警察は『おまえがやった。』、『否認を続ければ死刑になるぞ。』というような暴言を発し、心理的強制、精神的圧迫をし虚偽の自白を誘発する取調べを次々と行っていきます。
取調べを行った警察官は、法廷での証言でそうした取調べを完全に否定していました。また、同僚の警察官もそれに合う証言をしました。
しかし、裁判所の勧告によって警察側の証拠開示が行われます。その結果、
法廷での警察官の証言内容と矛盾している箇所があると明らかになっていきます。取調べの警察官の証言は虚偽の供述であるとし、同僚の証言に対しても口裏合わせをしていたという疑いが濃厚であると判断されました。Contents
東住吉事件の報道の裏に隠された性的虐待!
警察による自白の強要があったことや弁護団の現場実験等をふまえると東住吉事件は確かに冤罪事件であったようにも思えます。しかし、この東住吉事件の裏では報道されていない事実やこれらのことだけでは判断できない真相もあるのです。
東住吉事件と性的虐待①長女の膣から精液が発見
東住吉事件が発生し、容疑者となった青木恵子と朴龍晧は逮捕されます。その後、長女の司法解剖が行われました。司法解剖の結果、死亡した長女の膣内に朴龍晧の大量の精子が詰まっていたことが判明します。朴龍晧は事件発生の2日後に髪の毛を採取されていました。
東住吉事件と性的虐待②朴龍晧が性的虐待を認めた
朴龍晧は2006年01月に支援者らに宛て、拘置所から一通の手紙を出しています。自らの無罪の主張と共にこう記されていました。『10年以上経っても、火災から子供を救えずに死なせてしまった重い自責の念と自分自身が性的虐待をしたという事実の重い自責の念とが心に取り憑いて離れず、心が裂ける程、激しく締め付けられます。』
このように、朴龍晧自身も長女への性的虐待があったと事実を認めています。性的虐待があったというのは紛れもない事実なのです。朴龍晧は長女に対して日常から性的虐待を繰り返していたとみられています。
東住吉事件と性的虐待③母親の青木恵子は知らなかった
東住吉事件が発生するまで母親である青木恵子は、朴龍晧による長女への性的虐待に関しては知りませんでした。青木恵子は刑務所から支援団体にむけて手紙で、警察から『死亡した長女の膣内から、朴龍晧の精液が見つかった。』と言われ信じるしかなかったと状況を打ち明けています。
東住吉事件についてネットでは疑惑の声も
この東住吉事件は事故によるもので冤罪事件だったのでしょうか。東住吉事件は本当に無罪・無実だったのでしょうか。
東住吉事件の発生当時、朴龍晧の性的虐待などこの事件では報道されてない事実も多くありネットでは、真相について疑惑の声があがっていました。では、東住吉事件の報道されていない事実とは、真相とはどういったものがあるのか見ていきます。
東住吉事件への疑惑①家計が厳しいのにマンションを購入
時をさかのぼり東住吉事件が発生する以前の状況をみていきます。1994年03月頃に青木惠子と朴龍晧は家賃の安いマンションへと引っ越すのですが、そのマンションが気に入りませんでした。
1995年01月10日頃、2人は新築マンションの販売センターに赴き物件を見学します。同年01月に4,050万円のマンションを仮契約を結び、頭金10万円を支払います。マンションの本契約のためには、同年09月までに170万円が必要でした。
東住吉事件への疑惑②直近に2人の子供への高額保険金
この東住吉事件発生の数年前に長男と長女には高額な生命保険の契約がされています。東住吉事件が起こる3年前の1992年11月に長女が被保険者、母親の青木惠子と内縁の夫の朴龍晧を受取人とする災害死亡保険金1,500万円の保険契約を締結し、さらに1995年03月に長男が被保険者、母親の青木惠子と内縁の夫の朴龍晧を受取人とする災害死亡保険金2,000万円の保険契約を締結していました。
東住吉事件への疑惑③カードローン400万円の借金
青木惠子と朴龍晧の2人には東住吉事件発生の3か月前の家計は収入より支出が多い赤字でした。
400万円もの負債がありました。借金の返済に追われ家計状況が厳しいにもかかわらず、2人の小学生のこどもに高額な保険金をかけ、さらにはマンションの購入を検討するなど、東住吉事件のその後と無罪の2人の現在
小学6年生の女児が住宅火災で死亡した東住吉事件によって容疑をかけられ、無期懲役の有罪判決が確定し服役していた青木恵子と朴龍晧は2015年10月26日に20年ぶりに釈放されました。そして、2016年8月10日にようやく無罪が確定し東住吉事件での容疑が潔白と証明された、そんな2人は現在どうしているのでしょうか。
東住吉事件のその後①2016年に約20年ぶりに釈放
事件は1995年07月22日に起こりました。容疑者となった朴龍晧は1999年03月に裁判により無期懲役の有罪判決を言い渡されると2006年11月に確定します。青木惠子も同様に、裁判で1999年05月に無期懲役の有罪判決を言い渡され、2006年12月に確定しました。
2015年10月26日に釈放されるまで2人が起訴されてから20年にもなりました。ここでようやく2人の服役生活が終わります。2016年08月10日にはやっと無罪判決が確定します。
東住吉事件のその後②長男との再会、めぐみさんの墓参りへ
青木恵子と朴龍晧は、刑の執行停止によって20年ぶりに釈放されます。生き残った当時8歳だった長男もその時には29歳になっており、この釈放を機にやっと再会することになります。とてつもなく長い期間を経ての再会となりました。
釈放された翌日の10月27日に青木恵子は長男と一緒に長女のお墓参りに行っています。東住吉事件が発生してから四十九日の法事をすませ御遺灰をお寺に預けるとすぐに逮捕・起訴されてしまっていた為に長女のお墓参りは初めてでした。
東住吉事件のその後③青木恵子は現在一人暮らし?
釈放後に婚姻関係にはなっかたとはいえ、苦悩を分かち合った青木恵子と朴龍晧が対面することは普通のことです。しかし、それは実現しませんでした。刑の執行停止と同時に、青木恵子と朴龍晧は居住地を指定された他にいくつかの条件(海外渡航の禁止・逃げ隠れの禁止・証拠隠滅行為を禁ずるというもの)が付けられていました。しかし、それは2人の対面を妨げるというものではなく、2人の弁護士が同席すれできることでした。
青木恵子は朴龍晧の長女に対して性的虐待があったという事実が頭から離れることがなく、朴龍晧と対面しようという気が起こらなかったのです。
青木恵子は釈放された時、周りの人から『苦労したんだから幸せになってね。』と言われました。でも、『私には日々の小さな幸せはあっても、大きな幸せはもうなく、求めてもいない。
自分だけ幸せになるのは罪悪感があるし、もう結婚もしない。』と言っており、必要最小限の家具を除きあまり家電製品もない、そんな部屋で一人で暮らしていました。
東住吉事件のその後④朴龍晧はすでに社会復帰か?
青木恵子は東住吉事件で国賠訴訟をすることを決めました。朴龍晧は逮捕される以前は電気工事士をしていました。釈放後、『21年間の技術進歩で何もわからなくなっているが一から勉強して仕事に就きたい。』と語り、社会復帰への意気込みをみせていました。
東住吉事件について現在も疑惑の声が絶えない
東住吉事件の内容をみれば、無罪かつ冤罪であったように感じれます。ですが、この東住吉事件は事故なんかではなく殺人事件だったと思っている人が少なくないこともまた事実なのです。 警察による自白の強要もありましたが、東住吉事件にはそれを除いたとしても不自然な点や疑わしい部分が多くあります。
東住吉事件への声①限りなく怪しい
東住吉事件には怪しいと思われる点がいくつかあります。では2人の金銭的な部分を時系列に沿ってみていきます。
1992年11月に長女の保険を契約、1995年1月には400万円もの借金があったにもかかわらずマンションを仮契約し、1995年3月に長男の保険を契約します。
そして
1995年7月22日、東住吉事件の火災は奇妙なことに朴龍晧が長女を性的虐待した後に発生したということになっています。
1995年8月22日には保険金の支払いを請求しています。後の1995年9月にはマンションの本契約に170万円が必要でした。
このようにしてみると怪しくみえてきます。
東住吉事件への声②不審な点が多い
火災発生時にいくら火の手が勢いよく回っていたにしても、家の中にいた青木恵子と朴龍晧と長男は無事に避難が出来ていることを考えると、長女だけが逃げれなかったのはとても不自然なことです。長女は寝ていたわけでもなく入浴中だっただけなのにです。
自然発火に対しては、事件発生当時の1995年7月22日の大阪の天候は雨で、しかも最高気温が26.5度しかありませんでした。夏場にしてはあまり暑くない気温です。弁護団による検証は、この天候の事を果たして条件に入れていたのでしょうか。
このように、この東住吉事件では矛盾や不審な点が多くあります。
東住吉事件への声③証拠がないなら罰はない
自白は警察によって強要された部分が多く、不自然で整合が取れない箇所が数多く見つかりました。犯行に関しては弁護団や検察の実験の結果からも、自白通りの犯行の実現は不可能であり、火災は自然発火した可能性が高いということで証拠とはなりませんでした。
さらには
犯行に使用したとされる手動ポンプや放火に使用したライターなどは発見されておらず、青木恵子と朴龍晧が犯行に及んだとする物的な証拠もありませんでした。
しかし、犯行に使用されたポンプやライターなどはいくらでも隠すことができ、捨ててしまえば二度と見つからないし、燃えたのを鑑識が発見しそこねた可能性もあります。このように、真相は明らかではないように思えます。
東住吉事件の裏 朴龍晧の性的虐待の罪は
東住吉事件に関しては、裁判結果からも無実であるというになりました。ですが、長女に対して行われていた朴龍晧の性的虐待は許されて良いことなのでしょうか。
東住吉事件の裏①性的虐待に対して裁かれない
朴龍晧が長女に対して行っていた性的虐待は、朴龍晧本人も認めている間違いなく事実であったにもかかわらず、報道では一切触れられていないのです。性的虐待という事実を知った人からは、このことに関してちゃんと裁かれるべきという声もあります。
しかし、性的虐待に対して裁かれることはありませんでした。
東住吉事件の裏①性的虐待
に対して
時効が成立
そもそも、朴龍晧の
性的虐待については時効が成立していて裁けなかったのです。東住吉事件の裁判は、20年という長き時間を要しました。その間に性的虐待については時効が成立してしまったというわけなのです。時効が成立しているから、事実を認めたという意見もあります。
このような出来事が本当の真相と関係があるのでしょうか。
東住吉事件が終幕 東住吉事件と賠償請求
東住吉事件の裁判も終わり青木恵子は釈放まで20年という長きにわたって自由を奪われたことに対して、警察、検察、裁判所は謝罪すべきであるとし、国などに1億4000万円余りの賠償を請求することを決めます。
しかし、いずれにせよ、失われた時間を取り戻すことはできません。
東住吉事件が終幕①国家賠償請求訴訟
国家賠償請求訴訟とは、無罪が確定すれば国が不当に身柄を拘束したことに対して補償金の支払いを求めることができる制度です。この制度では服役日数などに応じて1日当たり1000円~1万2500円を支払うことが法律で定められています。
東住吉事件は無罪が確定し冤罪事件となりました。青木恵子
の場合、上限額が適用されれば9100万円余りが補償されるとみられました。その後、青木恵子と朴龍晧の
それぞれに9190万円の補償金が支払われることが大阪地裁で決定しました。
東住吉事件が終幕②車のメーカー ホンダへ賠償請求
国家賠償請求訴訟に続き青木恵子は、東住吉事件での火災の発生原因は車のガソリン漏れにあるとして車のメーカーであったホンダに対し、約5200万円の損害賠償を請求しました。大阪地裁は除斥期間という制度を用いて青木恵子の訴えを退ける判決を下しました。
除斥期間は20年が過ぎると請求権がなくなるという制度です。これに対し青木恵子は東住吉事件によって20年以上請求できない状態に置かれていたとして、除斥期間の仕様を免除するよう訴えかけます。
ですが、除斥期間を用いないのは加害者であるホンダが被害者となる青木恵子の権利行使を意図的に妨害したなどの理由が認められる場合と条件が限られています。よって青木恵子の場合ではそこまでの事情は認められないとして、大阪地裁は除斥期間を用いて訴えを退ける判決をするのでした。
無罪を勝ち取った内縁夫婦、東住吉事件の真相は不明
いかがでしたでしょうか。この様に東住吉事件では無期懲役という有罪判決を下されてしまいますが、20年という長い年月を経て青木恵子と朴龍晧は
無罪判決を勝ち取ります。壮絶な冤罪事件に見えますが、東住吉事件の裏には報道されてない事実や真相が多くみられ、本当の真相については考えさせられる部分があります。果たして、東住吉事件は冤罪事件だったのかそれともこれらとは別の本当の真相があるのか。
事件から長年経ってしまった今では、東住吉事件の真相は闇の中でもう明かされることはないのでしょうか。
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