木田裕貴子の経歴や娘の現在は?石井久子や他の愛人も!【麻原彰晃の愛人】

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麻原彰晃の愛人のなかで、最も寵愛を受けて重要な地位を占め、実際に仕事をしていたのは、石井久子でした。その地位は麻原の正妻である知子を抜いてナンバー2だったといわれています。

さらに100人いたとされる麻原彰晃の愛人で、正妻の知子さんに存在を知られていたのは石井久子だけでした。その確執もあったようです。

木田裕貴子と他の愛人②石井久子の生い立ち

飛翔―布施 アストラルへの旅

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大学進学にあたり、4年生大学を志望したのに両親から短大しか認められず、卒業後は保険会社に勤めていた石井久子。

のちに木田裕貴子とともに麻原の愛人の一人になる飯田エリ子に誘われ、麻原のヨガ教室鳳凰慶林館を訪れます。その後オウム神仙の会が発足すると会社を辞めて出家。そのときは発足メンバーに名を連ねていました。

木田裕貴子と他の愛人③麻原彰晃の子を3人出産

木田裕貴子は子供が1人ですが、石井久子は麻原の子供を三人生んでいます。正確には3回妊娠し、最初に双子を生んで、1回流産をしています。

石井久子は逮捕直前に3人の子供を私生児として届け出ています。子供を守るためでしょう。逮捕翌日には教団幹部鎌田紳一郎と入籍しています。

木田裕貴子と他の愛人④石井久子の現在の様子

2000年11月18日に出所した石井久子は、介護関係の仕事をしていたといわれていますが、現在は不明です。2002年には南烏山のアレフ本部に現れ、意味不明な言動をして警察に保護されます。

また2007年に元オウム真理教教団幹部が「光の輪」という教団を新設するときに石井久子を誘ったのですが、あっさりと断ったといいます。

オウム真理教が経営していたパソコンショップ、今はどうなっているの? そう思ったあなたは、ぜひこちらの記事もご覧ください。

木田裕貴子以外の愛人たち②飯田エリ子

教団内では石井の正大師に次ぐ、木田裕貴子と同じ正悟師だった飯田エリ子。主に新しい信者を勧誘したり、お布施を集めることに長けていたようです。

元来営業職が得意な人タラシなのでしょう。飯田が集めた教団へのお布施は、一月に2億円もの大金を集めたこともあるという話です。

木田裕貴子と他の愛人たち①東日本のオウム真理教信者を統括していた

飯田エリ子は教団にで東信徒庁長官という役目を負っていました。これは東日本のオウム教信者たちを束ねる役職です。地下鉄サリン事件時に犯人の逃亡を助けたことにより、6年6ヶ月の実刑を受けています。

木田裕貴子と他の愛人たち②飯田エリ子の生い立ち

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横浜の出身で2019年現在58歳となっている飯田エリ子。木田裕貴子よりも18歳年上です。短大を卒業後デパート就職、その後生命保険会社に勤務することで、石井久子と会います。

自分も麻原の愛人で、しかも愛人でナンバー2の石井久子を教団に最初に誘ったのが彼女だったのです。

木田裕貴子と他の愛人たち③出所前に脳出血で半身不随へ

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2002年には刑を終えて社会にでていますが、出所する数ヶ月前に刑務所のなかで脳出血を起こしました。

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