千葉祐太郎死刑囚の生い立ちから現在まで!石巻3人殺傷事件の犯人に迫る

自分の罪を共犯の少年に被せるかのように隠ぺい工作をしていたようです。この行為は身勝手さを示すとして裁判でも焦点となりました。

千葉祐太郎の事件後は?裁判での様子は?

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石巻3人殺傷事件の裁判では、千葉祐太郎が少年であることや彼の決して幸せとは言い難い生い立ちが争点となりました。最高裁までもつれた裁判はどのように進んでいったのでしょうか。

争点となったのは「年齢」「殺意の有無」「刑の重さ」

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この裁判では、犯行当時殺意があったかどうか、3名殺傷という被害の甚大さに見合う刑の重さ、そして被告・千葉祐太郎が未成年で少年犯罪という点が争われるポイントとなりました。

家庭の事情があれど更生の余地がないとされた

千葉祐太郎の生い立ちや家庭環境も裁判で赤裸々に明かされます。事件の一因とも判断されましたが、それを踏まえてもなお、今回起こした事件の被害の甚大さや残虐性は許し難く、千葉の今後の更生は望めないものと判断されました。

事件中の記憶がないと語った千葉祐太郎

犯行について、後にあって千葉祐太郎は驚くべきことを口にしています。何とその時は頭が真っ白になって記憶がなく、殺害当時の詳細な記憶が欠如していると話したのです。

このことについて、専門家の見解では「解離性障害」という自分の体から自分が抜け落ちてしまったような状態であったと推察されるといいます。虐待等を受けた人が発症しやすいともいわれており、千葉の生い立ちとも一致するという見方もあるようです。

千葉祐太郎への判決①第1審「死刑」

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事件から数か月経った2010年11月、いよいよ公判が始まりました。裁判員裁判の形でした。そして2週間ほどの審議の後、同月25日、検察の求刑した通り死刑判決となりました。

被害者や遺族に対する反省の言葉を口にしており、被告である千葉祐太郎は「今後同じようなことが起きないように厳罰にしてください」と述べたといい、死んで償いたいという気持ちがあったといいます。

そのため千葉は裁判を続けることをあまり望んでいなかったようですが、弁護側が被告が18歳とまだ若く更生の余地があることや生い立ちに考慮すべき点があること、非常に短期間で結論が出されたこと等を理由に控訴します。

千葉祐太郎への判決②第2審「死刑」

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2011年11月、第一審から1年後に仙台高等裁判所にて第二審が始まります。2014年1月、第一審の死刑判決を支持する形で控訴を退けました。

弁護側は結果のみで判断がされており、またその事実認定も偏っている主張します。そして、少年の生い立ちや犯行当時18歳だったという点が考慮されていないとして、即日最高裁へ上告します。

千葉祐太郎への判決③最高裁「死刑」

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上告から2年ほど経った2016年4月、最高裁判所にて公判が開かれました。弁護側は精神状態の審理が足りていないこと等を主張しますが、同年6月、上告を棄却する判断が下されます。そして、千葉祐太郎は極刑に処されることとなりました。

千葉祐太郎は平成生まれ初の少年死刑囚になった

こうして石巻3人殺傷事件の裁判は幕を閉じました。千葉祐太郎は平成生まれとして最初の少年死刑囚となりました。これまでにも少年犯罪での死刑判決は出ていましたが、平成生まれでは初めてだったことから大々的に報道されました。

千葉祐太郎の背景①虐待と暴力

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残忍な事件を引き起こした千葉祐太郎ですが、その生い立ちには不幸な出来事が多く積み重なっていました。両親が離婚した後、母親に引き取られた千葉は母親から心無い虐待を受けるようになります。

母親は、千葉にしつけの域を超えた暴力をふるったり、首輪に繋いで放置したり、食事を与えないといったネグレクト(育児放棄)を日常的に行っていました。千葉の暴力性・粗暴な性格はどのように形成されてしまったのでしょうか。

千葉祐太郎は「ビンタは3発目からが暴力」という生活を送っていた

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日常的に暴力と隣り合わせの生活を送っていた千葉祐太郎は、次第にそれが普通のことだと受け止めるようになります。虐待や暴力を受け続けると感覚が麻痺してしまい、抵抗したり悪いことだと認識する能力が低下してしまうといいます。

千葉はまさにそのような状態に陥っており、「ビンタも2発目までは暴力とはいわない」と周りから吹き込まれたことを真実だと思うようになっていたのです。

千葉祐太郎は交際相手への暴力を暴力と認識していなかった?

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自らが暴力や虐待を受け続けた生い立ちを経て、同時に母親が交際相手から暴力を受け続けるのを見て育った千葉祐太郎は、自らも暴力を振るうことが当たり前という性格になってしまいました。

そのため、自分の彼女に暴力を振るったり、暴力で言うことを聞かせることに対して罪悪感が全くなく、むしろそれが彼女に対する正しい接し方だと思っていた可能性があります。暴力を暴力と認識していなかったのです。

こういった善悪の区別や振る舞い方は生い立ちが大きく影響を与えます。周りにいる大人の価値観や言動が正しいと思ってしまうのです。千葉祐太郎が暴力で物事を解決しようとする姿勢は彼の生い立ちが形作ったといっても過言ではないと思われます。

千葉祐太郎は自らを「かわいそう」とは思っていないとのこと

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しかし、恵まれない生い立ちを送った千葉祐太郎ですが、自らを「かわいそう」とは思っておらず、逆に暴力のおかげで強くなれたとも語っているようです。むしろ、「かわいそうな生い立ちの子」というレッテルを貼られることに嫌気がさしていたともいいます。

獄中にて自身の生い立ちを絵であらわした

収監された後、自らの生い立ちを振り返り、それを絵で表現しています。絵の中では、幸せそうな家族の様子から、酒瓶の中に倒れている人を見つめている姿など、千葉祐太郎自身の生い立ちを現しているような絵も描かれています。

また、絵には、少年の助けを求めて流した涙が、愛娘や家族の愛情で温かい涙が溢れた、といった文章が添えられています。今後の自分は「死」か「贖罪」かとも書かれており、最高裁判決が出るまでの揺れ動く気持ちを現しているかのようです。

虐待経験がその後の人生に与える影響とは?

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ここで、千葉祐太郎も被害にあっていた虐待について取り上げてみたいと思います。今般、ニュースでも児童虐待や虐待による死亡事件が連日のように報道されています。

虐待を受けた子ども達は多かれ少なかれ、身体的・精神的なダメージを抱えることになります。そういったダメージがその後の彼らの人生にどのような影響を与えるのでしょうか。

NEXT 虐待件数は年々増加している