八鹿高校事件とは?事件の概要や背景・主犯の丸尾良昭の人物像にも迫る

様々な事件で囁かれる陰謀論ですが、八鹿高校事件にももちろんポリティクスな操作があったのではないかという疑いがかけられています。では、この事件が発生することによって益を上げるのは誰なのだろうか。

その答えは、ずばり共産党です。当時の共産党は、全国に広まりつつある平等たれとする同和教育について批判的な目を持っていました。その陰には、解放同盟との間にある厚い壁の存在があります。

八鹿高校事件の裁判においても、共産党の意志介在があったことは、なんと明確であったとわざわざ触れられるほどに周知の事実でした。事件先日からの学校側の対応も、共産党の支持の元ではないかとされています。

八鹿高校事件と丸尾良昭のその後

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政党をも巻き込んだこの大騒動も、判決の小槌の音と共に一旦の幕引きとなりました。しかし、関わった人々、事件を知った人々の心に強いインパクトを与えたことは純然たる真実でしょう。

では、そんな変化を余儀なくされた関係者たちは、事件の終息後どのような道を歩むこととなったのでしょうか。また、意図の有無に関さず渦中となった団体の存続は成ったのでしょうか。

事件の主要登場機関である共産党、八鹿高校、そして必然的に人生を大きく変えることとなった加害者・被害者の両者の先行き、そして世間へ出された一冊の冊子について知っていただきたく思います。

『部落地名総鑑』が発行される

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八鹿高校事件における負の側面である暴力面を取り沙汰し、事件外の人々に強い差別意識を植え付けることが目的かのような衝撃的な書籍が4冊ほど、各出版社から刊行されて世間の注目を浴びました。

中には各企業への購入を促し、人事採用の場における有効資料として推奨している物までありました。事件原因の解放同盟に対する擁護は難しいですが、決してそうした地域に暮らす人々全てが危険な人物ではありません。

中には被差別部落とされてる地域がズラリと列挙されており、書籍を読み感化された人達の批判運動が懸念されました。しかし、幸いにもそういった追い出し活動は起こりませんでした。

八鹿高校事件の入学率は著しく減少

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いくら主犯らが逮捕されたとはいえ、その安寧がいつまでも続くだろうと考えるほど、地域住民の人々は楽観的ではなかったようです。八鹿高校は2つの科に分かれていましたが、悪いことにそこには格差がありました。

普通科の生徒は、今でいう選ばれたエリートであり、職業科は大学にも行けず、高等な教育を受けることが出来ない、未来の閉ざされた負け組とする風潮です。学び舎を共にする仲間とは思えない酷い仕打ちです。

やはり事件発生の影響は大きかったようで、徐々に入学を希望する生徒数は減少していきます。事件から40年以上たった今でも影響は大きく、生徒数は事件当時の1/2にあたる650人ほどに減少しています。

丸尾良昭はNPO法人「部落解放・人権ネット南但地協」代表者に

自らの罪を償い、再び市井に舞い戻った丸尾はある団体を設立します。また、世間から批判を浴びるきっかけとなった人物の籍を許すことができなかったのか、当初所属していた解放同盟からは追放されています。

現在でも、被差別という耐えがたい人権侵害を受ける人々のために訴えを続けている丸尾。次こそは、道を誤らずに正しいやり方で世間の不条理にメスを入れていくだろうことを祈るばかりです。

八鹿高校事件被害者教員が「養父不当捜査事件」で任意聴取

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また、甚大な被害を受けた元八鹿高校の教師陣ですが、その中で警察によるもみ消しや圧をかけるようにして嫌疑をかけられた上、非合理な方法で監視ともとれるような捜査をされている人物がいます。

彼らは時を経て政界入りを目指し、養父市の市議選挙へと名乗りをあげます。しかし、その中で有権者である元八鹿高校生徒へ送った手紙の内容に、かの事件を思い起こさせるような文章を書きました。

それに対して、当時は静観を決め込んでいた警察陣営が素早く飛びつきます。その保身隠蔽に走るような動きに、選挙区民の人々は反発の声を上げます。正常な捜査からはかけ離れたやり口に批判を浴びたのでした。

いまもなお残る差別問題

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差別問題は、何も被差別部落のようにまとまった人々が一斉に被害を受けるケースだけではありません。中には、狭い村社会ゆえに発生する村八分と呼ばれる忌むべき悪習が残る地域も驚くことにあるのです。

2013年に山口県において発生した、Uターンしてきた男性をターゲットとした悲しい差別事件をきっかけとした放火事件は、印象深い犯人の語句もあり、多くの人の記憶に刻まれているのではないでしょうか。

また、過去には村八分にされていた男性が起こした事件もあります。被害者はまだ13歳にも関わらず、村八分にされていた加害男性に差別意識を持っていたのでした。事件については以下の記事で詳しく紹介しています。

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