重瞳とは?
重瞳(ちょうどう)、あるいは医学用語では多瞳孔症、英語ではPolycoria(ポリコリア)と呼ばれる症状。それは一千万人に1人に現れるといわれています。実感覚ではそんなにいるのだろうか? とお思いの方も多いと思います。それほど今まで大きな話題に上ってもいないように感じます。では実際にはどんなものなのでしょう。
瞳の中に目が2つ!?
重瞳というのは、ひとつの眼球に二つ以上の瞳がある状態をいいます。2つという場合が多いようですが、それよりも多い場合もあります。また、瞳というよりは瞳の中央にある「黒目」だけが瞳の周囲に存在するという場合もあるようです。
別名「多瞳孔症」
重瞳は医学用語では多瞳孔症と呼ばれています。つまり医学的に認められている症状だということです。英語ではPolycoria(ポリコリア)といいます。ポリはポリエチレン、ポリ袋などの接頭辞と同じで「多数ある」と言う意味です。コリアは「真皮」、つまり真皮が多数ある状態という意味です。
「目」の意味と「数」との関係
目というのは古来さまざまな意味を持ってきました。特に目の数については、1つ目にしても3つ目にしても、他とは違ったモノが見える存在として考えられてきました。ほかの身体的な形質とは違い、私たちは本能的に目に関して独特な意味を持って受け取ってしまうことが多いようです。
重瞳(多瞳孔症)は他の身体的に正常ではない方々には感じられない特別な要素が多く存在するように思えます。その印象、魅力、特徴や、歴史的にはどう見られてきたのかなど重瞳に関するすべてを順番に見ていくことにしましょう。
重瞳への印象
私たちが通常、身体に障害がある方を目にしたとき「病気あるいは事故で身体的に障害があるんだ」と理性的な振る舞いを心がけます。同情も禁じえません。しかしその理性が少し飛んでしまうくらいの衝撃を持つのが重瞳なのでしょう。何故かと考えればやはり「目」だからなのですが、それはともかく、まずは一般的な印象を見ていきましょう。
美しい!神秘的!
重瞳(多瞳孔症)を見て、美しい、カッコいい、クールだという印象を持つ方も多いでしょう。これはブリーチのユーハバッハ、あるいはナルトに出てくる登場人物などに目に特徴を持つキャラクターが多いことにも起因しています。しかし大前提として、普通とは違う見え方をするだろう、という空想が元となっています。
違う視点があれば、見え方も広く、武道や仕事、勉強も運動も能力的に高そうに見えるという想像力がそう感じさせるのでしょう。後に紹介しますが、この想像は古来より人類に備わっているようなのです。
少し怖いかも…
トム・クルーズ主演の映画「マミー/呪われた砂漠の王女」では、棺に封印されてる魔的な王女も、彼女に呪われたトム・クルーズも重瞳で演出されています。これに象徴されるように、重瞳は魔的な、言い換えれば恐怖の力を持つと印象付ける効果を発揮しています。人類に普遍的な魔力を感じさせる象形でもあるのです。
人間が感じる魔的なもの、すなわち恐怖は「自分がなくなる=死ぬこと」についてこそ最も強く感じるものだといわれています。タナトフォビア、別称「死恐怖症」に興味をお持ちの方は、ぜひこちらもどうぞ。
目と視線に対する緊張と恐怖
古来人類は目には不思議な力が宿っていると信じてきました。目は口ほどにモノを言うとは、昔からのことわざです。覚えたウサギの目といっても通用するでしょう。ペットを飼っている人なら犬やネコの甘えた目、食事を欲する目もわかります。目は、感情や感覚を表す器官です。目のイラストがあるとポイ捨てなども減るとさえいわれています。
それら感情や欲求が普遍的に誰にでも通じることから、古くは神通力を持つ器官としてとらえられました。邪視、といえば人を呪う力を持った睨みです。近代でも、無意識、ひいては宇宙へ通じるものだという考え方もフロイトをはじめとした精神分析学でも考えられるようになりました。いずれにしても目という器官は特別に思われてきたのです。
目の数
目という器官への特別な崇拝は、さらに数という要素において、想像をたくましくしました。つまり、数が違えば見え方が違うはずです。違うモノが見えるのではないか、という空想さえ生み出したのです。1つ目、3つ目、100目などがそれらの1例です。いずれも妖怪です。この空想においては、見え方はあるいは昆虫の複眼に近いかもしれません。
三つ目
なかでも三つ目は特別な意味を持ちます。なぜならば、チャクラに通じるからです。チャクラとは、額の中央にある第三の目で、インドの方が宝石を付けている位置に当たります。ヒンデゥ教、あるいはチベット教では、輪廻転生を身体で感じるとチャクラが開くと信じられています。チャクラは宇宙の真理に繋がる目なのです。
目の数に対する不思議感
もしかしたら、漠然と感じているこれらの目の力が、一つ目や百目にもあるように感じているのが人間なのかもしれません。だからこそ、重瞳に対して他の身体的な障害とは別な感じ方をしてしまうのでしょう。瞳の数というのが、目の数とも同じように感じられてきたことはいうまでもありません。
現実にある不思議。3000年に1度咲く花って知ってますか? 仏教の経典にも出てくるという優曇波羅華(うどんはらげ)。花言葉は? どんな花なのか? 興味のある方はせひこちらの記事もご覧ください。
苦手な人は閲覧注意!!実際に重瞳の人たち
百聞は一見にしかず、です。実際にはなかなか見たことない人も多いでしょうから、重瞳の実際をご覧にいれましょう。その前に少しだけ。わざとここまで実際の重瞳の画像及び動画を出すのを引き伸ばして気たことには、理由があります。苦手だな、と思う方はご遠慮していただきたいからです。
しかしながら思うのは、現実がここまでの創造をするという、自然の偉大さです。こういうことを知っておけば、ありえないような現実を目にしたときにも、落ち着いて理性的な判断もできます。パニックに陥り不必要で偏見に満ちた行動を抑えることもできるのです。では。早速見ていくことにします。
苦手な人は閲覧注意!!実際に重瞳の人たち重瞳の人①
初めて重瞳をご覧になる方には、かなり衝撃的だと思います。そういえば昭和の時代、今より国内に外国人が少なかった頃、青い眼のフランス女性と交際した人が「言い争いをしたとき何を考えているかわからない目」と言っていました。目は明らかに他の感覚器官とは違い、感情や思考などをある程度発信していることは確かです。
重瞳の人②
会話以外に、特に「あいまいな言語」を持つ我々日本人は目でコミュニケーションしているのでしょう。色どころか瞳が2つもあっては、相手がどんな感情でおるのか、それに対してどの程度の語気を持って、あるいどんな種類のレヴェルの言葉をどう返すのかもわからなくなります。
重瞳の人③
重瞳(多瞳孔症)は特殊な症例でもあります。ひとくくりに「重瞳(多瞳孔症)」と言っても、まさにケースバイケースなのです。瞳の並び方にもそれぞれの特徴がありますし、中には瞳の脇に黒目だけが並列して存在する場合もあるようです。
重瞳の人④
動画の中にもさまざなな情報が盛り込まれています。実際に重瞳を見てみると、いろいろと疑問が沸いてくるでしょう。どう見えているの? どうすればこんな症例になるの? 直るの? それらについて順番に見ていくことにしましょう。
重瞳ってどう見えているの?見え方は?
では、どのような原因で重瞳(多瞳孔症)となって、ひとつの目に二つ瞳があるときに、どのように見えているのでしょうか。ここでは医学的な見解を元に、それらの疑問にお答えしていくことにします。
医学的見解
重瞳(多瞳孔症)の人がどう見えているかを積極的に研究した内容は見当たりません。しかし私たちの右目と左目は違う角度で同じものを見ても、2つの像は結ばずに、それを距離としてとらえます。重瞳の場合は、それぞれの瞳の位置や角度とそれに付随する神経の発達の仕方でも異なってくるはずです。
先天性と後天性
重瞳(多瞳孔症)は先天性と後天性があります。つまり、生まれてくる段階で何らかの原因で瞳が2つできてしまう場合と、事故などで目が傷付き、治癒し、再生していく段階で瞳が2つできてしまう場合があるようです。
二重に見えることも…
特に後天性の場合に多いようですが、重瞳(多瞳孔症)ではモノが二重に見えることがあります。これは眼球と瞳を結び付けている毛様体が瞳を侵食していいるような状態で、モノを見るときに不快な眩しさを感じたり、光が異常に眩しいような状態になることもあります。
重瞳の原因は?
知れば知るほど不思議な重瞳(多瞳孔症)。魅力的でもあり、無機質な、あるいは魔的な印象も受けます。どうして瞳が2つなんてことが起こるのでしょうか。ここでは医学、生物学的にその原因を探ってみたいと思います。
解明されていない
性格には原因ははっきりしていないようです。しかし一般論として、人間の体は1つの元となる細胞(卵細胞)が分裂してできあがります。そのときの設計図が遺伝子配列(ヒトゲノム)です。設計図に沿って分裂を繰り返して体のいろいろな部分になるわけです。最初の卵細胞は体のどんな部分にもなれる細胞です。