木田裕貴子の経歴や娘の現在は?石井久子や他の愛人も!【麻原彰晃の愛人】

木田由紀子の今②母と娘の3人暮らし

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その群馬で木田裕貴子は母親と娘(麻原の子)と3人で暮らしていました。ご近所の人たちは警察が来たことで木田裕貴子が教団関係者だと知っていたといいます。

娘さんのことは人権擁護の立場から発表は控えられていますが、学校や周囲には少なからず情報が漏れていたと推察することができます。

 

木田由紀子の今③経済的には裕福?娘を乗馬クラブに通わせているらしい

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当時木田裕貴子は、ご近所の人に娘と一緒に乗馬クラブで馬に乗っていることを自慢していたといいます。乗馬といえばクラスアッパーな方々の趣味です。経済的には裕福な生活をしていた証拠でしょう。

木田裕貴子以外の愛人たち①石井久子

木田裕貴子より人々の記憶に残っている石井久子。1990年に熊本県波野村に教団施設建設をもくろんでトラブルになった国士法事件、仲間の逃走資金を用意した犯人隠避、逆さ吊り死亡事件に関与しています。

これらについては懲役4年の実刑判決を受け刑を受けたが、ほかに坂本弁護士殺人事件でも、遺体の処理に参加したのではないかと言われています。

木田裕貴子と他の愛人①オウム真理教のNo.2

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麻原彰晃の愛人のなかで、最も寵愛を受けて重要な地位を占め、実際に仕事をしていたのは、石井久子でした。その地位は麻原の正妻である知子を抜いてナンバー2だったといわれています。

さらに100人いたとされる麻原彰晃の愛人で、正妻の知子さんに存在を知られていたのは石井久子だけでした。その確執もあったようです。

木田裕貴子と他の愛人②石井久子の生い立ち

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大学進学にあたり、4年生大学を志望したのに両親から短大しか認められず、卒業後は保険会社に勤めていた石井久子。

のちに木田裕貴子とともに麻原の愛人の一人になる飯田エリ子に誘われ、麻原のヨガ教室鳳凰慶林館を訪れます。その後オウム神仙の会が発足すると会社を辞めて出家。そのときは発足メンバーに名を連ねていました。

木田裕貴子と他の愛人③麻原彰晃の子を3人出産

木田裕貴子は子供が1人ですが、石井久子は麻原の子供を三人生んでいます。正確には3回妊娠し、最初に双子を生んで、1回流産をしています。

石井久子は逮捕直前に3人の子供を私生児として届け出ています。子供を守るためでしょう。逮捕翌日には教団幹部鎌田紳一郎と入籍しています。

木田裕貴子と他の愛人④石井久子の現在の様子

2000年11月18日に出所した石井久子は、介護関係の仕事をしていたといわれていますが、現在は不明です。2002年には南烏山のアレフ本部に現れ、意味不明な言動をして警察に保護されます。

また2007年に元オウム真理教教団幹部が「光の輪」という教団を新設するときに石井久子を誘ったのですが、あっさりと断ったといいます。

オウム真理教が経営していたパソコンショップ、今はどうなっているの? そう思ったあなたは、ぜひこちらの記事もご覧ください。

木田裕貴子以外の愛人たち②飯田エリ子

教団内では石井の正大師に次ぐ、木田裕貴子と同じ正悟師だった飯田エリ子。主に新しい信者を勧誘したり、お布施を集めることに長けていたようです。

元来営業職が得意な人タラシなのでしょう。飯田が集めた教団へのお布施は、一月に2億円もの大金を集めたこともあるという話です。

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