八鹿高校事件とは?事件の概要や背景・主犯の丸尾良昭の人物像にも迫る

裁判中にもなかなか目を見張る展開があり、なんと被告たちの中には、搬送された怪我人の治療事実や証言があるというのにも関わらず、野蛮行為は事実無根であると不可解な証言をする者もいたのです。

八鹿高校事件裁判①一審で有罪判決

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第一審では、どちらが悪いもない、両者が加害者であり去る学校側が生徒をないがしろにし差別撤廃を遠のけたていた、という意見も見られましたが、結果的には起訴された全員に有罪判決が下されています。

判決の争点はやはり、老若男女問わずただ勤めていたというだけの相手に対し、あまりにも非道が過ぎる仕打ちであったことが核でした。また、暴行を受けた諸君らの中には、骨折や意識不明になった人もいました。

解放同盟と謀り、悲しい事にクリアな人間などいないということなのか、八鹿高校解放研ら生徒たちにおいても、朝鮮出身の教師に対して蔑称で呼ぶなど、どっちらけな事実もありました。

八鹿高校事件裁判②控訴審で有罪

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法の下での罪人となり、事件の有罪判決により悪行を償うこととなった解放同盟の実行犯たちは、当然判決が不服として控訴しました。しかし、そこで下された判決も一審と同じものでした。

また、判決が覆らなかったり罪状が軽くならなかった理由としては、やはりいくら正義をかざしても取った手段は悪そのものだったからです。しかし、一審よりも詳細な判決に関する理由が裁判所から提示されました。

それは、差別行為自体は憲法に反するものであり、人類が平等に暮らす権利侵害を象徴するものという内容でした。事件最中においては疾く感情を制御しきれなかった被告らですが、主張に誤り無しという事でしょう。

主犯の丸尾良昭に懲役3年、執行猶予4年の判決

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道を誤り、正義の名を汚してしまった解放同盟。その中でも、主犯とされる男性には最も重い実刑判決が下されました。その主犯の男は八鹿高校事件において、差別へいざ立ち向かわんと一番に鬨を上げたのです。

しかし、力ある者として同じ被差別部落の人々の奮起を促した丸尾には、様々な影が付きまとっていました。それは、自分が被差別地域の出身であることを笠に着て、自分のわがままを通しているというものでした。

この、悪習の餌食となった丸尾については、人柄や周囲との衝突などまで掘り下げ、事件前まで遡り詳しく紹介します。かくして、主犯以下被告人らには、1~3年の実刑と執行猶予が付けられたのでした。

損害賠償請求では丸尾良昭らに約3000万の請求

かかる裁判で罪の重さを決定付けたのは、やはり疑問視されている教師たちへの加害、そこへ持ってきて過剰な力で押さえつけたことが一番の問題点であることには違いなく、事件が与えた損害は絶大です。

罪が発生すれば、付随して罰が与えられるのが摂理。もちろん事件の犠牲者からは償いを求める争いの場が民事によって設けられ、神戸地裁の判決によって、加害者団体に対して3,000万円の支払いが決定されました。

八鹿高校事件の背景①部落解放運動の気運が高まる

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傷ましい犠牲者を出しながら、現代にまで残る軋轢を刻んだ八鹿高校事件。しかし、片方の熾烈な騒ぎ立てのみで斯様な大規模事件に発展するでしょうか。もちろん、その背景には両者の諍いがありました。

自らの地位を明徴にせんと集い、革命ともいえる運動を起こした壮烈な人々の拠点となる団体が作られ、また、幸か不幸か、同士たちの不当な扱いを如何せんと生徒が立ち上がった部落研の出現も同時期です。

生徒諸君を清く正しいとされる正道へ導き、友らと青春を語らう場であるはずの学舎が、大規模抗争すら予見されるような暴力による主張と肝とした八鹿高校事件の舞台となってしまったきっかけでもあります。

但馬地方で部落解放同盟支部が結成

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事件発生の追い風にもなった、差別解消を目的とする団体の発足も同時期であり、世間はそうした向かい風を受ける人々よ奮起せよと言った空気感に満ち満ちていました。八鹿高校があった関西地域では特に顕著でした。

しかし、新しい空気を通すことにアレルギー的反発を起こす保守派の人々も多く、素直に平等を賛美できる「歓迎ムード」とはいきませんでした。そうした行動をバッシングする勢力もあり、両者は対立を深めます。

八鹿高校事件の近くでYH結婚差別事件が発生

 

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かくして、弱き立場であった人々の怒りを決定付けた、関連した事件で人死ににまで発展するある大事件が発生してしまいます。部落問題を語る上でしばしば登場する両者間での結婚の可否問題を基盤とする事件です。

これは、望まずとも被差別部落に生まれ育った女性と、他地域に暮らす県内で高い地位を持つ父親に育てられた由緒あるとされる男性の間での結婚が、それぞれの生まれを理由としてあきらめるよう諭された事件です。

父親が放った「差別撤廃は建前」とも取れるデリケートな発言が非常に問題視されました。この結婚差別事件と時期と理由を同じくして、愛する2人が引き裂かれ、悲恋を理由に飛び出した娘が死亡する事件も起きました。

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