当初の警察の見立てだと社会に対して怒りや憎しみを抱いていてその報復。あるいは義務教育に対しての復讐と考えられましたが、そこから『体罰』を受けた生徒の学校への恨みに変わりました、しかし本当の動機は恐らくは、犯人がこの世で一番愛していて唯一甘えられる存在であった『祖母』の死であると考えられます。
Contents
神戸連続児童殺傷事件の犯人酒鬼薔薇聖斗の生い立ちと家庭環境
多くの殺人鬼や犯罪者の多くは自分が幼いころや子供時代に、両親から虐待を受けていたり育児補器してまともな愛情を受けて育ってこなかったり、また学校でもいじめを受けていたりするなど、一人の生い立ちを見てみると劣悪な環境やトラウマ的体験をしている人物が多いのです。実際に両親の教育はその人物の性格や人格形成に大きく影響するといわれています。
しかし今お話しした『ケース』は成人を過ぎてから、つまりは大人になってから犯行や所業を行う場合がほとんどで、学生時代や幼少期には非行に走ってみたり、問題行動や奇行、不良になるくらいで殺人は稀であります。今回の事件の凶悪殺人鬼はまだ当時中学生であり少年だったのです。彼の生い立ちや家庭環境はどういったものだったのでしょうか?
家族構成
- 父親
- 母親
- 少年A(長男)
- 次男
- 三男
酒鬼薔薇聖斗は小学5年の頃から動物を殺害
幼少期や小学校低学年のころにはまだ問題行動や奇行は起こしていなかったらしいですが、高学年に上がると外で見かけた猫に対して『虐待』をしていたようで、内容は悍ましく首を絞めたり切断して命を奪ったのです。それも1匹だけではなく、10匹以上の猫を殺害したと言われているのです。なぜそのような悍ましい所業をしたのでしょうか?
徐々に物心がつき始めて色々な物に興味を示して、性的関心も高まる年ごろであり、普通の少年の様に異性に対して性的対象を向けるのではなく、彼は命を奪うことにより性的快楽を得ていたのです。自分の『モノ』になったという気持ちから興奮を覚えていたようです。尚、動物虐待の事実は警察も逮捕する前から把握しており、もともと目を付けていた人物だったそうです。
酒鬼薔薇聖斗の父親は家庭に無関心
別の凶悪事件の犯人である人物を例に出すと、やはり父親が厳しく躾の名目で暴力を受けていたようですが、彼の父親はいたって普通であり、あまり家庭には関心を寄せない人物だったそうです。とはいえ育児放棄をしていたわけでもなく、家庭を見放していたわけではなかったのです。勿論長男である凶悪な少年に対しても同様の事が言えます。
あまり執拗に厳しく何事にも叱るのではなく、本当に大事なことに対してはアドバイスや注意をする父親で、離れたところできちんと家庭や息子たちの事を見守っていたそうです。父親はよく言えば優しく自由奔放な教育をする人であり、悪く言えば無関心で少し育児放棄気味であったのかもしれません。世間では両方の意見があるようです。
酒鬼薔薇聖斗の母親は教育熱心
一方の母親は対照的でした。長男である凶悪な少年が生まれた際には幸せいっぱいな生活をして、赤ちゃんの彼を精一杯気を使って育児に勤しんでいましたが、次男、三男が生まれると多忙な毎日になり、次第に余裕がなくなってきて、長男である凶悪な少年に対してはそこまで面倒が見れなくなり、ネグレクト気味になっていたと言われています。
それでも非常にまじめな性格の人物だったので、悪いことをするだけではなく、幼気な少年であっても行儀が悪いのであれば厳しく叱り注意していました。かといって虐待をしていたわけではありませんし、母親の教育が間違っていたとも言い難いです。また彼は当時の母親の様子をいつも『イライラしていた』と話しております。
酒鬼薔薇聖斗のストレスの捌け口は弟
母親は3人の兄弟の面倒をほぼ一人で面倒見ていて、また教育熱心であったため心にも時間にも余裕が無かったのです。そんな様子を見て叱られている彼は段々と『フラストレーション』が溜まってきました。その捌け口を弟たち次男や三男に向けて暴力を振るっていました。
母親はその兄弟同士で喧嘩するのも当然許せないので『体罰』を与えて教育しました。そしてまた彼の『フラストレーション』が溜まっていったのです。気づけば負のスパイラルが出来上がっていたのかもしれません。しかし母親の事を恨んでいたわけではなく、『脅威』な存在として見ていたようです。母親だからといって甘えれる存在ではなかったのは間違いないでしょう。
酒鬼薔薇聖斗を犯行に駆り立てたのは最愛の祖母の死が原因?
父親も悪く言えば家庭をあまり顧みず子供たちの事を遠くから見守っていて、母親も悪く言えば厳しく教育熱心でピリピリしていたというわけですが、虐待があったわけでもありませんし育児放棄でもなく、決して愛情が注がれなかったわけではないのです。ではそれなのになぜ彼は悍ましく残虐な犯行に及んだのでしょうか?
原因の一つとして既に亡くなっていた祖母の存在が大きいと考えられています。というのも母親の教育に対して『厳しすぎる』と指摘して、考え方の違いから嫁姑で喧嘩をしていたようです。彼はその祖母が唯一甘える存在であり、また両親よりも大切な家族であり愛していたそうです。そんな祖母の死をきっかけに彼の人格が捻じ曲がり歪んでいき、歯車が狂いだしたのかもしれません。
神戸連続児童殺傷事件後の加害者家族
先ほどお話しした内容でも少し加害者家族たちに触れましたが、両親のどちらかが悪いというわけでもなく、家庭環境に至ってもごく普通であったことを分かっていただけたはずです。事件が起きて彼が逮捕された後、当然ながらマスメディアや世間から加害者家族も注目され、世間の一部で『化け物を生んだ』などと両親を強く非難しました。
事件が発覚して、犯人である家族の一人が非人道的な悍ましい犯行に及び、逮捕され世間に明るみになったあと『加害者家族たち』はどんな状態になったのでしょうか?また何が起きたのでしょうか?これまでのありふれた毎日を送れなくなったことは間違いありませんが、どんな変化があったのか具体的にこちらで解説していきます。
酒鬼薔薇聖斗の家族は1億4000万円の損害賠償を背負う
いくらそこまで教育が間違っていないとはいっても、世論が唱えるように両親に大きな責任があることは法律でも決まっているのです。そのため加害者家族は遺族たちに1億円以上の『損害賠償金』を支払うことが義務付けられました。貧相ではないですが裕福とも言えなかったですし、そんな莫大お金を有していないので、分割で毎月お金が支払われることになりました。
事件から2年後に加害者家族の1人である母親は、事件や凶悪殺人鬼と化してしまった息子についての心情や意見を綴った『手記』を出版しましたが、その印税で入ってきたお金を全て損害賠償金にあてて支払い、両親と犯人である彼から合わせて10000円以上のお金が毎月支払われることになりました。
酒鬼薔薇聖斗の両親は離婚
息子が『凶悪殺人鬼』だということが世間に知れ渡り、その影響で30年以上も勤務していた職場を退職することになりました。金銭的に余裕がなく次男と三男、兄弟の学費などの問題を巡って母親と話し合い両親は離婚することになりました。
後述にてこの後加害者家族の一人一人のプロフィールや親としてどうだったのか?教育方針など解説しますが、一部では母親に『大きな問題』があったと囁かれているのです。その問題とは精神疾患や人格障害と言われており、もし気になる方や興味のある方はぜひこちらの記事を合わせてご覧ください。
酒鬼薔薇聖斗の兄弟はバラバラに生活
その後子供たちは教育熱心な母親に引き取られると、母親はマスメディアや世間の目から逃げるように日本各地を転々として生活したと言われています。私たち一般人にその生活がどれだけ困難であるかとても想像がつきませんが、加害者家族も事件の後『波乱万丈』な人生を送ることになりました。
神戸連続児童殺傷事件の犯人酒鬼薔薇聖斗の現在
彼の家族は事件の後、両親はマスメディアや世間から『バッシング』を受けて、その後経済的理由から離婚してバラバラとなり、2人の兄弟を引き取った母親は3人で世間の目から逃れるように、日本各地を転々とする生活を強いられることになりましたが、家族は犯人である『凶悪な少年』を恨んでおらず、彼との絆は存在しているようです。
現在から14年前の平成17年には『少年院』を出て、私たちの生活の中に溶け込んでいる凶悪な少年は今、どんな生活を送っているのでしょうか?またどこで生活しているのでしょうか?週刊誌などのマスメディアも今の彼を追っていたり、世間の目もあるので不自由な生活をしているかもしれません。こちらでは大変気になる現在の彼についてご紹介します。
酒鬼薔薇聖斗は2005年に建設会社に就職
現在から14年前の平成17年に少年院を退院すると、彼はもう年齢的にも学生ではなく『社会人』として働かなくてはなりませんでした。恐らくは関東圏の神奈川県に在住していたと言われています。彼は飯を食べていくためにも、住宅や建物を建設する会社に就職したと言われています。
もちろんその『建設会社』の企業名などは明らかになっていませんし、総称すれば『大工』のような仕事に就いていたと伺えますが、専門的な分野までは分かっておりません。職場ではどんな人物であったか?他の同僚や先輩からどんな扱いされていたかなど、大変気になるところですが詳細は不明です。
酒鬼薔薇聖斗は2009年に溶接業に転職
それから約4年後の平成21年には、仕事を転職したと言われています。何故建設会社を辞めてしまったのかは分かっておりません。彼が次に就職した仕事は、色々な金属製品をくっつけて加工する『溶接工』だと言われています。何故その仕事を選んだのでしょうか?細かい作業が伴うので、黙々と作業に打ち込みたいと考えたのかもしれません。
あるいは建設会社で使用していた建材などから興味を持ったのかもしれませんし、知り合いの紹介があったからかもしれません。一貫して技術職に就いているので専門的な知識や技術、資格なども取得しているかもしれないですね。尚、特に問題が無かったのか住んでいた場所は変わらず神奈川県だと言われています。
東京都足立区に住んでいた?
東京都23区の『足立区』に住んでいたという情報があり、その頃、有名な週刊誌の記者はひたすら彼を追って、密着していたようですが、彼の怒りに触れたのか記者に向かって逆に近づいて、胸倉をつかむと恐喝して脅されたそうです。胸ポケットから何かを取り出そうとするそぶりを見せるまでは、じっとボイスレコーダーを忍ばせて、じっとしていたそうです。
また少年院を出たあともある犯罪行為を犯して警察にマークされたという『噂』が出回っています。その犯罪行為というのは、彼が少年時代にもしていた動物虐待であり、大人になってからもまた猫などの命を奪っているというのです。これがもしも本当であれば更生の『こ』の字も浮かばなくなってしまうのですが真相は不明です。
酒鬼薔薇聖斗は2015年に手記「絶歌」を出版
現在から4年前に彼は出版社と協力して、自身の経験や事件のことについて執筆した一つの手記を発表しました。良くも悪くも非常に世間から注目されベストセラーになりましたが、レビューを見ていただければわかるように辛辣なコメントが数多く寄せられ、大人になったかつての凶悪な少年や作品そのものを批判する声が相次ぎました。
更に実はこの作品は彼と出版社が、遺族たちには『無許可』で出版しているので、遺族からも反感を買う事態になりましたが、印税のほとんどは『損害賠償』にあてているようです。尚神奈川県に住んでいたようですが、東京都23区で生活した後、東京郊外のどこかで暮らしているようです。案外近くに彼が存在しているかもしれません。
ホームページも開設?
手記を出版したころ、自分の異名である『少年A』の名称を駄洒落の様にしたタイトルのホームページを立ち上げて、収益を確保しようと企みましたが、僅か3日後にはそのウェブサイトは『凍結』されてしまったのです。尚、運営からは『規定上の違反に当たる』と『不特定多数ユーザー』に迷惑がかかるためらしいです。
神戸連続児童殺傷事件の被害者遺族の現在
今回ご紹介している平成最大の凶悪で凄惨なセンセーショナルを集めた事件の犯人である『さかきばら』の少年院を出た平成17年から現在の令和元年に至るまでの生活や仕事、出版した手記について先ほどお話ししていきました。幸い刑事事件や犯罪は起こしていないようなので今後も同じ過ちを繰り返さないようにひっそりと生活していただきたいものです。
さて、続いては事件で犯人に傷つけられた被害者の児童や家族、また残虐な犯行により命を奪われ非人道的に遺体を遺棄された児童の遺族の現在はどのように生活しているのでしょうか。被害者たちが負った傷は現在でも癒える事はなく、あの悲劇の様な当時の記憶を昨日のように覚えているかもしれません。
被害者遺族の土師守さんらは酒鬼薔薇聖斗仮退院時にインタビューを受けた
その当時の当事者たちは事件から7年後にインタビューを受けており、命を奪われた男子児童の兄は現在も就寝する際には当時の事を思い出して、やるせない気持ちや辛い感情を抱いてしまうので睡眠自体が嫌になっていることを明かしました。また担当した警察の話は当時遺族の母親はまともに話せる状況ではなく、父親が事情聴取をしたことが判明しました。
父親は当時の事を振り返り、自分の身に降りかかっている事の様に思えず、映画や夢みたいに空想の話であるように感じていたほど、現実を受け止められなかった胸の内を明かしました。また遺族であり被害者なのにも関わらず、事件の後もずっとマスメディアや報道陣に張り付かれ、『なんで?』という疑問を抱いていましたが『特異』な事態だから仕方ないと言い聞かせていたそうです。
2019年現在も酒鬼薔薇聖斗からの謝罪の手紙を待っている
犯人は事件が発覚して逮捕されたあと、遺族に向けて定期的に『謝罪の手紙』を送っていました、もちろん少年院にいる間も出て一般人のように暮らている間も、ひたすらかぎ続けて反省している様子が伺えたのです。現在から4年前の平成27年に、当事者である遺族に『無許可』で事件や犯行についての『手記』を出版しました。
これに遺族は裏切られた気持ちになり、悲しみと怒りが沸き上がり受け取って読んでいた手紙を一切拒否して読まなくなりました。この事を犯人は知っていたかどうかは分かりませんが、しばらくはそのあ後も手紙は送られてきましたが、去年の平成30年に突然手紙が途絶えてしまい、遺族たちは『事件と向き合うことを忘れてしまったのか?』と懸念しました。
遺族の土師守さんは『淳』という本を出版している
この手記は遺族の方が執筆した作品であり、心より愛していた大切な子供がいきなり命を奪われて、去ることがいかに寂しく辛いことなのかがよく理解できます。遺族たちがその当時どういう状況であったのか?どんな心境でどんな思いを募らせていたのか?また過去や現在のこと、犯人に対する思いなど事件の凄惨さがより分かる一冊です。
また日本の法律である『少年法』がいかに凶悪犯罪者である未成年たちが逆手に取り、守ってしまう規則であるかよく分かり、私たち日本人が平和でより良い社会を築くのには、少年法について深く考えて見直さなくてはならないと思い知らされるのではないでしょうか?是非興味のある方は手に取って読んでみてください。
日本の快楽殺人事件
今回ご紹介している平成に起きた惨烈で特異すぎる事件の犯人は、自らの手で人の命を奪う事で快楽や興奮を得ていた、いわゆる『快楽殺人』と呼ばれる類の凶悪犯罪者ですが、日本には他の事件でも犯人が自らの欲求を満たすためだけに、罪のない人間の命を奪う事件が発生しているのです。他にはどんな事件が起きているかご紹介していきます。
佐世保女子高生殺害事件
現在から5年前の平成26年7月に発生しました。九州地方の北西部に位置する『長崎県』の佐世保市内にある『高校』に通う1名の女子高校生が、同じ高校に通う同級生の女子生徒に様々な凶器を振りかざされ命を奪われました。動機について『殺してみたかった』『体の中を見てみたかった』などと供述しています。
事件の前から犯人は祖母に動物を虐待して殺していて、それを楽しんでいることを話している事が判明しました。この事件に用いられたアイテムが、今回の記事でクローズアップしている事件で用いられた凶器と類似しています。彼女の口からは動機は『快楽殺人』によるものだと告げられましたが、専門家やジャーナリストたちのそれぞれの見解は異なりました。
附属池田小事件
現在から18年前の平成13年6月に、大阪府池田市にある小学校に犯人が侵入して、クラスを何度か移動しながら次々と幼気な児童たちを刃物で襲い掛かる犯行に及んでおり、この事件では8名の尊い命が奪われて十数名の被害者が出てしまいました。犯人は死刑執行され現在ではもうすでに亡くなっています。
犯人は亡くなるその時まで全く遺族に対する謝罪の言葉や反省する態度を示しておらず、遺族たちの反感を買いました。彼は裁判が開かれて被告として法廷に立っているときも、死刑になって死んだ後も幼気な少年少女たちを追い掛け回して傷つけると発言したのです。いくつか動機があるのですが命を奪うならどうせなら多いほうがいいと考えていて、この事件もまた『快楽殺人』と言えます。
秋田児童連続殺害事件
現在から13年前の平成18年に発生しました。東北地方に住む一人の主婦が娘が行方不明になったと警察に通報して、捜索が開始されて遺体が見つかり、続けざまに男子児童も行方不明となり周辺で遺体が見つかりました。
実は2人を殺害した犯人は初めに通報した主婦であったという驚きの結末を迎えて、犯人である主婦に特殊な精神疾患が持っていて、歪み過ぎた『愛情』による犯行と捉え動機は『快楽殺人』であると発表されました。
神戸連続児童殺傷事件が社会に与えた影響は大きい
新しい元号『令和』となった2019年現在ですが、約20年ほど前に起こった平成最大のセンセーショナルな事件では、犯人である当時わずか中学生の少年によって何の罪のない幼気な児童たちが痛み付けられ、残虐な行為で命を奪われてしまった者、殺害された後遺体を破壊され生首を犯人の通う学校の門に遺棄されました。
あまりにも『異質』で『惨烈』な犯行。さらに犯人による奇妙な『犯行声明文』2通なども当時の世間を驚愕させ逮捕されたのが、大方の予想に反してどこにでもいるようなごく普通の中学生であったことで日本中が震撼したのです。また少年法や教育、家庭などの『在り方』が問題視されて見直されました。今後はこのような凄惨すぎる事件が起こらない事を祈るばかりです。