そんな中、元交際相手は警察に何度も相談へ訪れています。そして、彼女から相談から相談を受けた石巻署は、千葉祐太郎に対し接近を禁止するよう警告も出していたのです。
元交際相手の姉は仲介に入り恨みを買ってしまう
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元交際相手の彼女には姉がいました。姉は妹のことをとても心配し、千葉祐太郎に何度も忠告をし妹を放っておくよう伝えています。千葉が実家に姿を見せたときも、妹に会わせないよう必死に守っていました。
そんな彼女の姉に対して、千葉は「姉が妨害するから彼女に会えないんだ」と姉を逆恨みするようになります。事件前にも姉への恨みを口にしていたようです。
千葉祐太郎と少女の間には娘が生まれていた
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元交際相手と千葉祐太郎の間には娘がいます。交際時に出来た子どもで、事件当時の娘はまだ生後4ヶ月の赤ん坊でした。千葉は元交際相手のみならず、生まれた娘にも執着していたようです。
死刑判決後に娘の成長を気にかける発言をしている
死刑が確定した後、千葉祐太郎は自分の起こした事件で娘を大変な立場にしてしまったと心配していたといいます。また、娘は自分と母親である元交際相手とどちらに似だろうといった話もしているようで、娘の成長を気にかける発言もしています。
千葉祐太郎との駆け落ち時には互いに依存関係にあった?
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元交際相手の妊娠が分かった後、周囲は出産に反対しました。しかし、生みたい気持ちが強かった二人は周囲の反対を押し切り東京へ駆け落ちします。しかし、お金がない二人がコインランドリーで寝泊まりしているところを警察に補導されてしまいました。
一時のこととはいえ彼女は全てを捨てて千葉祐太郎を選んだのです。そういう点では、当時、千葉と彼女の間には、周りからは理解し難い依存関係があったのかもしれません。また「この相手しかいない」という千葉の思い込みが凶行を引き起こした一因とも考えられます。
千葉祐太郎の元交際相手は警察にDVを相談していた
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元交際相手は身の危険を感じ、DVのことを石巻署に相談していました。その回数は10回以上にのぼります。石巻署も彼女からの相談を受け、千葉に接近を禁じる警告を出しています。しかし、その効果も発揮されず、残忍な犯行が起きてしまったのです。
Contents
千葉祐太郎の背景③共犯者との関係
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千葉祐太郎が事件を起こした際、その犯行を手伝った共犯の17歳の少年がいました。その少年は日頃から、言うことを聞かないと酷い目に遭わせるといった脅迫を受けていたようです。実際にどのような関係性であったのかみてみましょう。
千葉祐太郎は共犯者の少年を子分のように脅していた
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千葉祐太郎はこの共犯の少年を子分扱いしていたといいます。少年が言うことを聞かなかったり、拒絶したりすると「お前の家族がどうなってもいいのか」「やらなければお前も殺す」等と言い、自分の言うことを無理やり聞かせていたようです。
人生で一番つらい時期だったと語る
後に、この共犯の少年は「千葉に脅されていた時期が人生の一番つらい時期だった」と語っています。逮捕時にもすぐに自供しており、少年が本当は加担したくなかったという気持ちがうかがえます。
千葉祐太郎の共犯者は実行犯役を拒否していた
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千葉祐太郎に脅され続けていた共犯の少年ですが、事件当時、千葉から殺害を実行するよう命じられていたといいます。しかし、そんなことはできないと拒否し、事件当時は、被害者が逃げられないように見張り役をしていたようです。
また、事件後、千葉祐太郎によって凶器に指紋をつけさせられたり、被害者の返り血がついた千葉が着用していた服を着させられたりと、千葉から殺害の罪をなすりつけられそうになっていました。
逮捕時、千葉祐太郎は「(共犯の)少年が刺した。俺はやっていない」と供述したと言います。こういった隠ぺい工作が、後の裁判にて千葉の身勝手さや悪質性がうかがえるとして、千葉の量刑にも関わった点でした。
共犯者への判決は懲役3年以上6年以下の不定期刑
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共犯の少年は「脅されていたとはいえ、犯行を止める機会や犯行から逃げ出せる機会はあった」として、殺人ほう助罪による懲役3年以上6年以下の不定期刑に処されました。主犯の千葉祐太郎が死刑判決に対して、共犯の少年には非常に寛大ともいえる判決が下されたことになります。
千葉祐太郎の現在は?どこに収監されている?
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2016年6月に最高裁が出した判決により、千葉祐太郎の死刑は確定しました。今後、この判決が覆ることはありません。そんな千葉祐太郎は現在どこにいるのでしょうか。そして、どのような生活を送っているのでしょうか。
宮城刑務所仙台拘置支所に収監で死刑を控えている
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千葉祐太郎は宮城県にある仙台拘置支所に収監されています。死刑囚は刑務所ではなく拘置所に収監されるの通例です。そして、いつ死刑が執行されるか分からないまま、毎日を過ごしているのです。
娘を気にかけながらも死刑を受け入れている
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千葉祐太郎は当初から死刑になりたくないといった言動はしておらず、死刑が確定した後も訴え等を起こすことなく過ごしているようです。一方で、娘の顔を見てみたいといった発言はしており、娘の成長を気にかけている様子がうかがえます。
死刑囚の生活とは?
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犯罪を犯した人は刑務所に行くというイメージが強いと思いますが、死刑囚だけは違います。死刑囚は服役の刑ではないため(死刑を受けること自体が罰)、刑務所ではなく死刑場が設置されている拘置所内に収監されることになります。
千葉祐太郎と同じく、もう二度と生きて外の世界に出ていくことのない死刑囚とは、どのように毎日を過ごしているのでしょうか。気になる日常を見てみましょう。
日本には数多くの死刑囚がいる
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拘置所は全国各地に8カ所あり、東京、立川、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡にあります。その他にも、拘置支所と呼ばれる収監先もあります。
死刑囚は日本全体で100から150人程度いて、死刑が確定していても再審請求をしている者など長期的に収監されている死刑囚もいます。中には数十年収監されている者もいます。
義務的作業はなく比較的自由な生活
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刑務所では作業が義務付けられていますが、死刑という判決自体が刑罰である死刑囚は作業の義務はありません。希望者には軽作業が与えられ、わずかばかりの工賃も得られるようです。
起床時間や就寝時間、食事や風呂、野外での運動の時間等が厳密に決められており、そのスケジュールに従って生活しています。空いた時間は、決められた範囲内で自分の好きに使うようにでき、習字をしたり絵を描いたりする人もいるようです。髪型も自由だそうです。
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時々、死刑囚が描いた絵を集めた展覧会が催されたりもしています。今回取り上げた千葉祐太郎も自らも反省を振り返って絵を描いていましたね。
また、死刑囚の中には獄中結婚する者も多くいます。ほとんどが捕まってから知り合った支援者や手紙のやり取りをしている人との結婚が多いようです。一緒に暮らすことはもってのほか、手すら触れられない相手と結婚するというのはどういう気持ちなのか気になるところです。
死刑囚には健康体でいてもらう必要がある
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一見、矛盾しているように思われますが、死刑囚には死刑を受けてもらうまでは死なないでいてもらう必要があります。病気や自殺等により命を落としてしまうと死刑が執行できなくなるからです。
そのため、健康的な食事や定期的な運動等が決められており、規則正しい生活が維持されているのです。死刑囚の健康に気を遣っているなんで、冗談のような話ですが事実のようです。
死刑執行は執行の朝に告げられる
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そんな規則正しい静かな生活を送っている死刑囚ですが、死刑執行の告知は唐突にやってきます。早めに告げて自殺等されたり、抵抗されることを防ぐために、本人への通告は執行当日の朝だそうです。最後の晩餐というものはないということです。
周囲にいる他の死刑囚を刺激しないよう、別の理由を告げて独房から連れ出し、その後に死刑執行を告げるパターンもあるようです。だいたい午前中に告げられ、その日のうちに執行されるようですので、朝はピンとした空気が張りつめているといいます。
このような特殊な状況の中で暮らす死刑囚や死刑囚を見守る刑務官は日々、どういうことを考えながら過ごしているのか職務にあたっているのか気になります。
世界には「死刑囚」が存在しない国もある
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日本は先進国の中では珍しく死刑制度を維持している国です。先進国の中には、死刑制度を人権の観点から廃止している国も多く、むしろ先進国ではほとんどの国が廃止しています。
アメリカでは州によって制度が違うため、こちらの州では死刑があるものの隣の州では死刑がないということがあります。そのため、どこの地域で犯した犯罪か、どこで裁かれるかによって量刑が大きく変わってしまうようです。
また、死刑制度が残存するのはアジアに多く、ヨーロッパ等はほとんどの国が廃止になっており、地域による文化的な背景の差があることがうかがえます。
千葉祐太郎が世間に与えた影響
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千葉祐太郎が起こした石巻3人殺傷事件は世間に大きな衝撃を与えました。犯人が18歳という少年事件であったこと、残虐な殺人事件だったこと、千葉の虐待や暴力を育った環境等について注目が集まりました。そして、様々な意見が出され活発な議論が交わされたのです。
千葉祐太郎の事件により実名報道の是非が議論された
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事件発覚後、犯人の千葉祐太郎が18歳という少年であることから、更生の可能性も考えられ実名報道はされませんでした。しかし、最高裁にて死刑判決が出た後は、各メディア一斉に実名で判決内容を報じました。今後少年が社会復帰する可能性はないため実名報道に切り替えたとしています。
一方で、死刑囚となった千葉祐太郎が再審や恩赦により社会復帰する可能性も考えられるとして、数は少ないですが一部では実名報道をしていないメディアもあります。
また、被害者はすぐに顔写真や実名が報道され、これまでの経歴等がすぐに報道されてしまうことに対して、不公平であるという見方もあり、少年犯罪における実名報道についてはいまだ議論が続いています。
千葉祐太郎により未成年の死刑の正しさが議論された
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千葉祐太郎は18歳という少年であり未成年でしたが、死刑が確定しました。10代の若者に対し更生の余地はないという判断について、弁護団や死刑廃止を訴える団体等からは抗議が多く上がりました。メディアでも様々な報道がなされました。
また、国際的にみると、死刑を廃止する国や地域が増えており、死刑制度を堅持している日本に対しても、国外から指摘されることもたびたびあります。しかし、国内では死刑制度を支持する人も多いことから、今後も議論は続いていくことでしょう。
事件現場はその後に解体された
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事件現場は、事件後も元交際相手の祖母が一人で暮らし続けていましたが、その祖母が亡くなった後に解体され、現在は残っていません。恐ろしい現場は跡形もなくなってしまいました。
千葉祐太郎の他にも?元少年死刑囚による事件を紹介
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千葉祐太郎のように未成年で事件を起こし、後の裁判で死刑判決を受けた少年は多くいます。実際にどのような事件を起こし死刑となったのかみていきましょう。
千葉祐太郎の他の少年死刑囚①光市母子殺害事件
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1999年、山口市光市で当時18歳だった男が、ある民家に押し入り、23歳の主婦と生後11ヶ月の赤ん坊を殺害した上で性暴力を働き、金銭を奪って逃げた事件です。赤ん坊まで殺害したとして、その残忍性が衝撃を与えました。
裁判では、第一審で検察が死刑を求刑しましたが、無期懲役の判決が下ります。続く第二審では死刑の判決となりました。弁護側が上告し、最高裁で争われましたが、最終的に死刑の判断が下されました。2012年2月のことでした。この死刑囚は現在、広島拘置所に収監されています。
この事件の詳細は以下の記事もご覧ください。
千葉祐太郎の他の少年死刑囚②市川一家4人殺人事件
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1992年、千葉県市川市で当時19歳だった男が、強盗を目的としてある民家に侵入し、そこに住んでいた家族(父、母、祖母、次女)を殺害した上、長女に性的暴行を加えた事件です。その身勝手で残虐な事件は世間を震撼させました。
裁判では、第一審で検察側の求刑通りに死刑判決が下されますが、弁護側は即日控訴します。その後、第二審でも、第一審同様に死刑判決が下ります。そして、最高裁でも、弁護側の訴えが退けられ、死刑判決が確定しました。この死刑囚は、その後2017年に死刑が執行されました。
この事件の詳細については以下の記事もご覧ください。
千葉祐太郎の他の少年死刑囚③永山則夫連続射殺事件
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1983年、当時19歳だった永山則夫という男が拳銃を用いて4名の見知らぬ人々を殺害しました。永山は社会に対する恨みや復讐ということを動機と語っています。基地にて拳銃を盗み出し、その拳銃で次々と殺害を実行します。しかし、犯行から半年後、逮捕されました。
この事件の裁判では、当初、犯人が未成年者であったことや結婚し配偶者を得ていたこと、事件後から徐々に心境の変化が見られ更生する気持ちがあったこと等から、極刑は免れるのではないかと予想されていました。
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しかし、裁判の結果は死刑となりました。この裁判では死刑の妥当性を判断する材料として、いくつかの根拠が明確に示されました。その判例が後に「永山基準」と呼ばれるものとなりました。既に死刑が執行されています。
千葉祐太郎の他の少年死刑囚④大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
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1994年、9月から10月にかけて、大阪府、愛知県、岐阜県において、不良少年グループが合計4名を殺害し、1名を負傷させた事件です。壮絶なリンチの末の残忍な殺人であり、社会を震撼させた凶悪事件でした。
10名あまりが逮捕されましたが、そのうち主犯格の3名に死刑判決が下されました。第一審から一貫して死刑判決が下りました。東京拘置所、名古屋拘置所にそれぞれ収監されており、現時点ではまだ死刑は執行されていません。
千葉祐太郎は暴力によって育てられた死刑囚だった
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千葉祐太郎の人生を振り返ると、彼がいかに暴力に囲まれて育ったかが分かります。母親や母親の交際相手からの暴力は千葉祐太郎の歪んだ価値観を形成し、他人を暴力で支配するしか手段が見えなくなってしまいます。
一方、千葉祐太郎は元交際相手の彼女を真剣に愛していたとも考えられます。もちろん、愛していたことが暴力や犯行を正当化することには全くなりません。しかし、歪んだ価値観が歪んだ愛を生み出したとも考えられます。
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千葉祐太郎が違う環境で育っていたなら、もっと真っ当な愛情を受けて育っていたら。そう考えても何の解決にもなりませんし、千葉のやったことは決して許されることではありません。
しかし、人は家庭環境に大きく左右されるということをこの事件は鮮明に表しています。児童虐待が問題視される昨今において、千葉祐太郎のような少年が起こした事件の持つ意味を私たちは考えなければならないと思います。
光市母子殺害事件に関する記事はこちら
市川一家4人殺人事件に関する記事はこちら