神戸連続児童殺傷事件とは?快楽殺人の全容と冤罪説・酒鬼薔薇聖斗の現在も紹介

神戸連続児童殺傷事件は、当時14才の酒鬼薔薇聖斗の犯行で、遺体の生首を学校の校門に晒し上げるという平成史に残る殺人事件です。後に「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれ、現在も人々の記憶に残る神戸連続児童殺傷事件の全容を振り返ると共に、犯人である酒鬼薔薇聖斗の現在もご紹介します。

この記事をかいた人

初めまして。皆様の関心と興味を引き付ける記事をたくさん書いていきます!
Array

神戸連続児童殺傷事件とは?中学生「酒鬼薔薇聖斗」の快楽殺人

KELLEPICS / Pixabay

現在から20年以上前の日本を覚えていますか?またどんな印象を持っていますか?当然その当時まだ子供だった人もいらっしゃるはずです。90年代にはバブル崩壊したあとも様々な文化が広まり斬新で画期的なモノが流行しましたが、一方で人々を驚愕させるような極めて残虐で凄惨な事件が多かったことも忘れてはいけません。

多くの民間人が犠牲となった『地下鉄サリン事件』闇が深すぎる『井の頭公園バラバラ殺人事件』などその頃には悍ましい出来事が多く起きましたが、その中でも今回の記事でクローズアップする事件はひと際センセーショナルを集めました。その当時まだ僅か中学生だった犯人が次々と幼気な少年少女たちを傷つけて、最期には非人道的な殺人を犯したのです。

神戸連続児童殺傷事件の概要

DariuszSankowski / Pixabay

恐らく一度非人道的な所業の数々や事件のことを知ると、悍ましくまた恐ろしすぎて一生忘れ去ることができなくなるほどでしょう。その当時まだ『当事者』たちと同じように純粋な子供でニュースにあまり関心がなく、よく知らない方もいらっしゃるはずです。また惨烈な事件を風化させないためにも、概要を再認識することも大切かもしれません。

まずは凶悪の少年の犯行がどんなものであったか理解していていただくためにも、まずはその当時の事案発生や状況、犯行などの出来事を時系列ごとに分かり易くまとめて解説していきます。事の発端は何から始まったのか?どんな人物が狙われて傷つけられてしまったのか?その悲痛さを改めて理解しておきましょう。

神戸連続児童殺傷事件①小学生2人が襲われる

ken19991210 / Pixabay

現在から22年前の平成7年2月、時刻は16時過ぎで時期的に考えれば恐らく外は日没を迎える瞬間で、うす暗く児童たちが次々と帰宅し始める頃合いでした。阪神エリアの兵庫県、県庁所在地である神戸市に住んでいた当時小学性の少女2人はこれから身に降りかかる悲劇をしらずに、いつもの通り道路を歩いていました。

暫くすると凶悪な少年が本来は大工などで釘を打ち付ける際に使う『鈍器』を手にして、おもむろに2人の少女に近づいていきました。当然ある程度至近距離に魔の手が近づいても、少女たちはまだ若く純粋なので何も危険に感じなかったでしょう。凶悪な少年は2人の少女に対してその鈍器を容赦なく振りかざして1人を『大けが』に負わしました。

この時被害者の父親は・・・

上記の様な卑劣な事案が発覚した後、被害者の一人の少女の父親は、彼女の目撃情報から『学生服』や『学生靴』を着ていた、履いていたことを知ると、すぐさま地元周辺の中学校に尋ねて、一連の経緯を話し生徒の写真を見せてほしいと頼みましたがそれに学校側は応じず、『警察』を通しても結局学校側はまともに相手しなかったそうです。

神戸連続児童殺傷事件②道案内し殴られた女児が脳挫傷で死亡

TiBine / Pixabay

上記の卑劣で不穏な空気を感じさせる事案から約1か月後、同市内の公園で遊んでいた当時小学生の少女に凶悪な少年が接触しました。少女に『手を洗える場所はないか?』と道を尋ねると、少女は見ず知らずの少年であるのにも関わらず、道の順序を教えるどころか目的地まで凶悪な少年を送り届けました。

少女は非常に親切で良い子であったに違いありません。それなのに凶悪な少年が『お礼をする』と言い放ち少女を振り向かさせると、所持していた重みのある『鈍器』を容赦なく少女の頭部をめがけて振りかざしました。少女は病院に搬送され救命処置がとられましたが、数日後に脳の損傷が激しかったためか命を奪われてしまいました。

更に事案発生した僅か10分後に・・・

親切に道案内した少女が襲われて逃走した10分後に、凶悪な少年は更に地元地域の小学3学年の女児と接触して、所持していた小さな『ナイフ』で容赦なく女児の腹を目がけて突き刺しまた。すぐさま病院に輸送され、約2リットルの輸血が施されてようやく一命をとりとめましたが、あと数センチメートル深くまで刺されていたら、命が無かったそうです。

神戸連続児童殺傷事件③なかよし学級の男児を殺害

rawpixel / Pixabay

親切な幼い少女の気持ちを踏みにじり、逆手に取り容赦なく命を奪った犯行。非常に残虐で人の風上におけない所業ですがこれだけでは済まなかったのです。2か月後凶悪な少年は誰かを自分の手で。という『殺害欲求』に満ちていました。彼はその時に知人の男子児童に『特別支援学級』の生徒がいる事を思い出しました。

その男子児童に興味を引き付ける物があったと言葉巧みに現場におびき寄せると、凶悪な少年は首を絞めて命を奪ってみたい。という願望があったのでそれを試みました。しかしなかなか息を引き取る事はなかったので、何度も何度も首を絞めて、暴力も加えてようやく望み通り殺害しました。どれだけ苦しく辛かったでしょうか。誠に遺憾であります。

殺害した後

凶悪な少年は何度も何度も確実に息の根を止めようと、知人の男子児童に暴力を振るって首を絞めようとして、命を奪ったわけですが、殺害した後間違いなく死んでのか胸に耳をあてて『心拍音』を確かめたり、呼吸をしていないか確かめたそうです。その後近くの人気の少ない施設の、草が生い茂る場所に遺体を隠そうとしましたが、そこはフェンスで囲まれ『南京錠』が掛かっていました。

なのでこれを破壊するためにホームセンターに行って『のこぎり』を購入しました。そして南京錠を破壊して目的の場所まで遺体を遺棄しましたが、その日の夜購入したのこぎりを使って新たな非人道的行為をしていみたい。という欲求に駆られたて実行に移す事を決意したのです・・・。果たして彼が実行した悍ましい非人道的行為とは何でしょう?

神戸連続児童殺傷事件は校門の男児の生首で発覚

Free-Photos / Pixabay

ここまでだけでも凶悪な少年が犯した犯行が非常に悍ましく、卑劣なものだとよく理解できるはずですが、恐ろしいことにこの後更に凄惨さが増す非人道的行為に及ぶことになります。この事件のメインでもある悍ましすぎる出来事が起こり、マスメディアが取り上げてニュースで大々的に報道されるきっかけとなり、世間が異例すぎる犯行に驚愕した状況を次に解説していきます。

何度も容赦なく暴力を振るい首を絞めて殺害した男子児童の首を切り落としてみたい衝動に駆られた、凶悪な児童はそれを実行に移しました。彼は生首を持ち帰るとそれを鑑賞して、その後何度も彼は何度も興奮を覚えたそうです。そして生首を自ら通う学校の門の前に、遺棄すると悍ましい事態が世間に明るみになりました。

被害者の生首に挟まれた犯行声明文

StartupStockPhotos / Pixabay

生首を校門前に置いたのは、自分の欲求によるものであったり、警察の捜査の焦点をずらしたり自分が通っていた学校を『ノーマーク』にさせるためでしたが、さらに犯人像をぼんやりさせるために、一枚の紙に一連の犯行や殺人を『GAME』と称して、更に犠牲者を出すという『メモ』を書きあげました。

それを生首に挟んだのです。勿論このような猟奇的な犯行は極めて異例であり過去を遡ってもこれほど、非人道的行為、サイコパスのような事件は起きていないといっても過言ではありません。そのため更にこの事件の悍ましさや凄惨さをインパクト付けてセンセーショナルを集めました。手紙については次のコラムにてより詳しく解説していきます。

神戸新聞社に届いた第二の犯行声明文

Free-Photos / Pixabay

更に犯人像を自分とはかけ離れたイメージにしようと考えて、更に彼は白い紙に報道で自分の異名の漢字の読み方を間違えていたことを指摘するとともに、さらなる危害を加える旨を書いて、それを地元の新聞会社に送りました。この時彼は具体的ないじめを受けていて社会を恨んでいる『キャラクター』になり切って内容を記しています。

またそこではターゲットとなる人間を『野菜』に例えたり、自身が手を下すのは自分よりも年齢の低い幼気な少年少女だけではなく、大人たちをも簡単に殺害できるという内容を記しました。生首に挟んだ1枚目よりも文の内容も文字数も多いです。しかし警察の『執筆鑑定』により早期に犯人が特定されました。これには凶悪な少年も予想外であり『甘く見ていた』と言及しました。

マスコミの予想に反した犯人の正体

Pexels / Pixabay

当時のマスメディアの多くは一連の犯行の犯人を、未成年のそれも中学生児童であるとは予想していませんでした。大方は成人している男性(2枚の手紙の内容から)を犯人像として予想して新聞各社が報道して、世論も先入観があったのか自然とその報道にうなづきました。しかしその予想が大きく外れることになったのです。

2枚の犯人が自ら書いた『手紙』による執筆鑑定から真犯人が割り出されて、僅か中学生の男子の犯行であるという事実が発覚し、大々的にニュースや新聞で報じられると日本国民の多くが衝撃を受けて震撼しました。凶悪犯の正体が実は被害者たちとそこまで変わらない、若い少年であったという事もやはりセンセーショナルを集めた大きな要因でしょう。

神戸連続児童殺傷事件の犯人逮捕とその後

Pexels / Pixabay

前述の通り一人一人の特徴が細部に現れる『字』により犯人が特定されたわけですが、どのようにして容疑者の名前が浮上して検挙に至ったのでしょうか?決め手となった部分やどのようにして逮捕されたのか?次に平成で一番残虐で凄惨な出来事と言っても過言ではない事件の犯人逮捕の様子やその後について解説していきます。

90年代に起きた凶悪宗教団体『オウム真理教』彼らは何度も事件を起こしてきましたが、その中でも数千人の民間人が被害者になってしまった恐ろしいテロ事件。世界的にも用いられた前例がない『サリン』という強烈な毒物が、多くの人たちが利用する電車内でばら撒かれたのです。世界的にもセンセーショナルを集めました。事件について気になる方はこちらの記事をご覧ください。

筆跡鑑定から酒鬼薔薇聖斗の存在が浮上

cocoparisienne / Pixabay

何度も首を絞めつけて命を奪った特別支援学級の男子児童の生首を切断して、自身が通っていた学校の門に晒した際に、一緒に挟んだ1枚目の『次の犯罪を予告するメモ』は奇妙な雰囲気を演出したかったのか、フォントが縦長に奇抜な形で文字が書かれているのです。そのため執筆により犯人を割り出す事は出来ませんでした。

しかしより一層に犯人像をぼんやりとさせて『かく乱』させようとして、地元新聞会社に送り付けた手紙つまりは2枚目の『次の犯罪を予告するメモ』では、自分が自身につけた異名の読み方も間違っている指摘、さらなる危害を及ぼすこと、子供だけではなく大人もターゲットになること。など内容が多く長文になっていて更にフォントにも、自身のくせが現れてしまったのです。

逮捕の決め手は酒鬼薔薇聖斗の暴露

johnhain / Pixabay

つまり地元新聞会社に送り付けた手紙つまりは2枚目の『犯行声明文』により、凶悪な少年が容疑者と浮上しました。その後彼は身柄を拘束され警察の取り調べを受けることになり、初めは一連の犯行を否定し認めませんでしたが、上記で説明した『執筆鑑定』の詳細な結果、証拠になりえる物品を見せつけると泣いて犯行を認めました。

さらに『真犯人』であると断定の決め手になったのは、マスメディアしか知りえない犯人が執筆した2枚の手紙の内容の多くを知っていて、詳しい内容や自体の特徴などを正確に話したためでした。その後一連の犯行の状況や様子、動機、目的、さらにその時どんな精神状態で犯行に及んだのかなど、事細かに証言して自供しました。

神戸家庭裁判所は酒鬼薔薇聖斗の精神鑑定を公開

ElisaRiva / Pixabay

今回の事件は極めて異例で凄惨すぎるものであったことから多くの世間から『センセーショナル』を集めました。これにより裁判側は少年法の規定に準ずるのではなく『精神鑑定』の結果を公表することになりました。『犯行時には妄想で作り出された別人格、二重人格などの症状はなかった』『脳やホルモン、DNAなどにも異常がなかった』

『精神疾患はなく精神年齢や知能も正常である』『他者を攻撃し傷つたいという激しい欲求(サディズム)を持続的に抱く』『自分が見た瞬間の光景を鮮明に記憶する素質あり』『自分自身を大事に思っておらず他者の感情に関心がない』などの結果でした。また命を自分の手で殺めることに『興奮』と『快楽』を覚える人格者だということがわかりました。

酒鬼薔薇聖斗は関東医療少年院へ送致される

一連の事態により従来の更生プログラムではあまり効果がなく、更生に繋がらないと『法務省』は考え従来の更生プログラムが見直され改定され、これにより精神科医や専門的なカウンセラーが施設に配属することになりました。更に彼の場合は、彼の身を対象にする専属のスタッフが数名配備されて『疑似的な家庭』を作るなどして特例な処置を実施しました。

施設に入ってしばらくは特に問題行動もなく順調にいっていたように見えましたが、奇妙で恐ろしさを感じさせる『アート』を作ったり、彼が心を寄せていた母親の様な『精神科医』の女性のことを他の院生が侮辱して誹謗中傷すると、彼は逆上して激昂して容赦なく暴力を振ろうとしました。

酒鬼薔薇聖斗は2005年に本退院

jodylehigh / Pixabay

彼は一度違う施設に移されましたが、その際他の院生たちからいじめを受けました。そんなさなか他の院生が偶然彼の正体が『さかきばら』であることを知ると、一部の院生たちに情報が洩れてより『いじめ』はエスカレートしました。その影響なのかある時彼は刃物を振り回して、問題行動をとってしまいます。

教官たちが他の院生を避難させた後も興奮冷めやらぬまま、叫び声を上げながら『奇行』をしました。彼は刃物で自分の性器を傷つける自傷行為をしたのです。この『問題行動』が発覚して更生にはまだ時間が必要と判断され、平成16年の年末まで収容期間が延びましたが、翌年の平成17年に本退院しています。

神戸連続児童殺傷事件で冤罪説が浮上?

3839153 / Pixabay

ここまで彼の非人道的行為や悍ましい所業をして、更生施設に入るまでを解説しましたが、全ての話がひっくり返るような噂があります。それは一部の世間では、一連の所業は本当は彼によるものではなく真犯人がいるとして、警察による力か何らかの理由で『濡れ衣』を着せられた可能性がある。

つまりは『冤罪説』が浮上したのです。なぜそんな説が浮上したのでしょうか?実はそれはいくつかの根拠があったのです。次にその根拠の数々を一つずつ分かり易くまとめていきます。果たしてどんな根拠なのでしょうか?詳しく見ていきましょう。

冤罪の根拠①真犯人は左利き?

niekverlaan / Pixabay

市内の公園で遊んでいた少女に道を尋ねて、目的地まで送らせた後鈍器で頭部を殴り、数日後に死亡させた事件、つまり『第2の事件』の現場検証や司法解剖では犯人は『左利き』と見立てでしたが、検挙された彼の利き手は『右利き』だったのです。この利き手が違うということは別人を示唆します。

つまり真犯人は別にいて、本当は彼は冤罪ではないかと囁かれましたが、彼の知人であり『生首』の本人となってしまった男子児童の首元の『痕』から、右利きによるものと判断できるのではあまり信憑性がないでしょう。

冤罪の根拠②糸ノコギリで首は切断できない

Palema / Pixabay

警察の調べでは男子児童を殺害したあと、遺体を首から真っ二つする際『糸のこぎり』が使用しました。けれども常識的に考えてそのアイテムで人と首を完全に真っ二つするのは困難だと考えられるのです。さらにそのような悍ましい所業に及んだのは、その当時まだ僅か10代前半の男の子であり、力もそこでありません。(絞殺に苦戦)

さらには真っ二つとなった生首の切断面を見てみると、一部に特徴的な傷跡があり凶器として発表した刃物では絶対につかないとのこと。また警察の発表では用いられた凶器が『ナイフ』『糸のこぎり』『金のこぎり』の順に推移して二転三転しています。上記の点が『根拠』と言われる内容です。また『遺体』は冷凍保存していた可能性もあります。

冤罪の根拠③証拠は少年の供述のみ

HNewberry / Pixabay

また容疑者として候補に挙がったのは、犯人が宛てた2枚の次の犯罪を予告するメモの文から解析された『執筆鑑定』がきっかけになりましたが、実際に検挙の決め手となった決定的証拠は、警察やマスメディア、一部の関係者しか知りえない手紙の内容を事細かく把握していたという事、そして自ら認めて『自供』したという事なのです。

つまり何か物的証拠や指紋検証、DNAなどが一致していたかれではなく、全て証拠は彼の供述、証言のみだったのです。これに対して『冤罪説』を訴える人たちは証拠不十分であり、警察が取り調べの際に誘導尋問した可能性が指摘されたのです。

冤罪説は本人が否定している

geralt / Pixabay

もしその説が本当であれば、ではなぜ少年は濡れ衣を着て冤罪を受けたのでしょうか?その理由が思いつがず考えられないのでやはり彼が真犯人なのかもしれません。尚、彼自身ホームページ内で確かな『鮮明な記憶』として残り、犯行を身体の一部のように思っている声明を表して『冤罪説』を否定しました。

当時警察が発表した内容が二転三転した?

Free-Photos / Pixabay

先ほど冤罪説についてとその根拠いついて考察してお話ししていきましたが、実はそれに結びつけるといっても過言ではないのですが、第1の事件から逮捕された後まで警察が発表した事件の『物証』の多くが二転三転しているのです。

勿論犯行内容や次の犯罪を予告するメモ、犯人の正体も『異常』すぎたので警察の見解と大きく食い違う内容になったのは致し方かもしれませんが、それでも『犯人像』や『手口』が大きく推移しすぎているのです。これももしかしたら冤罪と囁かれる所以なのかもしれません。どんな要素が変わっていったのか解説していきます。

犯人像

Pexels / Pixabay

新聞各社などのマスメディアが独自に専門家にプロファイリングを依頼した結果は、犯行声明文で難解な言葉を使っていたり、文の組み立てや構成がしっかりとしていたため大方の予想が『成人男性』でありましたが、警察も早期の段階から30代から40代の黒色のビニール袋を所持していた人物が犯人像と考えていたのです。

真犯人は成人もしていない当時僅か10代前半の子供であったので、警察の見立ては大きく外れることになりました。それだけではなく実は犯人を1人とは考えておらず、複数人によるグループ犯であると考えていたのです。しかしそれも大きく外れてしまいました。2枚目の次の犯罪を予告するメモが無ければ逮捕に至らなかったかもしれません・・・。

犯行・手口・凶器

Free-Photos / Pixabay

まず犯行の計画性についてですが、警察は一連の悍ましさや残虐性の高さなどから『計画的な犯行』と見ていましたが、実際は殺してみたい切断してみたいなどの欲求による『衝動的な犯行』でした。それだけではなく、犯行そのものはプロや殺し屋によるものだと考えらていましたが、これも予想に反して普通の当時10代前半の男子によるものでした。

しかし彼は過去に動物である『ねこ』の首を切断したり命を奪っている経験があるので、それで言えば警察の予想はあながち間違っていなかったのかもしれません。凶器に使われていたのは本来は『金のこぎり』でしたが、従来の発表では『ナイフ』『糸のこぎり』と二転三転していました。この誤報がなければ今ほど『冤罪説』が囁かれかった可能性があり?

遺棄の場所

sipa / Pixabay

どの犯行も異例なもので残虐性、凄惨さ、その全てがトップクラスで悍ましい内容なのですが、特にインパクトが強い犠牲者の生首が『門』に遺棄していた事実。警察の発表はここでも二転三転して初めは『壁の上』で次が『校門の学校名が刻まれた看板の下』最後に『鉄の門の中央』に変わっていきました。

実際は門のコンクリートの上に置こうとしましたが、高かったため落下してしまい、門の中央に置きました。また警察の見立てによる犯行時刻は『5時10分以降』(目撃情報や新聞配達員が見ていないという情報から)だったのですが、本来は犯人は日付が変更したすぐ後に起きて、深夜2時から3時に犯行に及んでいるのです。

動機

Pexels / Pixabay

NEXT 動機