下関通り魔殺人事件とは?上部康明の生い立ちやその後、犯行動機も紹介

車を降りた上部康明!文化包丁を振り回し8人を切りつける

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車を降りた上部康明が手に取って物は包丁でした。刃渡り18センチにも及ぶ文化包丁を出した彼は、車を降りると駅のホームに向かっていったといわれています。

そのホームに向かう間に一人包丁による犠牲者が出ます。振りまわりながら駅のホームに向かう上部康明ですが、ホームに到着するとそこでも凶行に及びます。

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通り魔的犯行に及び、ホームを行く人7人を切り付けて回るのです。駅構内に犯人が突入して、まだ数分の出来事だったそうですが、この時点ですでに15人の被害者が生まれており、ことの大きさが分かります。

ホームで現行犯逮捕され下関通り魔殺人事件は幕を閉じた

駅ホームで包丁を握り振り回す彼に、当然警察も動きます。犯人の凶行を目撃した人からの通報で、警察が現場まで訪れてくれたのです。

そうして、犯人上部康明は警察の手によって現行犯逮捕で駅ホームで捕まえられることとなります。下関通り魔殺人事件は不審車が突入して、わずか5分間の出来事でした。

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最終的な被害者は、死亡者5人と重軽傷者10人というひどい形で幕を閉じることとなります。当時、駅にいる人はもちろんこの殺人を聴いた人達にとっても大変衝撃的な通り魔殺人事件となりました。

下関通り魔殺人事件の犯人・上部康明の生い立ち

凄惨な結果となった今回の下関通り魔殺人事件。これを起こした上部康明という犯人ですが、どうやら調べを進める中で彼の境遇や生い立ちが今回の事件と関わっていること判明しました。

両親共に教師の家庭!進学校へ通っていた上部康明

彼の生い立ちについて調べていくと、彼の起こした下関通り魔殺人事件のより詳細が見えてきます。彼の両親は教師であり、その二人の子として生まれてきました。また、妹も一人いたようです。

生まれは1964年、下関市の豊浦町というとこで生を受け、その後地元高校までを同市内で過ごしていきます。地元高校は、その地域でも特に高い神学校といわれており、彼はその中でも学年トップクラスだったそうです。

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また、高校卒業後は一浪を経て大学へ進学をし、九州大学工学部建築学科に進むことになります。

後の調べでは彼は高校までは勉強に明け暮れていたために、進学と同時に思い切って遊ぼうと考えていたそうです。

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彼が思い描くような大学生活は送れませんでした。というのも、彼は今回の下関通り魔殺人事件の直接的な原因ともいえる「対人恐怖症」を患っていたのです。

これにより、大学に入学して以降は、みんなが自分のことを嫌っている・避けているという感覚を感じるようになり、うまく人と接することができず暮らしていくこととなってしまいます。

国立大学を卒業するも対人恐怖症が理由で入院

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そんな病気に侵されながらも、彼は苦しみながら生活は続けていきます。この病気にさいなまれてすぐに下関通り魔殺人事件が発生したわけではないのです。

彼は病気におびえながらも、何とか大学を卒業に至りました。しかし、その後の生活は順調いえるものではありませんでした。彼はこの病気が原因で人間が嫌いになり、就職をしなかったのです。

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そして、就職ができなかったその姿を見た両親は1987年、彼をとうとう病院に入れることにするのでした。森田療法と呼ばれる当時では最先端を行く日本人が考案した精神医療で治療を考えたのです。

この治療法は、海外の物とは違って不安を解消させるというものではなく、不安を乗り越えさせるという方法だそうです。

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そうした一連の治療により、一時期は入院も行われ、専門的な医療行為が行われることとなりました。しかし病気の完治には至らなかったといわれています。

そうして、完治が行われないながらも、彼も仕事を見つけ前に進もうとします。彼も就職し働くようになっていくのです。しかし、対人恐怖症による症状は彼の生活を苦しめるものでした。

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そうして、いくつかの転職を繰り返す彼ですが、やっと安心して働くことのできる仕事場を発見します。それが福岡市内にあった設計事務所でした。ここは、所長と自分の二人だけの職場。

病気の症状も緩和され人間関係に大きく悩む問題もなく働ける環境が整っていたのです。この時には、症状も落ち着いてかなり安定した生活を行えていたと言います。

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