後の供述では、このとき中国のターク-では中国人の家に押し入り、女を強姦したり、妊婦の腹を裂いて胎児を引き出したりするなどの虐殺行為を行ったと供述しています。
小平義雄は結婚するも浮気がバレ義父を殺害
1929年の24歳の時に、海軍を除隊し、精鋼所に復職しました。1932年には工場長の姪を紹介され見合い結婚しています。
しかし、すぐに妻は実家に帰ってしまいました。これは親戚の娘を妊娠させ私生児を生ませたことによるものです。義理の両親はこれで小平と娘を離婚させようとしました。
妻に帰宅を迫り、何度も実家を訪れました。一向に帰ろうとしない妻に立腹し、ついには鉄棒をもって襲撃してしまいます。
このとき、義理の父を撲殺し、他6人に重症を追わせています。この事件で懲役15年の刑となりますが、2度の恩赦が偶然あり、わずか6年で仮出獄してしまいます。
小平義雄は罪を隠し再び結婚した
1944年の小平は2度目の結婚をするが、この時には前妻の実家を襲撃し、懲役刑を受けていたことは秘密にします。そして、2度目の結婚では男の子一人を授かります。
この子には死刑の間際にも行く末を案じ、子煩悩な一面を見せることもありました。しかし翌年には太平洋戦争の激化により、東京一円も空襲がひどくなり、妻子を富山に疎開させます。
この後、小平は海軍衣糧廠の女子寮に住み込みとして働きます。そして終戦を挟んで1年余りの間に少なくとも女性7人にたいして強姦殺人を繰り返します。
Contents
小平事件と同じ手口が使われた事件①第二小平事件
第二小平事件とは1946年から約1年間に連続して発生した強盗殺人事件です。
小平と同様に犯人は「就職口を斡旋する」と言葉巧みに被害女性を山林に連れ出し、金品を強奪しました。
このため、被害者を騙す方法が小平事件と共通点があるため第二小平事件と呼ばれています。犯人は「群馬の小平」とも呼ばれています。
小平事件と同様に3つの事件が発生
第二小平事件は自供から5件の殺人事件が発覚したとされていますが、そのうち起訴されたのは3件で、有罪が確定しています。
第1の事件
11月13日に買い出しに来ていた女性に大宮駅で声をかけ埼玉県入間郡霞ヶ関村(現:埼玉県川越市)の雑木林に誘い込み絞殺しました。
第2の事件
1946年12月21日に約1ヶ月前の事件と同様に、買い出しに来ていた女性に声をかけました。
茨城県猿島郡五霞村(現:茨城県猿島郡五霞町)の山林に誘い込み絞殺したそうです。
第3の事件
同じく、大宮駅に買い出しに来ていた女性に声をかけ、タバコ購入の斡旋をすると言葉巧みに騙しました。
埼玉県北足立郡馬宮村(現:埼玉県さいたま市西区)の山林に誘い込み絞殺しました。
小平事件と違うのは犯行動機
小平事件は強姦が主目的でしたが、第二小平事件において犯人は金銭を奪うことを目的としていました。第二小平事件は強盗を目的としていました。
しかし、手口という点では女性の興味のある事柄を用いて言葉巧みに被害者を誘い出すというということで共通しているといえます。
事件の起きた1946年~1947年にかけては終戦直後の混沌とした食料事情がほんの少しだけ落ち着き、食料は値段は張るものの闇市に行けば入手できない事もないといった状況に変化していきました。
そのような状況では食べ物そのものよりも就職先のほうが女性のこころを掴んだのでしょう。
事件の判決は小平事件と同様に死刑
1947年1月の第3の事件以降、埼玉県大宮駅で就職先斡旋などを装い女性に声をかける怪しい男が捜査線上に浮かびました。
この男は3月に殺人容疑で逮捕され、その後5件の殺害事件について自供し、3件で起訴されました。
この犯人は起訴された事件3件で有罪となり、1950年2月3日に犯人の死刑が確定しました。
小平事件と同じ手口が使われた事件➁大久保清事件
大久保清事件とは1970年代に群馬県内で発生した、女子高生などをターゲットとした強姦を目的とした殺人事件です。
犯人は大久保清といい、女性に「絵のモデルになってくれませんか」という声掛けで言葉巧みにナンパし、関係を迫る行為を繰り返していました。
大久保の供述によると150人以上の女性に声をかけたといいます。当時、最新型のスポーツカーに乗り声をかけていたため、中には彼のナンパに応じる女性もおり約30人が車に乗ったといいます。
これは1970年代といえば、まだ車がモテる男のシンボルだった世相を反映しているかもしれません。
車に乗った女性のうち、10人以上の女性と関係をもったと供述しています。
殺人の被害にあった女性は大久保の嘘に気づき、矛盾点を指摘してその場を離れようとしたり、身内に警察・検察関係者がいるといったりして、逆に嘘をついた女性が彼の殺害行為の被害にあっています。
大久保清の生い立ち
大久保は1935年1月7日に現在の群馬県高崎市内で国鉄職員で機関士の父と白人とのハーフの母との間に8人兄弟の三男として生まれました。
幼少時代には両親から「ぼくちゃん」といって溺愛されていました。
太平洋戦争中は大久保の小学校時代にあたり、ロシア人クォーターであるため「アイノコ」、「アメリカ人の血が混ざっている」などといわれていじめを受けたようです。
小中学校を通じて成績は芳しくはありませんでした。
小学校6年生当時は幼女を麦畑に誘い込んで、性器に石を突っ込む強制わいせつ事件を起こしました。
そのとき被害幼女の親に対して母親は「お医者さんごっこに目くじらを立てることはない」と大久保を擁護する対応をしました。
中学校を卒業すると、農業を手伝いながら定時制高校通う生活を始めるも、高校はすぐに退学しました。
退学後、板橋の電器店に就職しましたが、近所の銭湯で女風呂を覗き解雇されています。
その後、義理の兄が大久保の後見人となり、電機学校に通学させるようになりました。
しかし学生生活を送るうちに風俗店に通うようになり、そこの従業員とトラブルを起こし、実家に戻りました。
実家に戻った後の大久保
実家に戻った後は、大久保は両親から資金援助を得て、ラジオの修理屋を始めますが、経営もうまくいかず、同業者とのもトラブルもあり閉店します。
1955年には大久保は自分の身分を大学生と偽り、前橋市内で女子高生を強姦する事件をおこしています。
この時はすぐに逮捕され、起訴後の裁判では初犯ということもあり執行猶予付きの判決となります。
それにもかかわらず、12月に再び犯罪に手を染めます。逮捕起訴され、裁判では懲役2年の判決をうけ、初犯時の刑期も合算し3年6月の服役をすることとなりました。
大久保は刑務所内では模範囚として振る舞い満期を6ヶ月残した1959年に仮釈放となりました。
仮釈放から約半年後に自宅で女子大生に対する、強姦事件をおこします。このときは両親に見つかり、未遂に終わり、示談となったことから不起訴処分となります。
1962年には自らの経歴を偽って結婚します。2年後には牛乳販売店の経営を始めます。
ところが翌年に牛乳瓶を盗もうとした少年の親族のもとに出向き2万円を恐喝し、さらに示談書を作成に関してもトラブルになり、恐喝及び恐喝未遂で逮捕されました。
この事件により、懲役1年執行猶予4年の刑をうけることになりました。この裁判を通じて自身の班歴が妻にばれ、牛乳屋も経営が不安定になっていきます。
この事件は、大久保が再び強姦に手を染めるきっかけとなり、1966~1967年にかけて2件の事件を起こし1971年まで服役することになりました。
大久保清が犯人の連続殺人事件
1971年に再び仮出獄した大久保は、最新のスポーツカーを購入しました。この資金は室内装飾品の販売を行うと言って親に融通してもらったものです。
この車がに使用され、大きな役割を果たすこととなります。
1971年3月31日に群馬県内で起こした殺人事件を最初として、逮捕される1ヶ月あまりの間に少なくとも8人を殺害しました。
いずれの手口も出所後に両親から買い与えられた車を使用して、女性を猥褻目的でナンパし、自分の嘘や経歴が明らかになると証拠隠滅のために殺害していまうというものでした。
大久保事件に対する公判と刑の執行まで
大久保は連続殺人事件に関して殺人などの罪で起訴されました。第1回公判は1971年10月に開かれました。罪状認否では「何も言うことはありません。」と答え、起訴事実を全面的に認めました。
公判では犯行動機を明らかにする事に注力されましたが、裁判官を職権乱用で告訴したり、私選弁護人を解任したりして裁判には協力的ではありませんでした。
判決公判時に弁護人を務めていた国選弁護人である町田弁護士は被害者・遺族への謝罪をさせようとすることに固執したため、大久保は最後まで反抗的な態度を取りました。
結局最後まで動機は未解明のまま結審しました。
1973年2月22日の判決公判では大久保に死刑が言い渡されています。大久保自身は地裁判決を受け入れ、死刑判決が確定しました。
同年4月にはそれまで収監されていた前橋刑務所から東京拘置所に移送されました。
拘置所で死刑執行までの間、大久保は「訣別の章 死刑囚・大久保清獄中手記」という手記を出版しています。
1976年に刑が執行されましたが、これは他の死刑囚に比べ死刑確定から3年弱でのスピード執行でした。
小平事件と同じ手口が使われた事件③首都圏連続不審死事件
首都圏専属不審死事件とは木嶋佳苗が起こした金銭目的の連続殺人事件です。今回、ごご紹介している他の事件の犯人は男性ですがこの事件の犯人は女性です。
犯人の木嶋は婚活サイトなどで結婚相手を探している男性などからを結婚をエサに金銭を騙しとり自殺に見せかけて殺害に及んだ事件をいいます。
小平事件、第二小平事件、大久保清事件と同様に結婚願望を逆手に取り、自分の欲望のまま金銭を騙しとって被害者を殺害しています。
存在が邪魔になれば被害者を殺害してしまうという構図では共通点を見つけられる事件といえるでしょう。
木嶋佳苗の生い立ち
木嶋佳苗は北海道で1974年に行政書士の父とピアノ講師の母を両親のもとに生まれました。子どもの頃からピアノを習っておりました。
中学時代には成績がよく、教員にも気に入られていたようです。ただ、この頃から売春を行っていたという噂があり、噂が本当だとしたら、お金のためには手段を選ばない人格垣間見えていたことになります。
また、事件の裁判では中学生の時に他人の預金を勝手に下ろすという詐欺事件を起こしていたことも明らかになっており、子供の頃からお金に対する執着が非常に強いことが伺われます。
高校を卒業すると、木嶋佳苗は上京します。一時、東洋大学に進学するも、中退してしまいます。
その後、ピアノ講師、ホームヘルパー、風俗店勤務などの職についていたようです。
木嶋佳苗の犯罪歴
中学生の時、知人の預金を勝手におろすといった詐欺事件を起こしたことをご紹介しましたが、その後も木嶋犯罪に手を染めています。
24歳の時の化粧品の万引きから始まり、毎年と言っていいほど万引きや窃盗事件を起こしています。
28歳の時はインターネットでオークション関連の詐欺をおこしており、お金に対する遵法意識の崩壊が感じられます。
自分を偽る木嶋佳苗
木嶋佳苗の特徴の一つとして嘘で虚像の自分像をつくり上げるというものがあります。
ネット上のブログでは詐欺で手に入れた金品を用いて、高級マンションに住む姿や高級車を乗り回す姿をアップしたりしていました。
更には「父は東大教授で、自らはピアノ講師、フードコーディネーターである。」とセレブな自分像を作り上げていました。
ついに結婚詐欺の末に殺人事件を起こす
2009年に練炭による一酸化中毒で死亡した41歳男性の遺体が埼玉県ふじみ野市で発見されます。
警察の捜査によりこの男性は東京都千代田区に住む会社員の男性であると判明しました。
自殺と断定するには不自然な点が多かったため警察は被害者の周辺を捜査したところ交友関係から木嶋佳苗が浮かび上がりました。
更に木嶋の捜査を進めると、木嶋は複数の男性と交際しており、中には不審死を遂げていることもわかりました。
埼玉県警は木嶋が結婚詐欺をはたらいていると断定し詐欺容疑で逮捕しました。
この後、複数の男性に対する詐欺などの容疑で計7回の逮捕をされています。2月には70歳男性に対する殺人容疑でついに逮捕されます。
この案件と最初に木嶋佳苗の犯行が明るみになるきっかけとなった東京都千代田区の男性を含めた計3人の殺人容疑でで最終的に起訴されます。
木嶋佳苗の裁判
第1審の初公判は2012年1月5日で約100日にわたって公判が開かれた。すべての起訴内容について併合審理となりました。
木嶋はすべての殺人容疑について否認しましたが、検察は状況証拠の積み重ねによって容疑を立証していきました。求刑どおりの死刑判決を4月13日に言い渡しています。
木嶋はこの判決を不服とし、即日控訴しました。しかし、東京高裁も埼玉地裁の死刑判決を支持し、控訴を棄却しました。
この判決に対しても木嶋は即日、最高裁に上告しました。しかし、上告審でもこれまでの下級審での判決を支持し、上告を棄却、2017年5月9日に死刑が確定しました。
現在木嶋は死刑囚として東京拘置所に収監されています。
木嶋佳苗についての詳しい記事はこちら
小平事件と同じ手口が使われた事件④座間9遺体事件
座間9遺体事件とは、2017年8月22日から10月30日の期間において女性8人、男性1人の計9人が殺害された事件のことです。
犯人は白石隆浩といい、主な動機は金銭・性的暴行目的となっています。
被害者を殺害した後に犯行を隠すために遺体を解体し、一部は遺棄し頭部などはクーラーボックスにいれ自宅に保管していました。
小平事件との共通点は女性の「弱さ」に付け込んで誘い出す点
座間9遺体事件の犯人、白石はSNSを巧みに利用して孤独感を強く感じている女性を誘き出す手口を用いました。
睡眠薬入りの お酒を飲ませ被害者が意識を失ったところで性的暴行を行い、犯行発覚を防ぐために絞殺し遺体の解体に及びます。
これは、小平義雄が終戦をまたいで社会の問題として確かに存在した食糧難や就職難を利用した点と共通点がありあます。
SNSにしか孤独を解消する手段を知らない女性をそのSNSを利用して言葉巧みに誘き出した点といい、女性の弱さや困っている点を巧みに使用したという側面からは共通点が浮かび上がります。
座間9遺体事件に関する記事はこちら
小平事件を題材にした映画も制作されている
小平事件は第2小平事件、座間9遺体事件と一見関係ない事件でも共通点を確認できるという点があります。
人間の欲望を満たす上で社会的に問題になっている点や多くの人が困っている点を巧みに利用し犯行に利用するという点では普遍的なテーマとして考えられます。
そんな事件を代表する小平事件を主題に取り上げた映画を2点ご紹介いたします。
1つめは「続日本暴行暗黒史 暴虐魔」という映画で若松考二が監督としてメガホンを振りました。2つ目は「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」という作品です。石井輝男が監督です。
小平事件が題材なった映画①続日本暴行暗黒史 暴虐魔
木下治演じる丸木戸義雄が連続殺人を起こしながら、被害者の死体を住まいにコレクションしていく話が繰り広げられます。
殺人の手口は絞殺となっていて、小平義雄の手口そのものです。
小平事件が題材なった映画②明治大正昭和 猟奇女犯罪史
実際に起こった猟奇的殺人事件に材ととったオムニバス作品となっています。
取り上げられている事件は「東洋閣事件」、「阿部定事件」、「象徴切り事件」、「高橋お伝」そして「小平事件」となっています。
本作は東映が「70年安保を控えて映画も時代に即応した強度の暴力が受けるはず」いって世に送り出した作品となっています。
メインテーマとして「猟奇と真実を通して、人間の本性を追及する。」という言葉を掲げている。
小平事件は戦後直後に起きた凶悪事件!
小平事件は戦中、戦後の世相を反映した手口を用いた凶悪な犯罪でした。
世相を反映した手口を用いるという意味ではいつの時代でも起こりうる可能性があります。
実際に、小平事件の数年後には「第2小平事件」と呼ばれる事件が生じています。
これは今回ご紹介したとおり、当時の就職難につけこんで被害女性をおびき出すという卑劣な犯行です。
また1970年代には「大久保清殺人事件」という事件が発生しています。
これは、最新のスポーツカーに乗って女性に「絵のモデルにならないか?」という誘い文句などで女性に声をかけ強姦殺人をおこなった事件です。
1970年代は食糧事情は好転し、高度経済成長を享受していた時代です。
食料や就職先よりも「絵のモデルにならないか?」といった言葉が女性の気持ちを惹きつけると言った好例といっていいでしょう。
最近も今回ご紹介した「座間9遺体事件」が発生しています。
犯人の白石はSNSでしか孤独感を埋められない女性の心理を巧みに利用して被害女性にコンタクトをとっています。
実際の白石の供述では自殺願望のある女性が集まるサイトを使用していましたが、本当に自殺願望があると印象を持った女性はほとんどいなかったようです。
多くの女性は自殺願望をほのめかすことで構って欲しかっただけだといっています。
これらの犯人はある意味本質的に社会の問題点や本質を付いているのかもしれません。
その点を悪用する人間はどうしても現れてしまうことが否めません。
我々はこういった社会の弱点をつき、言葉巧みに被害者を誘い出す手口はいつの時代にも存在するんだということを認識する必要があると言えるのではないでしょうか。
木嶋佳苗についての詳しい記事はこちら
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