人類史を塗り替えるギョベクリテペ遺跡の発見
我々の生活の中でも、建築現場で遺跡が見つかり工期が遅れるという話を聞きます。トルコの一地方で発見されたギョベクリテペ遺跡は、その存在は以前から知られていました。この遺跡もそんなものの一つであると考えられていましたが、発掘が進み「調査」が進められるにつれ驚くべき結果が判明したのです。それはこの遺跡は11,500年前に作られたものであることが判明したからです。
エジプトのピラミッドなどは、約7,000年前の建造物ですから「それよりも4,500年前」ということになります。最も古い文明は「メソポタミア文明」と学校で習いましたが、どうやらもう一度学びなおさないといけないことになりそうなのです。
1963年ギョベクリテペ遺跡発見
一番初めにこの遺跡の調査は、アメリカとトルコの大学の共同調査で行われました。1963年のことでした。それまではその丘は農地として耕され、その際にあった石などは邪魔者として扱わあれ、破壊されてきた経緯があります。それが遺跡の発見の夜明けでした。
その時の発掘では、その当時では「新石器時代の痕跡」を発見したとされていたが、それ以上の調査は大きくは進みませんでした。
1994年クラウス・シュミットによるギョベクリテペ遺跡再発掘
シカゴ大学の未調査の部分に興味を抱いた、ドイツの「クラウスシュミット」は再調査を開始する決心をします。遅れること30年、彼は石板の記録に興味を持ち、それらが「石柱の一部であろう」という予測をたてたのです。
そして予想通り、巨大な石柱が発見されるのです。それはT字型をしており、彼はそれを石板などの一部からその存在を予測していたのです。この調査は、その古さから歴史を覆す大発見となりました。
2018年ギョベクリテペ世界遺産登録
そしてその価値に気づき、「ギョベクリテペ」は世界遺産に登録されます。そして11,000年前の遺跡という途方もない事実も世界に公認されます。1963年から続いている発掘調査は50年以上もの間すすめられており、これからも驚くべき発見がなされるでしょう。もちろん「トルコ国民」は誇りに思い、これを受け入れているのです。
ギョベクリテペで発見された石像
「ギョベクリテペ」ではいくつかの石像が発見されていますがそれはちょうど「日本の土偶」のようなものです。人体をかたどったものですが、そこにはある特徴がありました。それは頭部のないものがあったのですが、意図的にされたようなのです。
頭部のない人間像
「ギョベクリテペ」のモニュメント「オベリスク」では頭がわざと描かれていない、人間像が描かれています。それはどうやら意図的になされているということが判明しています。理由は埋葬するときの「人の代わり」に描かれたとみられています。「オリベスク」は今のところ世界一古い象形文字と見れれています。
ギョベクリテペで行われた生贄儀式
「ギョベクリテ」で行われていた生贄の儀式は、人間に対してではなく、その当時「狩り」が行われていた「動物」に対するものだったとされています。何故なら遺跡の中から動物の骨が発見されているからです。これにより何らかの儀式が神殿で行われていたと推測されています。
動物の彫刻が刻まれた石柱
この遺跡の石柱の側面には、非常に手の込んだ彫刻がなされています。しかもそれは動物のものです。その当時の生活を連想させますが、こんな古い時代に複雑な高度な彫刻技術を自由に使いこなしてしていたのは驚きです
世界最古のギョベクリテペ遺跡
私たちが学校で習う最古の文明は「メソポタミア文明」です。年代は紀元前3500年前です。「ギョベクリテペ遺跡」はそれより古いというのでしょうか?それよりも古い遺跡が現れたら、また神殿なども見つかったら歴史書はどうなるのでしょうか?興味が尽きることがありません。
世界最古のメソポタミア文明より古い11500年前
世界最古のギョベクリテペ遺跡:「ギョベクリテペ遺跡」は最も古い文明の痕跡として今日では認められています。その年代は11,500年前です。私たちの知る色々な歴史は、塗り替えられることになります。それまでの文明の起源は紀元前にさかのぼりますが、もっと近い年代だということが知られています。
石器時代に文明があった!?
11,500年前といえば旧石器~新石器に移行する頃です。その頃は今までの定説では、やっと農耕が始まり「定住」が見られる頃です。石器もやっと磨製石器に変わりかけたところです。その時代に考えられない文明が存在していたことになります。
狩猟時代に宗教が存在した!
そんな獣を追いかけていた「狩猟時代」に立派な神殿が存在し、象形文字があったとは驚きです。その遺跡の石柱には現代のコンピューターでやっと知りうる天体の運行が記されていたのです。それまでは「農耕」が始まってから宗教が生まれたと考えられていました。
ギョベクリテペ遺跡建設の謎
「ギョベクリテペ」の建造物は英国の有名な「ストーンヘンジ」のそれよりもはるかに高度な「建築技術」を使って作られています。どうしてこんなに高度な技術が存在したのかは、謎です。そのT字型の柱は人の顔を表していると考えられています。
ギョベクリテペ遺跡は古代の大神殿
この遺跡ので石柱などには、動物の彫刻などが発見されています。これらから、動物の狩猟の成功を祈願したことが推測され、この遺跡は「神殿」であったという説が有力です。こんな時代に突然、神殿が現れるというのはとても不思議です。
巨大石を採掘する技術と運搬方法
巨大石を手に入れるためには、まず石を切り出されなければなりません。石灰岩の硬い岩盤を切り取るには非常に硬いは物に相当するものによって切り出す必要があります。石の柱一本切り出すには何百人という男性の力が必要でした。
運搬方法にしても、それだけの多くの人をまとめるトップの存在が必要です。その統率された力があって初めて可能でした。それらはずっと後に現れた統率手法だと考えられていました。
人材確保と使役人の居住地
基本的にはこの遺跡には、使役人など建設に従事した人々の住居などは全く発見がされていません。だからそれらはずっと他の位置にあり、ここは「聖地」であったのではないかという説も現れます。何百人の男たちはいったいどこへ消えたのでしょうか?その力はどこから来たのでしょうか?全く分かっていません。
ギョベクリテペ遺跡で最古の文字発見!
何しろ一万年前の遺跡と認められたのですから、そこから発掘されたものは今までの常識を覆すことになります。絵画のように見えるものは意図的に書かれており、文字である可能性が高いのです。そうすると人類史で最も古い「象形文字」となる可能性が高いのです。
メソポタミア文明シュメール人が文字の発明
メソポタミア文明シュメール人が文字の発明:太古のシュメール人の文字の歴史は、紀元前3400年頃であるとされています。ということは、「ギョベクリテペ」の文字の発見は「遥かにさかのぼる」ということになります。それまではシュメール人のものが「文字の発明」として認識されていました。
メソポタミア文明よりも7000年前に文字があった!
ということは私たちが知っている最古の文明「メソポタミア文明」より良いもはるかな昔に文字があったということになります。しかも7000年も前にです。これは驚くべき事実といわねばなりません。
ギョベクリテペ遺跡の石柱に描かれる星座の座標
「ギョベクリテペ遺跡」の石柱には、動物の絵画が描かれていますが、それらが、天体の事件や星座を表現していることが判明しました。それは星座の座標であると認識されました。その根拠は絵が描かれている部分の「塗料」を分析した結果割り出されたものです。そしてずっと後なってから「ギリシャ人」が知る「春分」を知っていた可能性が浮上しています。
ギョベクリテペ遺跡の石柱に残る絵
それらは動物の絵画ですが、驚くことに「すい星の衝突」までを表現しております。それは当時の人が非常にハイレベルな手法で「時間」というものを認識していたことを表しているのです。
絵の中に混じる星座の座標
絵の中に混じる星座の座標:その当時の星座の状況は、残された塗料から割り出すことができます。するとその年代の星の配置を調べることができます。すると驚くべきことが解りました。なんとそれは星座表のように正確に天体運航を表していたのです。絵の中から「正確な星座の座標」が現れたのです。
天体を読み取る高度な技術を保有!
これは当時な人が「天体を読み取る高度な技術を保有」していたことを表しています。やっと新石器時代に移行し、農耕も始まったばかりのころと思われていた時代になぜ?謎は深まるばかりです。未知の力が働いたとしか考えられません。
ギョベクリテペ遺跡は宇宙人が作った!?
あまりに常識を覆す「ギョベクリテペの遺跡」ですが、あって当然の「住居跡」や建造のための道具類が一切出てこないのは不思議です。その為、「宇宙人説」までもがささやかれ始めました。建造した痕跡が見つからないのは、進化したものの未知の力が働いたと考えられたのです。