴族です。少女の血が美貌を守ると信じて、領民を拷問の末に殺害、血を浴びたといわれています。エリザベートバートリの残虐行為や吸血鬼伝説のモデルになった理由などをまとめました。

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エリザベートバートリとは?吸血鬼伝説のモデルの一人!

貴族の中でもかなりの上級の一族であるバートリ家の娘で高貴な家柄の人物になりますが、その正体は自分の美貌のために若い娘たちの血を集め殺害した血の伯爵夫人というあだ名をつけられている女性になります。

彼女はラテン語やギリシャ語を習得しており教養のある才女だったと言われており知識と美しさを兼ね備えていた女性になります。

エリザベートは1575年に15歳で、結婚をしますが夫は戦などで留守がちで姑はとても厳しかったと言われておりエリザベートは退屈な日々を送っていました。退屈な日々を過ごす中でエリザベートの楽しみは綺麗なドレスや宝石を身に着け美しさに酔ったりしていました。

また、エリザベートには何人もの愛人がおり、夫も愛人の存在には知っていましたが自分が城を留守にすることが多いため負い目を感じていたのか咎めるようなことはしなかったそうです。

エリザベートバートリの悪行や残虐な行為の数々とは

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エリザベートには数々の悪行の履歴や残虐な行為を行っていた事実があります。それは目を疑うような拷問であったり殺害方法であったりしました。彼女が行った悪行について詳しく見ていきます。

エリザベートバートリの悪行①使用人の虐待

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エリザベートは貴族でしたので、叱りつける人もおらず甘やかされて育てられています。そのため非常にワガママで強欲であったと言われています。

そして彼女は極度の頭痛持ちだったと噂があり頭痛により自分の体調が悪くなると使用人を虐待し、使用人の苦痛の表情を見たり悲鳴を聞いたりすると頭痛が落ち着いていた為自分の体調のために使用人を虐待していました。

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エリザベートの悪行は結婚前から行われていましたが、1604年に夫が亡くなると彼女の悪行はエスカレートすることになりました。夫の生前から彼女と姑との間には確執があり姑の使用人に嫌がらせをしたいましたが彼女はまず姑を殺害しています。

エリザベートバートリの悪行は夫から受け継いだ?

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幼少期からワガママで気位が高いと言われており、結婚前から使用人を虐待していましたが実はこの悪行は夫から受け継いだのではという説も存在しています。

エリザベートの夫フェレンツは優れた軍人でありましたが気性が荒く、イライラするとすぐに人を殴ったり鞭を打ったりしていました。また。戦争でとらえた捕虜に対して残虐な処罰や拷問をしていたとされており、周囲からは「ハンガリーの黒い英雄」と呼ばれています。

エリザベートバートリの悪行②誘拐した娘たちを残酷に殺害した

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始めの頃は、自分の領地内の農家の娘など身分の低いものを選んで誘拐し血を奪っていましたが、次第に貴族の娘達にまで被害は及ぶことになりました。下級の貴族の娘に礼儀作法を教えると偽り城に誘い出し殺害していきました。彼女は多種多様な残虐な方法で娘たちを殺害していきます。他、古代の拷問に関する記事はこちらを御覧ください。

エリザベートバートリの拷問①鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)

エリザベートは生き血を集める為に様々な手法を用いました。特に多かったのが鉄の処女による集め方です。中世ヨーロッパの中でも特に有名な拷問道具の1つになります。

鉄の処女は箱の内側に無数に針があり中に入れられ扉を閉められる針が肌に徐々に刺さっていく拷問道具になります。エリザベートは生き血を集めるのが目的でしたので管が取り付けられており、鉄の処女についていたボダンは宝石だったそうです。

エリザベートバートリの拷問②鉄の鳥籠

鉄の処女と同じくらい中世のヨーロッパではよく使用されていました。人が1人やっと入るぐらいの大きさの人間用の鳥かごのようなものですか。かごの内側に無数の針がついており娘を入れエリザベートのベッドの上に釣りあげます。

空中である為不安定な動きになることと内側には針がついておりとても狭いことで、動くと針が突き刺さる仕組みになっています。また、血をシャワーにして浴びるためにエリザベートは使用人に火のついた棒で娘たちに近づき熱さで動き回る娘たちの血を浴びていました。

ベッドに寝そべるエリザベートに直接降り注ぐため、血のシャワーとエリザベートは呼んでいました。

エリザベートバートリの拷問③血の饗宴

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エリザベートが娘の血を手に入れる欲求が高まるたびに犠牲者の数が増えていき、次第に遺体の処理がままならなくなり城内だけでなく周辺の城下町にまで腐敗臭が漂うようになりました。

また、腐敗臭だけでなく夜中に城の方から悲鳴が聞こえるなどの噂が数多く出るようになり近隣の住民が使用人として雇うことが難しくなりなりました。

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貴族として偽り農家の娘を拉致して城に連れていき、宴会に招きますがその宴会の席で招かれた娘たちは全員首を切り落とされたため、血の饗宴と言われています。

エリザベートバートリの拷問④星蹴り

油を塗った紙切れを被害者のつま先に挟ませ火をつける星蹴りという拷問がありました。暑さに耐えきれず紙を外そうと足を蹴りながらもがきますが油を塗っている為足に張り付きとることが出来ずに泣きわめくことになります。

エリザベートバートリの拷問⑤水責め

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エリザベートが行った拷問には、ただ血を流させるだけではなく裸にした娘を寒い中に置き去りにするという水責めの拷問も行っています。

エリザベートバートリの拷問⑥虫責め

水責めの他にも蜜を身体に大量に塗った後被害者の娘たちを木に縛り付け鳥や虫たちについばませるという虫責めも行いました。

殺した娘達の血で美貌が維持できると信じた

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エリザベートが何故ここまでの拷問や虐殺を行うようになったのか。そのきっかけは使用人がエリザベートの髪を強く梳いてしまいエリザベートの逆鱗に触れたことが始まりとなります。

激怒したエリザベートは使用人の顔を強打したところ使用人は出血するほどのケガをしますが、自分についてしまった使用人の血をふき取ったところ、血のついて部分が白くハリが戻っているように感じたそうです。

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そしてエリザベートは若い時から容姿端麗の美しい女性でしたが年齢を重ねるごとに肌は衰えていきました。しかし、若い娘の血を拭った箇所が若返っていると感じたため、まだ若い娘の血を浴びることで自分の美貌を維持できる美容法であると確信しました。

エリザベートは、若い娘たちから血を奪い樽にため込み鮮血風呂にして入浴する事によりハリのある艶やかな肌を保とうと考えていました。

取り出された内臓や膣を見て興奮する変態性欲者だった

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彼女はただ、若い娘の血を利用して自分の美しさを保つために娘たちを誘拐・拉致していたわけではありません。

エリザベートは誘拐してきた娘たちの体を生きたままの状態で使用人たちに性器や膣などを切らせて自分はそれを見ながら興奮するという異常とも言える変態性欲者でした。

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変態性欲者の特質は様々ですが、彼女の場合は同性愛の他にも多淫や食人をしていたと言われており、切り取らせた性器や膣を食していたと言われています。

具合が悪いと娘の腕や乳房を噛み切り肉を食べた

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エリザベートは時折、酷い頭痛に悩まされていたと言われています。自分の体調が悪くなると、誘拐してきた娘たちの腕などに噛みつき血肉を食べ回復を図ろうとしていたそうです。

腕だけでなく、乳房や顔にも噛みつき自分のちからで肉をかみ切り食べていたとも言われており、強靭な頤の持ち主だったのではと噂があります。

エリザベートバートリの生い立ちとは

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彼女の家系はトランシルヴァニア公国の代表の1つでもあり、その中の一族の家に1560年に生を受けました。様々な権力の持ち主がおりエリザベートの叔父もハンガリー王であった為、強大な権力を持った一族であると言われています。

ハンガリー王国の貴族に生まれる

ハンガリー王国の貴族の娘として産まれ親族の中にも王にまで上り詰めた人物もおりかなりの上流階級であったことが伺えますが、この一族は少し特質な一族でした。

しかしこれは、この一族に限った事ではなく血筋を守るために、外部からの人間を嫁がせたりして家に入れると謀反等が出てくる可能性があったため、外部の血を入れないために近親者同士での結婚が非常に多かったと言われています。

悪魔崇拝者の叔父や兄弟は色情狂

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上流階級でありまた王族につく人物も多くい一族ですが遺伝子疾患の多い一族であると言われています。エリザベートも幼少期からかなり気性の荒く横暴な性格だったと言われています。

しかし一族の中にはエリザベートよりも異質な人物はおり悪魔主義者の者や同性愛者・色情狂の者が多くいました。エリザベートの実の兄は女性であれば性行為を年齢関係なく強要し妹は同性愛者でしたが性交中に相手の女性の首を絞め殺害したと言われています。

エリザベートバートリの家の異常性の原因は「近親婚」か

近親婚というのは、バートリ家だけに限ったことではありませんでした。ヨーロッパの王国では血族を重要とする傾向があるため近親婚を繰り返し行ったことにより精神等に異常を持った者が生まれてきたのではと言われています。

幼少時から感情の起伏が激しい

エリザベートは気位が高く、わがままな性格であり根っからの女王様タイプでした。感情の起伏が激しく使用人の折檻は日常的だったそうですが、許嫁がおり11歳頃から姑に預けられていたそうです。

花嫁修業として許嫁の姑に教育を受けていましたが、脱走するなどして貴族とあろうものがこのような行動を取るなどという行動をエリザベートは当然のように行っていたそうです。

生涯頭痛に悩まされ使用人を虐待

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エリザベートは元々感情の波が激しく、使用人を虐待していましたが彼女は酷い頭痛に悩まされることが度々ありました。そのようなときエリザベートは使用人に対する虐待をエスカレートしていたと言われています。

頭痛によりイライラしていたが、他の人が自分よりも痛い思いをしその光景を見ていると自分の頭痛が和らいでいくように感じたため頭痛が起こる度に使用人を虐待していたそうです。

自らの美しさに固執していた

エリザベートは幼いころから可愛らしくて真っ白な肌で美しく綺麗な自分はエリザベートにとって自慢でした。結婚をした後も年齢を重ねるごとに肌が衰えていても自らの美しさに固執していたそうです。

エリザベートバートリの結婚生活と領主としての働きは?

15歳の時に結婚をしたエリザベートですが、結婚生活は良好だったのでしょうか?戦で城を開けることが多かった夫に代わり領主として動いていたと言われていますが、エリザベートの結婚生活と領主としての動きを探っていきます。

オスマン戦争の武勇と残虐さで知られる夫と結婚

エリザベートは幼いころに許嫁となっていた伯爵と結婚をしますが、フェレンツは伯爵の身分でありながら優秀な軍人でオスマン戦争でも優秀な指揮官ぶりを発揮した英雄と言われていましたが同時に残虐性も兼ね備えていた人物になります。

エリザベートバートリの夫は戦争のためほとんど留守だった

エリザベートはフェレンツと結婚した際に彼からチェイデ城をもらい受けますが田舎の城であり娯楽もなくまた夫は度々戦に赴いており1年の大半を戦の為城を留守にしていたそうです。

エリザベートバートリには愛人がいたが夫婦中は良好だった

エリザベートは夫が留守がちであったことから男女問わずたくさんの愛人がいました。留守がちの夫に大勢の愛人。一見夫婦仲は悪かったのかも思われますが、夫婦仲は良好で2人の間には6人の子供がいます。

夫の死後チェイテ城に移り残虐行為をくり返した

夫が亡くなった後、結婚の際にもらい受けたチェイデ城にエリザベートは移り住むことになりました。このチェイデ城に写ったことにより今までは使用人の虐待だったエリザベートの行動は虐殺行為へと変貌していくことになりました。

エリザベートバートリのチェイテ城は現存する

エリザベートが最後を過ごしたチェイデ城は主を失うことになり廃墟となってしまいましたが、現在でも山の上に形を残しています。

スロバキア領となり山の上にあるため、簡単に行ける場所ではありませんが観光することも可能で、エリザベートが誘拐した娘たちを閉じ込めていた地下室もそのまま残されていると言われています。

また、少女たちが捉えられていた地下室には少女たちの苦痛や無念さを現わしているかのように壁に無数の爪痕が残されているとの噂もあります。

エリザベートバートリは6人の子宝に恵まれ、子孫も存在する

彼女には3男3女の6人の子どもいます。長女と次女は名家に嫁いでおり現在でも残っている名家であるため、エリザベートの子孫は未だ存在していると言われています。

エリザベートバートリは留守がちな夫に代わり城と荘園を管理した

語学などに優れており、教養のある素晴らしい女性だった彼女は戦で城を留守にしている夫に代わって城と領地や荘園を管理しており城と領地を守っていました。

エリザベートバートリは夫の死後姑を殺害した!

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花嫁修業から結婚した後も姑の確執は落ち着くことはなく、夫の死後からほどなくして夫の母親つまり姑が亡くなっています。一説によりますと、夫が死んで名実ともに城の主となったため、以前より疎ましかった姑を殺害したのではと言われています。

エリザベートバートリは黒魔術に傾倒していた

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エリザベートが心酔していたのは、若い女性の生き血を集めることだけではありませんでした。夫の留守中に黒魔術にふけっていたとの話もあります。エリザベートが黒魔術に心酔するようになった理由に迫ります。

エリザベートバートリは下男と黒魔術にハマっていた

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下男であったツルコはシャーマニズムに精通していました。彼女はツルコと共に地下室に籠り、怪しげな儀式に熱中したのでした。

エリザベートバートリの最後とは?

多くの少女たちを拷問の上虐殺してきたエリザベートですが、彼女の悪行は貴族であるが故に黙認をされていたと言われています。しかし被害者の数は600名以上にのぼると言われており農奴の娘たちからついには下級貴族にまで及びました。

貴族の娘にまで被害者が出だした為、今まで黙っていた者たちもついに動き出すことになりました。最終的には表沙汰になり前代未聞の貴族が起こした事件として語り継がれることになりました。ここでは、事件の発覚からエリザベートに対する裁判について紹介していきます。

エリザベートバートリの最後①周りは悪行に気付くも手が出せず

エリザベートが上流階級の貴族であった為、娘を殺された農奴を始め貴族や教会すらも、犯罪に気づいていながら沈黙を貫いていました。バートリー家の人間も自分の一族から殺人鬼が出るの恐れたためか隠ぺい工作を施していました。

エリザベートバートリの最後②少女が逃げ出し事件が表沙汰に

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1609年ごろから下級貴族の娘を礼儀作法講座と偽り呼び出し虐殺していましたが、さすがに貴族の娘が帰ってこないとなると事は問題となります。ハンガリー王家の耳にも入るようになり、最終的には監禁されていた少女が1人難を逃れ逃げ出すことに成功したため、事件はようやく表沙汰になることになりました。

エリザベートバートリの最後③裁判で高貴な血筋ゆえに死刑を逃れる

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