前述の通り一人一人の特徴が細部に現れる『字』により犯人が特定されたわけですが、どのようにして容疑者の名前が浮上して検挙に至ったのでしょうか?決め手となった部分やどのようにして逮捕されたのか?次に平成で一番残虐で凄惨な出来事と言っても過言ではない事件の犯人逮捕の様子やその後について解説していきます。
90年代に起きた凶悪宗教団体『オウム真理教』彼らは何度も事件を起こしてきましたが、その中でも数千人の民間人が被害者になってしまった恐ろしいテロ事件。世界的にも用いられた前例がない『サリン』という強烈な毒物が、多くの人たちが利用する電車内でばら撒かれたのです。世界的にもセンセーショナルを集めました。事件について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
筆跡鑑定から酒鬼薔薇聖斗の存在が浮上
何度も首を絞めつけて命を奪った特別支援学級の男子児童の生首を切断して、自身が通っていた学校の門に晒した際に、一緒に挟んだ1枚目の『次の犯罪を予告するメモ』は奇妙な雰囲気を演出したかったのか、フォントが縦長に奇抜な形で文字が書かれているのです。そのため執筆により犯人を割り出す事は出来ませんでした。
しかしより一層に犯人像をぼんやりとさせて『かく乱』させようとして、地元新聞会社に送り付けた手紙つまりは2枚目の『次の犯罪を予告するメモ』では、自分が自身につけた異名の読み方も間違っている指摘、さらなる危害を及ぼすこと、子供だけではなく大人もターゲットになること。など内容が多く長文になっていて更にフォントにも、自身のくせが現れてしまったのです。
逮捕の決め手は酒鬼薔薇聖斗の暴露
つまり地元新聞会社に送り付けた手紙つまりは2枚目の『犯行声明文』により、凶悪な少年が容疑者と浮上しました。その後彼は身柄を拘束され警察の取り調べを受けることになり、初めは一連の犯行を否定し認めませんでしたが、上記で説明した『執筆鑑定』の詳細な結果、証拠になりえる物品を見せつけると泣いて犯行を認めました。
さらに『真犯人』であると断定の決め手になったのは、マスメディアしか知りえない犯人が執筆した2枚の手紙の内容の多くを知っていて、詳しい内容や自体の特徴などを正確に話したためでした。その後一連の犯行の状況や様子、動機、目的、さらにその時どんな精神状態で犯行に及んだのかなど、事細かに証言して自供しました。
神戸家庭裁判所は酒鬼薔薇聖斗の精神鑑定を公開
今回の事件は極めて異例で凄惨すぎるものであったことから多くの世間から『センセーショナル』を集めました。これにより裁判側は少年法の規定に準ずるのではなく『精神鑑定』の結果を公表することになりました。『犯行時には妄想で作り出された別人格、二重人格などの症状はなかった』『脳やホルモン、DNAなどにも異常がなかった』
『精神疾患はなく精神年齢や知能も正常である』『他者を攻撃し傷つたいという激しい欲求(サディズム)を持続的に抱く』『自分が見た瞬間の光景を鮮明に記憶する素質あり』『自分自身を大事に思っておらず他者の感情に関心がない』などの結果でした。また命を自分の手で殺めることに『興奮』と『快楽』を覚える人格者だということがわかりました。
酒鬼薔薇聖斗は関東医療少年院へ送致される
一連の事態により従来の更生プログラムではあまり効果がなく、更生に繋がらないと『法務省』は考え従来の更生プログラムが見直され改定され、これにより精神科医や専門的なカウンセラーが施設に配属することになりました。更に彼の場合は、彼の身を対象にする専属のスタッフが数名配備されて『疑似的な家庭』を作るなどして特例な処置を実施しました。
施設に入ってしばらくは特に問題行動もなく順調にいっていたように見えましたが、奇妙で恐ろしさを感じさせる『アート』を作ったり、彼が心を寄せていた母親の様な『精神科医』の女性のことを他の院生が侮辱して誹謗中傷すると、彼は逆上して激昂して容赦なく暴力を振ろうとしました。
酒鬼薔薇聖斗は2005年に本退院
彼は一度違う施設に移されましたが、その際他の院生たちからいじめを受けました。そんなさなか他の院生が偶然彼の正体が『さかきばら』であることを知ると、一部の院生たちに情報が洩れてより『いじめ』はエスカレートしました。その影響なのかある時彼は刃物を振り回して、問題行動をとってしまいます。
教官たちが他の院生を避難させた後も興奮冷めやらぬまま、叫び声を上げながら『奇行』をしました。彼は刃物で自分の性器を傷つける自傷行為をしたのです。この『問題行動』が発覚して更生にはまだ時間が必要と判断され、平成16年の年末まで収容期間が延びましたが、翌年の平成17年に本退院しています。
神戸連続児童殺傷事件で冤罪説が浮上?
ここまで彼の非人道的行為や悍ましい所業をして、更生施設に入るまでを解説しましたが、全ての話がひっくり返るような噂があります。それは一部の世間では、一連の所業は本当は彼によるものではなく真犯人がいるとして、警察による力か何らかの理由で『濡れ衣』を着せられた可能性がある。
つまりは『冤罪説』が浮上したのです。なぜそんな説が浮上したのでしょうか?実はそれはいくつかの根拠があったのです。次にその根拠の数々を一つずつ分かり易くまとめていきます。果たしてどんな根拠なのでしょうか?詳しく見ていきましょう。
冤罪の根拠①真犯人は左利き?
市内の公園で遊んでいた少女に道を尋ねて、目的地まで送らせた後鈍器で頭部を殴り、数日後に死亡させた事件、つまり『第2の事件』の現場検証や司法解剖では犯人は『左利き』と見立てでしたが、検挙された彼の利き手は『右利き』だったのです。この利き手が違うということは別人を示唆します。
つまり真犯人は別にいて、本当は彼は冤罪ではないかと囁かれましたが、彼の知人であり『生首』の本人となってしまった男子児童の首元の『痕』から、右利きによるものと判断できるのではあまり信憑性がないでしょう。
冤罪の根拠②糸ノコギリで首は切断できない
警察の調べでは男子児童を殺害したあと、遺体を首から真っ二つする際『糸のこぎり』が使用しました。けれども常識的に考えてそのアイテムで人と首を完全に真っ二つするのは困難だと考えられるのです。さらにそのような悍ましい所業に及んだのは、その当時まだ僅か10代前半の男の子であり、力もそこでありません。(絞殺に苦戦)
さらには真っ二つとなった生首の切断面を見てみると、一部に特徴的な傷跡があり凶器として発表した刃物では絶対につかないとのこと。また警察の発表では用いられた凶器が『ナイフ』『糸のこぎり』『金のこぎり』の順に推移して二転三転しています。上記の点が『根拠』と言われる内容です。また『遺体』は冷凍保存していた可能性もあります。