小平事件とは?連続強姦殺人の犯行詳細や犯人の小平義雄の生い立ちも

今までは食料調達に関して女性を騙して人気のないところへ連れ出し、強姦殺人を繰り返していた小平ですが、この時期から誘い出しにつかう言葉が変化していきます。

Pankgraf / Pixabay

この被害少女は就職口を紹介するという言葉に騙され被害に会いました。

17歳の被害女性は殺害される1ヶ月ほど前の7月上旬に品川駅前で列車事故があったとき、偶然居合わせた小平に声をかられました。

小平はこの被害女性が転職活動中であると気づくと、就職先の面倒を見ると言って住所を交換しました。

styles66 / Pixabay

その後、小平はこの女性宅を訪れ、親とも面会しすっかり信用されました。8月6日に就職試験を受けることになった被害女性は家族の奇遇先の家を朝9時ごろ出発しました。

約束通り待ち合わせの品川駅に現れた被害女性を言葉巧み惑わし増上寺の裏山に誘い込んだ小平は一緒に弁当を食べた後に豹変し「いうことを聞け。」と横っ面をひっぱたき無理やり下着をぬがして強姦します。

adnovak / Pixabay

強姦が終わると、被害女性の首を締め絞殺しました。

その後、いつになっても女性が戻らないことを心配した家族が小平をたずねたところ小平は「結局、就職試験には来なかった。」と伝えました。そのため、被害女性の家族は届け出を行いました。

この女性が8月17日に発見されたことが小平事件が世の中に明らかになる発端となりました。住所を交換し、被害女性の親とも面識のあった小平を警察に連行し犯行を問いただしたところあっさりと犯行を自供しました。

【小平事件】第8の事件は17歳少女に「暖かい場所にきなさい」

Hans / Pixabay

第8の事件は検察が起訴したものの、嫌疑不十分となり無罪となっています。

検察の起訴内容によると、小平は渋谷駅でイモの買出しのために乗車券を買おうと窓口に並んでいた17歳少女にと言葉巧みに渋谷駅前の東横デパート地下室に連れ込み、強姦の上絞殺しました。

絞殺後に20円余りを奪い小平は逃げています。

【小平事件】第9の事件では15歳の少女に「ビスケットをやる」

LUM3N / Pixabay

第9の事件も検察が起訴したものの、嫌疑不十分で無罪となった事件です。

検察の起訴内容は小平がお菓子などを与え顔なじみになっていた15歳の少女に「ビスケットをやる」といって運送会社の駐車場に誘い出し関係を迫りました。

被害少女が関係を拒絶ましたが、小平は被害者を強姦し殺害に及びました。その後、死体をトラックの下に隠しました。4日後に偶然、トラックから出火し火災となり、被害少女の死体が発見されました。

【小平事件】第10の事件では女性に「銀座方面に遊びに行こう」

JordyMeow / Pixabay

第10の事件も起訴されながらも証拠不十分で無罪となった事件です。

検察の起訴内容は、1946年7月22日にかねてから知り合いになっていた女性に「銀座方面に遊びに行こう。」と言葉巧みに芝増上寺の裏山に連れ出し、強姦の後、絞殺しました。

この時の被害女性は小平事件が明るみに出るきっかけとなった女性の死体発見現場の近くを捜査する過程で発見されました。結局のところこの女性の身元は今も判明していません。

小平事件の裁判の判決とその後

12019 / Pixabay

芝増上寺の裏山で発見された17歳少女の絞殺死体の捜査を発端に逮捕された小平義雄は 前記した10件の強姦殺人容疑・30件の強姦容疑で起訴されました。

1947年6月18日に東京地裁で死刑判決が出た後、東京高裁へ控訴するも、翌1948年2月28日に控訴棄却判決が出ています。

これについても最高裁へ上告しています。1948年11月16日に上告棄却判決が出て死刑が確定します。

小平事件の10件中7件が有罪となる

OpenRoadPR / Pixabay

小平義雄の強姦殺人の起訴容疑のうち7件は犯行を認め有罪となっています。起訴された10件のうち3件は小平義雄が犯行を否認し、裁判でも嫌疑時不十分のため無罪となっています。

しかしながら無罪となった3件の中には警察・検察による取調べにおいては被害者の衣服に関する詳細な供述を行なっている部分もあります。

小平義雄の犯行であるという見立てを持っていた専門家や司法関係者もいたそうです。

小平義雄は死刑判決

TryJimmy / Pixabay

東京地裁では有罪とされた7件の犯行に対し、死刑判決を言い渡しています。判決を聞いた小平は顔を赤らめて裁判長に一礼したそうです。

控訴審、上告審においてもこの地裁判決を支持しており、1948年11月16日の最高裁の上告棄却で死刑が確定しました。

メディアは小平義雄を「淫獣」と報じた

ligiera / Pixabay

小平は取りしらべの中に犯行時の心理状況として以下のように供述している。新聞報道ではこれらの供述を受け、彼を「淫獣」と書いています。

普通のやり方より強姦のほうがいいです。自由になりますから。女を横にして陰部を見ながら、今まさに関係しようとする瞬間がなんともいえないのです。殺されてもよいと思うときがあります。日本刀で後ろから首を斬られてもかまいません。そんなによいのです(引用:オワリナキアクム)

stux / Pixabay

小平は人を殺すことはむしろ嫌だと言っています。小平の異常性癖からくる興奮が絶頂に達する「その瞬間」は被害者の生死にかかわらずやってくると供述しています。

「その瞬間」とは暴力により言いなりになった、または仮死状態や死亡した女性の股を開き、自分のイチモツを女性器に突き刺す瞬間なのです。

まさに小平は「その瞬間」に「殺されてもいいと思う」と同時に「日本等で後から首を斬られても構わない」ほど「なんともいえない」恍惚の心理状況であったといいます。

死刑判決後に妻と面談し小平義雄は反省の色を見せる

cuncon / Pixabay

死刑判決が確定した後の1949年4月頃、小平に対し妻が初めて面会しました。

彼の妻は面会時に、小平にこう言ったそうです。「自分が疎開していたばかりに、あなたの世話が出来ず、このような結果を招いた。あなたの罪の責任は私にあります」と言ったそうです。

voltamax / Pixabay

小平はこの言葉を聞き、いままで教誨師の指導にも投げやりな態度をとっていたのが一変し、信仰心厚い態度となりました。

もともと自身の子どもに対しては子煩悩な一面を見せていたが「死刑囚の子供としていじけないように育ててもらいたい」と妻に伝えるなどしたそうです。

小平義雄44歳の時に死刑執行

Foundry / Pixabay

1948年12月1日、小平は仙台の宮城刑務所仙台拘置支所に送られた。この当時、東京拘置所には死刑を執行する設備がなく、関東地方の死刑囚はすべてこの仙台拘置支所に送られました。

妻が面会に訪れて約半年後の1949年10月5日に死刑執行されました。享年44歳でした。

当日の朝、「所長さんがお呼びだよ、小平。」という看守の言葉にいつもと違うところを感じ、すべてを察したそうです。

jplenio / Pixabay

独房内を綺麗に清掃し、この日のために用意してあった新品の下着に着替え、編笠をかぶり、刑場へむかいました。

窓から外を眺め「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」と教誨師に話したそうです。

Free-Photos / Pixabay

執行を前に遺言を問われた小平は便箋2枚に妻に宛てた走り書きの遺書を残しました。

自分は荘厳な気持ちですべてを精算し、静かな気持ちで死んで行きます。長い間、お世話になった人々によろしくお伝えください。家族の者もどうぞ天命を完うしてくだい。(引用:Wikipedia)

小平義雄は死ぬ当日に遺書と句を残した

nanoom / Pixabay

小平は死刑執行に際し、辞世の句を残しました。「亡きみ霊  赦し給へし過去の罪 今日の死を待ち 深く果てなん」

この後、所長に「もうほかに、何か言い残すことや欲しいものはないか。」と問われ、小平は「タバコを一本吸わせてください。」と求めました。

差し出されたタバコを胸の奥までゆっくり吸い込んだそうです。午前9時50分、死刑執行されました。

【小平事件】3人の供述

Alexas_Fotos / Pixabay

小平事件の全容を明らかにするうえで重要な3人の取調中の供述や裁判での証言があります。

ひとつ目は小平本人の供述、2つ目は小平の妻の供述、3つ目は裁判で鑑定の証言を行った、精神科医 内村祐之の証言です。

小平義雄の供述

4711018 / Pixabay

小平は逮捕後の取り調べで様々な供述を行っています。それにより犯行当時の心境や小平事件が起こる前に行った軍務の影響が明らかになっています。

被害女性を言葉巧みに騙す手口

Pexels / Pixabay

小平は女性を騙す手口を以下のように供述しています。戦後の食料難や就職難につけ込んだ卑劣な手口といえます。

終戦前後は何といっても食糧が女の心を一番動かしました。私はそれを利用したのです(引用:殺人風土記)

小平の女性を暴行する手口

analogicus / Pixabay

小平の異常性癖を示す供述として、犯行の手口を以下のように供述しています。

この供述からも被害女性を性欲のはけ口とだけしか考えていない常軌を逸した小平の犯行状況が見てとれます。

まず、女を殴り、次いで頚部を絞め仮死状態にする。この絞め方は、右手を前に、左手を後ろにし、両手で少し上に持ち上げる。2、3分そうしていると、洟を垂らし、手をだらりと下げ、仮死状態になるのである。このときすぐに交わるとは限らない。むしろ30分ぐらい待ち、蘇生したところで、揺り動かす。「私どうしたの、どこかへ行ってたの?」たいていの女が、不思議そうに問いかけ、失禁していることに気づく。そこで、着ている物を脱ぐように命じ、体に付着した糞尿を拭き取ってやる。もはや抵抗を諦めているので、体をひろげて、自らを重ねる。その行為の間、女は目を開いて宙を見つめ、両手を伸ばしている。女を横にして陰部を見て、今入れんとする瞬間がなんともいえないのです。殺されてもいいと思うときがあります。日本刀で後ろから首を切られても構いません。陰部ばかりを見ています。顔なんか見ていません。入れると夢中で私だけ腰を使います。終わると早く始末してしまいます(引用:無限回廊)

小平義雄の妻の供述

Neoloky / Pixabay

小平の妻は夫婦生活を会のように供述しています。家族には異常な一面を見せなかったのでしょう。

死刑囚となった小平と面会した妻の言葉によって改悛の情を死刑のそのときまで見せていた一面もあります。

結婚してから毎晩のように要求はあったのは確かです。稀にひと晩に2回ということもありました。40になろうとする男にしては少ししつこいのではと思うこともありました。ですが、変な要求はしないし、交わり自体はあっさりしたもので、首を締めるようなことはありませんでした。愛妻家とは彼のような人のことを言うのだと思っていました。性的な会話がひとつもなかったから、まさか浮気はしないだろうと安心しきっていました。逮捕されて新聞に載ってからも、しばらくは夫がしたこととは信じられませんでした(引用:無限回廊)

鑑定人・内村祐之の供述

Tumisu / Pixabay

裁判で鑑定を行った精神科医の内村祐之は継のように供述しています。異常者だけれども責任能力があるということを述べています。

小平の性欲衝動も感情激発性もそうとう強いものであったに違いないが、しかし、いかにしてもこれらを制御し得ないほど重篤かつ高度の性格異常者ではなかったと判断する。従って小平ははなはだ珍しい型の生来性性格異常者で、しかもなお責任能力のある人格と判定するのである(引用:無限回廊)

NEXT 供述をもとに研究の必要性があると言われている