【小林カウ】戦後初の女性死刑囚の生い立ちやホテル日本閣殺人事件の概要、名言も

小林カウは戦後初の女性死刑囚です。彼女が引き起こした「ホテル日本閣殺人事件」は日本の犯罪史に残る事件として今でも語り継がれています。今回の記事では、小林カウの生い立ちや「ホテル日本閣殺人事件」の詳細、最期に残した名言などをご紹介しています。金と男が好きだった女性の生涯とは?

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読みやすい記事を心がけています。2人の男子を育てるシングルマザーです。

戦後初の女性死刑囚「小林カウ」

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物資の少ない厳しい時代を自身の手で開拓していき、敏腕女社長として資産を築き上げていきます。同時に男にも情を注ぎ、お金と男に一生を捧げたのでした。

戦争が終わり明るい日差しが注がれつつあった日本の初となる女死刑囚として名を残しました。自分が生きていくため人を殺めるしかなかった彼女の劣悪な環境は死で償うしかなかったのです。

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今の時代とは異なり、今日一日生きていくために誰もが必死だった貧しい時代を、逞しく活躍する反面違う意味で活躍してしまった彼女の人生を振り返りたいと思います。

小林カウはホテル日本閣殺人事件を起こした女性

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栃木県にあったホテル経営者夫婦の命を自分の夢の為に、いとも簡単に絶ち、事件名ともなった騒動です。のちに2人だけでなく彼女の伴侶であった夫も、殺害していたことが発覚したという一連トラブルが概説となります。

ただ人の命を絶っただけで注目されたのではなく、彼女がずっと女であり続けた姿が世に語り継がれていました。結婚し母となった彼女は、母性よりも女を武器として生き抜くことを選んだのです。

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欲望だけでは語れない現世とは異なった時代の背景もあり、女が社会に出て稼ぐことの難しさ故の悲しい波乱に満ちた悪女の半生を辿ります。

昭和の毒婦と呼ばれた小林カウの生い立ち

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歴史に名を潜めた女死刑囚は一体どんな環境で育ったのでしょうか?みんなが一日生きていくのにも必死だった時代でした。その中で逞しく自立をしてパワフルにお金稼ぎをしていきます。

戦争が終わり枯れ地となっていた日本で、男を操りステップアップしていった方法は、自身が考えついた生き抜く術だったのかもしれません。悪女のストーリーを順番に追っていきましょう。

小林カウは埼玉の貧しい農村で生まれ育った

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1908年に現在の埼玉県熊谷市に生誕します。農家の子として7人兄弟の5番目として育ちました。貧しい家庭だったため小学校は4年までしか通えず、5年間ほど下の妹や弟の世話をするため家の中を手伝います。

気が強くて怒りっぽい性格で、道徳心のなさを当時の担任からは指摘されています。幼少期からカッとなりやすい性分であったようです。貧しい生活の中でいつしか都会の生活にあこがれていた彼女は、少しづつお金を貯めていき16歳になると東京の旅館へ勤めに出ます。

姉の勧めで林秀之助と結婚するも不満でいっぱい

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22歳で結婚をします。夫は熊谷市内で自転車屋を経営していましたが戦争になり、夫も戦場へ向かいます。無事に帰還した夫でしたが、いくつも持病を抱えていたため床につきがちで、彼女が店の切り盛りをします。

自転車専門店だけでは食べていけず、悩んだ彼女は雑貨屋として当時貴重品だった砂糖や米を秘密に販売し生計を立てます。発覚すれば罪人になってしまうスレスレの商人をしたのです。ひ弱な夫を支えていく生活は決して楽とも言えず、疲れた体に鞭打って働く毎日に不満は募る一方でした。

イケメン好きだった?

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結婚自体に気が進まなかったといわれています。夫は背が160㎝よりも低く、体も弱いため顔色が青白かったのです。好意を抱いていない相手との結婚ですから、幸せと感じた日はなかったようです。

姉からの勧めだったため断るわけにもいかず、乗る気でなかった結婚生活は最初から不満ばかりだったのでした。

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